就職面接で対照的な行動をとった吃音の2事例 ~言語聴覚士にできる支援の一考察~

近畿大学医学部附属病院・久保田功(くぼた・いさお)

私は近畿大学医学部附属病院で言語聴覚士(ST)をしている久保田功(くぼた・いさお)と申します。早いものでこの仕事についてもう25年目になります。大学病院の言語治療室でことばの遅れや発音の問題を持つ子どもたち、脳卒中の後遺症などでことばが不自由になった方々、難聴の人々、そして吃る方たちの相談や訓練にあたっています。

 昨年の5月、日本コミュニケーション障害学会という学会で「就職面接で対照的な行動をとった吃音の2事例~STにできる支援の一考察~」と題する発表を行いました。じつはこの学会に伊藤伸二さんが、学会のシンポジウム「グループの力」のシンポジストとして参加しておられ、私の発表を聞いていてくださったのです。そして発表のあと、「今の発表の内容をスタタリング・ナウに書いて」というありがたくもちょっと怖い依頼を受けました。迷いましたが、私にとってたいへん光栄なことですので、紙面を拝借して、拙い臨床の記録を綴りなおしてみることにしました。しばらくの間、おつきあいください。

※これは、学会で発表した原稿をもとに、構成はあまり変えず、内容を一部追加して、読みやすく、わかりやすいものにするべく書きあらためました。ご承知おきください。

はじめに

最近になって、どういうわけか私の言語治療室に、吃音をもつ10代後半から20代にかけての青年期の方が多く来談されるようになりました。来談のきっかけは、「学校で発表がうまくできない」「職場の部署が変わって電話を取ることが増え、しんどくなった」といったものもありますが、就職活動、なかでも面接試験に不安を覚えてという訴えが多いのです。

 吃音を持つ人の青年期において就職活動がいかに大きな障壁と感じられているか、臨床の現場であらためて思い知らされています。

 さて、ここに私が最近、就職をキーワードとして関わった2人の吃音青年を紹介します。就職面接で彼らのとった対照的な行動がなにに由来し、そこに私は言語聴覚士というコミュニケーション障害の専門家としてどう関わっていけたのかについて考察を巡らせてみました。

2人の吃音青年

1人目の青年をA君と呼びます。A君は最初に来談した時21歳でした。理科系大学の3年生で、機械メーカーへの就職を希望していました。吃音は子どものころからあったそうです。小学生までは比較的穏やかに吃っていたようですが、中学生になって教師の一人にかなり厳しい対応をされ、それ以降吃音にまつわる辛い体験が増えていきました。中学時代の一時期、病院の言語室に通った経験を持っていました。そこでは腹式呼吸の練習などをしたそうですが、効果についての記憶はあいまいです。

 来談した時の発話の様子は目立つブロック症状が随伴動作とともに頻発し、発話開始に余分な力が加わって音が歪んだり、余計な音が加わったりして、言おうとしたことがその通りに伝わらないこともありました。一旦ブロック症状が出ると、数秒~数十秒その状態から抜けられなくなり、会話が滞ってしまうことも再々でした。単純に吃音の症状だけを評価すれば「重度」ということになるかもしれません。しかし、発話を回避することはなく、時間はかかっても「言いたいこと、言うべきことは言う」といった姿勢を持っていましたし、語る内容からは、吃ることを含め、自分を冷静に観察し、表現することのできる青年だと感じることができました(もっとエピソードを紹介したいのですが、この稿では個人が特定できる情報を極力伏せることにしました)。

 2人目の青年をB君と呼びます。B君は来談を開始した時25歳でした。みなさんもきっとご存じの有名私立大学の文科系学部を卒業し、就職浪人中でした。公務員試験にチャレンジすること既に3度。その時4度目の挑戦をしているところでした。やはり、吃音は子どものころからあったということです。

 小学校3年生の時にことばの教室の先生に相談したことがあったそうですが(親御さんの回想)、「心配ない」ということで1回きりの関わりだったようです。最初の面談ではやや自信なさそうに小さな声でぼそぼそしゃべるという印象でした。症状はブロックが中心で、ときに口を開けた状態で頭が激しく動くなどの目立つ随伴症状もありましたが、頻度はさほど多くなく、会話が停滞することはほとんどありませんでした。彼も発話を避けるようなことはありませんでしたが、語る内容から、A君に比べ、自分の吃音に対する観察や表現が不十分だなぁ、という印象は否めませんでした。吃音にまつわる体験などをあれこれ尋ねてみたのですが、吃音について人と語り合った経験がほとんどなく、4度目の試験挑戦を控え、専門家に相談したいと決心してはじめて「吃音で悩んでいる」ことを両親にうち明けています。

A君の就職活動と言語聴覚士としての関わり

さて、A君の就職活動です。彼は私のもとを訪れる前から既に自分なりの準備と活動を始めていました。自分は吃るので、しゃべることが仕事の中心になるような職種ではなく、製品の開発をするような仕事に就きたいと考えていました。実際に勤めてみれば、どのような仕事でも周囲や顧客とのコミュニケーションは不可欠なものですが、彼の出発点はそこだったようです。

 彼は自発的にインターネットや大学の学生課から情報を収集し、機会があれば説明会に参加し、希望に適う会社があれば自分から積極的に出向いて行きました。私はそんな姿に感心しつつも、ことばの不自由な方を対象にした音声発生補助装置などを作っている福祉機器メーカーを勧めました。「言語障害に関わる福祉機器メーカーなら、ことばのことで辛い思いをした経験や感性を活かせるのでは」などとアドバイスしたり、偶然その時持っていた企業の説明会の情報を教えたりしました。 でも、そんな援助は1回きりで、実際のところはA君の吃音にまつわる体験や思い、そして職業に就くために彼が立てた戦略などについてフムフムと耳を傾けて、感心したり、同意したり、逆に質問したりして、ときに笑い、ときに憤りながら話しているという関わりが中心だったように思います。

 言語聴覚士らしいことも少しはしています。彼の最初の訴えは「就職面接を控えて不安だ。少しでも楽にしゃべれる方法があったら教えてほしい」というものでした。効果があるかどうかはやってみないとわからないがという但し書き付で軟起声発声の練習を提案しました。

 軟起声発声は「あいうえお」の母音発声をする際に、まず軽く息を吐きながら徐々に喉を閉めていき、緩やかに発声を始めるというテクニックです。無理な発声で喉を痛めた音声障害の患者さんによく行う訓練なのですが、ア行音で強くブロックが出る吃音の方に何度か試したことがあります。彼は数回練習した後、「普通の精神状態でちゃんと準備ができれば使えそうだけれど、いったん吃って頭が真っ白になったら役に立たないでしょうね」と冷静に受け止めていたようです。

 A君はその後も積極的に活動し、いくつかの就職面接をこなしていきます。その中には露骨に「君はことばで不自由してはるんで」と言われて落とされた会社もあったそうです。でも、来談の開始から数ヶ月後、とうとう「内定をもらった」という嬉しい報告をしてくれました。彼の報告によると、その会社ではグループ面接があり、その際冒頭に自ら進んで書記役に立候補したのだそうです。この積極性が担当者の印象に残り、好感を持ってもらえたのではないかと本人が回想していました。 まさに「できることは積極的に引き受ける」という彼の戦略があたったのです。その後の個人面接では案の定かなり吃ったようですが、無事に合格し、内定をもらったということでした。

 これで当初の目標はクリアできたのですが、彼との面談はここで終わりませんでした。「就職するまで定期的に診てほしい」との申し出があり、結局その後約1年にわたって面談は続きました。以降、大学での卒業研究や発表にまつわる不安や困りごと、初対面の人たちと会わねばならない内定式や入社式、研修などなど、面談の話題には事欠きませんでした。こうして彼はいくつものハードルを越えていき、現在はその会社で、やはり悩みつつも仕事に従事しています。

B君の就職活動と言語聴覚士としての関わり

一方のB君は公務員試験にターゲットを絞り、筆記試験の勉強に余念がありませんでした。本人によるとこれまでほとんどの筆記試験は通過するけれど、ことごとく面接で失敗するとのことです。それも「自分が吃るから落ちる」と考えていました。来談当初の希望も「吃らずにしゃべる方法を教えてほしい」というものでした。でも「君の吃音は客観的にみて軽い部類に入る。今のままで十分やっていける」という判断を示しました。そして、「まず、面接を恐れずに受けるにはどうすればよいかを話し合おう」ということにしました。

 その話し合いの中で、公務員の面接試験にはそれに先だって書面で志望動機や自己アピールを提出する機会があるということを知りました。そこで、過去3年、B君はいったいどのようなことを書いてきたのか確かめてみようと思いました。本人に回顧して語ってもらったところによると、志望動機はいたって当たり障りのない平凡なことを、自己アピールに至っては「明るい」という程度の稚拙な内容だったのです。「書くことに不自由はないのに、なぜその程度のことしか書かなかったの」と問いただしたところ、なんとB君は「複雑なことを書くと、それについて面接で聞かれると思って・・・」と答えたのです。ここで、私は気付きました。彼が面接でこれまで結果を出せなかったのは、吃るからなのではなく、吃ることを恐れて、きちんとできるはずの自己表現をしていなかったからなのです。

 それからB君と私は、その面接事前提出書類の中で、いかに効果的な自己アピールをするかということに取り組みました。まず、志望動機を自分の経歴や個性と結びつけて、できるだけユニークなものにすること、自己アピールの中では必ず吃音に触れ、吃ることで得た経験をこの仕事にきっと活かせるという視点で作文するようアドバイスを行いました。B君自身が作文し、それをもとに来談の度、対話しながら添削・推敲していきました。そして数回かけて徐々に文案を仕上げていったのです。これは就職面接を少しでも有利に進めることを目的にした作業でしたが、この作業の中でB君は少なからず、自身の吃音とそれにまつわる体験に向き合ったと言えるでしょう。彼は最後になって「これまで自分は吃音で困る場面から逃げてきた」と内省していました。

 筆記試験の結果は今回も優れたもので、受験したものはすべて通過しました。そしていよいよ面接を迎えたのです。この時点であらためてこれまでの面接試験での様子について話してもらい、何が心配かを尋ねました。すると、吃ることはもちろんですが、「視線をずっと合わせてしゃべらなければいけない」「身体を動かしてはいけない」などといったことを心配しているのです。おそらく、過去3年の彼の面接はガチガチの緊張状態に自らを追い込み、自分の良さをアピールするどころか、ふだん持っている力さえ発揮できなくなっていたのだろうなと想像せずにいられませんでした。そこであえて「吃音であることを隠さない」「うまくしゃべろうとしない」「視線は時々合わせればいい」「身体の動きは自然にまかせる」といったことをアドバイスしました。そうして面接に臨んだ彼はいくつかの面接のうち、ひとつに合格することができました。4年に渡るチャレンジがやっと実を結び、現在はその職に就いています。

考察1:2人の行動の違いをもたらしたもの

面接場面で積極的に振る舞い、目立つことをいとわなかったA君、過去3年、吃ることを恐れて、自分を表現できなかったB君。この2人の対照的な行動は何に由来するのでしょう。希望していた職種の違いで面接場面の雰囲気が異なっていたということがあるかもしれません。もって生まれた性格の違いが影響している可能性もあるでしょう。しかし、一番の違いは「それまでに吃音と向き合った経験があったか、なかったか」ではないかと思います。

 伊藤伸二さんも多くの青年吃音者の就職活動を応援してきた経験の中で「吃音としっかり向き合い、どもる事実を認める」ことが重要だと述べておられます(スタタリング・ナウNo.173)。私も彼ら2人をみて強くそう思いました。

 A君は中学生の頃からさまざまな機会に自らの吃音と対峙し、自分にある問題としてそれに取り組んできました。将来の職種を対人交渉があまり重要でない分野と定め、理科系大学に進むべく、高校時代その方向を目指して懸命に勉強したようです。新しいクラスやアルバイトではきまって最初のうち緊張も伴って「ガタガタになる」そうで、中にはバカしたり、奇妙な目で見たりする人もいるけれど、時間が経てば必ず仲良くなれるとのことでした。そこにいる人たちを鋭く観察し、いい人と思ったら自分から「吃るねん」と表明し、そういうところから徐々に慣れていくのだそうです。彼にとって(その時そう思っていたかどうかはわかりませんが)吃音は自分の個性の一部であり、周囲に隠さなければならないものではありませんでした。

 一方のB君は吃音に深く悩んだ経験こそあれ、それを白日の下に引き出し、人と語り合って客観視しようとしたり、自ら戦略を練って対人関係を構築しようとしたりする経験はありませんでした。吃るとどのように評価されるかということに漠然と怯え、自己を表現する機会さえ見逃してしまっていました。失敗に対しても洞察を誤り、本来できるはずの知的な判断ができないまま、落胆と不安のうちに数年を費やしていたと言えましょう。

 誰しも自分の弱点だと思うところには目を向けたくないでしょう。目を向けず、気付かぬふりで過ごせればその間はきっと楽に違いありません。でも、そうしているうちにその弱点は自分の中でどんどん大きくなり、どんどん怖くなっていくのではないでしょうか。そうなるとますます目を向けにくくなりますね。「複雑なことを書くとそれを聞かれる」「困る場面から逃げていた」と振り返ったB君の気持ちは今思うとよく分かります。

 一方、弱点と向き合って、じっと冷静に見つめることができれば、弱点は弱点ながらもさほどのことはないとわかり、それに対抗したり、それをカバーしたりする方策が見つかるかもしれません。もしそうならなくても必要以上の恐怖を感じることからは逃れられるでしょう。弱点に向き合うことは勇気とエネルギーがいりますが、その弱点を「お化け」にしないために、絶対必要なプロセスだと思います。A君はきっとたいへんな思いをして吃音と向き合ってきたのでしょう。でも、それは就職活動で彼の行動を適応的な方向に導いてくれました。B君はすでに「お化け」になっていた吃音に言語聴覚士の手助け(後述)を借りて立ち向かい、ようやくその正体を見ることができたのかもしれません。

 2人の歴史の分水嶺はどこにあったのでしょう。ひとつは小児期の体験と周囲の人々の対応にあったのではないかと思います。B君は本人の回想(かなり面談が進んでから)によると、小学校1年生の時意地悪な女の子にまねをされ、とてもいやだったけれど、どう対応していいのかがわからなかったそうです。また、小学3年生の時にせっかく専門家のもとを訪れながら継続的な援助を受けられませんでした。一方のA君は小学生の時はバカにされたり、いじめたりされたことはなかったと言い切っています。この時期の体験は、その後に「向き合う強さ」を持てるかどうかと無関係ではないと思います。もう一つのポイントは直面せざるを得ない事態があったかどうかでしょう。A君の吃音症状はB君に比べ、かなり顕著です。「吃音を隠す」という選択肢はとりにくかったと思います。「重かった」A君は吃音に向き合わざるを得ず、「軽かった」B君は吃音で困る場面から逃げることが可能だったのかもしれません。

考察2:言語聴覚士はなにができたのか

私はことばの問題を扱う専門職として何ができたのでしょう。

2人の青年への支援について述べる前に、私の吃音臨床についてお話ししたいと思います。

はじめにも言いましたように、最近急に高校生・青年期以降の吃音を持つ方との臨床の機会が増えました。よほどのこと(精神科の治療を受けている最中など)がない限り、お引き受けするようにしているのですが、あらためて何ができているのかと問われるとはなはだ心許ない状態です。

具体的にはいろいろやるのですが、基本的スタンスは次のようなものです。

①吃音は「治すべき」対象だと考えていない

②症状のみに焦点を当てることはせず、具体的にどういうことに困り、何に悩んでいるのかを探る

③言語聴覚士として、役に立てそうなことがあれば関わる。

 特に①については最初の面談のときに話します。

言語治療室という看板を掲げた職場で働く専門職としてはいささか矛盾をはらんだ言い方です。でも、そこから始めるようにしています。ケースによっては「ゆっくり話す練習」や「軟らかく声を出す練習(軟起声)」などをすることもあります。

しかし、それは「吃音を治す」ための練習ではなく、具体的に困っている場面に備え「役に立ちそうな技能を仕入れておく」という観点で取り組んでもらいます。話す技能だけではなく、気持ちの構えを変える試みや、周囲への実際の働きかけ(吃音であることを周囲にうまく伝える作戦、配慮を求める手紙など)を一緒に考えるようにしています。

そういった作業を通し、最終的には「吃音を以前ほど気にしなくてすむようになった」と言ってもらうことを狙っています。非常におおざっぱですが、これが青年期以降の吃音に対する私の臨床の概略です。

 さて、A君との面談の中で私がしたことを振り返ってみます。「少しでも楽に話せる方法があるのならそれを探ってみたい」という希望に添って、軟起声発声の練習をしましたが、こういった試みはほんの一部で、先にも述べたとおり、あとは就職に関する話を聞いたり、日常生活上のできごとについて会話をしたりということが大部分でした。援助とか支援とか、ましてや指導などというものとはほど遠いかかわりだったようにも思えます。でも、A君は来談を必要と感じたのでしょう。当初の目的であった就職問題が解決した後も彼との面談は続きました。では、何がそうさせたのか、考えてみました。おそらく、就職内定に至るまでの段階で、吃音について自分と対等以上の知識を持っている専門家が自分の話を聞き、自分のやっていることや考え方を支持し、共感してくれたということに意味があったのではないでしょうか。自分の姿を一旦外に置き、それらを確認する作業が、就職活動という極めて重大で、緊張を伴うイベントを前にして必要だったのだと思います。そこから「これでいいんだ」という自信を得た彼は、さらに自分の活動や考えを是認し、ますます積極的な行動へと突き進むことができたのでしょう。

 こういう援助は言語聴覚士でなければできないわけではありません。長年吃音と連れ添い、いろいろな経験を積んできた先輩達によっても担えるものだと思います。いや実際、これまではほとんどそれに頼ってきた感があります。しかし、医療や保健、福祉の分野で言語・コミュニケーションの問題を扱う言語聴覚士が担って然るべき分野なのではないかと私は考えています。

 B君にはより具体的な援助が必要でした。まず、吃音についての基本的な知識を持ってもらうことからはじめました。「吃らずにしゃべる方法を教えてほしい」という希望には添えないことも納得してもらう必要がありました。その上で、就職面接にどう対応するかを一緒に考えていこう、という合意を形成し、その手段として軟起声の練習や論理療法的考え方、メンタルリハーサルなどの説明もしました。そして具体的な努力の方向を探る作業の中で、重要な気付きが双方にありました。吃ることを恐れるあまり、書いて表現することさえ躊躇してしまうB君の心理に私は気付き、書いて表現すれば、うまくしゃべれなくても自分を知ってもらえるという理屈にB君は気付きました。このプロセスを経て、吃音を治す、吃音を隠す、という発想から、吃音をうまく表明し、むしろ吃音であることをアピールするという発想への転換ができたのだと考えています。こうして面接に備える具体的な活動が始まりましたが、慣れないことはなかなかうまくいきません。自分のアピール文など書いたことのないB君には非常な難業だったようです。しかし、考える手助けこそしましたが、私が文を書いてみせることはあえてせず、彼にことばを選んでもらいました。時間はかかりましたが、このアピール文作成を通して、遅まきながらも「吃音と向き合う」経験を彼に持ってもらえたのではないかと考えています。結果から遡って私のできた彼への支援の中で最も重要だったのは、この吃音との向き合いを促し、支えることができたことだと考えています。吃るということをもう一度見つめ直し、過度で不必要な恐れをなくすこと、自分にとってどういう意味を持っているかをあらためて考えること、こういった作業はおそらく彼一人では無理だっただろうと思います。考える材料を提示しつつ、常に彼が安定した気持ちで吃音に向き合う場面を維持することが必要だったのでしょう。これが、就職面接に向けてのアピール文の作成という作業で可能になったのではないかと考えています。

 さて、実際の面接試験を前にして、なおB君は様々な不安に襲われます。

「面接官の目を見ないといけない」

「足を揺するクセがあるのでそれがでたら印象が悪くなる」などなどです。

なるほど、一般の面接場面で言われそうなことですが、苦手だと思っていることについては全てが不安のネタになるようでした。吃音であることは既に事前のアピール文に書いてあるので、隠す必要がないこと、不安を持っても仕方がないのでもっとイージーに考えること、といったアドバイスをしました。そんなアドバイスが現場ではあまり役に立たないだろうことも推測していましたが、少なくとも不安を募らせて、面接の日まで余計な緊張にさいなまれるという事態からは逃れられるかなという期待がありました。結局、実際の面接ではいずれもかなり吃ってしまい、結果としても不採用になったものの方が多かったのですが、面接を受けてその結果がまだ出ていないときの面談で、彼が「やるだけのことはやった」と言ってくれたことに彼の大きな変化を感じました。そして合格後、採用担当官に自分が吃音であることを前もって言えたこと、吃音を自分のアピールに使えたことを報告してくれたことで、私の援助が意味を持っていたと確信でき、うれしく思いました。私と関わることでB君が自分の吃音と向き合えたとしたら、就職面接の成否という一事にとどまらず、今後の彼の生き方にも及ぶ影響を与えられたのではないかと思うのです。

 言語聴覚士は言語・コミュニケーションに現れた非正常性(特異性、異常性)を正常なものに近づけていくのが仕事と捉えられがちです。医療の現場にいると特にそうです。発音の障害や発声の障害についてはこういうことが言えるでしょう。

軽度の失語症やことばの発達の遅れに関してもそう捉えてさほど違和感はありません。しかし、重い失語症を負った方や自閉症の子ども達、重篤な聴覚障害の方々、進行性の疾患を持った人々にも私たちは支援をします。

そこには今ある能力や特性を否定せず、より適応的に、その人らしく生きていくための支援を考え出す、別の視点が存在しています。吃音は治らないから、難しいからと尻込みをする言語聴覚士が多いことは残念ながら実態です。吃音を持つ人が抱えている問題に目を向け、それをどうすれば軽減できるかを考えて援助をすることは言語聴覚士にとって大切な仕事だと私は考えています。

さいごに

B君の場合、青年期までに吃音と向き合う機会を得られなかったことが、結果として3年の就職浪人という辛い現実を招いたと言えるかもしれません。この頃、青年期以降の吃音者と面談することが多くなり、以前に増して、小児期の吃音臨床の重要性を痛感しています。言語聴覚士(でなくてもいいのですが)が小児期に本人や家族、周囲の人々と吃音に対する適切な認識を共有し、無理なく吃音に向き合うことを支えていくことができていれば、思春期以降のさまざまな問題(進学、就職、恋愛、結婚など)によりたくましく対処していけるのではないかと思います。

 でもまたまた残念ながら小児の吃音を対象にする言語聴覚士も非常に少ないのが現状です。小児も成人も吃音を担当する言語聴覚士が一人でも多くなることを心から願い、これからも声を大にして働きかけたいと思っています。

 以上が学会発表の要旨を書きあらためたものです(考察の部分はかなり付け足してしまいました)。 日本コミュニケーション障害学会は言語聴覚士を主な構成員とする学会ですので、最後の部分は切実な思いで訴えました。ちなみにこの学会には昨年「吃音および流暢性障害研究分科会」が立ち上がりました。この先の展開に期待しています。 また、私は今、大阪府言語聴覚士会という職能団体の会長という責務を担っています。吃音を対象にする言語聴覚士を増やすことは自分に与えられた使命だとも思っています。

どもる人たちの語りから教えてもらったこと

野原 信 帝京平成大学健康メディカル学部言語聴覚学科講師

私は、言語聴覚士の養成校で教員をしながら、言語に障害をもつ子どもに対し支援を行っています。どもる子どもとの関わりは、言語聴覚士になって五年くらいたったころに始まりました。その頃は、子どもたちの吃音症状にのみ注目し、症状の改善を目的に介入していました。しかし、訓練室内で子どもの吃音症状を軽減させることはできても、日常生活へ般化させることは難しく悩み、子どもたちからの「どもりがばれないようにしている」「クラブでキャプテンになったけど、人前でしゃべるのが怖い」などの訴えに対し、さらに焦る気持ちが強くなりました。

 そのような時期に、けい君とだい君が訓練に通うようになりました。けい君は、口数が少なく、自分からどもりについて相談することはありませんでした。彼のどもりは波があり、ひどい時は話すことを途中でやめ、近くにいるお母さんも表情が曇っていたことが印象に残っています。一方、だい君はよくしゃべる子で、どもりながらも楽しかったことなどを話してくれました。また、この二人が通うことばの教室の先生から、「どもり」をテーマに話し合いをした際の様子を聞く機会がありました。はじめ、けい君は少し涙ぐむ様子がみられたそうです。しかし、隣りでだい君が「知っているよ。それ、どもりって言うんだよね」など堂々と話す様子を見て、けい君も途中から涙ぐむことをやめたそうです。このようなどもることに対する二人の態度の違いは、吃音に対する子どもとその家族の考え方の違いが影響していたと思います。だい君のお母さんから聞いた話では、家で「ぼくのしゃべり方は治るのかな」と聞いてきたことがあったそうです。その時、お母さんは、「わからない。治らないこともあるみたい。でも、それでもいいんじゃない」と率直に伝えていました。その後も、家族は、だい君が自分のどもりについて話す際に、避けることなく一緒に考え話し合うようにしていました。一方、けい君のお母さんは、私と出会った頃、どもりについて相談した相手から「お母さんが厳しすぎるのでは。叱らないであげて」と言われたこともあり、自分を責めて落ち込んでいました。そして、子どもに対し、どもりについて話題にすることを避けている感じがありました。

 これらの経験を通して、どもる子どもたちの根底にあるどもることへの恐れや不安の大きさについて考え、それらに影響する要因と支援のあり方について理解したいと思うようになりました。その中で、伊藤伸二さんと会い、大阪吃音教室などで、どもる大人の方たちと話す機会を得ました。年齢も性別も違うどもる人たちが、自分のどもりについてユーモアを交えながら一緒に考えていく様子は興味深く、「どもりが軽いからこそ、ばれるのが怖かった」「どもりが出せるようになった今の方が楽」などの話は、今まで気づくことができなかった考えでした。さらに、数年後に参加した吃音親子サマーキャンプでは、同じ悩みをもつ子ども同士の話し合い、自分のどもりについての作文、キャンプ最終日に発表される劇で、子どもたちは、どもりながらも自信をもって役を演じきる姿をみせてくれました。このキャンプを通して、子どもたちのどもりに対する恐れや不安の大きさを再認識しただけでなく、それに対し子どもたちが真摯に向き合い、仲間同士で乗り切ろうとする姿に、子どもたちの精神的な強さを感じることができました。

 私は、どもる大人や子どもたちとの交流を経て、どもる子どもたちの根底にある心理的な側面を支援していくことの大切さを理解することできました。また、私自身が、一人ひとり違う子どもたちを、無自覚に自分が想像できるどもる子どもの臨床像に当てはめていたことに気がつきました。これからは、子どもたちの自身のどもりに対する主観的な語りを大切にしていきたいと考えています。

セラピストを変えた吃音

平良 和(沖縄リハビリテーション福祉学院 言語聴覚学科 専任教員)

言語聴覚士養成の大学の講義は医療中心で、治療や訓練で問題を解決し、元の生活に戻すことが専門家、セラピストの役割だとの医療の考え方に沿った教育がなされていました。最初に就職した回復期病院では機能訓練が主で、機能が回復し、効果が目に見えて、患者の満足度も高いものの、検査の結果は上がっても生活の場で困る事は変わりませんでした。その後替わった障害者支援施設では、生活での困りごとに焦点をあて、私が利用者の生活している場に入り、本当に意味のある関わり、生きたコミュニケーションの訓練をすることで、病院での訓練よりはずっと楽しい経験をしたものの、目標に掲げている、ノーマライゼーション、QOL(生活の質)を果たせていません。本当のQOLって何だろうかと私の中での葛藤は続いていました。

 そんなころに、地元の言語聴覚士養成校から教員への誘いを受け、臨床で感じた事、学生に伝えたい事は山ほどあったので不安はあったものの思いきって飛び込みました。私が担当する講義に吃音がありました。大学時代の吃音の講義は内須川洸先生の「タフネスを付ける」しか残っていません。沖縄県内で吃音をよく知る言語聴覚士はいないため、勉強を一から始めました。教科書や専門書には、「吃音はあなたの個性、どもってもいい」と書かれながら、「流暢形成訓練」がより詳しく書かれています。その矛盾に、悶々としながらも、当時の私には、それらの内容をそのまま学生に伝えるしかありませんでした。そのとき、「第一回臨床家のための吃音講習会」があり、送られてきた事前資料の中の、「私は吃音を治せませんと、子どもにも初回面接で伝える」のフレーズは、「治す、改善する」が言語聴覚士の仕事だと思っていた私には、衝撃的でした。不安より、期待をもって参加した講習会のテーマは「ナラティヴ・アプローチ」でした。聞きなれないことばでしたが、生活に密着しており、イメージができ、生活を変える関わりはこれだと思いました。当事者のことは本人に聞き、一緒に考えていく無知の姿勢、今後のことは当事者と医療従事者が対等に話し合う対等性は、私がこれまで臨床で感じていたもやもやを一気に消し去ってくれました。これは私の求めていた言語聴覚士としてのあるべき姿でした。

 二日間の講習会はアッという間に終わり、伊藤伸二さんの考えをもっと聞きたい、学びたいと、その日のうちに学院での講義を依頼しました。その年の秋、伊藤さんの講義が実現し、学生と一緒に学びました。私がこれまで教えてきた内容とは全く違う角度からの講義に学生は驚きながらも受け止めていたようでした。その後も伊藤さんたちの仲間の活動に同行し、滋賀の吃音親子サマーキャンプでは、子どもの力に圧倒されました。子どもは弱い存在、守らなければいけない存在と、私はどこかで思っていたのでしょう。日々サバイバルしながら暮らしているからこそ出てくる子どもたちのことばや語りは、心に響きました。訓練室での言語訓練では、どもる子どもの生活の場面を見ることはできません。見えるスピーチの部分だけに注目し、そこをコントロールすることで、子どもの問題を解決したつもりになることだけは避けたいと思いながらも、実際はそうなっていたのかもしれないと思いました。子どもたちは自分のことばで、自分を語る力を持っている。その物語の世界を知ると、言語訓練の意味を見いだせなくなりました。

 私にとってはこの「新しい吃音」を沖縄の言語聴覚士にも伝えたくて、おきなわ吃音研究会を立ち上げ、情報提供をし続けました。沖縄のどもる子どもにも、自分のことばで自分のことを語ってほしいとの私の思いが伝わり、多くの言語聴覚士、小学校のことばの教室の教員が実行委員会に加わり、伊藤伸二さんと伊藤さんの仲間を迎えて、沖縄で「吃音親子キャンプ」を開催することができました。初めての取り組み、初めて出会う子どもたちでしたが、自分の吃音にしっかり向き合い、話し合うことができました。滋賀のキャンプで感じた子どもの語る力を沖縄でも感じました。吃音を認め、吃音と共に生きる理論は、全国共通で、世界に、全人間に共通することだと確信した瞬間でした。

 テクニックで、見える部分だけを変えられたとしても、問題はそこではないところにあることを、吃音から学びました。主訴やニードに隠れている本当にその人が求めていることを拾うには時間をかけ、ゆっくり話を聞かなくてはなりません。百人いれば百通りの思いや悩みがあります。どもる子どもに関わるときには、独りよがりの結果を出すためのセラピーは卒業しなければいけないと思いました。言語聴覚士が対象とする人のほとんどは、自分で語る事ができませんが、どもる人は語ることばを持っています。その語りの中に、その人の悩みや葛藤をセラピスト自身の価値観や経験から容易に想像し解釈して関わる危険性を感じました。私も自分のことを語ることで、自分自身の思考が変わり、言語聴覚士に対する認知が変わり、そのことで行動が変わる経験をしました。専門家は、自分ができないことを相手にさせてはいけない。自分が体験して、経験して本当に役立つもの、誰にでも容易にできるものを、当事者やその家族に提供しないといけないことを学びました。

 吃音から、私は多くのことを学びました。これからの言語聴覚士の仕事は、多様な領域での関わりが求められてきます。医療、治療という視点だけではなく、教育の視点も学んでいくことの重要性をどもる子どもたちから学びました。吃音は専門職者を変える大きな力をもっていました。