なおしたいという気持ちから

 吃音親子サマーキャンプに参加している子どもが、学校で、また、住んでいる地域で、自分の吃音について作文に書き、発表するということはこれまでにも何度も聞いています。人権作文とか、夏休みの課題だとかのようです。
 2004年、第15回吃音親子サマーキャンプが終わった後にもそんな連絡が入りました。
 2004年11月9日、吃音親子サマーキャンプに小学校2年生のときから参加している保護者から、その年のサマーキャンプの最終日に読んだ志保ちゃんの作文がラジオ大阪で採用されて、11月19日に放送されるというお知らせをいただきました。作文を志保ちゃん自身が読んで録音したということでした。
 我が子の作文を聞くような気持ちで、普段はあまり聞かないラジオの前に陣取りました。作文とその後のパーソナリティのコメントも合わせて紹介します。
 「私には、どもるのが似合っているのかもしれません」との結びが、僕には誇らしいです。

なおしたいという気持ちから
                     松下志保(大阪市 小学校6年)
 私はようち園に入る少し前からどもり始めました。小学校5年生くらいまで、そんな自分がいやになって、どもることにも、自分にもムカついて、自分にやつあたりをしていました。自分の髪の毛をひっぱったり、頭をなぐったりするのです。きっと、これは、どもりをなおしたいという気持ちからだったと思います。低学年のときは、ことばの練習をするために、病院にも行っていましたが、小学校2年生の夏休みに、吃音の人が集まるサマーキャンプに参加しました。ここで初めて、どもっているのが私とお母さんだけではないとうことが分かりました。そして、同じ思いを持つ、どもっている仲間がたくさんできました。もし、サマーキャンプに来ていなかったら、私はまだ自分にやつあたりしていたり、どもりのことで泣いていたかもしれません。4年生のころまで自己紹介をするのがすごくいやでした。けれど、キャンプの仲間とではとても楽しいです。それは、恥ずかしいという気持ちがなくなったことと、自分のことを変だと思う人がいないからです。もちろん今も「なおさなくていいや」と思っています。逆に、だんだん「なおしたくはないなあ」と思う気持ちが大きくなっています。自分でも不思議です。でも、こんないやな経験もあります。
 「なんで、あんた、そんな話し方なん?」と聞かれたとき、「うん、それがな、なんかその、くせみたいやねんけど、なおらんねん」と答えます。そこまではいやとは思いませんでした。けれども、くりかえし言われたら、心が傷つくこともありました。以前の私だったら、また、やつあたりをしていたでしょうが、もう違います。こんなことを言われても平気です。キャンプでたくさんの友だちができて、自分だけじゃないという強い気持ちが生まれました。だからこそ、自分が強くなれたような気がしました。もし、吃音のことがなかったら、そんな気持ちが生まれてこなかったかもしれません。
 人はひとりひとり顔が違うように、得意なことも悩みも違います。そんな違いを責めたり、気にしたりせず、その人らしさとして、分かり合えたらいいなと思います。
 吃音があってよかったかもしれない、それも私らしさかもしれない、こう思い始めることができたのです。私には、どもるのが似合っているのかもしれません。

〈パーソナリティのコメント〉
 なおしたいというのは、吃音を治したいという気持ちからということなんですが。今、志保ちゃんの作文を聞かせてもらいましたが、上手に読めてますね。志保ちゃんが作文の中で言ってましたけど、得意なこととか、苦手なこと、人の悩み、これは、それぞれみんな違うんですよね。確かにそのとおりです。
 それが、その人らしさであると、それは欠点もあるかもわからないけれども、その欠点も含めてその人、なわけですよね。それを6年生の志保ちゃんが分かっている、これに、私は一番驚きました。
 私が分かり始めたのは最近です。そういう意味では、志保ちゃんはいろんな壁があったので、その壁を乗り越えてきた、その強さがこの作文の中にはありますね。さらに、キャンプの仲間と会うと、みんなで一緒に同じ悩みを抱えている人たちが同じ立場で話し合える、そこで気持ちが楽になるのでしょう。それでまた、みんなまたがんばろうなという気持ちになる。多分、仲間もこの作文を聞いていてくれるだろうと、志保ちゃんは言ってたそうですけれども、仲間のみなさんもぜひがんばって下さいね。ちなみに、志保ちゃんの将来の夢は、お父さんの仕事の跡をついで建築士か、保育士になりたいそうです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/05

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