はじめに

僕は、小学二年生の秋の学芸会で、セリフのある役を外されたことで吃音に強い劣等感をもった。吃音を、自分を否定し、遊びもスポーツも勉強もしない、本当につまらない学童期・思春期を生きた。クラブ活動もせず、友だちの輪の中に入らず、ひきこもりの生活に近かった。その僕が就職して社会人として生活しているイメージがもてなかつた。二浪して行った大学の二つの学部を卒業後、大阪教育大学の特別専攻科で二年間勉強し、幸運にもそこの大学の教員になった。28歳になつていた。就職活動をしていない僕が、就職活動について体験を通してのアドバイスはできない。

 だけど、1965年の夏の大学一年生からは、吃音に向き合い、どもる人の会を創立し、リーダーになって様々な活動をしてきた。世界大会を開き、どもる人や、吃音研究者と情報交換してきた。今、79歳になつたけれど、1万人以上のどもる人と直接対話し、たくさんの若者の相談や、就職活動相談に乗ってきた。その中で考えてきたことをもとに、先輩として、吃音と就職について考えてきたことを紹介する。参考になることは参考にして欲しい、相談があれば電話をしてきて欲しい。親以外のお節介な老人の一人の僕を加えて欲しい。

吃音と就労

夢がないのがつらい

 私は小学校時代、音読や発表でどもることを笑われ、吃音に強い劣等感をもち、どもりたくないために、あらゆる話す場面から逃げた。勉強も、遊びも、スポーツも身が入らず、不本意な学童期・思春期を生きた。仕事に就いている自分をイメージできずに成人式を迎えた。子どもの頃、流行っていた宮城まり子の「ガード下の靴磨き」の歌の、♪風の寒さやひもじさは 慣れているから泣かないが ああ 夢のないのが つらいのさ♪の「夢のないのがつらい」の言葉がずっと私の未来を覆っていた。

 吃音治療所での体験

 「どもりを治さないと私の人生はない」と、どもりが治ることだけが私の夢となった。大学1年生の夏休み、「どもりは必ず治る」と宣伝する吃音治療所に1か月入寮し、訓練に励んだが、私を含め300人の全員が治らなかった。しかし、私は初めて自分以外の多くのどもる人と対話し、吃音の知識だけでなく、どもる人の人生を知った。

 ・「ぼぼぼぼぼ僕」とどもっていた私は、「僕」と言おうとしても「……」と「ぼ」の音がつまって出てこないどもり方があることを初めて知った。人によって、どもり方もどもる程度も、どもりやすい言葉や場面も違う。

 ・吃音になる原因は、膨大な研究がありながら、解明されず、治療法としては、「ゆっくり話す」言語訓練しかない。本人の性格の弱さや努力不足とは関係なく、ほとんどの人が治らず、世界中でどもる人は、人口の1パーセント程度いる。

 ・かなりどもっても平気な人、ほとんど分からないくらいなのに深く悩んでいる人など、悩みや人生への影響は吃音の程度ではなく、本人がどう受け止めているかによる。

 「どもりが治るはずだ」と信じていた私は、吃音が治らないという現実を知って大きなショックを受けたが、どもりが治ることにあきらめがついたことで、吃音と共に生きる覚悟ができた。そこから私の人生は大きく変わっていった。

 どもっていても、できないことは何一つない

 治療所で出会った人たちは、地元に帰れば様々な仕事に就いていた。農業をしたり工場に勤めたりしている人もいたが、学校の教師や僧侶、営業職や会社の経営者など、話すことの多い仕事に就いている人もたくさんいたことは、驚きであるとともに、私に夢を与えた。家が貧しく大学の生活費すべてを自分で賄わなくてはならなかった私は、当初新聞配達店に住み込んで大学生活を始めた。吃音治療所を退寮した後は、様々なアルバイトをしようと決めた。セールス、接客、工場、家庭教師など様々な仕事に就き、苦しいことも多かったが、「どもるからといってできない仕事は何一つない」と経験を通して知った。その後、吃音が縁で、言語障害児教育教員養成大学の教員になり、講義や講演など人前で話すことが仕事になった。ライフワークとして、どもる人の生き方、どもる子どもへの支援について研究し、実践を続けきた。私が開設する電話相談・吃音ホットラインには、吃音の就労について、どもる当事者やどもる人が勤めている企業からの相談が多く寄せられる。

 

 吃音ホットライン(072-820-8244)への就労の相談

  眼鏡チェーン店でトップの売り上げを続け、都内の有名な高級眼鏡店に引き抜かれて4か月になる女性は、対面での営業には自信があり、売り上げでトップに立ったが、電話応対がマニュアルどおりにできず退社するかどうかで悩んでいた。「電話がマニュアルどおりできなくても、眼鏡に愛情が深く、知識も豊富で接客がうまい、売り上げのトップの人を、どもるからといって解雇する経営者はいないと思う。正直に吃音について話をして、相談したらどうか」と伝えた。彼女は、吃音について正直に伝えた。電話は仕事のごく一部だ。彼女は会社を辞めることなく、好きな眼鏡店で楽しく仕事をしている。

 「消防士になりたいが、僕のようにどもっていてなれるだろうか」と相談してきた大学生に、どもる苦労はどんな仕事に就いてもついてくる。自分の本当にしたい仕事なら、苦労に耐えられるのではと、夢を追うことをすすめた。消防学校時代、「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか」と指導教官から強い叱責を受けて悩んだが、消防服に着替える速さでは人に負けないなど、話すこと以外では人一倍努力し、消防学校を卒業し、今は消防士として仕事を続けている。

 教員採用試験でどもって名前がなかなか出なかった時、「私はどもります」と自ら公表したことで、「ゆっくりでいいですよ」の面接官のことばに落ち着き、吃音に悩みながらも教師になりたいとの夢を語った。「あなたのような人が教員になれば、何かに悩んでいる子どもにとって、力になるでしょうね」と面接官が言った。採用された女性は、卒業式で生徒の呼名をする時に困るなど苦労はあるが、工夫をしながら教師の仕事を続けている。

 吃音への理解 

 どもる言葉、どもる場面、困る場面はどもる人ひとりひとり違う。吃音は、「努力で治るはずだ」などの誤解も多く、理解されにくい。「吃音は一般的にこう理解すべきだ」ではなく、私はこのようなことが苦手だが、この点ならがんばれるなど、自分の言葉で自分の吃音を説明し、周りに伝える力をつけておくことが必要だ。どもる人が吃音を否定し、隠し、どもらないようにしようとすると、かえってどもり、その態度が就職活動で不利に働くことがある。また、仕事に就いてからも、「どもりたくない」の思いが強すぎると、仕事上うまくいかなくなる。就職活動の面接でも、その後の仕事でも、吃音を認め、どもっても話すことから逃げない態度が何よりも大切なことだ。

 就労関係者もどもることより、その人の人柄、能力を見てほしい。また、仕事場で、どもる人がどんなことに困っているかの本人の声に耳を傾けてほしい。周りの理解と、どもる人本人の少しの工夫で、どもる人はその力を発揮しやすい。

  

 どもる人の就労の実態調査

 1992年、愛媛大学の水町俊郎教授が113名のどもる人の就労の実態調査をした。

 「どもる人の職種といえば、あまりしゃべらなくても済むと一般的に考えられている仕事ではないかと思われがちだが、実に多種多様である。一番多かったのは公務員(教員以外)、次いでプログラマーなどの技術者、三番目が教諭であった。注目すべきことは、一般的に仕事を遂行する上で、コミュニケーションが重要な役割を果たす職種であると考えられる学校の教諭、営業職が上位を占めているということと、総合病院の受付、医師、看護師、接客業など人と直に接する仕事の分野にどもる人が進出しているということである。多くのどもる人があらゆる仕事に就いていて、いろんな問題にぶつかりながらも自分なりに工夫、努力をして、真摯に職務を遂行している。それらの事実を知ると、「このままでは、この子は将来、どんな仕事にも就けないのではないか」と悲観的な思いをしている親が、子どもの将来について無用な取り越し苦労をする必要がなくなると同時に、将来を見越して今何をやっておくべきかが明らかになってくる」

 『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』第7章 吃音者の就労と職場生活P.123~P.144 水町俊郎・伊藤伸二 ナカニシヤ出版 2005年

 この調査研究から20年以上たち、状況は多少違ってきているかもしれないが、眼鏡店の販売員、消防士、教師の話は最近のことだ。吃音を否定せず、吃音について自らの言葉で周りに理解を求めることで、就職活動に成功したり、職場生活でも仕事がしやすくなった例は実に多い。どもる人のセルフヘルプグループである、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトでは、「吃音と共に生きる」ことを学び、実践している。

 

 おわりに 

 近年、発達障害とは本質的にはまったく異質の吃音が、発達障害者支援法の中に、なぜか入った。吃音はその程度はさまざまで、障害者手帳を取得しての就労を選択する人も出てくるだろう。選択肢が増えたことは喜ばしいことだが、私には少しの危惧がある。就職活動で苦戦するとつい安易に自分の可能性を閉ざしてしまわないかということだ。面接でひどくどもって、教師になることを心配されたが、苦労はあったものの、教師生活をまっとうした人を何人も知っている。吃音は生活の中でできるだけ話していく中で、自然に変わっていくものだ。現在のどもる状態が固定するわけではない。できるだけ、自分のしたい仕事に就いてほしい。たくさんのどもる人の就労に立ち会って、自分自身の経験からも、心から願っている。

働く広場

独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構

2017年5月 NO.476

吃音と就職Q&A  

2022年度がスタートして3回目の大阪吃音教室。4月22日の講座は、「吃音Q&A 吃音の基礎知識」でした。仲間の一人が、僕に、吃音に関する質問をしてくれます。それに対して僕が答えていくのですが、質問者と僕だけでなく、周りにはたくさんの参加者が聴衆としてその場にいてくれます。その場を支えてくれる大切な存在です。

 今回、大まかなテーマとして「吃音と就職」が挙がっていましたが、どんな質問なのかは知らされていません。どもる人にとって、関心の大きい、幅広いテーマです。

 動画を是非みてください。これは動画のテープを起こした文章です。

◇就活のスタートは、直前ではなく、早め早めに

《第1問》 就職活動中と、就職してからと、どもる人にとってはその両方に大きな不安が伴います。就職活動は一般的に不安があり、プレッシャーがかかることですが、吃音があるとより不安も大きくなる。

 どもっていると、他人からどう思われるか。

 人事担当の人からどんな評価を受けるだろうか。

 どもる自分はどう見られるのか。

 どもったら評価が落ちるだろう。となると、どもらずに話さないといけない。そんなことを考えてしまう。面接のときに、どもることを公表することをどう考えるか。私は公表しなかった。それは、どもり方に波があるから、きっと理解してもらえないだろうと思ったし、そもそも伝え方を知らなかったから。まず、面接でどう伝えたらいいのか、そのあたりの話から聞かせてほしい。

伊藤 就職活動の不安と、就職してからの不安分けて考えてみたい。

 どもることで、就職活動に不安があるということは、就職活動が始まる前から分かっているはずのことだから、その不安にどう対処するかは、他の人より早く考えることができるということです。大学に入学したときから考えることができる。だけど、実際は、三年生になって就職活動が始まって、大学でのセミナーに参加して、コミュニケーション能力が大事だと言われ、不安が大きくなった人がいました。前から分かっていたことなのに、そのときになって、どうしようと思うのは、不思議な気がしたんだけど。

奥田 分かっていても、きっと問題を先送りしてしまうのだと思います。実際には、大学在学中に、アルバイトをしようとしたときに直面します。

伊藤 就活の予行練習として、アルバイトがあると考えていいかもしれない。吃音はハンディになると考えているのなら、就活は、大学入学直後からスタートすると考えたらいい。就活は、直前ではないと、どもる人には強調したいですね。

 吃音と就労は、吃音にとって大きなテーマで、大阪吃音教室に初めて参加する人からも、各地の相談会でも話題になります。面接が怖い、面接をなんとか切り抜けたい。最初にどもることを公表した方がいいのかどうか、など、面接をどう切り抜けるかが中心だったように思います。でも、たとえ、なんとか面接の場をごまかしたとしても、仕事人生は長く続きます。そう考えると、もっと根本的な対策が必要になってきます。就活のスタートは、直前ではなく、早め早めに、これが基本でしょう。

 ◇就活の準備段階に何をしたらいいか 対策1 アルバイトの活用

《第2問》

奥田 大学3回生や4回生になって、みんなが就活を始める頃ではなく、もっと早い段階から、準備を始めた方がいいということだったけれど、どんな準備をしたらいいのか。準備段階をどう過ごしたらいいのか。

伊藤 みんなが将来は働くということを考えたら、高校生や大学生だけでなく、小学生だって不安をもつ。『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』(解放出版社)の中に、どもる人の職業というワークに、たくさんの種類の職業が書いてあって、どもっていたら、この職業に就くことができるかどうかチェックするようになっています。

 「これならできる、これは無理だ」、と子どもたちはチェックしていきますが、どんな職業にも就けると分かってもほとんどの子どもが安心すると、ことばの教室担当者から聞きます。就活の準備は早めにと言ったけれど、極端に言えば、学童期から始まっている。吃音は治せるものではないので、折り合いをつけて生きていくことになりますが、どんな仕事に就きたいのか早く考えることが大切になります。

 どもる人が有利なのは、他の人より早くから職業について考え、準備できることです。仕事に関するテーマパークなどに行くなどして考えることができる。子どもも不安だけど、親もきっと不安だろう。不安になることは決して悪いことではない。不安を持ったら、それだけ早く、そして真剣に対策を考えることができる。

 ウォーミングアップとして、高校生、大学生にはアルバイトの活用を提案したい。僕は、21歳のとき、どもる覚悟をして、吃音と共に生きていこうと決めてからは、あらゆるアルバイトをした。嫌なこと、苦しいこともたくさんあったけれど、僕の場合は家が貧しかったから、アルバイトをしないと東京で大学生活を続けていくことはできなかった。だから苦しくてもがんばった。たくさんの仕事を実際に経験して、どもっていても、どんな仕事にも就けるという確信を持った。これは、自分が実際に経験したから言えることです。できれば話すことの多い仕事で、たくさん失敗して、恥をかいて、つらくても場に慣れていくしかない。また、アルバイトだと思えば、耐えられるので、いろいろと挑戦して欲しい。これは僕の大学生活の7年間で経験したことです。

奥田 私はパン屋に憧れて学生時代にパン屋でアルバイトをしました。接客8大用語といって、「ありがとうございます」など決まったことばを言わないといけないことが分かって、とても苦労しました。パン屋でパンを売るという姿を想像していたけれど、その前に接客用語で疲れてしまった。それで8ヶ月で、もうだめだとなって辞めました。

伊藤 だけど、8ヶ月も続けたんだよね。続けられたのには、奥田さんにどういう力があったのだと思う?

奥田 このまま辞めたらアカンと思った。ここで逃げたら、これから他のバイトもできなくなる。これくらいのことには耐えないといけないと思って、がんばったけれど、結局は8ケ月で辞めた。でも、想像と実際とは違うことを知る、いいチャンスだったと思う。

 昔、僕が大学生の頃は、大学で就活セミナーなどなかったと思うのですが、今は、すべての大学が力を入れている活動です。どもる人にとってはこの就活セミナーはかなりハードルが高く、就職に不安や恐怖をもち、挫折するきっかけになることもあるようです。そのセミナーをむしろ活用することを、対策2として考えました。

◇就活の準備 対策2 就活セミナーを活用する

《第3問》奥田 就活の準備として、バイトの話が出たけれど、大学が開催するセミナーでの体験がしんどかった。就活の前段階のマナー講座みたいなもので、電話の仕方、お辞儀の仕方、面接の仕方など、みんなの前で実技をする。みんなの前ですることが、私にはとてもプレッシャーだった。私は、自分の吃音を周りに知られないように必死に隠していたから、みんなの前で実技をすると、吃音がバレてしまう。私は、吃音を隠したいという気持ちが強かったので、この大学のマナー講座のセミナーがとても苦しかった。

伊藤 大学のセミナーで、吃音がバレるのが嫌だから隠そうとすればするほどしんどくなるよね。就活の始まる前に、まず「どもる覚悟」をしておくことですね。どもることを決して隠さず、どもる時は自然にまかせてどもる。吃音を公表するかどうかの議論はあるが、わざわざ公表しなくても、自然にどもれば、みんなには分かる。だから、どもって周りの人に吃音だと分かったことを失敗と思わず、「バレたか」と失敗を楽しむ感覚になれたらいいのだけれどね。就職活動は、吃音を隠すことをやめることから始めるしかない。

 よく例に出す消防士の彼も、消防学校の時が一番大変だった。相談してきたとき、就職してしまえばなんとかなるから、なんとか消防学校時代を耐えろと言った。悩んだとき、同じようなことを言ってくれる先輩が身近にいたらなあと思う。それと同じ意味で、「就活のセミナー」がつらく、苦しかったのはよく分かる。本番である仕事に就く前の練習台として、嫌な体験をいっぱいしてしまおうと言いたい。就活のセミナーなんて、本番前の練習だと思って、そんな感覚でやり過ごせばいいよ。そう言ってあげたいね。

 仕事に就く前に、場数を踏むことで周りの目に対する耐性がつく。早く恥をかくことだ。落ち込んでもいいけれど、落ち込むのは一日だけにしておこう。実際に就職してからの練習をしているのだと思えばいい。結論としては、就活対策2として、セミナーを活用することを提案したい。それも、どもったときの就活担当の大学の教員の反応を見るなど、おもしろがって活用することだ。

 予期せずに笑われたという経験や思い出はマイナスのものとして強化される。恥をかきたくないと思ってかく恥はダメージが大きい。でも、きっと恥をかくだろうと、恥をかく覚悟をしてかいた恥は耐えられるし、恥ずかしい思いに耐えた体験として、残る。

 哲学や思想を持つことは、今後を生き抜く武器、能力になる

    ~語ることのできる物語を持っている自分~

《第4問》

奥田 対策として、対策1 アルバイトの活用、対策2 大学でのセミナーの活用 と聞きましたが、他に何か対策として考えられるものはありますか。

伊藤 これまでいろんな人の職業についての体験を聞いてきた中で、「どもらない人と比べたらハンディがあるので、必死になって専門的な知識を身につけ、実力をつけてきた」と言う話はよく聞きます。これはとても大事なことだと思います。自分なりの力をつけておくことです。それを、「吃音の人が他の人に比べて努力しなければならない」ということを「損」だと考えるとそれこそ「損」ですね。吃音が、努力する動機になるなら「得だ、チャンスだ」と考える。そう考えられる人の人生は大きく変わると思います。

 吃音親子サマーキャンプに小学校低学年から参加し続けている中2の男子が、今すごくどもるけれども、将来に悲観していないんです。なぜかというと、一所懸命勉強して、学力には自信があるからです。自分の興味ある勉強を続け、専門的な仕事に就きたいという夢や希望を持っています。勉強が苦手な人は「体力」に自信をもつのもいいでしょう。消防士になった人は、人一倍からだを鍛えて、体力に自信があったことで、つらい消防学校時代の訓練をがんばれたのだと言います。

 販売の仕事をしている人で、営業成績が特別にいいわけでもないのに、社長賞をもらった人がいます。その人は他の人に抜きん出る能力はないので、毎朝1時間早く出社して、自分の営業所の掃除を続けていたそうです。一時的なことではなく、2年以上続けていたということは、その人が真面目で、少しでも会社に貢献したいとの思いがあったのでしょう。それをたまたま社長が見て、1年以上観察していたらしいです。そして、一時的な思いつきではなく、ひとりの人間として無理なくそのような行動をとっているのだと分かって、「社長賞」として表彰したそうです。学力、体力、営業成績で特別優れていなくても、その人の人間性が評価されたのです。

 ある人は「僕は宴会屋」だと話しました。今はほとんどなくなったようですが、昔は社員旅行がありました。その人は、社員旅行や、忘年会、懇親会などの企画や世話が大好きで、それが評価されて、会社の中での人間関係がとても良くなり、吃音からくる多少のマイナスをカバーしていたそうです。

 才能や能力を高められる人は、その方向で努力できますし、特別な才能や能力がない人も、人間性で、会社のチームワークや人間関係など、誠実に仕事をこなすことに全力をあげることもできます。そのことは、吃音のマイナス面をカバーできると思います。

 つまり、自分の能力や人間性の強みを早く発見し、延ばしていくことに尽きます。また、自分自身を支える意味で、自分が楽しいこと、熱中できることを発見していくことです。

 その点、僕たちどもる人は有利です。僕たちには、吃音について深く考え、そして吃音とつきあってきたという実績があるからです。社会的には欠点と言われるものに向き合い、つきあってきているということは、就職してから、いろいろなことが起こったときに対処できる力となっているはずだと思うのです。

奥田 そうですね。今はそう思えます。私も、吃音のことを真剣に考え、それを認めて、つきあってきたという実績があるのだから、そのことをもっと面接のときに出していけばよかったと思います。でも、就活していた頃は、どもる姿を見せたらもうおしまいだと思っていたから、そんなことできませんでした。考えてみたら、吃音は私の人生にとって大きいものだったし、それこそ、一日中頭から離れることはないくらい考えていたテーマだったのです。でも、その頃は、吃音が自分のテーマだとは気づかず、嫌なものでしかありませんでした。その自分のテーマをずっと追求し続けているということは、きっと評価対象になるのでないかと思います。

伊藤 そうだと思いますね。また、消防士の話だけど、彼は、面接で、面接官がどんな質問をしてきても、吃音とからめて話したと言っていました。吃音だったから、そのことはこう考えた、吃音だったから、このように行動してきた、などのように。

 島根のキャンプで出会った大学生は、自分が自信をもって体験として面接で話せるのは、吃音のことだと言っていました。人生の中で一生懸命、真剣に考えてきたのは吃音のことなんだから、そのことを話すしかない、と。どもることを公表するかどうかなんて、ふっとんでしまうような話ですね。

 吃音を隠すのではなく、ちゃんとどもれる人間になって、どもる覚悟をもって、面接に臨むことが大切です。そして、自然にどもっていくことです。「私はどもります」と言うことが吃音の公表ではなく、その場で、自然にどもっていたら、それが公表していることと同じになるでしょう。自慢できたり、誇れることは、吃音に苦しみ、人との違いに悩んできたので、吃音について、自分について、人生についてきちんと考えてきたということです。どもりとどう折り合いをつけて生きていくかを考えてきたことです。

 吃音に悩み、対処する中で得てきた哲学や思想が、これから生き抜いていくための武器、能力になるんじゃないのかなあ。吃音を否定していたが、肯定できるようになった。そんな物語を持っている自分、語ることができる自分、語れることを持っている自分。こんな自分を大事にしたいと思いますね。

 他の人のように普通にしゃべれることが、就活や面接にはいいと思ってきたかもしれないけれど、それより、自分自身がどう生きてきたかを語れることの方がずっと大きな武器になると思います。サバイバルしてきたというのは、実績です。否定していたものと向き合い、対処して、肯定に変わってきた、そんな人の物語を面接者や経営者は評価してくれるだろうと思います。また、そんな面接官のいる会社がいい会社だと思います。吃音は、マイナスのものではなく、武器になるのだということを知ってほしいですね。

 でも、受験して不採用が続くと、めげてくるのも事実で、そんなとき、どう自分を支えるかが大切になってきます。

 

◇就職活動で苦戦し、しんどくなったときの自分をどう支えるか

奥田 私は、50社受けて、48社、落ちたんです。

伊藤 50社受けたとは、すごいね。

奥田 48社落ちたことより、よく2社合格したな、よく拾ってくれたなという思いの方が大きいです。これは、就職活動としては、大失敗の部類に入ると思います。受けて落ちて、また受けて落ちて、を繰り返すと、落ち込んだり、涙を流したり、イライラして親にあたったりしていました。友達が合格をもらったという話を聞くと、よけいに落ち込みました。そうして、社会人になって、4月を迎えたんですが、こういうとき、自分のことをどう考え、どう支えたらいいでしょうか。

伊藤 50社受けて、48社落ちたという話、今初めて聞いたけれど、よくそれで、次の会社を受けようとがんばれたね。もういいわと、投げ出したくなるだろうに。それができた奥田さんの力というか、エネルギーはどんなものだったのですか?

奥田 社会には出ないといけないと思っていた。自立して自分で生活したいという思いが強かった。大学院に進学するという道もあったけれど、時期的に遅かったし。

伊藤 何回も不合格になると、途中で、心が折れてしまう人もいるよね。何回も何回も失敗を繰り返す人が、そのことをどう考えたらいいのかと質問されたけど、人生をどう考えるか、だと思う。そのためには、いろいろな人の人生を知っていることが大事だと思うな。 僕は、勉強を本当にしなかったので、学力には強い劣等感を持っていたし、実際、大学は2年浪人しました。そんな自分を唯一支えていたのは、本や映画でした。いろいろな人生があるということを、僕は、文学や小説、映画を通して学んできた。絶望や、挫折を乗り越えた物語を、架空のものであっても知っていた。だから、人生なんとかなるかもしれないと漠然と思っていたのかもしれない。就職活動を含めて自分の人生を考えたとき、「自分が納得できる人生をどう生きるか」だと思う。自分が納得できる、このことが大事なんじゃないかなあ。奥田さんの場合は、とにかく就職して、どんな仕事にでも就いて自立したかったんですよね。

 一方で、価値観が多様化して、極端に言えば、就職しなくてもいい、と考えることだってできる。世間が言うような、いい大学を出て、みんなが知っているような会社に就職してというような、通り一遍の人生を送ることが幸せだと思わず、自分が求める人生を歩きたいね。失敗したことを挫折だと考えないで、人生を考えるチャンスだと考える。人それぞれの人生がある。それは、小説や映画などでたくさんの人生を見聞きすることで得られる。いろんな人生があり、いろんな幸せがある。そう考えられたら、いいなあと思う。

 言語聴覚士の専門学校の学生で、よく質問してきて、親しくなった人がいて、いろんな話をする機会がありました。言語聴覚士の資格をとって、将来は、言語聴覚士になるものだと思っていたら、全く違う選択をしたんです。彼女には、沖縄に、陶芸の修行をしている恋人がいた。将来どうなるかわからないけれど、言語聴覚士として就職しないで、卒業したら沖縄の彼の所へ行くと言っていました。せっかく国家資格をとるために大金を使って2年間勉強してきたのに、と普通は思うけれど、彼女にとっては、好きな人と、沖縄で生活することが幸せの道だったんだね。

 このコロナ禍の中、僕は旅行をいっぱいしました。そのとき地方でみた光景は、荒れた農地でした。話してみると、農村では農業の担い手がいなくて困っていました。住む家も、田畑も、無料で貸すので、若い人に来てほしいと言っていました。実際に村をあげて若者を自分の土地にきてくれるように、様々な政策を宣伝しています。

 「会社員」になるという目標を定めて就活をしても、どこも合格しないかもしれない。奥田さんは、50社受けて2社合格したからよかったけれど、50社ともだめだったということもあるだろう。そんなとき、気持ちを切り替えて農村に行くとか、介護・福祉の仕事なら人手不足なので、そっちの方に方向転換するとか、柔軟に考えられたらいいね。

 人生にはたくさんの選択肢があり、どの道を選ぶかは本人次第。なので、複数の選択肢を常にもっていたら、50社不合格になったことをチャンスだと考えて、別の道を選べばいいんじゃないでしょうか。

 僕も、大阪教育大学という国立大学の講師を辞めて、カレー専門店のオーナーシェフになったけれど、僕のその選択を知った人全員が「大学を辞めるなんて、もったいない」と反対しました。でも、他の人がどう思おうと、自分が納得して選んだ道が、その人にとって、一番幸せな道じゃないでしょうか。

 

《第6問》

奥田 どもる人にはどういう職種がいいんでしょうか。私は電話が嫌だったので、電話がない所を探そうと思いました。営業はできないし、事務職もだめだし、電話も嫌だし。でも、探しても、電話がない仕事なんてないんです。どういう仕事ができるでしょうか。私を含めて、どもる人はよく、話すことが少ない仕事をした方がいいのではないかと考えがちだけど、それが本当にいいのかどうか、どう考えますか。

伊藤 どもる子どもの親はよく、この子は話すことが苦手だから、できるだけ話すことの少ない仕事をした方がいいのではと思うようだけど、僕は、これには反対です。

 一番いいのは、本人の興味のあることであり、勉強をしてきたことが活かせることです。将来のことを早目に考え、将来変わるにしても、一応決めてそのための勉強に取りかかる。将来、就職で苦労すると予想するからこそ、他の人よりも深く考えたり、早めに決めたりできることが、どもる人の有利な所だと思います。基本的には、話すことが少ない仕事に就くことは損だと思うね。研究職なら話すことが少なくていいかと思うけれど、研究職だって、話すことはついてくるし、研究発表など「話さなければいけない場面」はだんだん増えてくる。話さないですむ仕事なんてない。そう考えると、若いときにいっぱい苦労することが必要だと思う。

 僕は、むしろ、話すことが多い仕事に就く方がいいと思う。話すことが多い仕事に就いている人の方が、早く壁にぶつかる。若い気力のある時だから、それをなんとか乗り越えていくことができる。困難なことに対する適応力や耐性ができる。大切なことは、次の2つだと僕は考えます。

・できるだけ早く、自分が好きなことをみつけて勉強する。

・できれば、話すことが多い仕事を選ぶ方。

 消防士になりたいが、どもっていてできるだろうか、どもる人間が「人の命」に関わる仕事に就いていいだろうかと相談を受けたとき、僕は、こんなふうに彼に伝えました。

 「どんな仕事に就いても、どもる苦労はついてくる。自分にとってあまり好きでない仕事をして、さらにどもる苦労があれば、耐えるのは難しい。だけど、自分の好きな仕事なら、耐えられるだろう。緊急の電話や無線連絡も、仕事も慣れてくればできると思う。消防士を目指してがんばれ」

 どもるから理工系、なんて単純なことではない。親の、誤った価値観で、大学に入学して、後で子どもは苦しむことになる。文学青年で、小説家希望だった人が、どもるから理工系だと強いすすめに押し切られて理工系の大学へ行ったものの、耐えられずに退学した人がいました。親は、子どものためにと勝手に決めないことです。子ども本人と対話し、常に本人の意向を尊重し、相談相手になって実現を目指す。このことが親にとって大事だと思う。

 それと大事なことは、親以外の大人か先輩で、自分の味方になっていろいろと相談にのってくれる人を見つけておくことですね。吃音親子サマーキャンプでは小学生が中学生に、中学生は高校生に、高校生は大学生や成人に相談しています。僕たちはこの一歩前をいく先輩のことを「メンター」と言っていますが、その人にいろんなアドバイスをもらっています。架空ではなく、また著名人でもなく、同じようにどもる人が就職をどう考えていたか、どう対処したかを聞いています。僕も、吃音を治すために行った東京正生学院で、社会人が吃音に悩んでいながら、いろんな仕事に就いていることを知り、実際にその人と話ができて、「僕も仕事に就ける」と思えました。どもりながら、苦労しながらも、実際に働いている人と出会い、話を聞いておきたいですね。

 

 最後の質問になりました。自分の吃音をどう理解してもらうかについては、自分なりに整理しておく必要があります。人は、人のことはなかなか理解できないものだという前提に立って、たとえ理解してもらえない環境であったとしても、自分自身を自分できちんと支えていく覚悟をもつことが大切だと思います。また、どもらずに話すことは難しいですが、相手に届く声で、相手に届くことばを発することはできます。その訓練は、日本語のレッスンとして、普段の生活の中に取り入れることはできます。

 どう理解してもらいたいか整理しておくことと、日本語のレッスン

《第7問》

 奥田 実際、会社に入ってからのことですけれど、自分の吃音をどう理解してもらうかということについての質問です。ことばで伝えられたらいいと思うけれど、相手が理解することはなかなか難しい。同僚にどう伝えたらいいか、上司にどう伝えたらいいか、何かポイントになることについて、教えて下さい。

伊藤 まず、その人が、吃音をどう理解してほしいのか、整理しておくことが、大切だと思います。

 どもっているとき、待っていてほしいのか、大目に見てほしいということか、代わってくれということか。こういう条件があれば、仕事がしやすいから、条件を作ってほしいということか。それらをきちんと整理しておくことです。どもる事以外の仕事に対して自信があれば、上司や同僚に対して、「~はできないけれど、~はできる」と、きちんと説明することはできるし、していくことは必要なことでしょう。

 ただ、それより先に、大事なのは、人は他人を理解しにくいものだと考えておくことです。特に吃音のことは、理解されにくいと思います。人が人を理解するのは難しいことだということは、前提として持っていた方がいいと思います。

 僕の知人に、関節リウマチの人がいます。ある時、24時間の激痛がある時期が長く続いたと話してくれましたが、その人の痛みの生活を理解するのは難しいです。痛みが少しましになったときに眠るのだと聞きましたが、大変だろうなとは思っても、彼の本当の痛みが理解できるかといったら、できないと思います。

 最近よく、吃音のことを理解してくれないと言う人がいますが、じゃ、その人自身がどれだけ他の人のことを理解しているかといったら、できていないでしょう。世の中に、少数派としていろんな苦労をしている人はいます。また、いろんな病気や障害があります。それらの人と知り合いになったとしても、その人の苦しの本当のところは理解できないでしょう。自分は社会の他の人のことは理解していないのに、自分のことは理解してほしいというのは、虫が良すぎます。だから、自分のことを理解してくれないことへの愚痴、批判はしないことです。でも、一応、話してみることはいいことだと思います。協力してくれる人はいるかもしれない。いたなら、そういう人を少しずつ増やしていくことはできるかもしれません。

 また、「どもるから思っていることの半分も言えない」ということをいう人がいます。本当にそうなら、自分の思っていることを伝える訓練が必要です。その訓練は、どもらずに言う、治すための訓練ではありません。相手にちゃんと伝える訓練です。それはできます。相手に伝えるためには、相手の人と向き合っていく体かどうかが大切です。人を拒んでいては、人とつながることはできません。他者に対して開いていく、まるごとの体で人に向き合うことができるようにしていくことです。

 分かりやすく話すためには、要約力、文章力をつけることも大切です。

 また、相手に届く声を育てるための日本語のレッスンはできます。僕たちは、竹内敏晴さんから、日本語の発音・発声の基本を教わりました。息を吐くこと、息の流れを大切にすること、一音一拍で母音を押していくことです。母音を押していくことで、結果としてゆっくり話すことになります。何をどう伝えるかということと、相手にしっかりと届く声を意識して話すこと。つまり、相手に対して、自分に対して誠実に話していくことです。

 日本語のレッスンについては、また話したいですね。

大阪吃音教室 2022年4月