「スタタリング・ナウ」2009.10.25 No.182  

日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二

1999年2月11日、竹内敏晴さんの大阪レッスンの旗揚げとなる講演会の日は、強い吹雪と雨が混じる悪天候だった。参加者は少ないだろうとの予想をはるかに超える185名の参加者に、この時代が竹内敏晴を求めているように感じられた。

時、バブル崩壊後の不況の真っ只中。社会の閉塞感は人々に緊張を強いている。社会に、がんじがらめに絡め取られた、「からだと、こころと、ことば」が悲鳴を上げていた。吉本興業の陳腐な笑いに代表される、考えることを放棄した、明るく脳天気に生きている人にとって、竹内レッスンは必要がない。また、強気で、勝間和代を目指す人々や、いわゆる勝ち組にとっても、竹内レッスンは必要がない。自分なりの人生を生きたいと願いながら躓いたり、生きづらさを強く感じている人。そして、その生きづらさがどこから来ているのか、自分でもつかめない人。しかし、真摯に人生を生きたいと願う人々が集まってきた。

自分を変えたいと思っても、何を変えればいいのか、その糸口がつかめない。ことばによる説明や説得ではなく、自分自身のからだの実感を通して、他者との関係において、自分でそれに気づいていく。竹内レッスンはそんな場だった。

吹雪の日から10年間、日本吃音臨床研究会が主催する大阪の定例竹内レッスンは、やすらぎと集中の場となり、大勢の人々が集まった。

人が変わるには、まず自分に気づくことが必要だ。世間に対し、目の前の他者に対してもつ身構え、相手にあわせてしまうからだ。相手と近づくのではなく、相手を拒否する自分のからだとことば。多くの人々のレッスンに立ち会い、人が気づき、変わって行く現場に出会えたのは幸せだった。

緊張を強いられる場では、人は自分に気づけないし、変われない。緊張せずに、安心していられる安全な場がまず必要だ。竹内レッスンでは、必ず二人組で、互いのからだを揺らし合い、やすらぐことから始める。心地よい、安心できる場には、常に大きな歌声と、大きな笑い声があった。

一方、他人の目を意識する緊張の場で、自分を支え、からだとことばで表現する場も必要だ。大勢の観衆の前でひとり舞台に立つ芝居は、多くの人にとってたやすい課題ではない。「12人の怒れる男」「ゲド戦記」「銀河鉄道の夜」などをモチーフに、竹内さんが脚本、演出し、レッスンを重ねた数々の舞台で多くの人が輝いていた。それは、緊張ではなく、集中することを身につけた人々の表現だった。それは日常生活に生かされた。

私が最初に出会った20年以上前の竹内さんは、精神的にも肉体的にも疲れておられるようで、レッスンも辛そうな時があった。だから、「いつ、竹内さんがレッスンできなくなるか分からないから、今の内に出会っておいた方がいいよ」が、冗談でレッスンに誘う私の常套句だった。しかし、いつしか、その常套句は使えなくなった。不思議なことに、年をとるにつれてますます元気になっていく。3年先のスケジュールを話題にする竹内さんに、少なくとも90歳までは現役でレッスンを続けて下さるだろうと、信じていた。

6月初旬、竹内さんから、「膀胱がんが見つかったが、手術を受けず、現役でレッスンを続けたいので、どんな治療があるか選んでいる」と電話があった時も、不死鳥のようによみがえることを期待した。7月の大阪のレッスンは通常通り行ったものの、8月末の東京のオープンレッスンでは、車いすの姿で見守ったと聞く。

9月7日、数人のレッスン生の歌う、竹内さんの大好きだった、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む…」の歌声と共に、84歳の生涯の幕を下ろした。

出会いから20年以上。「私も聴覚・言語障害者だ」とおっしゃり、吃る私たちを仲間と考え、常に最優先でレッスンなどの計画に応じて下さった。おかげて、私たちは、たくさんの素晴らしい体験をし、たくさんのことばをいただいた。

それらを伝えていくのが私たちの役割です。これまで、多くの人に安らぎを与えてこられた竹内さん、今度はご自分がゆっくりとお休み下さい。