過保護と模範性

環境の影響を強く受けることが、吃音問題にとって考えなければならない重要な問題です。

治療方法を環境諭的にみると、吃音は2つの要因をもっている環境の時に多発します。

実際に吃音があって、そういう環境だと吃音の状態がひどくなります。その環境を変えると吃音が軽くなっていきます。その2つの要因とは、《過保護》と《規範性》です。

私は、親子吃音関係における環境諭的仮説を設定しています。

親子というから、父親でも母親でもいいんだけど、吃音児の家庭というシステムの中の代表者という意味で母親にしておきます。ケースバイケースで、この母親が、家庭によっては兄弟の場合もあるし、おじいちゃんのこともあります。

吃音児の傾向として母親依存傾向が強い。だから、母親から離れられない。母親にはひどいことが言えない。母親に対して優しいんです。こういう特徴があります。

吃音児の母親に《過保護》でない母親を発見できません。稀に逆の母親もいますが、大抵は、吃るこどもが可哀想でたまらない。自分の子どもが吃っても、よその子どもが吃ってもいたたまれない。このやさしい環境を《過保護》といいます。

もっとも今は、吃音児をもつお母さんだけでなくてみんなどこでも《過保護》といってもいい。

一方、《規範性》というのは、子どもをよい子に育てようということです。規範性そのものは、決して悪いことではない。今の言葉で言うと、教育ママ、教育熱心、子どもの事をよく考えるということ。昔の言葉で言えば、良妻賢母型といって、すばらしい子どもを作ろうとするお母さんです。躾がやかましい、躾を早めに始める。

たとえば、トイレットトレーニングについて、アメリカのウェンデル・ジョンソンが研究しました。吃音児をもつ母親は、吃音でない子どもの母親よりトイレットトレーニングを早めに躾るという有為差が出ました。ある意味からいうと、要求水準が高いタイプということになります。

過保護と規範性の葛藤

過保護にもう1つの環箋《規範性》が入ってくると、問題が起こるのです。

50%が過保護の環境で、もう50%が規範性だと一番困ります。それがぶっかり合う、葛藤の場面が見られる。この葛藤が問題なんです。

こういう、《過保護》と《規範性》が合わさってくると、こんな環境からどもりという問題を助長する傾向が生まれてくる。

もっとも、これは、どもりだけでなく、同じような環境要因を持つものに、家庭内暴力、不登校、神経性習癖、例えば、チック、夜尿、爪噛みがあります。神経質というものも、同様な環境から生まれやすい。だから、吃音から不登校に入るということが起こります。同質環境にあると見ている。

チックと一緒に吃を持っている、夜尿と同時に吃を持っているということは、非常に有り得る。

ある研究者によると、吃音と神経性習癖と併有する率は70%ぐらいあるとの研究もあります。非常にかかわりがあるというのは間違いない。

吃音を改善に導く環境

吃音を改善に導く環境としてはどうしたらいいかというと、その葛藤をなくすことです。

つまり《過保護》か《規範性》のどちらかを取り去る事、どちらか100%にするということになります。

現在は、《過保護》を取り去る事は不可能です。

なぜなら、家庭とはもともと《過保護》なもので、肉親が住んでいるのだから、《過保護》でない家庭があるとすれば崩壊してしまう。

時代としても超過保護な時代だといえます。

となると、方法はひとつしかありません。

それは、規範的条件を取り去る方法で、私がやっているのは、極端で、規範を破壊する方法です。破壊する方法なんてあまり紹介できませんけど、思い切って規範をとってしまう。

《規範性》の50%を取り除いて0%にする。

つまり《過保護》100%にするんです。そうすると吃の症状がだんだん少なくなり、とれていく。

《過保護》という土壌はそれだけで全て良くなる事ではないが、吃音を改善することにはっながります。《過保護》の条件を〈U仮説〉では内面ワ的条件といい、消極的改善要因と呼んでいます。

規範性を取り去る

吃音児のやりたいことを何でもやらせる。良い悪いの判断は加えません。

そう言うと、お母さんは「悪いこともやらせていいんですか」と必ず質問する。で、私は「悪いこともその子がやりたいなら良い」と答える。

ところが、悪いことを好んでやるという吃音児は不幸にしていない。悪いことばっかりするのなら吃音児になんかならない。良い事ばかりやろうとするから問題が起こるんです。

一番良いのは規範を全部取り去るという徹底した方法です。極端にやればやるほど治療時間が短縮される。でも、実際はそうはできませんから、治療期間が伸びるんです。

何故このような極端な方法をとるかと言うと、吃音児は真面目にくそがついてくそ真面目です。

そして敏感。敏感というより、過敏なんです。少し多いんです。この過敏性の過と、くそ真面目のくそを取るのは容易な事ではないからです。

真面目と敏感は人間関係において、性格からいって非常に良い事です。二つあったら鬼に金棒でしょう。だから、吃音者や吃音児は本来、魅力的な素材を持っていることになります。ところが、ちょっと過ぎた所が災いしていると私は見ています。

大体、人間というのは、時間がたつにつれて、大人になるにつれて、変わってくる。真面目が不真面目にもなる。でも、吃音者は不真面目にならない。真面目のままです。

だからと言って、別に性格が変わっているわけでもなく、ノーマルな性格です。それと吃が関連したときにいろいろ問題が起こるといっているわけです。誤解のないようにして下さい。

また、過敏というのは相手の人間関係を洞察する力が鋭い。言葉で言わなくてもぱっと感じ取ってしまう。自己主張をするけれど、過敏に相手を感じ取って自分の感情にブレーキをかけます。その力が非常に強いんです。このブレーキをはずすことを考えないといけない。

吃音児の場合、大変規範の強い真面目なお母さんが躾過剰になっている。躾が出来上がっているのに、まだ躾となるから、オーバーになる。

私の考えでは、吃音児には躾はしなくて良い。出来上がっているのだから心配いらない。だから、規範を破壊したからといって、とたんに非行児になることなどない。