80歳になりました

 今日は、4月28日、僕の80歳の誕生日です。
 何の根拠もなく、63歳で野垂れ死にをするという、それも金沢の香林坊で、そんな予想をしていたのですが、思いがけず、長生きをしてしまいました。63歳の根拠はないのですが、野垂れ死にには根拠がありました。吃音に深く悩んでいた学童期、思春期、社会で働いているイメージが全くもてませんでした。どもる僕が、どんに仕事にも就けないと思い込んでいました。仕事に就けず働かないのですから、当然、行き着くところは野垂れ死にです。
 それが、21歳の夏、僕を愛してくれた初恋の人のおかげで「どもれない体」から「どもれる体」になって、パッと道が開けました。家が貧しかったこともあって、様々な職種のアルバイトをしました。その結果「どもるからといって、できない仕事は何ひとつない」と確信をもつことができました。そして、いい風に吹かれて、流れに逆らわず、吹かれるままに生きてきました。だけど、まさか80歳の誕生日を、健康な体で迎えられるとは、僕自身が一番驚いています。著名人が、何人も、70代で亡くなっているニュースを目にするたびに、重度糖尿病の僕がここまで生きてこられたことは、奇跡に近いことです。おまけのような、付録のような現在です。これまでもそうでしたが、自由に、我がままに生きてもいいだろうと思い、嫌なことはせず、自分のしたいことだけをしようと、終活を続けています。
 脳の衰えは全く感じませんが、身体はそれなりに年相応になってきました。速くは走れません。走る必要もないので、何の支障もありませんが。ゆっくり歩くと、今まであまり気がつかなかった、木々の緑や花々の豊かな色合いが、目にとまるようになりました。雲の形も、空の色も、ふと足をとめ、眺めることが増えた気がします。同じマンションに住む人とエレベーターなどで一緒になったとき、返事が返ってきそうな人を選んで、ちょっと声をかけるようになりました。そんな人のひとりが、「寝屋川広報」を見たと言ってくれて、ぐっと距離が縮まりました。昨年の11月に「寝屋川広報」で僕の吃音親子サマーキャンプなどの活動が取り上げられ、それを見て話しかけてくれたのです。僕より少し年上の陽気な人です。それまでは、「陽気なおじちゃん」と呼んでいましたが、名前も分かりました。先日は、その人と一緒に、童謡の会に行きました。歌を歌って声を出したいなあと思っていたちょうどそのときに誘ってもらったのです。近くの交流センターには、70代から80代くらいの人たちが15人ほど集まっていました。からだの体操、口の体操、そして、たくさんの歌を歌いました。キーを下げずに原曲のまま歌うので、普段出さないような高い音も出していました。久しぶりに大きな声を出し、気持ちよかったです。
 家では相変わらず、毎月発行しているニュースレター「スタタリング・ナウ」の編集や、書かなければならない文章のために、必ずパソコンに向かっています。本も書評を見て気になったものはすぐアマゾンで購入し、よく読みます。読むこと、書くこと、そして、話すこと、歌うこと、これからも変わらず続けていきます。
 吃音に関しては、まだまだ取り組まなければならないことが多くあります。これまで以上に吃音に集中して取り組んでいきたいです。

 あっという間に5月に入ります。「吃音の夏」が近づいてきました。「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」や「吃音親子サマーキャンプ」など、多くの出会いを楽しみに、今はその準備期間として、充電しています。
 みなさん、よろしくおつき合いください。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/28

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