まさき君の心の旅路に対する、海外からの反響

 ISADとは、『国際吃音アウェアネスの日』といって、吃音について世界中の人によく知ってもらうことを目的に、1998年の国際吃音連盟(ISA)の総会で、毎年10月22日と決められました。
 『国際吃音児童年』の2004年10月1日から10月22日まで、インターネット上で開催された第7回目となるISAD2004オンライン会議には、世界中から多くの子どもたちの書いた文章が集められました。日本からは大阪スタタリングプロジェクトのまさき君の「変わっていくこと」が掲載され、多くの反響が寄せられました。そのうち、いくつかを紹介します。国名の記載がなく、残念ですが、僕たちの吃音親子サマーキャンプに参加したことがあるドイツのステファン・ホフマンと、当時アメリカ在住だった川合紀宗さんは、記名による紹介となりました。
 あわせて、まさき君の小学校6年生のときの人権作文を紹介します。自分がどもることで体験してきた不合理や矛盾、そしてその中で学んできたやさしさや温かさがにじみ出ています。

  海外からの反響
 
◇マサキ、あなたはとても洞察力があり、実際の年齢よりずっと大人です。あなたが吃音に挑戦して勉強してきた誠実さと能力は、賞賛に値します。私にはどもる息子がいますが、私はあなたの文章を彼が大きくなるまで大切に保管して、彼に読ませようと思っています。
◇あなたは吃音を通してとても成長し、しかもあなたを支えてくれる素晴らしい人たちのグループがあるのですね。これからもがんばって。
◇あなたの物語を皆にわかちあってくれてありがとう。あなたの吃音への向き合い方、感動的な挑戦は、とても勇敢で刺激されます。あなたは他の吃音者にとって、素晴らしい見本です。
◇スピークイージーは、カナダ国内の吃音者のための団体です。1984年以降、私たちは成人吃音者、どもる子どもの親、臨床家、一般の人々に情報やサポートを提供しています。
 私たちの発行する「スピーキング・アウト」は吃音に関する記事や情報など幅広く載せている月刊誌です。あなたのISADオンライン会議はとてもおもしろく、もっと多くの人々に読んでもらう価値があります。そこで、将来発行する「スピーキング・アウト」に掲載する許可をお願いします。
◇この文章を書いてくれてありがとう。私のような言語聴覚士を目指す学生にとって、吃音者が持ちかねない感情や考え方、不安をじかに理解する上で、この文章はとても重要です。私たちがクライアントの心情を理解すればするほど、彼らの役に立つことができるでしょう。
◇マサキ。君の文章を読ませてもらってよかった。今年2月パースで会ったが、私が2000年の吃音親子サマーキャンプにゲストとして行ったときは本当に楽しかったし、そこでも君に会ってるよね。
 サマーキャンプは本当に素晴らしく、多くの家族が参加しているのを見てとても勇気づけられました。先週末にあったドイツ吃音者会議では、どもる子どもの話し合いはたった8人でした。これからも、キャンプのこと発表し続けて下さい。(ステファン・ホフマン。ISAの元理事で、2000年の吃音親子サマーキャンプに参加した)
◇やあ、マサキ君。今でも僕を覚えてくれていたらいいのですが。僕は、初めて君と吃音親子サマーキャンプで出会った日のことを、今でもよく覚えています。もう9年前になるなんて、信じられません。光陰矢のごとし!君はとてもがんばっているようだね。君が今も毎年サマーキャンプに参加していると聞いて、とても嬉しいです。きっとキャンプのベテランだろうね。時々伊藤伸二さんから君がどうしているか聞いているけど、残念ながらキャンプに参加して君と会う機会はずっとありませんでした。君の文章を読んで、僕はとても心を打たれました。吃音者が自分の吃音や吃音に対する態度を受け入れるのがとても難しいということを想像するのは、それほど難しくはありません。たとえ一度は自分の吃音を受け入れたとしても、なんらかのできごとなどにより、吃音に対して否定的な感覚を持ち、どもることを拒否することになりかねません。吃音を受容する過程といっても、決して一直線に進むというわけではない、ということですね。君がとても賢く感受性が鋭いから、他の誰よりも数多く大変な目に会ってきたのかもしれない。それがとてもつらいことだったのは良く分かります。でも覚えておいて。君は何度も何度もこのような困難を乗り越えてきた。これからも君の体験を書き続けてください。これは本当に偉大な物語であり、長期にわたり、しかも質の高い研究としての可能性も持っています。
 もしチャンスがあれば、アメリカの僕のところに来ませんか。僕はコロラドの公立学校で言語病理学の仕事をしていましたが、昨年辞めました。そしてネブラスカ州リンカーンに来て、また学生をやっています。今僕は、ネブラスカ・リンカーン大学のE.チャールズ・ヒーレー博士のところで博士課程、研究助手として、研究生活をしています。もし君が僕のところに来る機会があれば、ぜひ知らせて下さい。きっとヒーレー博士も君の話をもっと詳しく聞きたいと思うだろう。もしロッキー山脈を見たいのなら、コロラドまで一緒にドライブしよう。そうすれば僕の前の恩師であるピーター・ラミグ博士に会ってもらいます。博士もきっと君の話を気に入ると思う。(現在広島大学ダイバーシティ&インクルージョン推進機構教授の川合紀宗さん。まさき君が初めてサマーキャンプに参加したとき、スタッフとして参加)
◇マサキさん、洞察にあふれたあなたの旅路を聞かせてくれてありがとう。本当に感動しました。あなたはたとえ否定的なことであっても、自分自身への挑戦や、その時持った全ての気持ちをオープンに、正直に話してくれました。あなたはとても勇敢な人だと思います。
あなたの物語は、流暢に話そうともがき続ける多くの人にとって、とても示唆に富んでいます。あなたはとても勇気があり、きっと念願をかなえることができると思います。

まさき君が、小学校6年生のときに書いた作文を紹介します。

《人権作文》やさしさを見つけよう
                           小学校6年生 まさき
 人間は、生まれつき皆平等だ。なのになぜいじめは起こる。いじめだけじゃない。差別もなぜ起こる。
 いじめも差別も、している本人はされる人の悲しみ、つらさや痛さなど何も分かっていない。いじめられることの苦しみや、差別されることのつらさは、他の人には分からない。される本人しか分からないのだ。この苦しみは計り知れない。
 いじめられる子はたいてい、いじめられていることを誰にも言わない。それは、こわいからなのだ。親などに言ってたら、余計にひどくなるのではないかと思い、いじめられる苦しみを心の底にしまってしまうのだ。
 このことはぼくもいじめられていたから分かる。いじめられていたといっても、あまりひどくはないが、小学校低学年の自分にはこたえる。ぼくは生まれつきことばがつまって、ことばが途中で切れてしまうことがある。このことで一年から三年までずっと毎日まねされたりばかにされたりした。
 ずっといじめられていると、だんだん今の時代に「やさしさ」などないのだと思えてくる。だって、いじめられているのに周りの人は何もしてくれなかったからだ。いじめられているのに止めてくれない、励ましてくれないというのは、いじめよりも何よりもつらい。そんな日が何日も続いた。
 だけど、三年の時、自分でこのことを勇気を出して担任の先生に言って、クラスの皆に言ってもらった。すると、クラスの中でのいじめは終わった。自分でいじめにピリオドをさした。それからは、みんな、つまるときはばかにしなくなった。一部の人は「がんばれ」とか言ってくれた。そのとき僕は、本当の「やさしさ」を見つけた。
 そのときから、僕の考え方は変わった。やさしさはかけてくれるのを待つのではなくて、自分から見つけ出すものだと分かった。
 いじめられている子に必要なものは、やさしさだと思う。いじめられる子が、暗くなったり自分の世界に閉じこもるのは、いじめられたからではなくて周りの人々が冷たいからだと思う。
 いじめはこの世からなかなかなくならないかもしれない。でも、いじめられる子がいじめる子に立ち向かっていくか、周りの人が少しでもいじめられている子に対して声をかければ、その子も救われるかもしれない。一番大切なのはひとりひとりがいじめられる子を心配する気持ち、つまりやさしさの心を持つことだとぼくは思う。
 いじめられる子も幸せになる権利がある。しかし、それをふみにじろうとする人は許せない。
 やさしさを受け、幸せになる権利こそ人権だと思う。それをふみにじることは決して許せることではない。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/08

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