ふたりの心の旅路 2

 まさき君に続いて、もうひとり、あやみさんの体験を紹介します。
 宮崎県からの依頼に一番驚いていたのが、あやみさん本人でした。当日の発表原稿の後に、依頼を受け、準備しているときの様子を振り返った文章も載せています。僕の「どもっておいで」のことばに、ホッとして、自分らしく参加できたというあやみさん。今も、常連のスタッフとして、吃音親子サマーキャンプを大切に思ってくれています。

  私の生きてきた道程
                        あやみ(大阪府)

仮の人生
 両親の話では、私は2歳頃からずっとどもり続けています。今になって、やっと辛い過去が宝物と考えられるようになりました。
 小学校、中学校で、どもることでからかわれ、いじめを受けながら毎日を過ごす中で、「どもる私は他の人と違う。違う私ではいけない」と考えていて、いつも「私はダメな人間で、生きている価値がないんだ」と自分が嫌いで自分を卑下していました。
 どもる私の言うことより、どもらない他の人の言うことが認められるのが当たり前と、本気で思っていました。どもりが治ってからが本当の私の人生だ。今のどもっている私は仮の私であり、仮の人生なら、何をがんばっても無駄だと思い、学校の勉強や人間関係の結び方などしなければならないことからいつも逃げていました。そうして私は、自分に自信が持てなくなりました。

吃音親子サマーキャンプとの出会い
 そんな私にも転機が訪れました。高校に入って間もない頃、母に連れられて、今も通っている大阪スタタリングプロジェクトの「大阪吃音教室」に行きました。そこは、「治らないどもりを治そうとするよりも、どもりと上手につきあっていこう」というスタンスでしたが、当時の私には、その言葉を受け止めることはできませんでした。
 その夏、日本吃音臨床研究会主催の『吃音親子サマーキャンプ』に参加しました。そこには、小学生の子どもから私と同じくらいの年齢の人も参加していて、私には、その人たちの笑顔がものすごく輝いて見えました。同じ吃音で、同じような辛く悲しい経験をしているはずなのに、どうして、そんなに笑って、キャンプを楽しめるのかとすごく不思議でした。キャンプでは話し合いの時間があり、初めて同年代の人の吃音の悩みや苦しみを聞きました。それまでは、周りにどもる人はいませんでした。キャンプで初めて同じ苦しみを分かち合える仲間に出会え、ほっとしました。キャンプに続けて参加する中で、人間不信が少しずつなくなっていきました。サマーキャンプに参加するようになって、大阪吃音教室の「どもりとつきあう」が少しは理解できるようになり、どもりを受け入れようと思えるようになりました。
 それは、「どもりをなんとか治したい」と長い間思っていた私にとって決して楽な道ではありませんでした。私も、サマーキャンプの友達のようにどもりながら、笑って毎日を過ごしたいと強く思っていたので、サマーキャンプの友達と、私との違いは何だろうと真剣に考えました。そして、思いついたのが、彼らはどもりを受け入れているんだ、ということでした。本当のところは今でも分かりませんが、当時はそう思いました。

どもっても言い換えない
 どもりを受け入れるには、どうしたらいいんだろうと考えた末、私が思いついたのは、どもっても言い換えをしないことでした。これまで、言いにくい言葉や表現は、言いやすい言葉や表現に言い換えていました。言い換えをしている自分は、自分の本当の気持ちを言っていないと思っていたので、「言いたいことはどれだけどもろうと、どもりながらでも言おう」と決めました。言い換えをせずに、どもりながらしゃべっている私は、どもりを受け入れていることになるんだと思っていました。
 それから数年後、あることで「私はどもりを受け入れているんだ」と思っていたことが、実は無理やり思い込んでいたということに気づきました。「言い換えしないことが受け入れること」と考えていたことが意味のない、バカな事をしていたんだとかなり落ち込んでいました。

仮の受容
 そんな時、日本吃音臨床研究会発行の機関紙の巻頭言で伊藤伸二さんが『仮の受容』ということについて書いている文章を読みました。この文章を読んでると、強がりでもいいから「どもりを受け入れている」と思うことが、吃音の受容につながるという文章をみつけ、今までの強がりながらどもりを受け入れていると思っていたのは無駄なことではなかったんだと、そしてこれまでは、『仮の受容』をしていたんだと気づき、ホッとしました。
 『仮の受容』を読んでから、言い換えはどれだけしても嫌にはならなくなりました。よくどもる私がどもりとつきあい生活するには、言い換えは必要不可欠なことだと思えるようになりました。どんな時も言い換えずに言うとは決めていても、実際多少は言い換えをしていたのですが、言い換えをせずにどもったら、そこで否応なく話が中断されます。日常会話では内容と同じくらいテンポも大事だと気づいたので、テンポが大事かなと思える場面では言い換えをしています。そして、大事な、その言葉がないと話が進まないとか、どうしても言いたいことは、言い換えをしなければいいと思っています。そんなこんなをしているうちに、「どもってもいいかな」と思えるようになりました。

どもりでよかった
 今は、毎日がとても楽しいです。でも、私がそう思えたのはつい、何年か前のことです。まだまだ悩まなくていいところで悩んだり、本当はしなければならないことを、やらなくていいように自分を納得させる方法が身にっいていて、それが邪魔をすることが多々あります。それでも、「大阪吃音教室」でたくさんの仲間に出会って、助けられています。
 吃音親子サマーキャンプに参加して、「どもりでよかった」と思えたことが私にとっての最高の財産で、幸せです。今では、そのキャンプにスタッフとして参加しています。キャンプで、どもりながら話している私をみて、「どもってもいいんだ」と私自身がかつてどもる大人をみて感じた事を伝えられたらいいなあと思っています。
 私はどもりそのものではないけれど、どもりがあってこその私だと思えるようになれました。このことがどもりを通じて得たものです。《発表原稿》

  宮崎に行って来ました
                          あやみ
 2004年11月5日、宮崎県精神保健福祉センターで行われた【第2回セルフヘルプセミナー】に、大阪スタタリングプロジェクトの会員として、体験を発表してきました。
 私が宮崎まで行くことになったのは、2月7日、大阪ボランティア協会で行われた【第15回セルフヘルプグループ・セミナー】に参加し、午前の部で私が発言したことを、宮崎でセルフヘルプ支援センターを立ち上げた方が聞いていて、4月中旬に体験発表とシンポジウム出席の依頼がきたのです。

 「あやみさんは、どもってるから宮崎に行けるんやで」「宮崎ではどもっておいでや」と言われたことで、胸のつかえがとれました。それまでは、「どもってもいい」という趣旨で活動をしていても、宮崎で思い切りどもったら、自分の言うことが伝わらない。できるだけどもらずにしゃべらないといけないと思っていました。「どもっておいで」はどもらないとしゃべれない私に、至極当たり前のことを思い出させてくれました。その言葉があったから、私はがんばれたんだと今振り返ってみても思います。
 予行演習のつもりの吃音ショートコースでは、ひどくどもって、予定原稿を最後まで読めませんでした。原稿を読んでいる私に、「読んでもいいが、前も向いた方がいい」「原稿は大きい字で印刷したら」など指摘をしてもらいました。
 宮崎でも最後まで読めない時のために、発表の内容を資料として入れてもらうことにしました。
 発表の当日、午前中は基調講演。午後からが親の会、本人の会、きょうだいの会、などの体験発表とパネルディスカッションでした。
 昼の休憩の時に、発表者全員が顔を合わせ順番を決めました。私は早く緊張から逃れようと思い、トップバッターで発表しました。
 初めて、大阪吃音教室や吃音ショートコース以外で発表します。セルフヘルプグループに関心のある人たちとはいえ、吃音を理解する人が前提ではない、大勢の前での発表にものすごく緊張しました。60名程が大きな会場にぽつぽつと分かれて座っていたのが幸いしました。視線を集中して浴びないし、前方を向いてしゃべり、右を向きながら会場の人達の顔を見ながらしゃべったこともあり、どもっても割とすぐに声が出てきて、手を振り回して随伴を使いながらしゃべる余裕も出てきました。
 予定の時間の20分を30分かかりましたが、発表原稿を全て読みきることが出来ました。発表原稿を読み切ったことで安堵と達成感が沸いてきました。この日のために、私は半年がんばったんだという達成感を味わいました。
 体験発表の後のパネルディスカッションでは、体験発表で会場の人が温かく聞いてくれた安心感からか、ほとんどどもらずに話が出来て、私としては、思い切りどもると想像していただけに、どもらなければそれはそれでちょっと残念な思いでした。私自身回答する予定外の質問にも、気がついたら手を挙げて答えていた自分には、正直驚きました。
 この発表の依頼を受けたときは、当日は何を言ってるのか分からないくらいどもる場面を想像していて、怖かったのですが、「どもっておいで」という言葉で、その想像を吹っ切ることが出来、又、そうならないためにも事前に準備をきちんとしたことが実を結んだんだと思います。こんないい経験ができたのも仲間のおかげです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/09

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