どもり文化

 どもり文化と題する巻頭言を書いたのは、ちょうど10年前でした。10年前に感じた僕の違和感は、今もそのまま残っています。どもり文化を丁寧に発信し続けていくこと、10年目の節目に、その思いを強くしています。
 「スタタリング・ナウ」2016.3.21 NO.259 より、まず巻頭言を紹介します。

  どもり文化
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 ―ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である―
 このろう文化宣言に出会って私は「どもりの歌を歌いたい」とのタイトルでこんな文を書いた。
 「どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちは、どもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚をもち、自らの文化をもてたとき、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」             

 1965年から50年、私は、楽しく豊かで活力ある吃音人生を走り続けてきた。ところが、昨今の吃音を巡る、吃音と発達障害、障害者手帳取得、障害者年金申請の動きを前にとまどい、走り続けていた私の足は、いっとき止まってしまった。
 旧来からある「吃音を治す・改善する」の動きには、威勢良く切り込むことができたが、今回はそのようなわけにはいかなかった。どもる人たちのセルフヘルプグループがこれを歓迎し、実際に、障害者手帳を取得する動きが広がりそうになっている。吃音に悩んできた本人が、そうとしか生きようがないと、ある生き方を選択したことに、誰が異議を唱えることができようか。すべきことではないだろう。ただ、「本当にそれでいいのか」、「こっちの道もあるではないか」と問いかけることしかできない。しかし、それすらも、大きなお世話で、失礼なことになるのかもしれない。あれこれと考えると、この3か月、毎月書く巻頭言の筆がなかなかすすまなかった。
 それを、新たな歩みへと一歩踏み出すように私を勇気づけてくれたのは、また、「ろうの世界」だった。今号の巻頭言を何度も書き直していたとき、1冊の本が送られてきた。TBSに在職中、私たちの活動を「報道の魂」というドキュメンタリー番組で紹介して下さった斉藤道雄さんからだった。添えられた手紙にはこう書かれていた。

 「近著をお送りします。この本は、ぼくが2008年から12年まで校長を務めた私立ろう学校、明晴学園を起点に、そこから見えてきたことを書きました。手話という、一般にはあまりなじみのない言語と、その言語によって生きるろう者、ろう児と呼ばれる人びとが主人公です。
 日本人の使う言語は日本語だと思っている方に、そうではない「別の日本語」もあるのだということをお伝えしたいと思いました。けれど、それだけではありません。
 生まれつき耳が聞こえないろう児は、いまや多くが人口内耳とよばれる医療技術のもとに置かれています。進歩の著しい耳鼻科の領域ですが、人びとは子どもの聴力の回復に専念し医療技術に頼るあまり、それよりはるかに肝心な(と、ぼくには思えるのですが)言語の獲得、習得を後まわしにしています。音の聞こえない/聞こえにくい子の第一言語は、むかしもいまも手話です。そのことが、医療の世界ではほとんど無視され、そのために多くのろう児が人間の言語の世界に入りきれないでいます。
 それを支えているのが、聞こえないより聞こえる方がいいに決まっている、というぼくらが無意識に抱いている世界観であり、日本の社会で生きるなら日本語を使うのが当然という、日本語モノリンガル意識です。そのような多数派の世界観、言語意識に取り囲まれながら、手話という言語を使うろう児、ろう者はどのように生きているか。彼らの姿のなかに、はからずもぼくら多数派社会の姿が浮かびあがります」
     『手話を生きる~少数言語が多数派日本語と出会うところで~』みすず書房

 この本を読んで、ろうの世界のこれまでの動きと今が、吃音の世界とよく似ていると思った。どもらない方がいいに決まっていると、吃音をコントロールすることを教えられてきたことで、吃音を自分を否定した経験を私たちはもっている。また、就職活動や社会の吃音理解について、障害認定の新しい動きに大きな期待を寄せすぎてしまうと、一番肝心な「どもりを認めて、どもりを生きる」がおろそかになりはしないかの危惧がある。
 どもり文化とまで提唱した私には、立ち止まることは許されない。私たちのどもり文化をていねいに発信し続けていくのが、私の責務だ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/14

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