―参考資料として、吃音をさらに知りたい人のために―
専門用語が出てきて、少し難しくなりますが、興味のある方はお読みください。
1 吃音(どもり)とは何か
§ はじめに
吃音は、「どもり」と長く言われてきましたが、最近「吃音症」とも言われるようになってきました。私は、吃音を「吃音症」と言うのには反対です。どもる本人も周りも使って欲しくありません。「症」は、「症状」の「症」で、「症状」は病気の異常な状態を指すことばです。どもりながら悩むことも困ることなく生きている人はたくさんいます。また、吃音に悩んだからこそ、豊かな人生を送れているという人は少なくありません。吃音に悩んだ経験がありながら、各分野で活躍している著名人は世界中にいます。
最近では、アメリカのジョー・バイデン大統領が、大統領選挙中でもよくどもることがあり、敵陣営から指摘されたこともあったようですが、見事当選しました。選挙中に出会ったどもる少年に次のメッセージを送っています。
「私も君と同じクラブの仲間だが、君の未来は吃音によって左右されるべきではない。あなたが誰であろうと、吃音であろうとなかろうと、常に自らの成長を意識し、吃音があなたの未来を決めることがないようにしてください。あなたの進む道に困難があるとき、それはその困難を乗り越えるための新たな力になるのです」
このように豊かに生きている人の少なくない吃音を、「吃音症」としてとらえると、「治すべき、改善すべきもの」になってしまいます。吃音をお送りすることができません病気や障害ととらえず、その人の発音・発声のひとつの特徴だと考え、「吃音とともに豊かに生きる」ことを考えた方が、現実的だし、建設的です。吃音を認め、その苦労や困難にどう対処するかを私たちは考えています。
§ 発達性吃音と獲得性吃音の分類は無意味
- 音を繰り返したり、つまったりするなどの明確な言語症状がある。
- 器質的(脳や発語器官等)に明確な根拠が求められない。
- 本人が流暢に話せないことを予期し、不安を持ち、悩み、避けようとする。
50年ほど前までは、専門家はこう吃音を定義していました。失語症の中に吃音によく似た言語症状がありますが、「吃様症状」として、吃音とは明確に区別していました。それが突然、30年ほどくらい前からか、脳血管障害、頭部外傷などが原因の失語症の症状の非流暢性を「獲得性吃音」と呼び、子どものころにどもり始める吃音を、「発達性吃音」というようになりました。私は、言語聴覚士養成の大学や専門学校で長年講義をしていきました。国家試験に出題されるので、仕方なく教えていましたが、学生には区別はこのまったく無意味だと話してきました。「獲得性吃音」は私たちが取り組んでいる吃音とは、全く別のものです。
§ 吃音は発達障害ではない
「獲得性吃音」と同様、「吃音は発達障害の一種」も全くの間違いです。発達障害は近年出された概念で、吃音は紀元前の古代ギリシャ時代から知られています。それを一緒にするのはあり得ません。言語聴覚士の資格をもつ厚労省の役員が「発達障害者支援法」の中に、善意の思いつきで吃音を入れただけのことです。発達障害の専門家は吃音を発達障害の中にはいれないでしょう。ただ、利点があるとしたら、本人が希望すれば、どういう支援かは別にして、支援を受けやすくなったことでしょうか。その利点よりも、どもる人が自分自身に「自分は発達障害だ」とレッテルを貼ってしまうことの弊害の方が大きいです。
§ どもり始める時期
ほとんどの場合、幼児期に起こり、4分の3が3歳2ケ月以前にどもり始めているとの研究があります。確かに幼児期にどもり始めることは圧倒的に多いのですが、学童期になってから、中学生や高校生、大学生になってから、社会人になってからどもり始めた人も少なくありません。それらの中には、親の話では幼児期にどもっていたという人もいますし、幼児期や学童期には全くどもった経験がない人もいます。
私たちの大阪吃音教室に来た人の中では、どもり始めた最高年齢が63歳でした。中学校の英語の教師を定年退職して、3年後、地域の町内会の会長になり、最初の総会で挨拶の時、名前が出なかったことをきっかけに、どもり始めました。子どものころからどもっている私たちのどもりかたと違いはありません。その人は、子どもの頃にどもった記憶は全くなかったそうです。
§ 発生率と性差
以前は、吃音の発生率は、人口の約1%という数字を世界各国共通に出していました。そして、アメリカの大学生が現在どもっているかいないか、子どものころにどもっていたかの大がかりな調査をもとに、自然治癒率は80%といわれていました。ところが突然発生率は5%という数字が出てきて、70%程度が自然治癒し、現実に今どもっている人は、人口の1~0.8%と言われるようになりました。そのとき、有病率という吃音としては新しい概念が出されました。発生率は5%、有病率1~0.8%というわけです。吃音は病気と違って病院に行かないので、正確な統計的数字が出ないのです。いい加減な数字で、正確なところは不明です。吃音は男子に圧倒的に多いのは事実です。調査研究ではいろんな数値が出されていますが、3~5倍以上となるのは確かなようです。
§ 吃音症状
1981年、日本音声言語医学会の「吃音検査法を試案1」を入手し、実際に10人のどもる人の検査をしました。ところが、吃音には波があり、誰が検査するかでも変化し、検査結果は信頼性のないものでした。そこで、1983年、筑波大学で開かれた第28回音声言語医学会総会で日本音声言語医学会の検査法の不備を指摘し、私たちは、吃音検査ではなく、「吃音評価法」を提案しました。それは、翌年日本音声言語医学会の会誌『音声言語医学Vol.25、No.3』に掲載されています。伊藤伸二のページの研究論文に全文掲載されていますので、興味のある方はお読みください。
吃音検査法が吃音症状としてあげている項目を紹介します。私はこのような詳細な分類は全く意味がないと思います。細かい検査をしても、治療と言えば「ゆっくり話す」が吃音症状に関係なく、一律にされています。意味のない検査はやめて欲しいものです。
吃音症状の中核症状 ・繰り返し ・引き延ばし ・ブロック
その他の症状 ・情緒反応 ・助走 ・挿入 ・回避 ・延期 ・随伴症状
ア 言語症状
- 連発(語音・音節の繰り返し)
- 「タタタタマゴ」のように音を繰り返す、どもり始めた初期にみられる。
- 伸発(引き伸ばし)
- 「タ-マゴ」のように音を引き伸ばす言い方
- 難発(ブロック)
- 「・・・・・・タマゴ」のように音が出てこない。成人の吃音の多くにこの難発がみられます。最初の一音が出れば後は割と話せるので、周りの人は吃音だと分からないことが多い。本人も言いやすいことばに言い換えたり、黙ったりするので、よけいに分からなくなります。「タタタタ」と連発するものだけが吃音だと思っている人は案外多く、吃音が理解されにくいのはそのためです。
イ 随伴症状
どもっている状態から抜け出すためにしようとした動作が身についてしまったものです。瞬き、目をこする、体をのけぞらす、手足を振る、足をばたつかせるなどがあります。
当初はそれらが効を奏しても、次第に効き目が薄れ始め、他の動作を模索します。やがて動作だけが残り、どもるたびにその動作を起こしてしまい、どもること以上に本人を苦しめることになりかねません。どもると舌が出る人がいて、その人はどもってもいいけれど、舌が出ないようにしたいと、舌が出ることに悩んでいました。
ウ 情緒性反応
どもるかもしれないという予期や不安により、また、どもったことによって、表情や態度に変化が起こります。自分の吃音にどの程度敏感になっているかによって、この反応は変わります。
表情 赤面、こわばる、当惑
視線 そらす、チラッと見る
態度 虚勢、攻撃的態度、おどけ、恥ずかしそうな態度、落ち着かない
行動 恥ずかしそうに笑う、いらつく、せきばらいする
話し方 先を急ぐ、小声になる、単調になる
エ 工夫
どもらずに話そうとするために行う工夫
延期 間をあける、回りくどい表現をする、「アノー」「エー」などを入れる
助走 話すスピードを速める、語音に弾みをつける
解除 一度話すのをやめて、再び試みる
オ 回避
吃音の症状が悪化し、吃音に対する意識が強まるにつれて、回避が始まる。この回避が強まれば強まるほど吃音は悪化していく。
話す場所や相手を避ける
中途で話をやめる(考えるふり、分からないと言う、黙る)
相手が言ってくれるのを待つ
ジェスチャーを多く使う
ことばや語順を言い換える
§ 適応効果と一貫性
同じ文を繰り返し読むと、1回目よりは2回目、2回目よりは3回目とどもり方が軽くなるのを適応効果といいます。朗読や発表の前に練習するのはそのためです。しかし、この効果も限界があり、4回を過ぎると後は差がなくなります。繰り返しても、1回目も2回目も同じ語でどもる現象を一貫性といいます。従来は、適応効果が高いほど、吃音を変化させる可能性が大きく、一貫性が高いほど、吃音の程度が重いと考えられ、吃音調査の中に取り入れられていました。しかし、現在、アメリカでは、根拠が薄いとの理由であまり使われなくなりました。
§ 波
調子のいいときと悪いときの波があるのが吃音の特徴です。本人も「最近調子が悪い」とか、親は、「しばらくはあまりどもらなかったのに」などと言います。体調の悪さや、精神的に落ち込んでいる時なら、「調子が悪い」も分かるのですが、原因が全く分からない「波」があります。吃音はそのようなもので、自分でもわからないものだと考え、どもる状態に一喜一憂しないのが、吃音と上手につきあうコツです。吃音の波現象が、吃音の受容を難しくさせている要因のひとでしょう。調子がよくてどもらない時が本当の自分か、よくどもるときが自分なのかつかめないのです。
§ ディストラクション効果(注意転換)
「わーたーくーしーはー」と極端にゆっくり、手を振りながらや指を折りながらリズムをつけながらなど、そのことに注意をそらすとあまりどもらないのをディストラクション効果と言います。かつての民間吃音矯正所で「吃音は必ず治る」と宣伝するのは、このディストラクション効果があるからです。一時的にどもらなくなったと感じても、長くて4カ月ほどしか続きません。英語の時間、日本語はどもるが英語のリーディングはどもらないというのも、ディストラクション効果の一種です。ネイティブ並に話せるようになるとどもるようになるのは、海外留学のどもる人が経験しています。ディストラクション効果の危険なところは、使った方法が随伴症状に組み込まれたり、一時的にも治ったと錯覚することで、「吃音は治る」の考えに縛られるおそれがあります。
§ どもるときと場面
歌や謡曲、詩吟などではどもらない人が多く、「どもりの小唄」のことばがあります。なぜそうなのかは科学的に説明はできていません。私の父は吃音を治すために謡曲を習い、家業の材木関係の仕事に失敗した後、謡曲を教えることで私たち家族を養っていました。謡曲では全くどもりませんし、お弟子さんに教えている時は比較的どもりませんでしたが、家族と話すときはかなりどもっていました。しかし、人前で講演するときなどはあまりどもりませんでした。親しい人と話すときにはほとんどどもらないが、大勢の前ではどもる人と、反対に緊張する場面ではどもらないが家族や親しい人の前ではどもる人がいます。
音読が難しい人でも、誰かと一緒に読むとどもりません。これを利用した治療法の一つとして、斉読法がありますが、効果は斉読の時だけに限られ、治療法としては役立ちません。
2 吃音の原因と進展
§ はじめに
以前は、母親の育て方に問題があった、左ききを右利きに変えたからなど、様々なことが原因として言われたことがありましたが、すべて否定されています。
以前は、母親の育て方に問題があった、左ききを右利きに変えたからなど、様々なことが原因として言われたことがありましたが、すべて否定されています。
§ 三つの原因論
20世紀になって研究された吃音の原因論は、次の三つに大別できます。
素因論(本人の身体や遺伝的要因)
神経症説(本人の心理的不安や葛藤、自我の強さ)
学習説(周囲から与えられた刺激に対する反応として身につくもの)
①素因論
1925年から1945年にかけて、主としてアメリカで、どもる人自身の身体的な機能や素質、遺伝が関係しているのではないかと、盛んに研究されました。
a 大脳半球優位説
人間の大脳半球は、左右いずれかの側がペースメーカーとして他方をリードする役割を持ち、言語機能は、大脳半球の優位差がはっきりして、安定しているとき正常に働く。多くの人の場合、左半球が優位で、この両半球の優位性が乱れたり、優位差が少ないと言語機能に異常が起こり、吃音があらわれると説明しました。左利きを右利きに変えることが原因と言われ、一時大きな影響を与えましたが、たくさんの研究で、どもる人とどもらない人に有意な差が見られないことが分かり、この説は否定されました。
b フィードバック理論
どもらない人に自分の話し声を、発語より少し遅れて耳にフィードバックさせて発話をさせると耳に入ってくる自分の声が邪魔になり、吃音とよく似た話し方になります。これが「人工吃音」です。これを、フィードバック回路に故障が起こったと考え、どもる人がどもるのもフィードバック回路に異常があるのではないかと考えました。しかし、人工的に作られたことばの乱れと、どもる人の吃音とは異質だとされています。
c 遺伝的要因
最近、遺伝子が再び話題になっています。女性より男性に多く、家族にどもる人がいると、子どもがどもる割合がやや多いという調査結果をもとに吃音は遺伝的な要因を持つという説を唱える人はいます。しかし、ある特徴が家系に伝わるのは、習慣や生き方、教育、しつけなど社会的、環境的な要因によるものが大きいという反論が支持されています。遺伝については、今後研究されるでしょうが、吃音そのものが遺伝する根拠は薄いでしょう。
②神経症説
どもるのは、周囲の評価を気にする、不安定で自己認識が不確実な人格構造が原因だとする説です。どもる人のパーソナリティに特徴的なパターンはあるのか、情緒的問題はあるのかなど様々に検討されましたが、特徴的なパーソナリティパターンを見い出せませんでした。ただ、検査項目の中で「話すこと」に関連したものについては、神経症的、内向的傾向が見られました。これは、どもる人が本来持っているものというより、どもることで、後になって加わった二次的な特徴だと考えるのが一般的です。
③学習説
吃音は「学習された行動」だとする説です。吃音は、聞き手と話し手の間に生じる緊張や葛藤や不安などと、ことばの獲得期の非流暢な話し方が結び合って身についていくと考えます。自分の吃音を意識するにつれ、話すことを恐れたり、話す場面を避けたりするようになる。話すことに対する難しさや恥ずかしさを予期する気持ちが重なって、さらにどもるようになるといいます。
a 診断起因説
ウェンデル・ジョンソンは「吃音は子どもの口から始まるのではなく、親の耳から始まる」と言いました。子どものころの誰ももっている流暢でない話し方を、親が『どもり』だと、診断した後から、どもりが起こると説明しました。この説で、「どもりは母親が作った」と母親を責められたことがありましたが、今では完全に否定されています。
b フラストレーション説
子どもは、話すことによって人を動かしたい子どもの欲求は強いが、自分の思うようにことばが繰れない、いい聞き手がいないなどで、ことばの乱れが起こる。そのことばの乱れを自分の耳で聞き、異常さを意識して、その異常さに対しフラストレーションを感じるという。そのフラストレーションから、吃音が発展していくと説明します。
c 吃音予期闘争説
話す前にうまく話せないと考えるために発語器官の筋肉が緊張し、話すことを妨げる行為から吃音が起こると考えます。ブルーメルは、自覚も努力もない音の繰り返しや引き伸ばしで始まるのを一次吃と名づけました。その話し方を注意されるたびに、うまく話せないかもしれないという反応を示すようになる状態の吃音を二次吃と名づけました。
シーアンは、話したいという欲求と話したくないという欲求、黙っていたいという欲求と黙っているのが怖いという欲求が、相争うことによって吃音が起こると説明しました。
§ 吃音の進展
ブルーメルは、どもり始めて間のない、軽くことばを繰り返すような吃音と、どもることへの恐れや不安を持ち、慢性化し複雑化した成人の吃音とは明確に区別すべきだとして、一次吃、二次吃と名づけました。その後、ヴァン・ライパーは吃音の進展を次の4段階で区別しました。
第1段階
始まって間のない吃音は、主として力まないどもり方です。「タ、タ、タ、タマゴ」「タターマゴ」といったように、軽い音の繰り返しや引き伸ばしで、話すときにあまり力が入っていない。話すことへの不安や恐れはないし、フラストレーションを感じている様子はなく、話すときに意識はしていません。
第2段階
音の繰り返しや、ことばの引き伸ばしが徐々に変化してくる。「タ、タ、タ、タマゴ」と言っていたのが、「タ・・・・・タ・ターマーゴ」といったような言い方に変化する。この頃から、話すときに少し意識するようになります。
第3段階
ことばがつまり、いわゆる難発の状態になり、発語に際して緊張が生まれ、それが表情や身体にあらわれる。首を振る、手を振る、体を動かすなどの随伴運動が生じます。心理面では欲求不満が起こり、どもるのではないかという予期不安が起こってきます。
第4段階
難発の状態が一層激しくなり、ことばが出ない間隔が長くなり、頻度も多くなります。心理面では予期不安が一層大きくなり、恐怖が生じます。話すことを避ける回避行動もあらわれ、コミュニケーションに大きな障害となり、どもるかもしれないという不安と恐れで、話す場面に出ていけなくなります。そして、ますます不安や恐れが大きくなり、どもらずに話そうとすればするほどどもってしまう悪循環に陥ります。
3 吃音の問題 吃音の予期不安、場面恐怖、吃語恐怖
§ はじめに
伝統的な吃音治療が吃音症状にのみ目を向けてきたことに対して、アメリカのアイオワ学派の人々は厳しく批判しました。吃音症状にのみ意識を集中することによって、吃音にとって最大の問題である不安や恐れをますます強めることになると考えたからです。成人のどもる人に共通する感情は、不安と恐れです。それが吃音問題を複雑にし、大きなものにしていきます。この吃音の不安と恐れについて、アメリカ言語病理学がどう考えたかみていきましょう。
§ 吃音予期闘争説
吃音原因論の中に、吃音予期闘争説があります。どもる人は、話す前に、うまく話せないと考え、そのために発語器官の筋肉が緊張し、話すことを躊躇します。つまり、話すことを妨げる行為から吃音が起こると、吃音予期闘争説は説明します。
ブルーメルは、子どもの吃音は、自分がどもっているという自覚もなく、筋肉の緊張もない音の繰り返しや引き伸ばしで始まるとし、一次吃音と名づけました。
「ボボボボクネ、アノーネ」のような話し方に対して、「ゆっくり言ってごらん」などの注意を周りがすると、子どもはうまく話そう、うまく話せないかもしれないという反応を示すようになります。このように、話す時に不安や恐れを伴う吃音を二次吃音と名づけ、吃音が予期闘争反応となるのは、この二次吃音においてだと説明しました。
ジョンソンは、ブルーメルが一次吃音と名づけたものは、正常な幼児のことばのなめらかでない話し方と変わらないとし、子どもが予期闘争反応を示すようになるのは、子どものせいではなく、両親の子どもに対する異常な反応に原因があると主張した。
シーアンは、二重接近-回避型の抗争として吃音を説明しました。話したいという欲求と話したくないという欲求、黙っていたいという欲求と黙っているのが怖いという心理が相争うことによって吃音が起こると説明しました。
これら吃音予期闘争説を唱える人々は、吃音の始まりや進展を、この説によって説明しようとしていますが、特定の吃音についての説明はできても、すべての吃音について十分に説明できるとは言えません。しかし、吃音問題の最も重大なものは、吃音の予期とそのための闘争にあり、そこから起こる反応としての回避行動にあることは、ほとんどの専門家の間で一致した見方となっています。
§ 予期不安
どもる人は話す前に、うまく話せるだろうかと不安を持ちます。過去に、どもって人前で恥をかいたり、敗北感を味わった経験が、どもっている自分の姿を予期させ、不安を大きくします。どもるかもしれないという予期→予期どおりにどもる→さらに強い予期→さらにひどくどもる→いっそう強い予期、この悪循環が発展し、どもる人の予期不安はさらに強固なものになっていき、ついには、話さなければならない場面に一切出られない状況まで追い込んでいく場合があります。
吃音の悩みは、この不安という形で表れる予期不安に負うところが大きい。
予期不安を形成する悪循環を断ち切るにはどうすればよいか? 比較的、予期不安が小さい場面を考えてみれば、ヒントが得られれます。
周囲がどもっている人ばかりの、たとえばセルフヘルプグループの集まりなど、どもっていることがあたりまえの状況では、予期不安は比較的少ない。どもる人が大勢の人の前で吃音の体験を話す場合、吃音について話すのだから、どもって当たり前という気持ちがあるので、吃音からくる予期不安は少ない。これらのことから、予期不安への対策は、吃音を公表してしまうことであると言えます。周りの人が、この人はどもって当たり前と思うように、話す前にどもることを公表してしまうのもいいでしょう。公表したことから、どもってもともとだと気が楽になり、予期不安は少なくなります。
§ 場面恐怖
吃音に悩む人は、特定の場面を恐れます。ある特定の場面でどもって失敗し、周囲の人から笑われたり、軽蔑されたりした嫌な経験の積み重ねによって、場面恐怖は形成されます。どもる子どもが不安を持ち、恐れる特定の場面の代表として、国語の時間の教室があげられますが、年齢がすすむにつれ、社会生活の範囲が拡大し、どもって失敗する嫌な体験も増えます。ある子どもは、不安や恐れを感じる特定の場面を、次のように、不安の高い順から並べました。
K君の不安階層表
- 学級のみんなの前で発表する
- 自分から人に電話をかける
- 誰もいないとき電話が鳴り、自分が電話に出る
- 職員室へ入って先生に用事を伝える
- 学校でA先生に「おはようございます」とあいさつする
- 綾部駅で「梅迫までください」と言って切符を買う
- 家の人と話をする
- 学校からの帰り道、友達と話をする
就職の面接試験や見合いで、どもって失敗した人が、以後、同じような場面には一切出られなくなる場合があります。電話をかけて一言も声が出ないままに、電話を切られたり、なんとか声は出たものの、「忙しいんだ、早く言え」とどなられたのをきっかけに、以後、電話をかけられなくなる。自己紹介が嫌さにサークルに入りたくても入れなかったり、レジで買いたい品物を渡せばいいだけのスーパーマーケットでしか買い物ができない人がいます。大勢の職員の前、結婚式でのあいさつなど、どもらない人でも、あまり出たくないような場では、どもる人が場面恐怖を持つことは、予想がつきますが、どもらない人の予想を越える場面があります。電話に対する恐れは、どもらない人の予想以上のもので、電話で済ませられる時でも、わざわざ時間をかけて直接伝達に行く例もあります。多くの人々が楽しく話し、歌う場に出て行けない人がいます。これらの場に出て行かなくなるから、これらの場での経験が乏しくなり、さらにその場が苦手になり、恐怖を強めていく悪循環に陥ってしまいます。この悪循環を断つには、場慣れをする他に方法はありません。
K君が恐れを抱く場面を困難の程度によってリストアップしたように、自分の場合をチェックし、易しい場面から徐々に難しい場面に、自分を励まし、出かけて行くことです。自分のリストの順に恐怖に直面していくことで少しずつ自信がついてくるものです。
とにかく、いろいろな場面に徐々に出て行き、どもりながらも目的を達成する。他人の笑いなどの周囲の人々の反応に対する耐性も身につける必要があります。また、過去に体験した周囲の人の嫌な反応は、たまたまのものだったかもしれず、次の機会にはまったく違った反応が返ってくるかもしれません。自分から動き始めなければ、何事も起こらないのです。
§ 吃語恐怖
どもる人の感情で共通しているのは恐怖です。恐怖とは不安の予期で、あいまいなものから確信といえるほどのものまで幅広くあります。
ジョンソンは、どもる語をどれだけ予想できるかについて研究しました。
どもる人に、これから話そうとする語に、(1)どもる (2)おそらくどもる (3)どもらないの三通りの予想を立てさせた結果、どもると予想した語の88%をどもり、どもらないと予想した語の 0.4%をどもるということが分かり、予想の度合いと実際にどもる度合いは確かな関係があると報告しました。また、世慣れした人は、ナイーブな人よりも予想がはずれるという結果も出ました。
一方、マーチンらの研究では、どもるであろうと予想した語と、どもらないと予想した語を比較すると、どもると予想した語でどもることが多かった。しかし、どもると予想した語に関しては、予想の半分もどもらなかったと報告しました。以上のことから、吃語恐怖と実際にどもることとの間には関係があるものの、完全ではないことが共通理解になっています。
実際に、自分の名前で極端にどもったり、タ行カ行音を極度にどもる人は多いです。そのような音や単語をどうしても使わなければならない場面では、吃語恐怖のために非常に不安定な心理状態になります。どもるかもしれないという恐れから、どもる人は、とっさに言い換えをして避けますが、固有名詞のように言い換えのできない語に吃語恐怖を抱いている場合、深刻な問題となります。普段は比較的楽に話せる人が、自分の名前が言えないために、裁判所に苗字の変更願いを出したことがありました。
§ おわりに
「社会に積極的に出て行けない、不安や恐れの強い人に、それができるように少しでも軽くしてあげることを第一に考えなければならない」と主張する臨床家がいます。しかし、吃音への不安や恐れは、吃音の軽重でははかれません。吃音が重くても不安や恐れの少ない人がいる一方、ごく軽くても不安や恐れの非常に強い人がいます。吃音の重い人がどこまで軽くなれば、また、軽い人がどの程度さらに軽くなれば、吃音の不安や恐れが減り、積極的に社会に出て行くことができるのか見極められません。治すことにこだわる人の要求は際限がなく、完全に治るまで追い求めていきます。どの線で納得するか、納得させるか、非常に難しいのです。吃音が軽くなるまで社会に出て行けないのであれば、それまでの社会生活がおろそかになってしまいます。実際には、その人の吃音が重くても軽くても、不安や恐れが強くても日常生活は続いているのです。
どもる人が、どもるからといって恐れている場に出なければ、ますます不安や恐れが強まり、そのような場に出て行けなくなります。この悪循環を断つには、苦しくても不安や恐れがある場面に直面しなければなりません。
具体的に次のようなことから始めましょう。
- 不安や恐れを抱く場面をリストアップし、それに順位をつける。易しい場面から難しい場面に徐々に慣れるようにする。
- 教室や集会室では、必ず前の席に座るようにする。
- 人の集まるところへはできるだけ出かけて行く。ただ黙っているだけでもよい。
- 体をリラックスさせる方法を何かひとつ身につけておく。呼吸法、自律訓練法、ヨガ、ストレッチ、エアロビクス、禅、太極拳など
- 不安や恐れのある場面で話さなければならなくなったときは、「私はどもりますが・・」とまず自分の吃音を公表する。それだけでどもってもともとの気持ちになり、ずいぶん楽になる。
- 明るい表情、明るい声で、明るくどもろう。
4 吃音治療の歴史
§ はじめに
吃音の原因については、現在のところ定説はありません。しかし、吃音の原因について、研究者、臨床家が自分の説を正しいと信じてきたように、治療に関しても自らの開発した治療法が唯一絶対のものであると主張する臨床家は少なくありません。これまで公開されてきたさまざまな治療法の中から主なものを取り上げ、その利点、問題点を探ります。
§ 対症療法
吃音は原因が解明されていないため、根本的な治療はなく、とりあえずどもる状態をなくすか、軽くする言語訓練しかありません。
「どんな不自然な話し方でも、どんなことをしてでも、とにかくどもるのだけはやめなさい」の「抑制法」は、1800年代、ヨーロッパを中心に行われてきました。日本では、1903年に伊沢修二の楽石社で始まり、大都市を中心に民間吃音矯正所が設立され、多くの人が治療を受けました。一時的に効果があってもほとんどが再発しました。
1930年になり、アメリカ・アイオワ州立大学のスピーチクリニックで、医学・教育・心理学の領域から組織的な調査研究が進められました。ブリンゲルソン、ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパー等のアイオワ学派の人たちは、どもらずに話すことを意識することは不安や恐れを増幅させるだけだと真っ向から批判しました。そして、意図的にわざとどもる「随意吃音」を提唱し、どもることへの不安や恐れや回避する行動をなくそうとしました。抑制法とは逆にどもることを奨励し、どもった状態を客観的にとらえ、どもり方を徐々に変えようとしました。抑制法と対比し、表出法ともいわれます。
§ 抑制法
a.注意転換法(ディストラクション法)
民間吃音矯正所で行われてきた方法は、ほとんどこのディストラクション法でした。
- ワータークーシーハーと歌うように話す
- ンワタクシハ ンアオナデス と語頭にンやウの音をつける
- エート、エートなど連係語をつけて話す
- 手を振りながら、指を折りながら話す
これらで、不安や恐れから注意をそらせて、吃音を抑制します。一時的に効果があっても、効果が長続きしないのが特徴です。速効と劇的な効果があっても一時的なものなので、効果がなくなったときの心理的悪影響は大きく、吃音への恐れや不安をさらに大きくしていく可能性があります。また、吃音が治ることへの憧れを強化し、吃音へのとらわれを長引かせます。私を初め多くの人が経験してきたことです。
b.弛緩法(リラクゼーション法)
心身がリラックスしているときはどもることが少ない人がいます。小さい子どもや犬に話しかけるとき、お酒を飲んでリラックスしているときなどです。これらのことから、心身の緊張を弛緩させる治療法が考えられました。ジャコブソンの漸進的弛緩法、シュルツの自律訓練法などです。弛緩法を用いつつ、その他の対症療法を行おうとすることもあります。
§ 修正技法(アイオワ学派)
「不自然な話し方でも、どんなことをしてでも、とにかくどもるのだけはやめなさい」の伝統的な抑制法に対して、アイオワ学派の人々はこう主張しました。
「この方法は、どもる人に『つえ』を与えるにすぎない。急速にどもらなくなるということは、突然の再発の前兆である。この抑制法は、吃音の中心問題の「どもることへの恐れ」を減らすどころか、強化することになる」と。そして、アイオワ学派の人々は
「どんどんしゃべって、どもりりなさい。ただし、はたから見て異常だと思えるどもり方をできるだけ少なくして」
どもってでも話すことをすすめ、どもることを隠さず、吃音をオープンにすることによって、その恐れを減らそうとしましたが、具体的な方法は、人によって違っていました。
a.ブリンゲルソンの随意吃
本人が異常に反応しなくなれば、聞き手も異常に反応することが減るだろうと、ブリンゲルソンは考え、自分の吃音を受容し、客観的な態度をとることを主張しました。自分の吃音について他人と自由に話し合うために集団療法を取り入れました。他人のどもるのを見、自分もどもり、互いにどもったときの感情について話し合うことで、自分の吃音を客観的にとらえることができます。ブリンゲルソンは、どもりそうな第一音を自発的に連発すること、「タマゴ」なら、「タ、タ、タ、タ、タ」と繰り返すどもり方をすすめ、「随意吃」と名づけました。この方法は、どもる不安や恐れを、どもってしまうことで減らすことでは効果がありましたが、どもる人の抵抗が強かったです。どもることへの恐れが減っても、吃症状そのものにはあまり変化はありませんでした。吃音に対する客観的な態度を育成すると同時に、吃症状そのものを変えていく努力もなされました。随意吃を絶対的な治療法として使うことの危険が早くから指摘されたものの、後のジョンソンやヴァン・ライパーに大きな影響を与えました。
b.ジョンソンの知覚と評価の再学習
ジョンソンもどもることへの恐れが吃音の問題の中心だと考えました。吃音はどもることを予期するために起こる回避反応であり、どもることを避けないことが吃音を減少させることになると考え、どもりそうなことばを軽く、楽に繰り返すことをすすめました。つまり、どもることを恐れて、あわてたり、緊張したりせずに、単純などもり方を続けることによって、流暢ではないけれども正常な話し方「正常な非流暢さ」が身につくと考えました。
ジョンソンはまた、どもらない人にも非流暢性があり、どもる人との差は、自分の非流暢性を気にするかどうかで、どもる人が自分のことばに対して持つ特別なとらえ方と感情が吃音を起こさせると考えました。ジョンソンは、どもる人が自分の吃音について語るときに使う不適切なことばに注意を向け、変えさせようとしました。
「私のくちびるは、きつく合わさってしまう」→「話そうとするとき、くちびるをきつくしめてしまう」
こう言い換えることで、うまく話せないのは、自分自身がしている行為そのものであることを分からせようとしました。この知覚と評価の再学習を基礎に、自らすすんでいろいろな場に出ていき、話すことが重要だと強調します。このときには、自発的に軽く、楽にどもることをすすめました。
c.ヴァン・ライパーの流暢な吃音
ヴァン・ライパーは、原因はともかく、吃音を強化し、発展させたのは、自分自身が学習によって身につけたと考えました。予期不安からくる話すことを回避するなど、習慣になっている心理状態や、行動を、練習で少なくしていこうとしました。目的を、どもらずに話すことではなく、流暢にどもることにおいたのです。気楽に話せる場面、どもる人のグループなどで、自分の苦手としないことばの言い出しを軽く繰り返したり、引き伸ばす練習をします。慣れるにしたがって、実際の生活場面で苦手なことに対しても同様の話し方をします。このような練習や経験によってどもることに対する恐れを減らそうとしました。流暢にどもる方法として、ヴァン・ライパーは一連の実際的な方法を開発しました。
準備的構え
吃音者は話さなければならないとき、次のような準備的構えすることに、ヴァン・ライパーは気づきました。
- 話そうとして発語器官の筋肉を緊張させてしまう。
- 発語器官を固定したままで、言わなければならないとあせる。最初の音が言いにくい音であると、言わなければならない最も重要な音だと考え、異常に身構えてしまう。
- 最初の音をあらかじめ構音してみるくせがある。「タ」と言おうとするとき、歯茎に舌をもっていく。
どもるかもしれないと恐れている語を言う直前に、このような準備的構えをしています。どもり方を変えるのには、このときが最も良いタイミングで、準備的構えをなくすために新しい準備的構えを練習すればよいと考えました。発語器官の筋肉の緊張を緩め、苦手な第一音を意識せず、不適切な準備をしないで、すぐ発音するという方法です。
引き伸ばし法
新しい準備的構えがうまくできず、これまでのようにどもり始めたとき、単純な引き伸ばしを行い、言い切るようにします。唇や舌が過度に緊張しブロック(難発)の状態になったとき、無理にことばを出そうとしないで、その緊張を意識的に緩めながら、軽く引き伸ばすようにして発音します。
解消法
新しい準備的構えができなかったり、引き伸ばし法で単純な引き伸ばしができなかったとき、無理に声を出そうとしないで一旦休止し、自分のしていることを分析し、反省し、もう一度言い直します。言い直すときは、流暢に話さなければならないというのではなく、どもり方に少しでもよい変化があればいいのです。
準備的構え-引き伸ばし法-解消法は、対症療法のひとつですが、一種の心理療法の役目もありました。解消法で自分の吃音と向かい合い、分析することは、吃音と直面することになり、心理療法の基本になります。どもることへの恐れや、話したいがどもるから話さないという葛藤や、話し方を変えていくことは、自分の吃音に対する洞察を深めるチャンスとなるのです。
5 チャールズ・ヴァン・ライパーの吃音方程式
§ はじめに
ウェンデル・ジョンソンと並び、その業績が評価されている吃音学者にチャールズ・ヴァン・ライパーがいます。ヴァン・ライパーは、研究者というよりは臨床家としての立場を重視しました。有効な治療法を開発しようと40年以上にわたって吃音の臨床に携わり、それを自ら評価し、検討を続け、修正を加えていきました。彼は、治療の目的をどもらずに話すことではなく、なめらかにどもることに置きました。これまで開発されてきたさまざまな治療法がまったく効果がなく、彼自身が試みた臨床経験からも完全に治った例はほとんどなかった。しかし、なめらかにどもり、吃音をハンディとせずに生きる人が育ってきたといいます。彼は、吃音の重症度を評価するために方程式を提示し、それを基にした治療計画を示しました。それに対し、基本的に共感しますが、問題点もあります。吃音と上手につきあうの観点から伊藤伸二の吃音方程式を試案しました。ヴァン・ライパーの方程式と私の方程式を紹介しましょう。
§ チャールズ・ヴァン・ライパーの吃音方程式
吃音に波があるのは、誰でも経験します。独り言を言うとき、小さい子どもに話しかけるときは、比較的どもることが少なく、憂鬱な気分のときや緊張するときはよくどもります。吃音の波現象を分かりやすく理解するために、吃音を評価するために、ヴァン・ライパーは方程式を作成しました。吃音を悪化させる要因を分子とし、吃音を軽くする要因を分母として、吃音の重症度を表す方程式で表しました。この方程式を基に吃音の治療計画を立てました。つまり、吃音を悪化させる要因(分子)を減少させ、吃音を軽くする要因(分母)を強化していけば、吃音は軽くなっていくというのです。
吃音方程式は次のようなものです。
吃音の重症度 = (PFAGH)+(SfWf)+Cs M+F1分子(吃音を悪化させる要因)
P(Penalty 罰) -どもったときに与えられた罰、または、その経験の記憶-
どもる度に嫌な顔をされた、電話でどもっていて途中で切られた、「もっとちゃんと話さんか」と叱られたなどの体験を持つ人は少なくない。嫌な体験は吃音を悪化させる。
F(Frustration 欲求不満)-欲求不満を感じるとき、または、記憶に残っているすべてのタイプの欲求不満-
指名されたとき、答えが分かっていても「分かりません」と言ったり、間違った答えをわざと言ってしまったり、話したくても話せない経験は、欲求不満を募らせ吃音を悪化させる。
A(Anxiety 不安) -不安があるとき-
どもって失敗した過去の経験から、またどもるのではないか、どもって失敗するのではないかと、話す前に不安を持つ人は多い。この不安が大きくなると回避行動につながる。
G(Guilt 罪) -罪の意識-
どもるたびに母親が悲しそうな顔をする、子ども心に母親を悲しませてはいけないと思い、吃音に対して罪の意識を持ってしまう。会社の受付や電話のよくかかる職場で、どもって応対すると会社のイメージを悪くするのではないかと悩む人がいる。まじめな人であればあるほど、この罪の意識を募らせる。
H(Hostility 敵意 攻撃心) -はけ口の必要な敵意-
恥ずかしい、申し訳ないという恥や罪の意識が昂じると、自分自身に対しても、聞き手に対しても敵愾心を持ってしまう場合がある。この言いようのないいらだちは、はけ口を求めても得られず、さらに吃音を悪化させていく。
Sf(Situational fear 場面に対する恐れ) -過去の不愉快な経験に基づく場面に対する恐れ-
国語の朗読の時間や研究発表でどもって失敗したり、結婚式の挨拶でどもって恥をかいた経験は、どもることへの恐れを強化する。何度も何度もそのような失敗の経験を重ねると、それらの場に出ていけなくなるほどの恐怖心を持つようになる。特定の場面に対して恐れを持つ人は多い。
Wf(Word fear 語に対する恐れ)-過去の不愉快な記憶に基づく特定の音、または語に対する恐れ-
自分の名前、その他の固有名詞、など特定の音でたびたびどもった経験によって、発音しにくい音を意識する。どもるかもしれないと予期し、実際にどもってしまうことによって、特定の語に対する恐れが強化される。
Cs(Communicative stress 話すことに対する心理的圧迫) -話すことに対する心理的圧迫の大きい場面、あるいは重要なことを言わなければならないとき-
大勢の人の前や改まった席で話さなければならないとき、または重要なことを伝言しなければならないとき、正確に伝達しなければならないとき、など心理的圧迫は大きい。
分母(吃音を軽くする要因)
M(Morale 士気) -自我の強さ、自信、安定感など-
自信を持っているときはあまりどもらない。仕事や人間関係に自信を持ってあたっているとき、また何か目的を持てたとき。
Fl(Fluency 流暢さ) -本人の感じる流暢さの程度-
どもりながらもなめらかに話せたという満足の経験を重ねる。
§ 伊藤伸二の吃音方程式
吃音は、吃音が軽くなればというような単純なものではありません。吃音によって自分の行動や人生を左右されずに生きている人がいる一方で、どもることを嘆き、恐れ、自分の殻の中に閉じこもり、不本意な生活をしている人がいます。どもる状態の重い軽いで、単純にその人を論じることはできません。吃音に波があるのと同様に、どもる人の吃音に対する態度や悩みにも波があります。私たちは、どもる人の悩みの実態を調べるために、全国を巡回して相談会をすると同時に、アンケート、面接調査を行い、「吃音と意識の調査」を行いました。そのたくさんの調査結果からも、吃音が重かった時期と吃音の悩みが深かった時期は必ずしも一致しませんでした。どもる事実は変わらないのに、吃音に大きく影響を受ける人と、そうではない人がいることにも注目しました。ここに、吃音へのアプローチのひとつの方向を見いだすことができます。吃音と悩みとの関係の調査で次のことが明らかになりました。
○吃音に悩むことが多かったのはなぜか?
「どもることが多かったから」という答えよりも、「いつも気分が沈んでいた」「将来に不安があった」という答えの方が多かった。
○どもることが多かったのはなぜか?
「対人関係が悪かった」「相談相手がなく、劣等感が強かった」が挙げられた。
○吃音に悩むことが少なかったのはなぜか?
この質問への答えは、一層興味深い。「どもることが少なかった」という答えよりも、「熱中するものがあった」「仲のいい友達がいた」「他のことで自信があった」の回答が多かった。これらの調査結果から、吃音に焦点をあてていたこれまでの吃音問題解決のあり方から、どもる人自身の意識と行動に焦点をあて、問題解決を図ろうとする方向へと転換していきました。これらの調査、面接調査中から、私の吃音方程式を作成しました。
吃音が大きな問題となる要因を分子とし、問題となるのを防ぐ要因を分母としました。分子として挙げられている要因を、よりよい方向へ持っていき、分母として挙げられている要因を強化することによって、吃音とうまくつき合う方向が探れると考えました。
分子(吃音のとらわれを強める要因)
人間関係の狭さ
幼少時の愛された経験の少なさ
どもって失敗した経験の質と量の多さ
日常生活の中での話すことから回避の度合い
吃音のことを話せる人がいない
レジャー活動の貧困さ
吃音も含めたさまざまな劣等意識
分母(吃音の解放を進める要因)
豊かな人間関係
楽天的な人生観
確な人生目標
どもってでもできたという経験
仕事や学習についての自信
人に受け入れられた経験
おわりに
チャールズ・ヴァン・ライパーの方程式も、私の方程式も、分子、分母についてはどもる人それぞれによって、項目が違ってくるでしょう。その人にとって特に重要な項目もあれば、反対に意味のない項目もあります。さらに項目を付け加えなければならない場合もあります。これらを参考に、自分自身で、またはグループで、自分のこれまでの人生を振り返って、自分自身の方程式を作ってみましょう。自分で作った方程式だから、きっとやる気が出てくることでしょう。皆がその方程式をもちより、多くの人と検討すると、さらにいいものに作り替えることができるかもしれません。