一時期、吃音に悩んだ経験がある人で、各方面で活躍する人々はたくさんいます。この人もどもる私たちの仲間かなと思われる人はたくさんいますが、今回取り上げたのは、本人や家族や友人が吃音について触れている人だけに限りました。歴史的な人物については、文献その他で記録として残っている人だけを取り上げました。
秋野暢子
女優。小学校のころ吃音がひどく、返事ができず、学校ではいつも泣かされひどく消極的で暗い子だった。小学校5年の担任が大きな影響を与える。引っ込み思案な少女を学芸会の舞台に引っ張り出し、その時の一言のセリフが、人前でスムーズに声が出た初めての体験。他者を演じる劇の中なら自己表現できると思い、演劇の世界をすすめたのもこの担任。
井上ひさし
直木賞作家。仙台から上京し、方言を笑われからかわれたことでどもるようになる。「ひょっこりひょうたん島」の原作が話題となる。吃音矯正学校のドタバタを描いた喜劇「日本人のへそ」は、吃音の体験がなければ描けない戯曲になっている。平和運動にも積極的に関わった。
ウィンストン・チャーチル
左利きを右利きに直されたことで、どもるようになったと言われている。イギリスで最も知られる人物で、首相として第二次世界大戦を勝利に導くと共に、大戦後も再び首相となった。子どもの頃は、どもるだけでなく、様々な学習に困難があった。ユーモアの達人としても知られる。
江崎玲於奈
ノーベル物理学賞受賞者。子どものころ、ひどくどもっているのを母親が心配したとの手記が残っている。学校生活でコミュニケーションができないことが苦痛で、自分の中に引きこもりがちだった。あまり人と話さなくてもよい、サイエンスの研究に適した人間だと子どものころから思っていた。吃音は、ノーベル賞にプラスに働いたかもしれないと言う。
扇谷正造
評論家であり、週刊朝日編集長。中学に入って、友だちのまねをしたためか、どもり始める。子どものころから早口だったが、徳川夢声の影響を受け、話に間をおき、ゆっくりしゃべることを心がける一方、編集長として、取材やさまざまな会でスピーチをする場数を踏んでいるうちに、早口がなくなり、気がついたら、あまりどもらなくなった。
大江健三郎
日本を代表する小説家。吃音に悩みながら、誠実な人柄がその友人たちの証言によって紹介されている。原爆の「ヒロシマ」にこだわり、世界の平和を訴える活動家でもある。日本で二人目のノーベル文学賞受賞者。
小倉智昭
ドモ金、ドモ金とからかわれた少年が、家族中に反対されながら吃音を治すためにアナウンサーになろうと決意する。フジテレビ「とくだね!!」のメインキャスターを務めた。テレビの前ではどもらないが、普段はどもる。どもりは治らないと言い、自分を「吃音キャスター」と言っている。
尾崎士郎
ひどくどもるがゆえに、女性にやさしい。作家・宇野千代など女性から愛され、「若い人」の作品で知られる作家、石坂洋次郎らから、「お前のどもりがうらやましい」と言われる。代表作「人生劇場」は、たびたび映画化されている。
桂文福
会社に就職するも、当時、落語ブームで生で聞きに行ったことをきっかけに、その熱気に押されて、人前で喋ることができればいいと、落語の世界に入る。個性を尊重する師匠のおかげで、独自の落語の世界を作り出す。正当な古典落語よりも、相撲甚句、河内音頭などを活かしたオリジナルな落語家人生を選ぶ。劣等感をもつ人を弟子として受け入れ育てている。
神近市子
当時数少なかった女性国会議員。子どものころはどもるが、女学校がキリスト教の学校であったため、英語ではどもることがあまりなかった。弁舌が大事な国会議員になり、発声よりも言おうとする内容にエネルギーを使う。言おうとすることにはっきりとした信念をもつことが必要だと言う。
姜尚中
「悩む力」が大ベストセラーになった政治学者。中学に入ったころから、吃音で語頭の母音が言えずに国語の音読がいちばん苦手だった。どもるので、自分が話す前に、他人の話をじっくり聞かざるを得ない習性が身についたとして、対話力とは聞く力だという。朝まで生テレビなどの討論番組などで、他の人とはまったく違うソフトな語り口が人気。
喜早哲
下駄さんの愛称で知られるバリトン歌手。小学時代、吃音に苦しみ、特に人前ではあせってことばが出なかった。母親がとても心配し、発声練習、早口ことばのレッスンをし、それが終わらないと寝かせてもらえなかった。コーラスグループのダークダックスを結成。
木の実ナナ
名前が言えず、音読の指名が怖くて、うつむいて授業を受けていた少女が芸能界に入り、女優として映画に舞台に活躍。渥美清の「フーテンの寅」出演の時「おにいちゃん」のセリフが言えず2日撮影がストップ。いまでは「どもりでよかった」とさえ言う。
金鶴泳
当時差別の強かった「在日韓国人」であることよりも、「吃音」であることの方が苦しかったと言う。吃音を治すために毎日発声練習する様子が日記に綴られている。しかし、治らずに悩みを深めるが、小説「凍える口」で吃音の苦悩を書いたことで、吃音の悩みから解放される。芥川賞候補に何度も選ばれた気鋭の作家だったが、若くして亡くなる。
小島信夫
吃音に深く悩み、中学校の卒業式にも出ないで大阪の吃音学院に吃音を治しに行き、そのときの体験をもとに20年後、「吃音学院」の小説を書く。実力派の小説家。
サマーセット・モーム
イギリスを代表する文豪。不自由な足のために常に劣等感にさいなまれる少年が成長していく小説「人間の絆」は、吃音に深く悩んだ自分を足の不自由な少年に置き換えた自伝的小説と言われている。吃音の苦悩が表現され、人間を深く考える小説として、現在も幅広く読まれる。
三遊亭円歌
東京落語協会会長。国鉄の駅員時代、「新大久保」の駅名が言えずに、会社を辞め、先代円歌の弟子入りをする。「吃音でも落語家になれますか」と聞くと、師匠が「おおおおれもどもりだ」とどもりながら言ったという話は有名。吃音では古典はできないと新作に活路を見出し、吃音体験を生かした新作落語「山のあなあなあな・・」で人気。
重松清
直木賞作家。子どものころ、吃音に悩んだ体験をモチーフにした小説「きよしこ」でどもる子どもの心情を、「青い鳥」ではひどくどもる青年教師が誠実に子どもと関わる姿を描いた。「青い鳥」は、阿部寛主演で映画化された。吃音に悩んだことを生かし、教育への発言を続ける。
篠田正浩
「瀬戸内少年野球団」「心中天網島」などの映画監督。小学校の入学式後どもり始め、国語の朗読に苦労するが、人と話せない代わりに本を読むのが好きになった。なめらかに話すと言葉は逃げるなどと、どもることばの豊かさを主張する。夫人は、女優の岩下志麻さん。
田中角栄
小学時代、習字の時間に墨をひっくり返したと疑われ、「僕ではありません」と言おうとしたが、顔が真っ赤になるだけで何も言えなかった。この悔しさから、その年の学芸会で、安宅の関の弁慶役をし、成功して自信を得た。後に小学校卒の総理大臣となり、豊臣秀吉をもじって「今太閤」と言われた。今も一部では人気の高い政治家。
田辺一鶴
子どものころ、どもりを治す講習会で集まった子どもの中で、いちばんひどくどもっていたと言う。吃音を治すために講談の世界に入り、講談ではどもらなくなった経験を活かして「講談教室」を開催。それが、どもる人の会、言友会の誕生につながった。多くの弟子を育て、講談界に大きな功績を残した。ラジオ、テレビで大活躍した時代があった。
谷川徹三
著名な哲学者であり、法政大学総長。吃音に悩み、中学5年生の夏休み、どもりを治すために、伊沢修二の楽石社に行く。ここで、ゆっくり話せばどもらなくなるが、またどもるようになったとも言う。詩人、谷川俊太郎さんの父君。講演などではあまりどもらないが、家ではどもっていた。
坪内寿夫
若い時はかなりひどくどもっていたようで、人前では話ができなかった。話をするのに人の3倍かかった。ものすごい努力家で、船舶、造船、ドッグ会社などの再建を次々成功させ、「再建王」と言われた。来島ドックの再建は有名。どもって話すことばに説得力があったという。
デモステネス
紀元前300年代、荒波に向かって大きな声を出し、口の中に小石を入れて発声訓練をし、大雄弁家となったギリシャ時代の人。彼のように雄弁になることをどもる人があこがれることを彼の名前をつけて、デモステネスコンプレックスという。
中坊公平
日本で最も有名な弁護士。元日弁連会長。強度の近眼と、どもり。16歳までおねしょをしていた。見合いの相手には、その弱さをすべて盛大に披露して結婚。人権派弁護士として活躍。吃音のためか友人の結婚式でのスピーチでは座を白けさせ、弁護士なのに、弁が立たないと言われる。弱い人の立場に立ち、悪に向かう弁護士として、平成の鬼平と呼ばれた。
間 直之助
大きな建設会社の社長を継ぐ立場にありながら、優しい性格と吃音が影響したのか、好きだった「サル」の研究で、「サルになった人間」と言われ、遠藤周作の「彼の生き方」のモデルになる。少年時代、吃音でなければ生涯をサル学に捧げられなかっただろうと遠藤周作は言う。
羽仁進
野生動物をこよなく愛し、アフリカにこだわり、映画を撮り続けた映像作家。テレビでも、自分の撮影した野生動物のドキュメンタリー映像の解説などに出演し、音を繰り返す派手などもり方で人を和ませる。どもりの奥にある豊かな世界を知ろうと常に訴えている。
藤沢周平
最も人気のある時代小説の作家。吃音に悩んだことが小説家になるきっかけになったと言う。小説に出てくる主人公は、江戸の町に息づく市井の人や下級武士や浪人で、常に優しく温かいまなざしを向けている。暗い話も、結局は「人間っていいなあ」になる。「蝉しぐれ」など、数多くの作品が映画やテレビドラマ化されている。
ブルース・ウィリス
吃音に悩み、克服するために高校時代、生徒会長に立候補したり、演劇で舞台に立つ。舞台では、普段と違ってあまりどもらなかったことに自信を得て、俳優になる。ダイハード・シリーズなど、アメリカで最も活躍する映画スターの一人。
ボブ・ラブ
吃音への強い劣等感克服のために、バスケットの世界に入る。1970年代に大活躍したプロバスケットのスーパースター。現役を引退すると、ひどくどもるために職がなく、ファミリーレストランの皿洗いになる。屈辱の8年を経て、初めて吃音と向き合い、その後、シカゴブルズの親善大使となる。講演活動で日本にも来たことがある。年間500回を超える講演を行っている。
ポール・マイヤー
内気でどもるために保険会社を解雇される。その後、アメリカのナンバーワンセールスマンになる。その後人材育成のプログラムを作り、SMI(サクセス・モチベーション・インスティチュート)の社長になり、人間の潜在能力を引き出し、成功に導くプログラムで、人材育成で世界に進出。
マリリン・モンロー
ハリウッド映画の黄金期に最も輝いていた映画女優。現代でも映画好きな人で知らない人はいないほどの映画スター。有名な野球選手と結婚し、ふたりで日本に来たこともある。不幸な生い立ちもあって、小心で、どもり、いつもおどおどして劣等感をもっていた。36歳で亡くなる。
モーゼ
宗教指導者である彼は、自分がうまく話せないので兄のアランと一緒に布教活動をしていたのではないかと聖書研究者はみている。十戒という映画にも登場する。代表的な宗教者。
村田喜代子
芥川賞受賞作家。すごくどもる叔父の影響からかどもり始め、小学校時代は名前が言えない、先生に申告するテストの点数が言えない、など小学校、中学校時代、吃音に苦しむ。今でも出版社の言いにくい名前の編集者に電話をかけるとき、友だちに言ってもらうなど、やわらかに生きている。
梁瀬次郎
ドイツの高級車「ベンツ」の輸入、販売会社社長として有名。子どもの頃は先生に当てられても返事ができず、本も読めず、答えが分かっていても答えられずに、その悔しさにどんどん気が短い少年になっていった。親から継いだ会社を、乗用車だけを輸入する大きな会社にした。
ルイス・キャロル
不思議な国のアリスの作家。数学者でもあった彼は、どもるだけでなく、歩き方がぎくしゃく、片耳が聞こえず、はにかみやで内気だった。そして、とてもやさしい人でもあった。アリスの世界そのものが、内向的な人の孤独な空想の世界であることは彼のその特徴からきている。