法然の選択と日本の吃音臨床

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

法然の『選択本願念仏集』などを読み、アメリカで発展してきた言語病理学と、私の主張する「治す努力の否定」との違いを整理した。宗教に門外漢の私が、法然を、強引に都合良く引用するため、間違った解釈もあるだろう。法然上人には畏れ多いことだが、素人に免じてお許しいただきたい。

 法然は、護国鎮守のための旧仏教を否定し、民衆の誰でもが救われる仏教を打ち立てた。法然は、学問、修行、功徳を積むことで救われるという「聖道門」を捨て、「ただ信じて、念仏を称えさえすればいい」とする「浄土門」を選択した。

 煩悩の多い、修行や功徳を積めない乱世に生きる当時の一般大衆には「聖道門」は難行であり、誰でもが救われるに道として、易行(易しい道)でなければならないというのである。煩悩の多い凡夫であると自覚し、その自分でも救われると信じて、念仏を称えよと言う。さらに、修行などは雑業だとして一切せず、正業である念仏だけを勧めた。当然、旧仏教の人たちから激しい反発や批判を受け、島流しなどの迫害も受けている。しかし、法然はひるむことなく、主張し続けた。

 吃音については、薬や手術などの本人の努力とは関係ない根本的な治療法はなく、本人が取り組む言語訓練しかない。私も、「どもりは必ず治る」として、吃音コントロール法を教えられた。

 アメリカでは、吃音コントロールについて、二つの流派が長年対立し、激しく論争をした。「どもらずに流暢に話す派」と「流暢にどもる派」だ。そして、近年統合的なアプローチが提案された。

 1930年代、アメリカのアイオワ大学を中心に吃音臨床研究が集中的に行われた。当時の、ウェンデル・ジョンソンやチャールズ・ヴァン・ライパ一は現在でも大きな影響を与えている。

 1974年、私はこの流れをくむ吃音臨床に一つの選択肢を提起した。「流暢に話す」も「流暢にどもる」努力も一切やめようと「吃音を治す努力の否定」を提案した。それから、34年間、私はセルフヘルプグループや吃音親子サマーキャンプなどで、「治すことにこだわらない」吃音とのつきあい方を実践してきた。多くの人が吃音の悩みから解放され、自分らしく生きている結果において、アメリカの言語病理学に決してひけをとらないと思う。

 昨年の第8回クロアチア世界大会、また昨年秋翻訳出版されたギター著『吃音の基礎と臨床』のおかげで、ありがたいことに現在の世界の吃音の臨床について詳しく知り、整理することができた。

 1974年は呼びかけだったが、今回は34年の実績の報告をもとにした、再度の提起だ。アメリカ言語病理学一辺倒の吃音臨床に、他の選択肢があった方がいいと思うからだ。アメリカ言語病理学に対して、東洋思想からの選択肢の提示である。

 ひとつの選択肢であっても、誰もができる易しい方法であり、自分が実際に経験し本当によかったもの、多くの人が実践して役に立ち、臨床家が指導しやすいものでなければならない。選択肢は違いを鮮明にした方が分かりやすい。遠慮せず、正直に提起したい。人によっては過激な主張だと思われるだろうが、読む人が、自分にとって役に立つ方を自ら選択して下さることだろう。

 アメリカの提案する、吃音のコントロールは一部の人にはできても、誰にでもできることではない。どもる人の多くが失敗し、よく似た方法の日本の民間吃音矯正所が衰退した。また、臨床家が簡単に教えられないことはアメリカのセラピストの多くが吃音臨床を苦手としていることでも明らかである。法然の言う「聖道門」だと私は思う。

 「どもる事実を認め、自分や他者を大切に、ただ、日常生活を丁寧に生きる」

 これは難しいように見えて、自分の人生を大切に考える人なら、吃音をコントロールする努力を続けるよりも、はるかに易しい道だ。それは、多くの人の体験を通して私は言い切ることができる。

はじめに

 1974年、私は、吃音に悩む多くの人が「吃音を治す」ことにこだわり、治す努力に精神的、時間的、金銭的な多大のエネルギーを使っても成果がないどころか、ますます、吃音の悩みが深まった大いなる内省から「治す努力の否定」を提起した。

 それから34年、昨年5月参加した第8回世界大会や、アメリカの言語病理学者バリー・ギターの翻訳書の出版(長澤泰子監訳・学苑社)で、アメリカを中心とした世界の最新の研究臨床が明らかになった。世界の吃音の臨床は70年ほどほとんど変わっていないことに驚き、改めて「吃音を治す努力の否定」を提起しなければならないと考えた。

 吃音の臨床の大きな流れは「吃音の治療・改善」にあることは、翻訳書やクロアチア大会でも明らかである。だから、こっちの道もあるのだよと、選択肢を提起したい。「吃音の治療・改善」一色よりも、選択肢が広がる意味は小さくないだろう。

 浄土宗の開祖・法然(1133~1212)は「選択念仏本願集」で旧仏教を「聖道門」として否定し、「浄土門」の日本の仏教を打ち立てた。

 この区別に則して、アメリカ言語病理学を整理し、日本の、私たちの、吃音への取り組みの選択肢として、再度「治す努力の否定」を提案したい。

法然の「聖道門」と「浄土門」の区別

 仏教の目的〈仏になる〉道は、一つではなく様々な手段があるという主張に対して、次の自覚に立って、法然は専ら念仏を称えることを主張する。

・日本は仏教の本国から遠いという自覚。

・修行を実践してゆく上で自分は無力だとの自覚。

 〈仏になる〉とは、人間存在の不安や苦悩から根本的に解放されることだが、法然以前の仏教は、宗派を問わず、そのために、様々な努力目標を掲げていた。在家の人間には、寺院や仏像を造る、写経、僧への布施などを求め、人を殺すな、嘘をつくな、生きものの命を奪うなと教えた。これらは大多数の庶民にはできないことばかりだった。

 出家者でも、よほどの精神的集中力と肉体に恵まれていなければ修行は難しく、〈仏になる〉ことは容易ではなかった。そのことを法然は、修行の不足ではなく、人間が本来持つ「煩悩」があるからだと言う。人間にとって「煩悩」の除去は不可能で、「煩悩」の存在を認めた上でいかにすれば〈成仏〉が可能なのかを考えた。

 法然は徹底して自らも「凡夫」と認識し、「煩悩」に縛られている愚緒でも救われる仏教として、「信じて、ただ念仏を称えよ」と教えた。

 源氏と平家が争う乱世の時代。法然の主張は、修行の難しさや、戒律を守れずに仏教と縁がないと考えていた人々に歓迎されたが、旧仏教からは、激しい反発を受ける。

 法然の、一切の人間が救われる救済原理の根拠が「聖道門・浄土門」の区別である。旧仏教を「聖道門」と一括した上で、それを全否定した。釈尊が歩んだように、瞑想を繰り返し、心身をコントロールして深い智恵を獲得することで〈仏〉になる「聖道門」は、いかにすぐれた尊い教えであっても、釈尊の死から年月が経ちすぎ、感化力は衰えている。また、教えは難しく、いかなる修行によっても悟りを得ることは難しい。誰でもが信じさえすれば実行できる易しい行である「念仏を称える」「浄土門」が新しい仏教だと宣言した。

 私は、「吃音の治療・改善」を目指す、吃音コントロールはきわめて難しいものだと体験的に考えている。日本の100年の吃音治療の歴史の中で、ほとんどの人が難しく実現できなかった方法でもある。アメリカの言語病理学と、技法の名称や表現に違いはあるが、1903年の伊沢修二等の方法と大きな差はない。100年たった現代でも吃音コントロールの方法は変わらない。長い年月の実践の結果、成果が上がらなかった吃音治療法を、私は法然の言う「聖道門」「難行」だと言いたいのだ。

吃音治療・吃音コントロールの難しさ

私の経験

 私は小学2年生の秋から吃音に悩み、辛い学童期・思春期を生きた。その時、私を支えていたのは「いつか必ず治る」という思いだった。どもっている限り私の明るい未来はない。吃音が治ることだけを夢見た。どもっている問は「仮の人生」で吃音が治ってから私の人生が始まると思っていた。

 21歳の夏休み、東京正生学院という吃音矯正所で、1か月は寮で生活し、一日中訓練に明け暮れた。その後3か月通院して、治す努力を続けた。

「流暢に話す派」と「流暢に吃る派」

 私はこれまで、民間吃音矯正所を批判してきた。しかし、現在の世界の吃音治療の現状をみると、日本の吃音矯正所があながち大きな間違いをしたわけではないと気づいた。「必ず治る」と宣伝し過ぎたこと、呼吸練習の重視は問題だとしても、実際の吃音コントロール法は、今、オーストラリアやアメリカなどの大学で行われている「流暢性の緩和・形成」の治療法と大差がないのである。

 「まず態度、口を開いて息吸って、母音をつけて軽く言うこと」

 浜本正之の中央吃音学院で毎回唱和させられた。これは、後で紹介するギターの「吃音緩和法と流暢性形成法」と原理的にはほぼ同じなのには驚く。

 日本の吃音矯正といわれるものは、1903年、東京小石川の伊沢修二(東京芸術大学の前身、東京音楽学校校長)の楽石社に始まる。伊沢の「ハヘホ」練習から始まる発声訓練は、後の吃音矯正所の原型となる。梅田薫、野中肖人、浜本正之、望月庄一郎、田澤嘉聲等の著作を読み返すと、お互いが批判し合っているものの、基本となる「ゆっくり話す」「軽く発音する」などは共通している。

 1965年、私が最初に受けた吃音セラピーが、東京正生学院だったことを、今、とても幸いだったと思う。ここでは、アメリカで論争になっていた、「流暢に話す派」と「流暢にどもる派」がすでに対立する構図になっていたからだ。

 東京正生学院の創立者、梅田薫・医学博士は、今、オーストラリアの大学で現に行われている、ゆっくりと吃音をコントロールして話す「わーたーしーはー」を徹底して教えた。一方、早稲田大学で心理学を学び、アメリカの言語病理学に精通するご子息の梅田英彦副院長は、アイオワ学派の「どもっても、どんどん話そう」という考え方を紹介し、「随意吃」を教えた。私たちは、ドイツ法・抑制法、アメリカ法・表出法と呼んでいた。

 院長は熱心に吃音コントロールを教えたが、多くの人々は矯正所の中ではできても、日常生活で応用していくことはできなかった。また、一時的に効果があっても数ヶ月で再発していた。若い副院長の「どもっても、どんどん話そう」という考え方に私たちは惹かれていった。意図的にどもる、わざとどもるという「随意吃」は実行できなかったが、どもってでも話していく態度は養われたと思う。

 東京正生学院で、全く違う二つの考え方に出会い、それらを4か月、300人ほどと真剣に取り組み、議論した経験をとてもありがたいことだと思う。どちらか一方しか教えられなかったら、私は、「吃音が治らない」ことに諦めがつかなかったかもしれない。アメリカで論争になっている両方を同時に体験できたおかげで、私はその両方とも違う「治す努力の否定」をその後提起できたのだと思う。

 そこでの「ゆっくりと、軽く発音する」も「随意吃」の「楽にどもる」もほとんど役に立たず、300人のどもる人たちは、教えられても実践ができなかった。一時治ったかにみえた吃音が何ヶ月後あるいは数年後、再び現れた。この「再発」という現象も、アメリカでも日本でも状況は変わらない。

 日本では、「必ず治る」と教えられたために、「治る、治す」ことへの憧れは強いものになり、治らない場合、自分の「努力不足」を責め、治すことにとらわれる道へと落ちていったのだった。

 私に残されたのは、「吃音が治らず、改善もされなかった」現実と、多くのどもる人に出会えたこと、そして吃音にっいての考え方として「恐れがあっても、不安があっても、どもってどんどん話していこう」という、アイオワ学派の教えだった。

 その後創立したどもる人のセルフヘルプグループでは、そのうち吃音をコントロールすることはしなくなった。どもっても話していく態度が根づいたのはアメリカの言語病理学の大きな遺産だろう。

アメリカの言語病理学

 1930年代、アイオワ大学を中心に吃音の学際的な吃音臨床研究がなされた。現在の言語病理学はその流れにあるといえるだろう。ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパー、ジョゼフ・G・シーアンがその中心だった。

 私は、ライパー、シーアンとは手紙を通して交流があり、私の「吃音を治す努力の否定」の主張に共感し、メッセージを寄せてくれたことがある。

 1991年4月、自らの死期の近いことを悟ったライパーが、アメリカのグループNSPの機関紙『Letting Go』に最後のメッセージを寄せた。

 「私はこのほど心臓障害のため、主治医から、残された時間で身辺整理をするようすすめられ、その仕事を片づけました。しかし、やり残していることがひとつあります。私は、長年親しんできたこのニュースレター『Letting Go』ならそれを片づけるのに一役買ってくれるだろうと思っています。私は死ぬ前に、どうしても85年の人生で吃音について私が学んだことを、多くの吃音者たちに伝えておきたいのです。

 私は、これまでに何千人という吃音者たちに接し、たくさんの研究に携わり、吃音の本を出版したり、多くの記事を書きました。重要なのは、私自身がこの間ずっと吃音を持っているという点であり、また私自身、リズムコントロールにリラックス効果にスロースピーチに呼吸法、精神分析や催眠術にいたるまで、ほとんどすべての吃音治療を経験してきたのです。しかし、どれもその成果を見ることなく、一時的に流暢さを取り戻したかと思うと、すぐに逆戻りするだけでした。それでも今では、どもることがあっても、ほとんど気づかれないほど流暢に話せるようになっています。

 私の人生が、とても幸福で成功に満ちたものになったのは、ある基本的な考え方との出会いのお陰でした。それを是非皆さんに紹介しておきたかったのです」

(セラピーのきっかけとなった老人と出会いの話)

私の提起に対するライパーからの手紙

 「治す努力の否定」の問題提起をされたあなた方の手紙を実に楽しく読ませていただきました。その考えに賛成するかとの問いに、私は、はっきりと「イエス」とお答えします。

 成人になってもひどくどもっている吃音者は、世界中のどんな方法を使ってもほとんど治ることがないと私は確信しています。遠い昔からある、このどもりの問題を、私は、長年研究してきました。

 自分のどもりはもちろんのこと、何千人もの吃音者を診てきました。報道機関を通してさまざまな治療方法が公表されるたびに、そのうちのひとつくらいは本物があるだろうと期待して、その検討もしてきました。しかし、それらはいつも子どもだましであったり、フォローアップでのチェックが不正確であったりしたのです。このような情勢の中から、私たち吃音者は、おそらく一生どもって過ごさなくてはならないだろうという事実を認める必要が生じてきました。ぜんそくや心臓病を患っている人が、その治療が難しいという事実を受け入れているのと同様に、私たちもその事実を受け入れようではありませんか。そして、私たちがその事実を受け入れると同時に、どもりを忌むべき不幸なものとしてではなく、ひとつの考えねばならない問題として理解し受け入れてくれる人を増やすために、吃音者自身が社会啓蒙することが必要なのです。

 しかし、吃音者はいつの日かなめらかに話せるようになるという望みをすべて捨ててしまわなくてはならないと言っているわけではありません。コミュケーションに全く支障を起こさず、気楽にスムーズにどもることができるのです。そのためにはまず今後もどもり続けるであろうという事実を受け入れることです。そして、不必要に力んだりせずに、うまくどもるにはどうしたらよいかを習得することです。おおっぴらにどもってみる勇気があるならば、どんな吃音者でもできることです」

ライパーの「流暢性」の呪縛

 ライパーに親しみと尊敬の深い思いを持ちながら、私は、ライパーが後に続く人々に大きな呪縛を残したのではないかと指摘しなくてはならない。「吃音は治らない」として受け入れることを重視しながらも、「流暢性」にこだわったことだ。

 ライパーのこの主張は、自身の吃音の長い苦闘の歴史があるからだろう。ライパーはアイオワ大学で「随意吃」の提唱者ブリンゲルソンから指導を受けて、楽にどもるようになった。その経験が、彼の臨床に大きく影響を与えた。有名な吃音方程式は吃音の問題の把握に役に立つ一方で、後に続く人々に大きな縛りを与えたと私は考える。

 それが「流暢性」だ。方程式の分子に吃音を悪化させる要因をおき、分母に吃音を軽減させる要因として、「士気」と「流暢性」をおいた。

 ライパーと私の決定的な違いは、ここにある。私は分母には、「流暢性」に変えて「どもってでもできた経験」をおく。

 ライパーは「随意吃」を学んだことで、吃音の苦しみから解放されたが、私は、吃音矯正所で「随意吃」を教えられながら、使わずに、吃音セラピーを諦めた。その後は、一切の吃音コントロールはやめて、ただ「どもる事実を認め、どもりながら日常生活を丁寧に大切に生きた」。そして、治そうとしていたときは変わらなかった私の吃音は、どんどん変化していった。これは当時の私が経済的に貧しかったことが幸いしている。東京での生活を親に一切頼ることができず、生活費から学費まで学生生活の全てを稼ぐために、私はアルバイトをした。どんなにどもっても苦しくても、アルバイトをやめるわけにはいかなかった。吃音コントロールは全く役に立たず、怒鳴られ、恥ずかしさや不安や恐怖を感じながら、私は話していった。一方、当時創立したセルフヘルプグループの活動にも夢中になっていた。グループのために、私はどんな所へも出かけ、どんどん話していった。必死に生きる日常生活が、結果として言語訓練になったのだろう。吃音をコントロールしようとしていた時には、全く変化のなかった私の吃音は、「治すことにこだわらずに」生きる中で変わっていった。

 「随意吃」などのセラピーのおかげで吃音が変化したライパーと、日常生活を必死に生きることで吃音が自然に変化した私。「吃音を受け入れよう」では共通しながら、ライパーは「楽にどもる」ことを指導できると考えた。これは、弟子ギターのスーパーフルーエンシーに引き継がれている。

 果たして、どもる子どもやどもる人に「楽にどもる」ことは指導できるのだろうか。「楽にどもる」べースには、ライパーが指導を受けたヴリンゲルソンの「随意吃」がある。ギターが「随意吃」を重視していることに、勉強不足の私は正直驚いた。「随意吃」が多くのどもる人に拒否され、受け入れられなかったから、ジョンソンやライパーの「楽にどもる」が出てきたのだと私は考えていたからだ。

ジョゼフ・G・シーアンの考え

 私は、「治す努力の否定」の考え方をたいへん興味深く、うれしく拝見しました。あなた方が、吃音問題に関して、ひとつの方向を打ち出されたこと、またそこに到達するまでに費されたあなた方の努力に、私は敬意を表します。

 興味深いお手紙をいただいたお礼の意味もこめて、1970年出版の私の著書『Stuttering:Research and Therapy』を別便で送りました。お読みになって、感想を聞かせていただけると大変うれしいです。

 吃音の問題をオペラント条件づけによって研究している人々や、吃音は簡単に治ると宣伝する人々を含め、多くの吃音臨床家に対してあなた方が抱くのと同じ疑惑を私も感じています。

 しかし私は、吃音の問題について悲観的ではありません。確かに吃音は、治らないかもしれません。一生吃音のままで過ごさなければいけないかもしれません。しかし吃音であるが故に、自分を卑下して生きていかなければいけない必要は少しもないのです。吃音が治らないからといって自分のすべてを諦めることはないのです。楽などもり方で明るく生きる吃音者になることは、どの吃音者にもできることなのです。

 そのためには、どもる自分を素直に受け入れることが大切です。そして、話したい語や話さなければいけない場面を避けないで生きていきましょう。吃音者が、自分の問題に正面から立ち向かい、どもりながらも話し続けていくとき、どもりの問題解決に明るい展望が開けるのです。それはこれまでの私たちの研究が立派に証明してくれています。がんばりましょう。(1977年)

随意吃の危険性

 「ゆっくりどもらずに話す」は、それができなければ、本人がやめればいいが、「随意吃」はかなり危険を伴う。私も実際にしばらく練習をしてみたが、ますますどもるようになり、恐くなって途中でやめてしまった。随意吃の本来の目的は、吃音の恐怖や不安に向き合うことだが、「わざとどもらなくても」、普段のどもる状態を隠さず、あまり逃げずに話すという、ただ自分がどもる事実を認めればいいことで、「随意吃」をわざわざ練習することはない。

 言語病理学第一人者、ウェンデル・ジョンソンでさえ失敗している。アメリカの言語病理学者、フレデリック・P・マレーは自著の中で、言語治療を受けたいという人にこうアドバイスしている。

 「どんな吃音治療法でも、その全てがある吃音者にある程度の成功をおさめている。1900年の初め頃、アメリカで隆盛をきわめた悪評の高い営利的な吃音矯正所でさえも、一部の人には役立ってきた。チュレーン大学のジョン・フレッチャー博士は、「あまりにも多種多様な治療法で吃音がよくなるのは実に困ったことだ。もしそうでなければ、原因について、もう少し分かるだろうに」と言う。

 吃音の治療について腹立たしいことの一つは、ある人には効く治療法が、必ずしも別の人にはうまく合わないという点である。

 最も有名な例はこうだ。1930年代の初め、チャールズ・ヴァン・ライパーは、アイオワ大学でアルバイトでトラビス博士の運転手だった時、吃音があまりひどくて、ガソリンスタンドでも、ガソリンの注文に苦労した。ライパーは、しばしばブリンゲルソン博士の指導を受けながら、治療に数ヵ月間費やした。博士は、ヴァンライパーの不随意的なことばの詰まりに対する制御力をつけさせるため、随意的な吃音の練習をさせた。そうしているうちに顕著な改善が認められた。一年で彼は教職につけるまで上手に話すことを習得していた。

 当時、ジョンソン博士もアイオワ大学にいた。彼は、この時までに吃音をかなり改善させてはいたが、それでもなお深刻な問題だった。彼はチャールズ・ヴァンライパーの吃音が消えて行くのを見てたいへん感激し、同じような治療プログラムを立てて自分もやってみた。ところが、彼の吃音がたちまち非常に悪化したため、話すことをまったく中止するよう指示され、一週間釣旅行をして、その間沈黙を守るようにと言われてしまった。

 ある治療法が一人の人に効いても、別の人に効果がないのはなぜかという問いに対して、容易に答えることはできない。『吃音の克服』(田口恒夫他訳新書館)(P.234)

吃音は自然に変わっていくもの

 吃音は、本来自然に変わっていくものだと私は考えている。どもり始めるのもある日突然に起こる。そして、ひどくどもったり、治ったかのような「波」を繰り返す。この波は、何かのきっかけがある時もあるが、多くは自然の変化である。吃音は意図的にコントロールするものではなく、自然な変化に委ねるものだと、私は確信するようになった。医学が自然治癒力や免疫力に注目するように。

 「吃音を治す努力の否定」から34年。私は吃音を治したり、ライパーの言うどもり方を学ぶという吃音コントロールの努力は一切しない吃音の取り組みを続けてきた。成人のどもる人のセルフヘルプグループの活動だけでなく、どもる子どもの指導にあたることばの教室の担当者や言語聴覚士など吃音臨床の専門家に対しても、そのように提言をしてきた。小学生から高校生を対象に「吃音親子サマーキャンプ」で18年間、どもる子どもとかかわってきた。どもる人のセルフヘルプグループでも、吃音親子サマーキャンプでも、「吃音を治し、改善する」アプローチを一切していないにもかかわらず多くの子どもや成人に大きな変化が見られた。

 吃音の悩みから解放されただけでなく、吃音そのものにも変化が現れてきた。これらの実践の中で、吃音は「治す、改善する」を目指して取り組むものではなく、自然に変化していくものだとの確信を強くもつようになった。それは私自身の吃音の変化に素直につきあってもいえることだった。

 学童期の吃音。思春期の吃音。吃音を治そうと必死になった21歳頃の吃音。治すことを諦めた頃の吃音。大阪教育大学の教員として学生に講義や大勢の前で講演をしたときの吃音。それらはどんどん変化していった。43歳の時、第一回吃音問題研究国際大会を開催した頃、私は人前で緊張して話をするときにはほとんどどもらなくなっていた。

 しかし、55歳の時、石川県教育センターで、新人教員研修の講義で、「初恋の人」の文章を読んだとき、自分でも驚くほどどもった。どもっていても、どもることが嫌ではない、動揺することもなく、不思議な、おもしろい体験だった。この日を境に、私は再び得意だったはずの緊張する人前でもどもるようになった。この現実に向き合い、私は「吃音は変化する」ものだと確信したのだった。

バリー・ギター著「吃音の基礎と臨床」

 詳しくは原著をお読みいただくとして、私の臨床との違いを明らかにするために、流暢性促進のスキルについてのみ引用する。「臨床家は、常にどもる子どもの流暢な発話を増加させるための努力をしなければならない」と、学童期・思春期の子どもの吃音緩和法と流暢性形成法が紹介されている。

■筆者の臨床アプローチは、吃音に対する否定的な感情を軽減させるために吃音を探究することから始め、その後、弾力的な発話速度、軟起声、構音器官の軽い接触、固有受容感覚といった、流暢性スキルを促進させつつ、一方で吃音を上手に扱うためのスキルを教えるものである。また年少の子どもには、自分の吃音についてオープンに話し合うことで、吃音に対する恐れや回避を軽減させる練習をし、その一方で、流暢性阻害要因への過敏性を減少させたり、いじめやからかいにうまく対処したりするスキルも学習させる。(P.367)

流暢性促進スキル

・弾力的な発話速度(Flexible Rate)

 単語の発話速度、中でも第一音節発話速度を下げる。発話速度を下げると言語企図や発話運動の遂行に、より多くの時間をかけることができるため、吃音を効果的に軽減できる。どもると予期する音節の発話速度のみを下げるため「弾力的な発話速度」と呼ぶ。臨床家が手本を示した後、子どもにその単語を「弾力的な発話速度」で発音させ、目標に近づいたらその発音を強化し、すべての音を練習させる。

・軟起声(Easy Onsets)

 楽に柔らかく声を出す。まず声帯をゆっくりと振動させて声を出すと、どもることなく滑らかに発声を続けられる。軟起声の教え方は、まず臨床家が様々な音を使いながら目標となる行動やスキルの手本を提示して子どもに軟起声のまねをさせる。

・構音器官の軽い接触(Light Contacts)

 構音器官の強い接触は吃音を引き起こす。ある音韻でどもりそうだと予期したとき、その音韻を含む単語を言う前に、あらかじめ自分の構音器官を所定の位置に調節したり、どもったときのことをイメージしながら練習したりする。構音器官を軽く接触させて子音を発音する。構音器官の力を抜き、呼気あるいは声の流れを途切れさせずに子音を発声する手本を子どもに示す。

・固有受容感覚(Proprioception)

 口唇、顎、舌の筋肉の筋紡錘に存在する機械受容器から送られる感覚フィードバックは、発話時の筋肉の動きを調整する重要な役割を果たす。固有受容感覚からのフィードバックに留意させる。

 構音器官からの感覚情報に意識的に注意を向けることを促進させると考えられる。子どもが固有受容感覚のスキルを正確に使えることが確認できたら、弾力的な発話速度や軟起声、構音器官の軽い接触のスキルと組み合わせる。このスキルの組み合わせを「スーパーフルーエンシー」と呼ぶ。

 吃音を流暢な発話に置き換えるスキルを身につけた子どもは発話に対する自信を得、吃音の予期を流暢な発話の予期に変えるようにもなるだろう。このような子どもは吃音を予期したとしても、もはや構音器官を所定の位置に固定したり、吃音を生じさせる要因になる予期不安によって過度に緊張したりすることはなくなっているだろう。

吃音の悩み最前線

 私は今、吃音に悩む人の最前線にいる。私の開設している吃音ホットラインには毎日2~3件の相談が寄せられる。手紙や、インターネットからのメールでの相談も少なくない。多くの人は、いい加減なちょっと参考までにという相談ではない。

 子どもがどもり始めてまだ10日も経っていない場合や、そのうち治ると信じて、「その内に治るよ」と言ってきたが、小学3年生になっても治らず「この話し方が嫌だから治して欲しい」という子にどう向き合えばいいかなど、どもる子どもの親からの相談が多いが、どもる人からの相談も少なくない。

 卒業する生徒の名前が言えないと悩む卒業式を控えた教師や、職場の電話が恐くなって辞職しようと思っているという事務職の女性。苦手な音のある名前を言えるようになりたい、電話の恐怖から解放されたい。「できれば吃音を治したい、どもらないようになりたい」という相談だ。

 そのような相談に毎日向き合う私に何ができるだろう。まずは、本人が知りたい吃音についての情報の事実を伝え、個別の相談への対処を具体的に一緒に考える。卒業式で子どもの名前が言えない、電話の応対に困るなどの場合は、「どもらずに話す方法」を求めている。私が経験した吃音治療法は熟知している。また、アメリカの提案する治療法も知っている。しかし、2週間後に控えた卒業式のために、「どもると思うことばをゆっくりと話しなさい」「軟起声といいますが、やわらかく、軽く言い始めなさい」「声を出すとき発語器官を軽く接触させて」「自分が声を出すときの感覚に注意を払って」などという、スーパーフルーエンシーと言われるものを、相手に伝えてどんな意味があるだろうか。かつて私が民間矯正所で教えられたのとほとんど変わらない吃音コントロール方法を教えても、ほとんど役に立たないだろう。私たちがさんざん試みて失敗してきた方法でもあるからだ。

 それよりも、「卒業式というせっかくのチャンスだ、自然に任せてどもるときはどもるに任せ、どうしても言えないときのために、生徒や同僚の教師や校長と作戦を立てればどうですか。いつまでも、隠し、逃げていられませんよ」と言うしかない。

 中には、吃音をコントロールできる人はいるだろうが、私を含め、ほとんどの人たちが失敗してきた吃音コントロールの方法を教えることは、私にはできないのだ。ただ、その不安や辛さに耳を傾け、「どもっても仕方がない。あなたはどもるんだから」とごく当たり前のことを言い、「やってみれば」と背中を押すしかない。

 吃音緩和・流暢性形成の方法には100年ほどの歴史がある。その方法を知っていても、上手く使えないのが現実なのだ。その方法がいいと信じて努力し、吃音をコントロールできる人はそれでいいのだろうが、私自身ができなかったことを人に勧めることは私にはできないのだ。

「治す努力の否定」の理論的根拠

三つの事実

1 確実に治る、改善できる治療法はない。

2 治っていない人は多い。

3 吃音の悩み、受ける影響には個人差がある。

 日本はアメリカと違って信頼できる、大学で臨床する吃音臨床家はきわめて少ない。ほとんどの日本のどもる人はアメリカ言語病理学の恩恵を受けていない。では、アメリカ人に比べて日本のどもる人が吃音に悩み、困難な状態にあるかと言えば、必ずしもそうではないだろう。日米比較はできないものの、世界大会などで世界のどもる人々と出会う限り差がない。ということは、言語病理学をもとにした吃音セラピーを受けなくても、日本のどもる人たちは、自分なりの対処法をみつけ、悩んだ時期はあったものの、自分なりの豊かな人生を送っているということになる。

 私が「治す努力の否定」を提起した時、後押しとなったことがある。

1 私とセルフヘルプグループの仲間の変容

 私自身が不安や恐れをもちながらも、日常生活を大切に生きる中で、どんどん変わっていった。吃音にあまり悩まなくなり、自分なりの人生を送るようになった。私だけでなく、セルフヘルプグループに集まった人の多くがそうだった。

2 一人の青年の実践

 私が大阪教育大学の言語障害研究室に勤務していた時代、いわゆる重度な吃音で、舌を出す随伴症状のあった消極的な一人のどもる青年の吃音に、6か月取り組んだ。治す努力を一切しないで、「ただ、日常生活を丁寧に生きる」ことだけをこころがけ、彼の話すことから逃げる行動に焦点をあてて取り組んだ。その結果職場での生活態度が変わった。

 目指したわけではないが、しばらくして、舌が出なくなり、吃音も軽くなった。この経験から、私の考えは、誰にでも通用するものだと確信した。

3 全国巡回吃音相談会

 全国35都道府県38会場で相談会を開いて、3か月集中的に多くのどもる人に出会った。その時、吃音に悩む人だけでなく、どもりながら豊かに自分らしく生きている人とたくさん出会った。自分の経験からも、どもっていれば吃音に困り、悩んでいるはずだと思っていた先入観が崩された。

 ほとんど吃音が目立たないのに、非常に悩んでいる人。かなりどもっているのに、平気で生きている人。吃音の苦労や悩みは、吃音の症状とは正比例しないことも実態調査で知った。吃音のコントロールができなくても、自分の人生を生きることはできる。いつまでも、流暢に話すこと、どもらず吃音をコントロールすることにこだわるより、吃音と共に生きる覚悟を決めた方がいい。そして、「治す努力の否定」を提案したのだった。

 その後、34年間の取り組みの中でも、吃音のコントロールをしなくても多くの人がどもっていても、日常生活に支障なく生活ができるようになっていった。そして、自然に吃音そのものも変わっていった。吃音にあまり悩まなくなり、話すことから逃げなくなり、充実して生きる人に、吃音のコントロールは必要がないだろう。

終わりに 

日本のことばの教室の実践のすばらしさ

 法然の「聖道門・難行」と「浄土門・易業」にあやかって、吃音コントロールがいかに難しいものであるかを明らかにしたかったために、日本のことばの教室の素晴らしい実践について触れられなかった。近年、日本のことばの教室は、「吃音の治療・改善」の難しさに目を向け、治すことにこだわらない実践をしている所も少なくない。

 治すことよりもどもる子どもの自己肯定に注目する研究も出てきた。私の知る限り、子どもの吃音の学習や、表現力を高める実践など、日本の実践はすばらしいと私は考えている。

 アメリカの方法が紹介されることで、やはりことばの教室では、スーパーフルーエンシーの指導ができなければダメな臨床家だと思わないで欲しい。せっかくのいい実践から吃音コントロールに向かわないで欲しいと願うばかりだ。

 長年の吃音研究を誠実に続けてこられた、水町俊郎愛媛大学教授との共著で、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)を出版した。

ことばの教室への応援歌

ひとりひとりの子どもを大事にし、国語教育で《読む・話す・聞く・書く》を適切に指導でき、どもる子どもが悩んだ時、養護教諭などとも協力して適切に対応できれば、特別にことばの教室に通う必要はないのではないか。大阪教育大学・言語障害児教育教員養成過程の教員で、ことばの教室の教師を養成する立場にありながら、私はそう考えていた。

 私が、担任教師から不当な扱いを受け、それが吃音に悩む原因となっただけに、担任教師にどもる子どもの味方になってほしいという願望と期待がより強かったのだと思う。しかし、それはたやすく実現できるものではなかった。家庭の教育力は落ち、子どもを取り巻く社会状況は年々悪化している。教育現場でも、個人が大事にされているとは言い難い。

 『小学生の3人に1人は自分が嫌い』とは、大がかりな自己意識調査の結果だ。従来、諸外国に比べ、日本の子どもは自己評価が低いと言われてきたが、この調査の当時よりさらに悪化しているだろう。(1996年3月、幼少年教育研究シンポジウム・大阪)

 自分が嫌いだという子どもがこれほど多いのは、学校教育システムが子どもの自己概念を破壊し、無力化させているからだとはいえないか。この通常学級の現状の中で、私が求めたどもる子どもへの対処は期待できるだろうか。私は今、かつての考え方から大きく変わった。

 ことばの教室こそ、日本の教育を変える突破口になるのではないかとさえ思う。

 ことばの教室は、「自分が好きだ」という子どもを育てる場だと考えているからだ。

 不登校やいじめの問題への対処としての学校カウンセラー制度は、まだ試験的に一部の学校に導入されたにすぎない。しかし、ことばの教室は、全国各地にかなりの数設置されている。

 ことばの教室では、45分間、ひとりの教師がひとりのどもる子どもに、個人を大事にしてかかわる。こんなぜいたくなことはない。どもる子どもは現在の日本の学校教育の中で、恵まれた存在だといえる。吃音の症状を治すのではなく、その子どものもっている悩みに耳を傾け、その子どもの個性を尊重して、「どもっていても自分が好きだ」と言える子どもに育てることは、なんとやりがいのある仕事ではないだろうか。

 しかし、子どもへのこの指導は、ことばの教室だけでできることではない。学級担任のどもる子どもへの適切な対応が不可欠である。学級担任が、どもる子どもに適切に対応できるようになるには、ことばの教室からの、学級担任への積極的な関わりと連携が必要になる。一般的に学級担任は、吃音について無知であり、どのように対応すればよいか戸惑っているのが現状だからだ。

 ひとりのどもる子どもを周りが大事にしていく、通常の学級を巻き込んでの取り組みで、どもる子どもの自己肯定感が高まり、どんどん「自分が好き」になっていけば、その成果は、ひとりどもる子どものものだけでなく、そのクラスの他の子どもにも影響していくことになるだろう。

 「自分が嫌いだ」という他の子どもへの対処にも結びつくはずであり、ことばの教室は、日本の教育を根本から変えていく可能性を秘めている。

 この取り組みは、単に吃音症状の消失や改善を目指す取り組みよりも、はるかになすべきことは多い。ことばの教室で何ができるか、一緒に考え、実践をしていきたい。

(「スタタリング・ナウ」NO.22  1996年)

子どもとの対話の7つの視点

生きるということは、対話に参加することなのだ。問いかける、注目する、応答する、同意する等々。こうした対話に、人は生涯にわたり全身全霊をもって参加している。眼、唇、手、魂、精神、身体全体、行為でもって。

  言葉にとって(したがってまた人間にとって)応答がないことほど、恐ろしいことはない。

(『生きることとしてのダイアローグ~バフチン対話思想のエッセンス~』桑野隆 岩波書店)

 ロシアの思想家ミハイル・バフチン(1895~1975年)のことばが、今ほど身に染みて感じ取れる時代はないだろう。バフチンのいう「恐ろしいこと」が現実に起こっているからだ。

 2019年、中国武漢から始まった新型コロナウイルスのパンデミックに対する日本政府の対応がそうだった。専門家との対話をないがしろにし、国民との対話は拒否までした。この対話がなかったことが国民の不安をあおり、一斉休校などの愚策で自粛生活に陥り、日常生活を壊された人々は少なくなかった。

 また、国家と国家との間の対話のなさが、まさかロシアのウクライナ侵攻になろうとは、ほとんどの人には想像すらできなかったことだろう。ウクライナの人々の平和を簡単に壊してしまった。

 今、バフチンの対話論が再評価され、さまざまな分野で応用されている。特に今回紹介するオープンダイアローグの基礎的理論になっている。

 「対話とは、生きることそのもので、対話する他者と共に、自分が変わっていくことだ」とする、バフチンの対話論は、私たちがセルフヘルプグループで体験してきたことだ。1965年の夏から始まった私の対話の旅は、まず同じようにどもる仲間との対話に始まり、自己内対話へと発展した。さらに吃音との対話が加わって、「吃音を治す努力の否定」の立場に立った。そして、吃音は治らなかったものの、明るく、よりよく生きる仲間が育ったことを評価したことが、「吃音をもったままの生き方を確立しよう」と、全国の仲間に呼びかける「吃音者宣言」につながった。

 この動きは吃音に限ったことではなかった。病気や障害に対する治療や向き合い方に大きな変化が起きていたのだ。病気の原因やメカニズムを明確にし、早期発見・治療につなげる「疾病生成的」な見方から、「健康は、いかに回復され、保持され、高められるか」と健康に焦点を当てて、健康状態へ導く健康要因を解明し、健康力を高める「健康生成的」研究や実践への方向転換だ。

 1970年から1980年代にかけて、医療社会学者、アーロン・アントノフスキーが提起した健康生成論が、40年以上の歳月を経て、レジリエンス、オープンダイアローグ、ポジティブ心理学などと連動して、再び、注目されている。

 どもる人のセルフヘルプグループが、当初の「吃音を治す」から、「吃音と共に、心豊かに生きる」へ方向転換をした道筋が、健康生成論で説明できるようになったのは、ありがたいことだった。吃音の世界で私たちが考え、実践してきたことは、私たちだけのことではなく、病気や障害、さらには健康な人の生き方をも含めて説明できる、共通言語を得たことになるからだ。

 7月30・31日に開催する、第9回「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」では、テーマを「対話っていいね」とし、子どもと対話するときの7つの視点を提案することになった。第1回の「吃音否定から吃音肯定へ」から、一貫して対話的アプローチを提案し学び続けてきた。そして、これまで学んできた7つの視点を紹介し、それを関連づけて、構造化するのが今回の試みだ。

 健康生成論を軸に、子どもとの対話をしていく姿勢として、オープンダイアローグがある。子どもの否定的物語を、肯定的な物語に書き換える共著者となるために、ナラティヴ・アプローチがあり、その結果としてレジリエンス、強みに気づくことがポジティブ心理学でいう幸せに結びつく。 これらを従来の講習会より、さらに対話の要素を取り入れた形式で、参加者と共に学び合っていきたい。バフチンのいう、「他者と共に、自分が変わっていく」講習会にしたい。 

   1 健康生成論

 1970年~1980年、医療社会学者のアーロン・アントノフスキーは、16歳から25歳で第二次世界大戦の時のアウシュビッツの強制収容所を体験し、その後何年も難民生活や3度の中東戦争を経験した、更年期の女性の健康度を調査した。約7割に健康に問題が見られたが、3割は想像を絶する過酷な体験をしたにもかかわらず、心身の健康を保ち、前向きに生きていた。

 その彼女たちにインタビューをして検証し、共通した特性としてSOC(Sense Of Coherence=センス・オブ・コヒアレンス、首尾一貫感覚)に注目した。

健康生成論の考え方とSOC

 「自分の生きている世界は首尾一貫し、筋道だち、納得できる」が、SOC(首尾一貫感覚)だが、アントノフスキーは、それは3つの要素からなると説明した。

■把握可能感 自分の置かれている状況や今後の展開を把握し、説明できる

■処理可能感 自分に降りかかるストレスや障害に、自分や外部の力を使えば対処できる

■有意味感 自分の人生や自身に起こることに意味があると感じる

 この感覚は、先天的なものではなく、後天的に高められる。何かの問題に直面した時、問題の原因を「3つの感覚」で説明でき、困難に立ち向かうモチベーションが高まるという。

 確かに、2019年末、中国武漢から始まった新型コロナウイルスの問題の説明ができる。

 当初、ウイルスの正体が分からなかっために専門家も政府も右往左往していた。それが、感染者の拡大で研究が進み、把握可能感をもてたとき、ワクチンが開発され、「三密を避ける・マスク着用」などが提案され、処理可能感が高まった。対処方法が完全でなくてもみんなが守ることが、自分も周りも守れるとの有意味感を多くの人が共有したことが、沈静化につながった。

SOCを高める良質な経験

 アントノフスキーは、人々の健康度を「健康-病気の連続体」の直線の軸上のどこかに位置づける。人は、「健康」と「病気」の間を行き来しているため、病気へ追いやる圧力が強いと病気になり、病気へのリスク要因に抵抗する力が強いと健康になる。健康には、SOC(首尾一貫感覚)の3つの感覚を高める必要があり、そのために、良質な3つの経験をすることを提案する。

①一貫性のある経験→把握可能感

 規律やルールの責任の所在に一貫性があり、価値観が一致する環境で経験をすることは、自分の置かれている状況が理解しやすく、見通しもつく。

②負荷のバランスのとれた経験→処理可能感

 たやすく乗り越えられる軽いストレス経験は、成長が期待できない。しかし、ストレスが大きすぎると、押しつぶされる。少し無理をして挑戦すればできる、適度なストレスのある課題に挑戦する経験が、「私もできる」の処理可能感につながる。

③結果形成への参加経験→有意味感

 自分や社会に意味ある結果が起こった時、それに自分が参画していると感じる経験をすると、自分の努力には意味があったと感じられる。課題に取り組むことに責任を持ち、何をするか決める時に自分の意見が取り入れられれば、これらの経験が有意味感につながる。

SOCは対処資源の動員力 処理可能に必要な資源

■自分自身の資源…強い体力や、病気に対する抵抗力のある体質。情報、知識や知性。合理的で柔軟性のある思考。宗教や哲学。

■外にある資源…助けてくれる人や組織、制度。情報をくれる人や機会。心を癒してくれる仲間や場所。資金、住居、食事等、サービスの利用の可能性。決断や行動を後押ししてくれるメンター。ソーシャルネットワークやソーシャルサポート。

 これら資源を活用するにもSOCが必要で、高い質の資源の活用で良質な人生経験ができる。

 SOCは、学童期、思春期に育つと言われている。私たちは成人になってから、セルフヘルプグループの中で、SOCを育てることができた。把握可能感、処理可能感、有意味感が育つために、親や教師のできることを一緒に考えていきたい。

 

   2 オープンダイアローグ

 オープンダイアローグは、フィンランドの西ラップランド地方のケロプダス病院の家族療法を専門とする臨床心理士、ヤーコ・セイックラ(ユバスキュラ大学教授)が中心になって開発された。 薬物治療しかなかった、統合失調症などの精神疾患に、本人や家族から依頼があれば、24時間以内に家族療法の専門家スタッフでチームをつくり、本人を中心に家族との対話を開始する。これを毎日、10日間前後行うことで、入院せず、地域で生活できるようになった。入院と薬物治療が中心の日本の精神医療の世界は、この治療成績に衝撃を受け、“魔法のような治療”だと、当初は半信半疑だった。その後、フィンランドでの研修や、スタッフを招いての講演やワークショップに大勢の専門家が参加した。精神医療の新しい可能性があるとして、今、多方面で注目を集めている。

 日本で精力的にオープンダイアローグを紹介している精神科医の斎藤環は言う。

 「優れた臨床家の多くが、強い関心を示す。これまで長い歴史のなかで蓄積されてきた、家族療法、精神療法、グループセラピー、ケースワークの多領域にわたる知見や奥義を統合したような治療法だ。経験を積んだ専門家ほど、手法と思想を聞いて「これは効かないほうがおかしい」と感じる。「開かれた対話」には確たる手応えがあった」

 このオープンダイアローグの取り組みや効果は、吃音やアルコール依存症のセルフヘルプグループのミーティングや、北海道浦河のべてるの家の当事者研究に似ている。

 私が1965年の秋に創立した、セルフヘルプグループで毎週行ってきたミーティングが、オープンダイアローグであったと言えるだろう。目標を定めずに、ひとりひとりの物語に耳を傾け、レスポンスを返し、対話を続けた。その中で、吃音は「症状」の問題ではなく、吃音を否定することで行動や、思考、感情にマイナスの影響が出ることを理解した。統合失調症の人たちが地域で生活ができるようになったように、吃音を認めることで、「話すことの多い仕事には就けない」とあきらめていたどもる人が教師や看護師になっていった。

 言語訓練をせずに、対話だけの力で、吃音の問題は解消し、吃音とともに豊かに生きることができるようになった。これは、開かれた対話を続けてきた力で、統合失調症が、入院もせず、薬物も使わずに回復したという、オープンダイアローグの成果と同じだろう。

 提唱者のセイックラは、オープンダイアローグが「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」だと強調する。この対話に対する考え方も私たちとほぼ同じだ。オープンダイアローグが大切にしている基本は次の3つのことだ。

・対等性 すべての参加者の発言は対等に尊重される。「本人抜きでは何もしない」。

・応答性 どんな発言にも速やかに応答し、対話を進める。発言者の言葉を使い、しぐさや行動、表情などのメッセージを受け止め、対話を進める。

・不確実性への耐性 最初から「診断」はせず、最終的な結論が出されるまでは、あいまいな状況に耐えながら、病気による恐怖や不安を支える。

 統合失調症患者は病的なモノローグ(独白)に陥りやすく、そこから開放することを目標とする。モノローグ(独白)をダイアローグ(対話)に開くために、対話するが、ルールがある。

○本人抜きではいかなる決定もなされない。

○治療対象は最重度の統合失調症を含む、あらゆる精神障害をもつ人。

○危機が解消するまで、毎日でも対話をする。

○テーマは事前に準備しない。スタッフ限定のミーティングなどもない。

○幻覚妄想についても突っ込んで話す。

○クライアントの発言すべてに応答する。

 

 オープンダイアローグの対話の哲学と、対話の姿勢は、子どもと対話をするときに活用したい。

   3 ナラティヴ・アプローチ

 オーストラリアの 精神科ソーシャルワーカーのマイケル・ホワイトとニュージーランド の文化人類学者のディヴィッド・エプストンが、1980年代後半に始めた。「社会の様々な事象は人々の頭の中で作り上げられたものである」とする、社会構成主義の立場をとる。現実も客観や本質によるものではなく影響を受けて変わり得るものであり、人々の間で言葉を介して構成されていると考える。

 ナラティヴ・アプローチの「ナラティヴ」は、「物語」「物語る」の意味で、「ナラテイヴ・アプローチ」とは、次のようなものだ。

 「その人が問題ではなく、問題が問題だ」

 「困難や問題を抱える本人が物語るストーリーが、その人の人生を形作っている。ストーリーの改訂のために、好ましい素材を一緒に探し、新しいストーリーを共同で再著述するアプローチ」

 

 こうとらえる、ナラティヴ・アプローチは、吃音が問題ではなく、吃音からくるマイナスの影響こそが問題だという、吃音氷山説の考え方と同じだ。吃音が問題だとすると、言語訓練で「吃音症状」の軽減をめざすしかないが、吃音によるマイナスの影響が問題だとすると、自分自身の行動や思考、感情は変えることができる。その取り組みに参考となる理論や技法として、論理療法やアサーションを活用してきた。

 ナラティヴ・アプローチの基本的な技法の「外在化」は、自分と吃音を切り離し、吃音は、自分の内部ではなく、外にあるものとしてとらえる。そして、吃音に「どもり君」などと名前をつけ、「どもり君」がどもらせたり、話すことから逃げさせたり、自分を消極的にさせたりするなどと、子ども自身が「どもり君」と対話をするのを見守る。

 「どもり君」の影響をあまり受けていない経験を見つけるため対話を繰り返し、「どもるから~できない」ではなく、「どもりながらも~できる」のオルタナティヴ・ストーリー(吃音に支配されていない物語)に書き換える。

 吃音は学童期に内面化し、劣等感を強めるため、自分の内面にある吃音を自分の外に出し、客観的に見る「外在化」に取り組むことは意味がある。

 ことばの教室では教材を使っての取り組みがある。たとえば、言語関係図を一緒に作る。立体を描くことが難しい子どもはブロックを使って、吃音の問題を外に出す。自分の吃音を外に出し、かたちあるものとしてとらえると、取り組みやすくなる。また、どもりカルタ、絵本などを使って、自分の吃音、吃音から受ける影響について、対話を続けている。最近は、自分の吃音をキャラクターとして表し、その「吃音キャラクター」と対話をする実践が取り組まれている。吃音は敵で、悪者のキャラクターだったのが、対話を重ねるうちに、怖くなくなり、吃音が自分を助けてくれる友だちのようになるという物語に変わっていく。これまでの吃音に対する否定的なナラティヴが、これからも吃音とつきあっていけるというナラティヴに変わっていく。

 私は小学2年の秋に「吃音は悪い、劣った、恥ずかしいものだ」との物語をかたることで吃音に強い劣等感をもち、吃音を隠し、話すことから逃げることでさらに悩みを深めた。さらに、「吃音は治る。治さないと大変なことになるの言説で、自分の人生を見失った。親や教師には、吃音否定の物語を、肯定的な物語に、子どもが書き換える共著者になって欲しいと願っている。

 

   4 レジリエンス

 レジリエンスは、物理学用語で、弾力性や回復力と訳される。ボールを押すとへこむが、離したらぐっと跳ね返る。ぐっと圧力がかかるものがストレスで、そのストレスに対してはね返す力がレジリエンスだ。日本では、柔軟なものは頑強なものよりもよく堪えることの例えに「柳の枝に雪折れ無し」と言われる。強さよりはしなやかさだ。

 「暴力や養育放棄、虐待を経験した子どもが、その困難や苦しみの連鎖から抜け出し、心ゆたかな大人に成長し、良い親になっていくのをみたとき、あの子たちは、いったいどうして、こんなふうになれたのだろう?」

 この現場の素朴な疑問から、レジリエンス研究は始まった。

 アメリカの心理学者ウェルナー等は、ハワイ諸島のカウワイ島で、貧困、暴力など劣悪な環境で育った、1955年に出生した698名を長年にわたって追跡した。そして、3分の2には脆弱性が見られたものの、3分の1は能力のある信頼できる成人になったと報告した。この健康な人たちには、「逆境を乗り越えるか、PTSD(心的外傷後ストレス障害)となる可能性のあった苦難から新たな力で勝ち残る能力、回復力がある」として、弾力・回復・復元力を意味する「レジリエンス」が備わっていると表現した。精神医療の世界では、環境に恵まれない、トラウマを負った子どもたちのレジリエンスをいかに引き出すかに注目している。

 日本でも、2011年3月11日の東日本大震災の危機的状況を生き抜く子どもたちの姿に、レジリエンスを見てとれる。トラウマ体験を経験した人の全員がPTSDを起こすわけではなく、PTSDの深刻度や回復過程も人によって異なることに注目が集まるようになった。従来は、「障害や逆境がどのように不適応などの問題を引き起こすか」のマイナス面の研究が中心だったのが、「障害や逆境にも関わらず、障害や逆境をばねにして成長している人もいるが、それは何があるからなのか」のプラス面の研究が始まった。

 トラウマ経験や障害がなくても、私たちの毎日には「嫌なこと」「うまくいかないこと」が常に起こるが、「ちょっとしたストレス」を上手に乗り切って、私たちは暮らしている。ストレスを「上手に乗り切れる人」もいれば、「乗り切るのに苦労する人」や「立ち往生してしまう人」もいる。その違いはストレスの性質や強さの他に、その人のレジリエンスによると考えられる。

 個人のレジリエンスとはどういう要因からできているのか。どうしたら高められるか、ポジティブ心理学が広がったことと関連して、「日常的なレジリエンス」の研究も増えている。

レジリエンスをつくり出すもの

 虐待体験を乗り越えた25人の成人に面接を行ったウォーリン夫妻は、『サバイバーと心の回復力―逆境を乗り越えるための7つのリジリアンス』(金剛出版)の中で、ダメージを与える可能性のある問題の多い家庭の中でも自分を「保護する因子」とも言える特性を7つに整理する。

 

洞察:難しい問題について考え、誠実な答えを出す習慣。

独立性:問題のある家族と自分自身のあいだに境界線を引くこと。自分の良心からの要求を満たしながらも、情緒的かつ身体的な距離を置くこと。

開係性:他の人々との親密で、充足的な絆。

イニシアティブ:問題に立ち向かうこと。コントロールすること。労の多い課題によって、自分自身を強化し試していく傾向。

創造性:悩ましい経験や痛ましい感情の混沌に、秩序、美しさ、目的を持ち込むこと.

ユーモア:悲劇の中におかしさを見つけること。

モラル:よい人生を送りたいという希望を全人類にまで拡大していく良識。

 

 アメリカ心理学会は、レジリエンス育成の10の要因をあげている。 

①他者との関係性を築く

②危機を乗り越えられない問題だとは捉えない

③変化を生活における一部分として受容する

④目標に向かって進む

⑤断固とした行動を取る

⑥自己発見の機会を求める

⑦自分に対してポジティブな認知をもつ

⑧事実を全体像の中で捉える

⑨希望に満ちた見方をもつ

⑩自分自身を大切にする

 

   5 当事者研究

当事者研究のはじまり

 北海道・浦河のべてるの家では、入院や薬で管理されていた統合失調症の人々が投薬を減らすなどで、病院から社会に出ていくことを「苦労を取り戻す」と表現する。社会で生活する中での困難や生きづらさの体験や成功体験をテーマに、仲間や関係者と一緒に、その人に合った「自分の助け方」を見出そうと、2001年初頭から始められた。

 2011年秋、べてるの家の向谷地生良さんを講師に、吃音ショートースという3日間のワークショップを開いた。そこで、向谷地生良さんは、当事者研究が大切にしていることを次のように話した。

①当事者自身が生活していく中で出会うさまざまな「苦労の主人公」になること。

②どんな困難な状況も、その場と自分、仲間の経験の中に、困難を解消する大切な知恵が眠っていると考えること。

③当事者自身が仲間と共に、関係者や家族と連携しながら、常識にとらわれずに「研究する」視点に立って語り合い、時には、図(絵)や演技を用いてできごとや苦労の起きるパターンやしくみ、抱える苦労や困難の背後にある意味や可能性を見出す過程を重視すること。

④前向きな(自律的な)試行錯誤を重ねる中で、即興的(偶然性)に生まれるユニークな理解やアイデアこそが“自分の助け方”の重要な発見につながる。

⑤研究活動によって見出された理解や手立てを現実の生活の中に活かすことや、仲間と分かち合うことを大切にすること。

⑥単なる「問題解決」の方法ではなく、「問題」と思われているできごとに向き合う「態度」「とらえ方」「立ち位置」の変更や見極めを基本とし、問題が解決されないままでも、「解消」される可能性を視野に入れること。

当事者研究の理念

①弱さの情報公開 「弱さ」や「苦労」を持ち寄ることで、つながりや信頼と助け合いが生まれ、新たな知恵が創出される。「弱さ」は、大切な生活情報、分かち合うべき共有財産になる。

②自分自身で、ともに 人に心配され、管理される暮らしではなく、苦労を大切なものと考え、「自分の苦労の主人公」になろうとする。

③経験は宝 どのような失敗や行き詰まりの体験も、未来につながる大切な資源で、今の苦労や困難を解消する知恵とアイディアが眠っている。分かち合い、研究することで有用な経験となる。

④“治す”よりも“活かす” 苦労(病気)の中には、回復に向かわせようとする大切なメッセージがあり、苦労(病気)も回復を求めている。

⑤“笑い”の力 - ユーモアの大切さ 当事者研究の場には、不思議と笑いとユーモアが溢れている。「ユーモアは、にもかかわらず笑うこと」で、苦しい現実から距離をとり、苦労に打ちひしがれないために人間に供えられた力だ。

⑥いつでも、どこでも、いつまでも いつでも、どこでも、いつまでも、自分なりのやり方で自由自在に行うことができる。行きづまりを感じたときだけでなく、上手くいった時でも、ちょっと立ち止まって「研究してみよう!」と考える。

⑦自分の苦労をみんなの苦労に 「自分だけだ」と思っていた苦労が、仲間と同じ苦労だと知った時、私たちは安心する。みんなの苦労を、ともに担うとき、そこに絆が生まれ、自分の苦労が人の役に立つ喜びを感じることができる。

⑧前向きな無力さ 目の前の苦労に対しては、誰もが無力であり、先入観や常識にとらわれずに、互いに知恵や情報を出し合いながら、「新しい自分の助け方や理解」を生み出すことを大切にする。

⑨“見つめる”から“眺める”へ 自分ではなく、研究素材の自らの体験を、別なものに置き換えたり、苦労のデータを出し合い眺める。対話を重ね合いながら、苦労の起き方のパターンやその意味を自由自在に考える。その作業で、「とらわれていること」が「興味のあること」に、「悩み」が「課題」に、「孤立」が「連帯」へと変わっていく。

⑩言葉を変える、振る舞いを変える 自由自在に、言葉が行き交い、交わり、出会う中で、“新しい言葉と自分の助け方(振る舞い)”が生まれる。“自分を語る言葉”と“振る舞い”が変わると、過去の体験や目の前の苦労が、意味のある経験へと変わる。

⑪研究は頭でしない、身体でする 「頭」で考える以上に「足」を使って行動し、「身体」を使って表現して、さまざまな経験を重ねながら、人と出会い、場に立つ。ストレッチや表情や姿勢を変えるだけでも物の見え方や感じ方が変わる。

⑫自分を助ける、仲間を助ける リストカット、爆発などの苦労や、症状も、何らかの圧迫や苦しさから自分を解放しようとする「自分の助け方」のひとつと考える。しかし、その助け方の効果は一時的で、人間関係がこわれたり、さらに傷ついて後悔する“副作用”がある。誰もが安心できる、より有効な「新しい自分の助け方」を仲間の力を借りていっしょに探る。生まれたアイデアが、同じ困難を抱える仲間を助ける。

⑬初心対等 ベテランや初心者の区別はない。今までの研究を活かしながらも、初心に立ち返り、仲間の大切な経験や発想に学びながら進む。一人ひとりの研究テーマの前では、誰でも対等であり「自分の苦労の専門家」として尊重される。

⑭主観・反転・“非”常識 その人自身が見て、聴いて、感じている世界を尊重し、ありのままに理解する。その人の生きる世界に降り立ち、わかちあい、苦労に寄りそいながら、新しい生き方のアイデアを一緒に模索する。常識を反転(悩み方がうまい、いい苦労をしてい)させることで、苦労が実は大切な意味や新しい可能性が見えてくる。

⑮“人”と“こと(問題)”をわける 「人とこと(問題)」を分けて考えることで、問題を抱えた人も、「問題な○○さん」から「問題を抱えて苦労している○○さん」に変わる。分けて考えることで、研究が促進され、人の評価から自由になる。それは、人間の存在価値は、失敗や成功、問題の大小によっては損なわれないと信じるからだ。

 どもる子どもの場合、学校生活の中での課題に「当事者研究」の考え方で研究を進めることができる。自分の課題のすべてを親や先生に丸投げするのではなく、自分自身が主人公になり、自分の課題に取り組む。子どもの頃、失敗する前、傷つく前に、周りの人間が手をさしのべ過ぎることは、困難な場面に直面したとき、サバイバルしていく、生きる力が育つことを困難にする。吃音は、年齢を重ねるにしたがい、ライフステージの変化によってどもる状態も、悩みも、困難な状況も変わる。そとき、自分の困難を自分で研究する「当事者研究」で対処できれば、「逆境を生き抜く力」であるレジリエンスが育っているということになる。

 ことばの教室で、からかいの問題などを一緒に研究し、対処法を探ることが、その後の生活に活きてくる。

   

   6 ポジティブ心理学

 臨床心理学が精神的に病んでいる人が対象なのに対し、ポジティブ心理学は、通常の健康状態にある人が、「どうすればもっと幸せになれるのか」を追究する。ネガティブを排除してとにかく明るく前向きになろうとする、いわゆる「ポジティブシンキング」とは一線を画す。

 ポジティブ心理学は、ポジティブもネガティブも両方認め、現実的な視点に立つ。構成する要素に、レジリエンスがある。ポジティブ心理学は、「幸せの研究」とも言え、幸せに近い英語に「ウェルビーイング」がある。ポジティブ心理学がいうウェルビーイングは「心身ともに充実した、よりよい状態」を指し、ポジティブ心理学が目指す姿だ。

 ポジティブ心理学の創設者・マーティン・セリグマンは、1998年にこう講演した。

 「薬とセラピーは一時的な症状緩和にすぎず、治療が終われば症状の再発が予想されることを伝える必要がある。セラピーの一部として、症状とうまくつき合い、症状があってもうまく機能するための訓練に真剣に取り組むべきだ。苦しみが緩和されたときに治療を終えるべきではない。ポジティブ心理学の具体的なスキル、ポジティブな感情、エンゲージメント、意味・意義、達成、人間関係の5つの要素を得る方法を学ぶ必要がある。治癒のためのスキルとは異なり、ポジティブ心理学のスキルは自分で継続していける」

 アメリカン・サイコロジスト誌は2000年、2001年にポジティブ心理学の特集を組み、2002年にはハンドブックも出版され、心理学研究の中で注目されるテーマになっていった。

 また、マーティン・セリグマンは、『ポジティブ心理学の挑戦』(ディスカバー・トウェンティワン)の序文にこう書いている。

 「私は、苦痛を和らげ、人生を台なしにする病気を根絶するという、心理学の目標のために取り組んできたが、従来の心理学、病気への対処は、魂の苦悩となることがある。心の健康状態を向上させようと、治療者は取り組むが、心を健康にはできない。1998年、私はアメリカ心理学会(APA)の会長として、心理学の従来の目標に新しい目標をつけ加えるよう呼びかけた。

 「何が人生を生きるに値するものにするのかを探究する。生きるに値する人生を可能とする状態を築き上げていく」という目標だ。人間のウェルビーイング(よいあり方)を理解し、よい生き方を可能とする状態を築くという目標は、人間の苦悩を理解し、人生を台なしにする状態を解消するという目標とは違う」

          

 マーティン・セリグマンは、幸せのための五つの条件として、「PERMA(パーマ)」を挙げた。

・Positive Emotion (ポジティブ感情)

  前向きな感情やよいフィーリングで、多くのポジティブな感情を持つと人生をよりよいものにできる。

・Engagement (エンゲージメント)

  今の活動に没入することで、 何かに没頭して、他のことをすべて忘れて集中している状態をより多く体験することが幸せにつながる。

・Relationships (関係性)

 周りの人々と本質的につながっていることで、人間が生きていく上で、他者とつながっていることは、生きるために欠かせない。

・Meaning (意味・意義) 

 自分の人生に意味を見出していることで、困難があっても立ち直りが早く、病気になっても、「これを成し遂げるまでは頑張る」と思える。

・Achievement (達成) 

 何かを成し遂げ成功した感覚で、目標を達成できたら、大きな充実感があるという力強い幸せ。

 

 ポジティブ心理学の取り組みのひとつに、強みを生かす取り組みがある。子どものもっている「強み」を対話を通して発見、確認し、その「強み」を活かして日常生活を送ることを励ます。

 自分の強みを知って、それに従うことには以下のような効果がある。

●人生への洞察力や展望が養われる 

●ストレスを感じにくくなる

●楽観性やレジリエンス(回復力)が生まれる 

●方向性が明確になる

●自信や自尊心が高まる 

●生命力やエネルギーが高まる 

●幸福感や充足感が生まれる

●目標を達成しやすくなる 

●仕事への集中力が高まり、能力を発揮できるようになる

 強みとして次のような項目が挙げられる。

【知恵と知識】創造性、独創性、創意工夫、好奇心、興味関心、経験への積極性、知的柔軟性、判断力、批判的思考力、向学心、大局観

【勇気】勇敢さ、勇気、忍耐力、我慢強さ、勤勉さ、誠実さ、純粋さ、正直さ、熱意、情熱、意欲

【人間性】愛情(愛し愛される力)、親切心、寛大さ、社会的知能、情動知能、対人知能、チームワーク、社会的責任感、市民性、公平さ、リーダーシップ

【節制】寛容さ、慈悲心、慎み深さ、謙虚さ、思慮深さ、慎重さ、注意深さ、自己調整、自己コントロール

【超越性】審美眼(美と卓越性に対する鑑賞能力)、感謝、希望、楽観性、未来志向、ユーモア、遊戯心、スピリチュアリティ、宗教性、信念、目的意識

強みにもとづく子育て

 私たちの誰もが、強みを持ち、誰も特別な才能(身体的、精神的、社会的、技術的、創造的な才能)がある。性格上のポジティブな特徴(勇気、親切、誠実)がある。子どもが持つ才能と性格の強みを、子ども自身が気づくようにすれば、子どもは変わり、親や教師も変わる。自分をしっかりと持った子どもは、自分の強みを活かすと同時に、弱点にも取り組める。自分がどういう人間かを認識しているために、揺るぎない自己を持ち、自分の性格の改善が必要な部分を認めて、その改善に取り組める。強みを大切にすることは、弱点を見て見ぬ振りをすることではない。大きな視点で強みと弱点を捉え、ふたつにアプローチする。

強みにもとづく子育て・教育の実践度を知る  

○子どもの性格、能力、才能、スキルの強みをすぐに見つけられる

○好きなこと、得意なことを知っている

○最も重要な強み、熱中する活動を知っている

○上手な活動を知り、強みを発揮する機会を与えている

○得意なことをするよう、強みを発揮するよう励ましている

○いろいろな状況で強みを発揮する方法を、積極的にわが子に教えている

○楽しめる活動をするよう、励ましている

○強みを発揮するよう、励ます方法を考える

○熱中できることをするよう、励ましている

   7 心的外傷後成長(PTG) 

 1995年の阪神・淡路大震災を契機にPTSD(心的外傷後ストレス障害)やASD(急性ストレス障害)等の心的外傷後の障害の理解が進み、対応や治療の研究や対応の実践が広がった。

 2011年3月11日の東日本大震災と、福島第一原子力発電所の事故の広範で多数の被災者の心の問題への対応に生かされている。心的な外傷を生じさせるような過酷な体験をすると、すべてがストレス障害を引き起こすという思い込みもある。

 しかし、アメリカ精神医学会の精神疾患に関する診断基準、DSM-IV-TR(2004年)では、PTSDの発症率は30~50%で、発症しても病状の経過には大きな個人差があるという。PTSDを発症しても、PTG(心的外傷後成長)が起こる場合もあり、PTSDを発症せずにPTGに至る場合もある。どういった人が、どういう場合、どのような時期に、PTSDを発症し、PTGを生み出すのかの研究がある。

 人は誰でも、誕生の外傷体験を乗り越えて成長を遂げ、PTGを生まれながらに体験しているといわれている。日々の生活も、ストレスはつきものだ。受験や競争、過密な都市生活の社会的なストレッサーも過酷だ。人間関係の心理的なストレスも問題で、困難やストレスを乗り越えながら生きている。きわめて身近で現代的なテーマだ。

PTSD研究からPTG研究へ

 1960年代以降ベトナム戦争の帰還兵のPTSDに、1980年代に入ってからPTGについての研究が始まっている。PTGとは、心的外傷を負うようなつらい体験のなかから、より人として成長していくことだ。2006年には、研究の集大成としてハンドブックが出版されるなど、アメリカではすでにPTGについての一定の研究成果が蓄積されている。

 「困難な人生の苦しみこそが、人を変え成長させるという考え方は、時として非常にポジティブなものだが、なにもそれは社会学者や心理学者あるいは臨床家によって“発見”されたわけではない。(中略)、少なくともある人々にとっては、大きな受難や喪失といったトラウマとの遭遇が、個人の大きなポジティブな変化を導く」

 つらい経験をしている人に、その体験を糧に成長を期待したり、促すことは、さらにその人を傷つけることにもなり得るので控えるべきだ。しかし、現実には成長する人がいることを知っていることは有益だ。時には、そのような人がいることを子どもと話し合うことは意味あることだと思う。

 吃音に悩んだからこそ今の私があるという、どもる子どもや成人は少なくない。

 

【文献】 7つの視点について、読みやすい一冊だけを挙げる。

1 『健康の謎を解く』アーロン・アントノフスキー(有信堂)

2 『オープンダイアローグとは何か』斎藤環(医学書院)

3 『どもる子どもとの対話ーナラティヴ・アプローチがひきだす子どもの物語る力』伊藤伸二・国重浩一(金子書房)

4 『レジリエンスの心理学』小塩真司他(金子書房)

5 『吃音の当事者研究-どもる人たちが「べてるの家」と出会った』向谷地生良・伊藤伸二(金子書房)

6 『ポジティブ心理学の挑戦』マーティン・セリグマン(ディスカヴァー21)

7 『PTG心的外傷後成長』近藤卓(金子書房)