第7回世界吃音者大会~シャピロ博士による基調講演~2  

2004年、オーストラリアのパースで開かれた第7回世界大会での、シャピロ博士の講演のつづきです。4つの「L」、とても印象深く、心に残っています。

Beyond Speech Fluency:
Lessons Learned in Pursuit of Communication Freedom
David A.Shapiro,Ph.D.,CCC-SLP
ASHA Fellow,Professor
Western Carolina University

言葉の流暢さの向こうに
  コミュニケーションの自由を求めて学んだこと

私たちの旅

 私たちの旅についてお話ししましょう。
 旅の目的地として、流暢に話すことだけにとらわれる余り、そこに至るまでの道筋を見失ってしまうことは、よくあることです。
 今ここで、アドバイスというわけではありませんが、私のいくつかの思いをお話したいと思います。もし夢というものが人に与えることができるなら、それを包装紙に包んで皆さんの旅のプレゼントにしたいものです。
 それは、Learn(学ぶ)、Live(生きる)、Laugh(笑う)、Love(愛する)の四つです。

Learn(学ぶ)
 学び続ける力を身につけて下さい。従来の意味での勉強、つまり学校や本から学ぶことは必須です。必須ではなくとも大事なこととして、あらゆる人から、毎日の生活から、そしてあらゆる状況や瞬間において私たちは学べます。
 とりわけ学んでほしいのは、どんなに辛い時でも「楽しみを見出す」ことです。楽しみは人生にとって大事な多くのことを生み出してくれます。
 もう一つ学ぶべきは、「他人や自分を受け入れる」ことです。完壁な人などいません。素晴らしくも不完全なこの世界では、人は皆、与え、受け入れ、許すことが必要です。
 T.H.ホワイトの小説「永遠の王一アーサーの書」の中で、王の地位を約束されているアーサーはいつまでも消えない悲しみを抱き、自分の師である魔術師のマーリンに助言を求めます。若きアーサーに向かって、マーリンはこう言います。

 悲しみを癒やす最良の薬は学ぶことじゃ。それが唯一の、まちがいなく効きめのある方法じや。年老いて、体にふるえがやってきたとき。夜眠れずに横たわり、脈の乱れに耳をすますとき。たったひとつの愛を寂しく思い出すとき。あんたを囲む世の中が、邪悪な狂人どもによって荒廃させられるのを見るとき。あんたの名誉が、卑しい者どもの心の下水溝で踏みにじられるのを知ったとき。
 そういうときによいものは、ただひとつ学ぶことじゃ。世界はなぜ動いているか、それを動かしているものは何かを学ぶ。これこそは、精神が研究しつくすことも、うとんじることも、それによって苦しむことも、恐れることも、不信を抱くことも、また後悔することもゆめありえない、唯一のことだからじゃ。あんたは学問をするべきじゃな。(森下弓子訳より)

 学習とは、様々な道を通過することで得られるものですが、私たちは学ぶことに常に心を開いていなければなりません。幸いなことに、どもる人たちのセルフヘルプグループやセラピスト、そしてあなたの家族が、学習の機会と手段を与えてくれます。自分自身について、また、自分のコミュニケーションスキル、コミュニケーション環境について学ぶ手助けをしてくれます。さらに、それぞれの旅を成し遂げるための指針を与えてくれ、旅には辿る道がいくつもあること、そして旅には必ず道連れがいることを教えてくれるのです。
 この講演の準備をしている時、私は、皆さんに学んでほしいことを一つだけ挙げるとすれば、それは何かと考えてみました。それは、「ただすらすらと話すことがコミュニケーションの自由をもたらすのではない」ということです。
 コミュニケーションの自由をどうとらえ、どのように話していくかを決めるのは、皆さんの当然の権利です。どもりながらも自分の言葉で話すのも、口を閉ざして話さないことを選ぶのも、それはあなたの自由です。ただ、聞き手の反応や流暢に話すためのコントロールにとらわれないことが大事です。
 また、自分はいつの世のどんな人々とも対等で、その人たちと同じように素晴らしいのだということを、自信を持って学んでください。そしてまた、彼らより優れているわけではないと感じる謙虚さと礼儀も同時に身につけてほしいと思います。自分のことを他のどもらない人々と対等で、同じように素晴らしい存在だと感じることは、私にとって人生における最も難しい課題の一つでした。それは、吃音に強い劣等感をもち、ひとりで悩んでいたからです。昔は吃る人のセルフヘルプグループの集まりやこのような吃音者世界大会などありませんでした。ですから、私はそのような考えをもつことはできなかったのです。
 臨床家として私は、「吃音にとらわれず自由になる」ために援助を受けることができることを皆さんに知ってほしいと思います。あなた方にはその自由を得る権利があるのです。そしてあなた方が自由になれば、他の吃音に悩む人にとっても貢献することになるでしょう。そのための選択肢がいくつもあるのです。夢を実現するために、常に自分から学ぼうという気持ちを忘れないでください。
 学ぶということには限りがなく、永遠に続くものです。私たちは成功のみならず、失敗からも学ぶことができます。学習によって人生が決まることもあります。人生におけるあらゆる出来事や、このような吃音者の世界大会は、学ぶための絶好の機会なのです。

Live(生きる)

 旅を続けるあなたに私が望む二つ目のことは、「人生を思う存分に生きる」ということです。。
 陳腐に聞こえるかもしれませんが、あなたの人生と生活を情熱で満たしてください。私にとって情熱とは、深い愛情であり、肩書きや職種、報酬など表面的なことが重要なのではなく、深く何事かに心を捧げることを意味します。
 私は、私たちがやっていること、やろうとしていることは、本質的に大事であるということに揺るぎない信念をもっています。それは人間に対する信頼であり、個人としても集団としても、私たちは自分たちの力で変化を作り出すのです。情熱の力によって私たちは前に進み続けることができます。情熱によって、私たちは人生の驚異を生み出すのです。
 様々な経験を情熱の心で受け止め、その経験を生きる能力は、私にとって生活の質を高めることであり、よりよく生きていくための条件です。医学的な根拠は抜きにして、私は人間は脈拍が止まったり脳波が動かなくなった時に命が終わるのではなく、情熱をもって生きることをあきらめた時に終わるのだと確信しています。

Laugh(笑う)

 私がみなさんに望む3番目のことは、笑うことです。大きな声で笑ってください。わき腹が痛くなり、目がまん丸になるまで笑ってください。
 自分自身のことを笑い、他の人たちと互いに笑い合いましょう。笑いは元気の源です。笑いは、処世術の一つです。笑うことによって、心を解放し、エネルギーを吸収することができるのです。実際、笑いとは楽しいことやユーモアの自然な表現であり、情熱的、陽気、楽天的、豊かな感情、エネルギッシュといったポジティブな性格と関係があります。恐れや憂鬱、怒り、無関心、無感動といった性格とは相容れないものです。また、笑うことは病気に対する治癒力や心身の健康とも関連しています。ですからたくさん笑ってください。笑いはあなた自身が喜びを生み出す装置となるのです。

Love(愛する)

 私が皆さんに望む最後のことは、愛することです。あなたの家族を愛してください。あなたの両親を、祖父母を、子どもたちを、セラピストを、クライアントを愛してください。そしてあなたのインスピレーションの源を愛してください。最悪の事態の時でも、私たちは最善を尽くそうとしているのだということを忘れないでください。
 私たちは愛するために生まれてきたのです。愛こそが、私たちが生き続ける理由です。アントワーヌ・ド・サンテグジュペリは「星の王子様」の中で、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」ということを私たちに気づかせてくれます。また、パーカー・パルマーは、究極の愛の形を「お互いの違いを受け容れる親密な関係」と表現しています。「モリー先生との火曜日」(ミッチ・アルボム著)に登場するモリー・シュウォーツは、「お互いを愛しなさい。さもなければ滅びるだけだ」と言っています。
 ある人のことを他の誰もが信じなくてもあなたが信じ続けてあげること、これは信頼と愛の行為であることも私はつけ加えておきます。愛とはすばらしいものです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/04/22

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