『吃音とコミュニケーション』1991.1.31  

伊藤伸二

「君子の交わりは淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと酷(れい:甘酒)の若く」『荘子』

一年に一度程度お会いするかしないか、普段は全く音信不通の状態なのだが、何か私たちがお願いした時快く応じて下さる。押しつけは全くなく、過度な情報提供も全くない。このようなおつきあいをさせていただいた中で、パンフレット『どもりの相談』、『人間とコミュニケーション』の出版、そして第一回吃音問題研究国際大会をご一緒することができた。

西ドイツのセルフヘルプ・グループと研究者や臨床家の関係は厳しい対立が、イギリスのグループでは指導する側とされる側のはっきりした依存関係が見られた。海外の吃音の研究者・臨床家と成人吃音者の関係は、敵対か依存かが少なくない。

日本の吃音研究の第一人者、内須川洸筑波大学教授と私たちの関係は敵対でも依存でもなく「淡きこと水が若き」関係であった。それだからこそ、吃音の第一回国際大会を日本で開くことができたのだと思う。その国際大会。大会顧問として「こうしたらいいのに、こうあるべきだ」というものがおありになったであろう。しかし、「こうしたらどうか」式の押しつけは一切なかった。いろいろアイデアやアドバイスが過剰にされていたら、とても私たちは対処できなかったであろう。緊張し、自由に行動できなかったのではないか。自由に動けたおかげで、また大会顧問として後ろに控えていただいたおかげで、無謀とも言えたゼロからの出発の第一回吃音問題研究国際大会は大成功を収めた。大会フィナーレ。舞台で満面に笑みをたたえて大きく両手をふり、拍手に応えて子供のようにはしゃいでおられた姿が忘れられない。

このおつきあいの中から、言友会と吃音者のつきあいにおける私たちのスタンスを学んだ。

成人吃音者であれば言友会に入るべきだと私たちは考えていない。言友会が全ての吃音者に有効だとは思わない。人それぞれの考えがあり、言友会の主張を受け入れられない人もあろうし、民間のクリニック、宗教、スポーツ、芸術、心理療法など、どのようなルートからでも成人吃音者が自分らしさを発揮し、よりよく生きていればうれしい。

私たちだけが成人吃音者の為になっているという意識はない。しかし、成人吃音者が言友会を求めてきたち、私たちは最大限の努力と工夫をして応えたい.言友会が必要なときに、必要な人が、門をたたいてくれたらよい。

ある研究者から、「言友会は吃音者宣言を出し、治すという目標を下ろしたのだから、具体的に何をすべきか、明確な目標を示すべきだ」と言われたことがある。吃音の悩みからの脱出は共に考えられても、その後の生き方は個々人の問題だ。言友会から「このように生きるべきだ」と押しつけるものではなく、押しつける必要もない。押しつけられることこそ迷惑だ。人それぞれより良く生きる道は違うはずである。具体的に何を目標にするかは、個々人がみつけることだ。

言友会と吃音者の交わりは、内須川教授から学んだ「淡きこと水の若く」でありたいと思う。

この春、内須川涜教授は、筑波大学を定年退官される。学生時代から一貫して吃音を研究テーマにされ、定年まで続けられた初めての人だ。成人吃音者として長年、吃音と、私たちと、つきあって下さったことに心から感謝したい。その感謝の気持ちを込め、昨年末私たちが呼びかけ、『内須川先生の退官記念の関西の集い』を持った。水の若きつきあいの人々ばかりが大勢集まって下さり、心温まる集いができた。