小学校2年生の秋、当時、成績もよくクラス一の人気者だった僕は、傲慢にも学芸会の主役をさせてもらえると思い込んでいました。ところが、僕に与えられた役はセリフのない村人役でした。なぜ僕がセリフのある役から外されたのか、吃音以外は考えられません。

 人権教育の教員研修の場で、この話をしてなぜ教師がそうしたのか考えてもらいました。「学芸会をスムーズに成功させたかった」「どもって恥をかかせたくなかった」と、不当な差別と、教育的配慮のふたつに分かれました。不当な差別は論外としても、教師の配慮だったとしたら、21歳まで吃音に深く悩むきっかけとなったのは「配慮の暴力」です。

僕は高校を卒業するまで、たくさんの教師に出会っていますが、誰ひとりいい教師に出会えませんでした。ひとりでも僕を理解しようとする教師がいたら、あの苦悩の学童期、思春期を送らずにすんだと思います。

通常の学級の先生が、吃音をどう理解するかで、子どもの人生は左右されます。僕の体験と、保護者の要望を含めて、通常の学級の先生にお願いをします。

1 吃音について理解する

① 吃音とは

「吃音」のことばを知らず、「どもり」を教育現場で使わなくなって、吃音は見えにくくなりました。「どもり」は差別語ではないので、是非使って下さい。どもり方には、3つのタイプがあります。

 繰り返し (連発)  「タタタタタマゴ」のように音を繰り返す

 引き伸ばし     「ターマゴ」のように音を引き伸ばす

 ブロック (難発) 「・・・・タッマゴ」とつまって音が出てこない

 吃音を「タタタ・・」の音の繰り返しだとは知っていても、「・・・・タッマゴ」の音が出てこないブロックを吃音だとは知らない先生は少なくありません。また、20年の教師生活で一度もどもる子に出会ったことがないという人がいます。人口の1%の発生率を考えると、存在に気づけなかった可能性があります。吃音に悩んでいても、無口で消極的に生きていれば、話す場面から逃げていれば、言いやすいことばに上手に言い換えていれば、周りからは分かりません。親ですら、気がつかず、進学や就職のときに打ち明けられ、初めて子どもが吃音に悩んでいることを知ったという場合も少なくありません。先生が気づかなかったとしても無理はないのかもしれません。

② 吃音は治らないが、変化します

どもる子どもを前にして、治してあげたいと思うかもしれませんが、吃音は、原因は分からず、治療法もありません。どもるのは、子どもの精神力が弱いからでも、努力をしないからでもありません。吃音は、治らない、治せないものと考えて下さい。ことばの教室や病院でも治せません。

ことばの教室に行くとき、「がんばって、治しておいで」と言われることがあります。通っているのにまだ治っていないと考えないで下さい。しかし、吃音は、先生やクラスの友だちが、どもっても聞いてくれる安心感の中で変化はしていきます。だから、子どもがどもらずに話せたり音読ができたとき、ことばの教室の指導の成果だとは思わないで下さい。「よくがんばって、どもらずに話せるようになったね」とほめられると、どもることを否定することになりかねません。緊張するとどもる子どもは多いのですが、リラックスするようになるとよくどもる子もいます。クラスでよくどもるようになったら、先生やクラスに安心を感じているのかもしれません。

 近藤邦夫・東京大学教授が小学校4年生の授業を見学したとき出会ったどもる子どものことを、次のように紹介しています。

 -子どもの授業を参観したとき、子どもたちが「自分が考えたこと」「自分が感じたこと」を物怖じしないで積極的に表現している子どもの中に、かなりどもって言い終わるまでに長い時間がかかる子どもがいた。子どもたちは、ざわつくこともいらだつこともせず、「それが当然」と彼の発言に耳を澄まし、彼も堂々と時間をかけて発言していた。2年後、同じ学級を訪れたとき、他の子どもと見分けがつかなくなっていた。子どもの吃音症状を、ゆっくりや早口と同等の癖あるいは個性ととらえ、学習活動の中で子どもたちは彼をじっとみつめていたのだ。たどたどしい彼の言語表現をごく自然に見聞いていた級友たち、このような教室の中でごく自然に吃音は変わっていったらしい。

 「体験を思考につなげ、他児とかかわり、自分の思考を展開させる」「自分の問題やテーマを、自分の方法で追究する」このような教室の中での「世界づくり」と「自分づくり」と「仲間づくり」の過程がおそらく彼の吃音の変化を促したのだろう。それが学校の「臨床」ではあるまいか。-

『子どもの成長 教師の成長』(東京大学出版会)

③ 聞き手のいいモデルに

吃音はジョンソンの言語関係図にあるように、聞き手に大きな影響を受けます。先生ができる最大のことは、聞き手のいいモデルになって下さることです。先生やクラスの仲間がいい聞き手になってくれたら、どんなにどもっても、ちゃんと聞いてくれる雰囲気があったら、どもる子どもは安心して学校生活を送ることができます。どもることを受け入れられていると実感できれば、どもる僕たちはとても話しやすくなります。吃音には波があるので、目立つときもあるでしょう。でも、どもっても大丈夫と思えれば、症状にはあまりとらわれないで済みます。どもってでも、伝えたいことがあり、伝えたい人がいるということはすてきなことなのですから。

2 どもる子どもを理解する

① 子どもはひとりひとり違います

吃音についてどう考え、何に困り、どうしてほしいかは、ひとりひとり違います。過去にどもる子どもを担任した経験が今、目の前の子どもに通用するとは限りません。緊張しているからどもると思う人がいますが、適度に緊張した方が話しやすい子がいます。発表は苦手だけれど、音読が得意な子がいます。その反対の子もいます。音読ができるから、その子が先生の前であまりどもっていないから、大丈夫ではなく、友だちと遊ぶときが一番どもり、からかわれて悩んでいる場合もあります。

② 音読や発表

どもりに悩み始めてからの僕は、音読や発表から逃げました。自分から手を挙げることはしなくなりました。当たった場合、分かっている答えでも「わかりません」で済ませました。

 中学1年生の時です。英語の研究授業で僕はリーディングで、どもって単語が出てきませんでした。すると、「お前は、筆記試験はできるのに、なぜ読めないんだ。家で練習してこなかったのか」と大勢の見学者の前できつく叱られました。授業後「なまけていた訳ではなく、どもって読めなかったのです」と説明に行ったのですが、とりあってくれませんでした。得意だった英語がその日から嫌いになり、英語は苦手な科目になりました。悔しい思い出です。どもる子が音読や発表ができないのは、努力が足りないからではありません。家で100回音読の練習をしても、教室ではできないことがあるのです。

  

③ 健康観察

健康観察の「はい、〇〇です。元気です」の「はい」や「自分の名前」が言えなく毎日暗いスタートを切る子がいます。同じ言い方をしなければならないと考えている子どもと相談して、他の子とは違う発表の仕方も認めて下さい。同じ表現をしなくてもいいと言っていただけると、子どもはずいぶん楽になります。その子の体調を知ることが健康観察の目的なら、手で合図したり、紙で合図したり、その子のやりやすい、仕方を相談できれば、子どもは自分でいい方法を見つけます。他の子どもとは違う発表の仕方をすることをクラスの子どもに説明することは、人はそれぞれ違うことを学校の教育で知ってもらう大きなチャンスになります。

④ 九九

九九の暗唱で苦戦している子どもも多いです。カードを作って、すらすら言えることを競う学校もあるようです。どもる子どもは、しっかり覚えていても、早く、すらすら言おうとすると、どもって言えません。それをまだ覚えていないのかと勘違いされてしまいます。九九は、覚えればいいことで、早く言う必要はありません。ゆっくり言ってもいいと、まずどもる子どもに言い、さらにクラスの子どもにも伝えてほしいものです。

⑤ 自己紹介

新学期には、自己紹介はつきものです。僕は、「・・・いとう」と、自分の名前を言うときは必ずどもりました。だから、小学校5年生ごろから、中学校の自己紹介が心配でした。高校の時、中学から続け、好きで入った卓球部を、合宿で自己紹介があると知って、それが怖くて、合宿の前日に退部しました。どもらない人には、自分の名前が言えない悩みは、理解しにくいことだろうと思います。これも、どのように自己紹介するか、子どもと相談していただければと思います。

3 基本的には特別扱いはしない。でも、相談してほしい

僕が学芸会のときセリフの多い役を外されたように、それが先生の配慮でも勝手な判断をすると子どもは傷つきます。担任がその子の思いを聞かずに、善意で音読や発表を外したことで、とても悲しい思いをした子がいます。また逆に、外してもらって助かったと思った子もいます。同じようにどもっていても、思いはそれぞれです。音読や発表など、みんなと同じように指名していいか、相談して下さい。音読や発表を嫌がったら、なぜ嫌なのか、聞いて、どうしたら音読や発表ができるか、選択肢を一緒に考えて下さい。当面パスという選択肢もありますが、逃げてばかりではいけないということも伝える必要があります。常に子ども本人と相談して、最終的には本人が決めるのが基本です。

① 課題に挑戦させてほしい

僕は、吃音に強い劣等感をもったため、吃音を言い訳にして人生の課題から逃げる、劣等コンプレックスに陥りました。勉強も遊びも、クラスや学校の役割も、話すことと関係のないことからも逃げました。課題から逃げない子どもに育てるためには、できるだけクラスの役割をもち、それを果たすことが重要です。子どもと話し合い、何ができるか、何をしたいか、どうしたらできるか、役割や課題を設定します。仲間や先生の助けを借りながらも何かの役割を達成できた経験を積み重ねることで、クラスの中で役に立っている貢献感をもつことができます。

 小さなことからでも、勇気を出して、挑戦するよう、背中を押して下さい。失敗したとしても、挑戦したことはすばらしいことです。努力したプロセスを認めることができ、その失敗から学ぶこともできます。学校という安全な場で、苦手なことに挑戦する経験をしてほしいのです。  互いに貢献した時、一般的に行われているほめることよりも、敬意と感謝を表す、「ありがとう、助かった、うれしい」のことばが学級で飛び交うとき、学級はどもる子どもだけでなく、他のすべての子どもにも快適になります。

② からかいやいじめの対処は、子どもと教師の共通の課題 

他の子どもが自分との違いを不思議に思い、吃音を笑ったりからかったりすることはあります。それらに対しては教師がこのパンフレットなどで勉強したことを子どもたちに伝えましょう。吃音の知識がないから笑ったり指摘したりするのか、相手を傷つけようとしてするのか、の区別は子どもをよく見ていれば、そんなに難しいことではないでしょう。教師が説明をていねいにするだけで子どもたちはからかいをやめるという場合があり得ます。説明する時は、本人の了解をとって、本人のいる場ですることが基本です。

どもる子どもが、どもることで笑われたり、からかわれることで精神的な苦痛が生まれた場合は、いじめです。あまり軽く考えないで適切に対処しなければなりません。いじめた子どもに対して説明し、いじめられた子どもに対して謝罪をさせる。それらが徹底されれば、2011年10月に起こった大津市のような事件にはならなくて済むだろうと思います。一般的にいじめを軽く考えすぎています。大津市で起こったいじめによる自殺のようなことは、いじめではなく、犯罪なのです。

 吃音を、話しことばの特徴のひとつとして、周りの子どもがとらえてくれたら、どもる子どもは教室で過ごしやすくなります。先生が自分の吃音を理解して、味方になってくれることは、どもる子どもにとって、大きな励ましです。クラスの子どもに吃音について説明する時に大事なことは、常に子どもと相談して、子どもから頼まれてから行動するということです。自分の問題なのに、何の相談もなく、先生が勝手に判断して進めてしまわないようにして下さい。

 ③ 音読の宿題

音読の宿題では、音読カードを使って、大きな声で読めたか、すらすら読めたかなどの項目をチェックすることが多いようです。この、すらすら読めたかという項目で苦戦している子どもがいます。一人で音読練習をしても、すらすら読めない子どもがいます。いい加減にチェックすることができず、すらすら読めるまで何度も親子で練習して苦しかったという話をよく聞きます。自分で目標を記入できるような音読カードであれば、どもる子どもは自分の状態に合わせて、目標を自分で立てることができます。子どもや保護者にはしんどかったらパスしてもいいのではと言います。足が不自由な子に、みんなと一緒に走れとは誰も言わないのに、どもる子どもは常にみんなと一緒を求められます。本人も、そうしたい、そうしようとがんばるところに苦しさがあるように僕は思います。音読することは大切ですが、それに苦痛が伴うと、音読をする本来の意義をそこないます。楽しく音読ができるように、子どもと相談して下さい。

 なんだか、たくさんのお願いをしてきて、難しいと感じられたかもしれません。しかし、そんなに難しいことではありません。本人にどうしたいかを相談して下さればいいのです。もし、到底受け入れられないような要望を子どもが出してきたときには、そこでしっかりと対話をして下さい。その対話の中から、新しい展望が開けると、僕は確信しています。どもる子どもとだけ対話をするのではなく、すべての子どもとの対話を続けると、すべての子どもにとって学びやすい、楽しい学級になることでしょう。