はじめに

 どもる子どもの幸せとは、吃音が治り、どもらずに話せるようになることでしょうか。

 吃音を治したい、治してあげたいと涙ぐむお母さんに「どうして治してあげたいのか」と質問すると、子どもがどもることが嫌さに話さなくなったり、小学校でからかわれたり、いじめられたりしないか、将来就職にハンディにならないかと心配されています。

 「吃音にしっかりと向き合えば、からかいやいじめに対処ができ、楽しく学校生活が送れ、将来自分の就きたい仕事に就いて、幸せに生きられますよ」と、僕たちが経験し、出会った子どもや大人の話をするとお母さんは少し安心します。吃音の否定的な物語が本やメディアなどで広がり過ぎています。

 吃音は世界中で多くの治療法が提案されましたが、全く役に立っていません。治っていない現実に向き合ったとき、将来吃音が治ると考えず、その子らしく豊かに生きる子育てを考える方が現実的です。吃音を治す方法は分かっていませんが、どのようにしたら、吃音の悩みから解放され、吃音とともに豊かに楽しく生きられるかは分かっています。

1 吃音の原因探しは、もうやめましょう

① 親のせいではありません

ことばの発達途上に、誰にでも見られる流暢ではない話し方を吃音だと診断することで吃音が定着するとの、アメリカの研究者、ウェンデル・ジョンソンの診断起因説が、「吃音は母親が原因」との根拠になっていましたが、今では完全に否定されています。

 「強く叱ったから」など、どの親にもみられることを、原因かもしれないと、自分を責める人がいます。相談機関で「愛情不足、ストレス、プレッシャー」など、それらしいことを言われますが、それらが吃音の原因でないことは、膨大な調査研究で明らかになっています。原因はいまだに解明されていないのです。親の子育ての善し悪しが吃音の原因ではなく、治らないのも親の責任ではないのです。

② 子どものせいでもありません

アメリカ言語病理学は、従来の幼児期にどもり始めるのを発達性吃音とし、獲得される吃音があると、獲得性吃音を新たに命名しました。それを、交通事故や脳卒中で脳に受けたダメージで起こる症候性吃音と、精神的ショックの心因性吃音とに分けました。本当に馬鹿げた区別で、専門家が目新しいことを言いたくて言っているにすぎません。脳のダメージで起こる吃音に似た症状はこれまでは、「吃様症状」として吃音とは明確に区別し、失語症の対応がなされていました。失語症の「吃様症状」を吃音の中に含めたことは大きな問題です。無意味なだけでなく、吃音の取り組みを混乱させます。発語器官や脳など、器質的な問題がないのが吃音です。最近、脳科学や遺伝子学の発展で、再び原因の探求が期待され、脳機能の異常が原因と主張する吃音研究者もいます。どもる人とどもらない人の脳の断層写真を比べての見解が出されていますが、吃音の原因が解明されたわけではありません。

吃音の原因は、依然として解明されていないのです。原因は分からないのです。

③ 子どもに脆弱性があり、不器用だからではありません

どもる子どもには、情緒面で脆弱性や、社交不安傾向があるなどと指摘する人もいます。音読や発表などの場面では、不安があっても、心は健康です。どもることが受け入れられる場で、子どもたちは明るく、元気いっぱいに話します。「どもるのが僕だから、治したいと思わない」と言う子どもや、真似されたり、音読や発表の苦手さを意識しながら、学校の中で生き抜く子どもたちや、スポーツが得意な子どもたちとたくさん出会って、僕は、どもる子どもたちに、脆弱性よりむしろ、強くて、しなやかな、レジリエンス力(回復力)を感じます。子どもの問題点、脆弱性を探ろうとする調査・研究はもうやめてほしいものです。

2 吃音はほとんど一過性のものとは言えない

発生率は世界各国共通で1%と言われた時代、吃音のほとんどは一過性のもので、「自然治癒」が8割と言われました。しかし、自然治癒は2割、5割、8割と、吃音研究者で見解は大きく違っています。おそらく45%だとの研究もあり、私はその程度だと思います。

 現在は、吃音の発生率5%、有病率1%と言われています。何の根拠も提示せず、このように専門家は数字を変えてくるのです。有病率ということばにも腹が立ちます。吃音のどこが病気なのかと思います。学者のこんな馬鹿げた数字は鵜呑みにしないようにしましょう。今、どもっている子どもにしっかりと向き合い、今後どう吃音とつきあうかを考えることが、現実的な対応です。

 3  吃音に悩む人の問題とは、劣等コンプレックス

アドラー心理学では、劣等性、劣等感、劣等コンプレックスを区別します。あまりにも劣等感が強くなると、人生の課題から逃げる、劣等コンプレックスに陥ります。私は、勉強も遊びも、クラスや学校の役割からも逃げました。これが、劣等コンプレックスで、シーアンの氷山説の水面下の問題になるのです。1970年に、アメリカ言語病理学者のジョゼフ・G・シーアンは吃音の問題を氷山に例えました。海面上に見える部分はごく一部で、本当の問題は水面下に沈んでいると言いました。海面上のものがどもる状態で、水面下の大きな部分が、吃音を隠し、話すことから逃げたりする行動、吃音は劣ったものとする考え方、どもる人のもつ不安や恐怖の感情としたのです。つまり、吃音から受けるナイナスの影響の行動、思考、感情が問題だとしたのです。  吃音の原因は分かっていませんが、人が吃音に悩み、問題となる原因は分かっています。吃音を否定し、吃音を隠し、話すことから逃げる生活習慣が問題を作ります。

かなりどもる人が話す仕事に就いて活躍する一方で、伴侶に分からない程度の人が吃音に深く悩んでいます。吃音の悩みやマイナスの影響の差は、どもる状態の程度に関係がありません。どもる状態が、吃音の問題の中核ではない証拠です。

 4 吃音を生き抜く力を育てる

① どもる子どもの心は健康。「かわいそう」はやめる

親が、どもる子どもに対して、「かわいそうだ」「治してあげたい」と考えるのは、インターネットなどで吃音に関するネガティヴな情報があふれているからでしょう。

僕が出会う多くの子どもたちは、困ったとき、工夫して生き抜いていますし、どもる人々は、さまざまな仕事に就いて、豊かに幸せに生きています。吃音について学び、真剣に向き合い、つきあう技術を学べば、吃音は、その人の人生を邪魔するものではなく、よりよく生きる力を育てることにだってなります。

人は誰しもテーマをもっています。この子は吃音のテーマを通して、人生を考えていくととらえてください。吃音とのつき合い方を学べば、その経験は長い人生にとって財産になるでしょう。吃音親子サマーキャンプに参加した子どもは、吃音は私の特徴だ、価値だとまでいいます。

それを「かわいそう」と言うのはとても失礼なことだと私は思います。

② 子どもを尊敬し、信頼する

「お父さんやお母さんが、自分の子どもと同じようにどもっていたとしたら、みなさんの子どものように元気で毎日学校へ行っていると、自信をもって言えますか?」

 こんな質問をしたことがあります。ある子どもにとっては、からかう子がいたり、音読や発表で苦戦する学校は戦場のようなものです。僕は、いつもびくびくして学校へ行っていました。それは吃音を否定し、吃音と向き合っていなかったからです。吃音親子サマーキャンプやことばの教室で私が出会う子どもたちは、信じられないほど元気です。健康観察で名前が言えず、言いにくい初めの音を飛ばして言うなど、工夫しています。

 「元気で学校へ行く我が子を尊敬できませんか?」と再び尋ねると、「子どもを尊敬するなんて考えたことがなかったが、今日から子どもを尊敬します」と、何人ものお母さんが言いました。子どもは将来も、自分の力で乗り切っていけると信頼し見守りましょう。

③ 愛していればそれで十分

子どもにいくら与えても与えすぎでないのが愛情です。

親の愛情が子どもの心に届いていれば、それだけで十分です。

私の母はよく私を抱いて童謡や唱歌を歌って聞かせ、一緒に歌ってくれました。父親はよくふとんの中に私を招き入れて、高野山に伝わる「石童丸」の話をしてくれました。貧しい生活の中で、一所懸命作ってくれた遠足の弁当は僕の自慢でした。

両親から愛されたことを実感できる、僕の記憶の宝です。

親の愛があったから、あんなに苦しい学童期・思春期を耐えられたのだと思います。

④ 自信と劣等感

苦手なことに取り組むより、長所を伸ばすのが子育ての基本です。しかし、これだけでは十分ではありません。劣等感に向き合い、自分で抱えられる程度にしておきたいのです。

 吃音の劣等感の克服のためにバスケットに打ち込み、スーパースターになったボブ・ラブは、話すことから逃げ続けたために、現役引退後バスケット関係の仕事に就けず、レストランの掃除夫をしました。その10年がどん底だったと言います。その後、吃音に向き合い、人前で話せるようになり、シカゴブルズの親善大使として日本に講演にも来ました。成績がよくても、スポーツができても、吃音を否定していたら、吃音の劣等感から解放されません。

 得意なことがなく、何の取り柄もなかった僕は、好きな映画と本を読むことだけが支えでした。「釣りバカ日誌」の浜ちゃんは、出世はできなくても、「僕には好きな釣りがあるもんね」と人生を達観しています。フーテンの寅さんは「旅・人」が好きでした。できたら、ゲーム以外で何か好きなこと、夢中になれることが見つかれば、その後の人生にとっても意味あることになると思います。

5 子どもと対話する

① 「どもり・吃音」のことばを使って話し合う

『子どものどもり』『どもり』『どもりの相談』(日本文化科学社)。『NHKどもりの子の母親教室』(日本放送出版協会)。『どもりの話』(東京大学出版会)。

 1976年頃に発行されていたこれらの本のタイトルはすべて「どもり」が使われていました。部落差別が社会問題になり、言葉狩りが当時ありました。その流れで、「どもり」は放送禁止用語の中に入れられてしまいました。マスコミが自主規制しただけで、「どもり」に差別的な意味合いはありません。差別語だと考える中に差別意識が潜んでいるのかもしれません。

 2005年10月放送のTBSの『ニュースバード-特集吃音-』で、高校生たちが、「放送禁止用語にすることで、自分たちが差別されているような気がする。どもりも吃音も同じ意味なのだから、どもりを使ってほしい」と発言していました。TBSのアナウンサーも斉藤道雄・解説委員も「どもり」を頻繁に使っていました。

 「吃音」の「吃」は古い漢字で、吃音以外には使わないため、多くの人は吃音を知りません。「どもり」が使われないと、30歳で初めて自分の話し方がどもりだと知った人がいるように、僕たちの存在が消えてしまいます。「つまる」、「つっかかる」など、子どもに配慮して「どもる」を使わない専門家がいます。「どもり」は「吃音」に言い換えることはできますが、「どもる」は言い換えられません。名詞である「どもり」は仕方がないにしても、動詞である「どもる」は、使ってほしいと思います。

② 吃音について話す

「私の話し方、どうしてこうなの」と聞いても、「なんでもないのよ」と話題をそらすことがあったかもしれません。子どもが言いにくさを意識しているのに、知らんぷりされると、悪いことだと意識しかねません。吃音を意識することが悪いのではなく、マイナスのものと意識することを避けたいのです。

インターネットや書籍などの情報は慎重に吟味し、信頼できると判断した知識や情報は、包み隠さずすべて子どもに伝えましょう。幼稚園の子どもでも同じです。子どもが理解し、納得するかは問題ではありません。話の内容よりも親の吃音をオープンにする態度が重要です。知識や情報を親と子が共有し、吃音というテーマに、悩みながら、試行錯誤しながら、取り組んでいくのです。揺れながらも、一緒に考えてくれる同行者がいることが子どもに勇気を与えます。家族の中で、周りの人との中で、吃音の話題をタブー視しないことが、子どもの吃音肯定につながります。

③ 子どもの話を聞く

「学校、どうだった?」「友だちに笑われたりしなかった?」

 つい心配して尋問のような質問をしたくなります。親の心配の解消のためではなく、子どもが話したことに関心を持ち、驚いて、おもしろがって、もっと知りたいと子どもの話に沿った質問をしましょう。「ねえねえ、聞いてくれる?」と、近所や職場などで、うれしかったこと、困ったことなどを子どもに話しましょう。大人でも困ることがあり、それを話してもいいんだと分かれば、子どもは幼稚園や学校で起こった、うれしかったことや困ったこと、腹が立ったことなどを話してくれるかもしれません。話すことで得られる安心感、聞いてもらえることの喜びを親と子が対等の立場で経験することだと思います。

 子どもが、吃音の悩みや困ったことを話してきたら、「どういうことがあったのか」(事実確認)、「どう考えたか」(思考)、「どう感じたか」( 感情)「どうしたかったのか」(意図)、「そうするとどうなると思うか」(結末の予測)、「これからどうなればいいと思うか」(解決目標)など、整理しながら聞きます。いろんな場面で、親と子がこのような対話をする習慣をつけていくことが大切です。

④ 苦しそうにどもっている時

「子どもが苦しそうに話しているとき、言おうとしていることが分かったとき、手助けをしたくなるのですが、最後まで聞いてあげて下さいと言われているので、じっと待っています。子どももつらそうだし、私もつらいのです。どう聞いたらいいですか」

 このような質問がよくあります。あなたが、つらそうだと感じたら、正直に、「声が出なくてつらそうね」とことばをかけ、「こう言いたかったのかな」と手助けするのもいいと思います。無理をしてじっと待つと、つまらない緊張状態ができ、お互いにしんどくなります。そして、「さっき、先回りをして言ったけど、最後まで待っていた方がよかった?」と本人に確認しましょう。待ってほしかったと言われれば、これからは待てばいいのです。同じ待つでも、どうしたらいいか分からずに、緊張して待つのとは違うと思います。常に本人の気持ちを確かめることが大切です。どんなことでも子ども自身に聞いてみることが大切です。

⑤ 本や映画が好きな子ども

夜寝る前の10分でも15分でも絵本や児童書を読んであげてください。小学生の高学年になっても、絵本や文学の読み聞かせを喜びます。私の家にはたくさんの本があり、父親がいつも本を読んでいたので、自然に本が好きになりました。友だちがなく、孤独な僕を支えてくれたのは読書でした。中学生になってからは映画もよく観、図書館と映画館が、僕の唯一の居場所でした。僕は人生の大切なことは、読書と映画から学んだ気がします。人はいろんな苦しみを抱えて生きていること、その中でも夢をもって生きている人がいることを教えてくれました。

⑥ 自分を語る力を育てましょう

吃音親子サマーキャンプでは、子どもたちは実によく話します。私も21歳の時、仲間と出会って、どもることを気にしないで話せた毎日はお祭りのようでした。苦しかった気持ちを話し、聞いてくれる人がいることで、自分の問題を整理し、新しいことに気づきました。

 自分の気持ちがつかめない、感情表現ができない若者が増えたと言われます。自分の困っていること、悩みを的確に表現できないと、対処できません。自分を表現する力を身につけたいと思います。『話すことが苦手な人のアサーション』(平木典子・伊藤伸二 金子書房)に、自分を適切に表現するためのトレーニングについて書きました。いじめやからかいの対処に役立ちます。親子で、表現することを学びましょう。

⑦ 子どもと、楽しく声を出しましょう

吃音を治すことを目的とした「ゆっくり言う」訓練をしてはいけません。僕は子どものころから母親と一緒に歌った童謡・唱歌が、今の僕のことばを育てたと思います。歌うことで、息の吸い方、吐き方を繰り返していることになり、日本語の基礎レッスンになります。得意な歌、好きな歌を大きな声で歌いましょう。学校の宿題の音読練習は、子どもを苦しめます。学校でもしんどいのに、家庭でまで音読練習をすることはありません。学校の音読の宿題は子どもが済ませたことにして、好きな絵本や好きな詩を声に出して暗唱することを一緒に楽しんだらいかがでしょう。和歌、短歌、俳句、百人一首やカルタなどは、日本語のリズムを育てます。僕は大学生の頃、講談や詩吟、謡曲を趣味として稽古したことがありますが、子どもには、落語なども楽しいです。声を出して詩や興味ある文章を読むことは楽しく、気持ちがよいものです。

⑧ 親の課題と子どもの課題を区別しましょう

学校の中で、からかいに合いながらも、、音読で嫌な思いをしても、それをしのいで生きていくのは、子どもの課題です。友だちを作っていくのも子どもの課題です。その課題を奪ってはいけません。学校生活での心配や不安な親自身の気持ちを和らげ、解消するのは親の課題です。子どもの課題と親の課題は分離した方がいいと思います。親は子どもの生活上の必要なことだけをすればいいのです。子どもと切り離して、自分の課題として自分はなぜこんなに不安になるのだろう、何を学べばいいのかと自分で考えましょう。

⑨ 将来への心配はほどほどにしましょう

就職や結婚など先のことまで心配する人がいます。僕たちのどもる仲間はそれぞれに就職し、結婚し、子育てをしています。苦労しながらも、自分なりの豊かな人生を生きています。  40社の面接試験に落ちて、引きこもりそうになったときに、大阪吃音教室に参加して、いろんなことを勉強して元気を取り戻し、新たに挑戦して合格した人がいます。消防士になりたいけれど、緊急の無線連絡が不可欠な仕事に尻込みしていた学生が、どうせするなら自分のしたい仕事で苦労した方がいいとの僕たちのアドバイスで挑戦し、合格しました。その後、消防学校時代、「そんなにどもっていて、消防士として、市民の命が守れるのか」と叱責されたその人は、悩みながらも自分のできることをせいいっぱい努力し、1年間の消防学校時代を終え、今、楽しく自分の好きな消防士としての仕事を続けています。

 吃音が治ることは諦めても、人生を諦めなければ、大概の仕事に就けます。教師や医師、営業職など話すことの多い仕事に就いている人は、僕たちの仲間に実に多いのです。ことばの教室で、『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』(解放出版社)のどもる人の職業のワークに取り組み、どもっていても就けない仕事はないことを知った子どもたちは、目を輝かすそうです。仕事の本などを読んで、将来の仕事についてできるだけ早い時期から子どもと相談するといいでしょう。

⑩ からかいや真似への対処を子どもと一緒に考えましょう

子どもが、友だちに真似されたりして、学校に行きたがらない時は、子どもの話をまずしっかりと聞きましょう。どのような状況で、どんな気持ちで、どうしたいか、子どもに確認した上で、対策を家族で考えましょう。思いつく限りの、奇想天外なアイデアを含めて今後どうするかの選択肢を出し合います。深刻にならず、作戦会議です。幼稚園や低学年の場合は悪意ではなく、自分とは違うものに対する軽い気持ちからのものがあります。しかし、悪口や嫌がっていることを笑う場合は、担任を含めての対応になります。クラスでの説明を、誰が、どのように、どんな内容にするかも本人とよく相談して、最終的には本人に決定してもらいます。自分の力で考え、自分の力で解決していくことを学び、身につけていくチャンスです。できるだけ、最小限の援助にします。

 岡山のキャンプで子どもたちがこんな意見を出しました。

 ◇無視して、その場から逃げる ◇先生に相談して、やめてもらうようにお願いする ◇仲のいい友達がいたら、友達に相談する ◇真似をされるのは嫌だから、止めてと言う。それでもだめなら、殴る、あるいは大泣きをする ◇親にクラスの子どもたちに、やめてほしいと言いに行ってもらうか、手紙を書いてもらう。

 子どもたちと、それはいい、それは無理やなど、わいわい言いながら話し合いました。時に大人や友達の力を借りながら、自分の力で対処しています。子どもにとって、時に耐えることもあるでしょうが、弱音を吐けること、人に助けを求めることも大切です。いじめや体罰による自殺が報じられる度に、逃げるという選択肢を常にもつことの大切さを思います。

⑪ いじめへの対処はしっかりとしましょう

「学校におけるいじめとは、学校で意図的にある児童生徒に対して精神的苦痛を与えること」 夜回り先生の水谷修さんは定義し、大津市のいじめ事件などは犯罪だと言います。僕も同じ意見です。岡山の子どもたちが考えたことを実際に実行しても、何の解決もできなかった場合、いじめと考えましょう。その場合は、親と子は一緒に闘う必要があります。校長、教育委員会に連絡をとり、動き始めます。時には警察にも訴え、あらゆる人たちを動かして解決を図ります。多くの人がかかわってくれることは、他者信頼感を養うことになります。学校を休むのも選択肢のひとつですが、逃げながらも、たくさんの人と一緒に闘うことです。決して我慢をしないで、勇気を出して闘うことを子どもと一緒に考えましょう。しかし、いくら努力しても問題が解決されなければ、「学校へ行かない」も選択肢です。くどいようですが、「逃げる」は、常に選択肢として置いておきましょう。

⑫ 吃音のもつ力を大切に育てましょう

劇作家・演出家の鴻上尚史さんは僕たちと出会って、吃音を通していろんなことを考えられたのは、「どもる力」だとエッセーに書いていました。映画監督の羽仁進さんは、「吃音の背後には非常に広い世界がある。それをもっと見つめる必要がある」と、吃音のプラス面を探ろうと提案しました。このようなことばに出会うと、吃音が僕たちにとって、生きる上で大切なテーマであることを認識させられます。吃音に悩み、吃音と向き合うことが、生きる上で、大きな力になり得ます。私自身の体験からも、吃音親子サマーキャンプで出会うたくさんの子どもたちからも、子どもたちにこのような力を感じます。

 吃音に悩み、吃音と向き合うことで育つ力を挙げてみます。

 ◇テーマと向き合う力 自分の生きるテーマを見いだせない人が多い中で、否応なしに吃音のテーマに向き合うことになります。このテーマは、いろいろなことを学び、体験するきっかけを与えてくれます。

 ◇ことばを豊かにする力 早くからことばに敏感になることは、ことばを大切にするきっかけになります。また、言葉が出ないときの対処としての言葉の言い換えは、語彙を豊かにします。

 ◇考える力 吃音を生き抜くために、どんな力をつければいいか、真剣に考える力が育ちます。吃音を生き抜くために選択肢が広がり、考える練習をしていることになります。

 ◇マイノリティ感覚 鴻上さんは、教育で一番大切なことはマイノリティ感覚をバランスよく経験することだと言います。吃音はこのマイノリティ感覚を否応なしに経験できるのです。

 ◇孤独の力 僕は、孤独の中で、よく本を読み、映画を見て、自分に向き合うことができました。友だちが欲しいという思いが強かったからセルフヘルプグループを作ることができたのです。人を大事にする思いが強いのも、孤独で生きてきたからだと言えます。

与謝地方親の会

豊かな心とことばを育てる京都与謝地方親の会から、「ことばと教育」という冊子に投稿して欲しいと依頼を受けました。6回に分けて書いた文章を紹介します。20年以上も前に書いた文章ですが、考え方は、現在と全く変わっていませんので、そのままを紹介します。

基本的信頼感

私はアイデンティティの概念で知られる、心理学者、E・H・エリクソンのライフサイクル論が好きだ。私が吃音に悩み、吃音にとらわれていくプロセス、自分らしさを取り戻していくプロセスの説明が見事につくからだ。

エリクソンは、人間の生涯を8つの段階に分け、その段階ごとに体験しなければならない社会・心理的な発達課題を設定した。0歳から1歳の乳児期、基本的信頼感が不信感に勝ると次の発達課題、自律性、自発性、勤勉性へと階段を上るように発達し、階段を飛び越して次に進むことはできないとした。

続きを読む

親への応援歌 ↗

もう、30年近くも前のことになる。私が、大阪教育大学(聴覚言語障害児教育)の教員をしていた時、大阪市中央児童相談所で、母子通所言語訓練グループを週2回担当していた。3歳児検診で、ことばが出ないと診断された子ども達、自閉症、知的障害があると言われる子ども達だ。学生と研究生が子どもとプレイルームで遊び、私が親の個人面接やグループでの話し合いを続けた。その時、大勢のお母さんと出会った。

続きを読む

子どもへの支援―あなたはあなたのままでいい― ↗

どもりに悩んでいた頃、どもって自己紹介をしている自分への嫌悪感、どもる人間が将来どうなるのかという漠然とした未来への不安がふくらむ。小学校5年生で、もう中学生の新しいクラスでの自己紹介が怖かった。3月の、冷たい風に春の息吹が感じられ、新学年が始まる早春は、今でも、胸がキューンとしめつけられるような感じになる。  このように、どもりに苦しみ、どもりを治したい、どもりが治らないと僕の人生はないと思い詰めている子どもに、親は何ができるだろうか。

続きを読む

思春期の子どもへの支援

 精神医学や発達心理学は、思春期を、社会的・心理的な発達の過程の中で、「疾風怒濤」の時代だとし、最も大きな関心が寄せられてきた。

 12歳の少年が幼児を誘拐し、死に至らせるというできごとや、神戸の14歳の殺人事件は多くの人に衝撃を与えたが、事件を起こした子どもが、非行歴もないごく普通の子どもだと知って周りの人たちは驚く。

 これらの子どもに共通するものがあると私は思う。吃音に悩んで生きた自分自身の思春期を振り返って考えると、それは、「自分が嫌いだ」と自分に肯定感がもてないこと、安心して自分が自分でいられる「居場所」がないことの二つだ。

続きを読む

変わる力を育てる ↗

吃音に悩み苦しんだ21歳までの人生と、1965年にどもる人のセルフヘルプグループを設立し、活動し始めてからの38年の私の人生は、大きく違っている。吃音の悩みから解放され、自分らしく生きることができるようになった。

 この変化は吃音症状が改善されたことによって起こったのではない。どもるという事実を受け止め、吃音を隠したり、話すことから逃げたりせずに、これまで避けてきた人間関係の中に出ていき、人と人との直(じか)のふれあいの中から起こったものだ。

続きを読む

ゼロの地点 ↗

「どもることを意識させなければ、そのうち治ります」

 最近の新聞の子育て相談に、著名な心理学者が回答していた。保健所や児童相談所などでも同様のアドバイスがなされている。私の開設する吃音ホットラインにも毎日相談電話があるが、吃音を意識させないようにと、どもっても知らん顔をしてきたが治らずに、最近学校へ行きたくないと言い出したというような相談が実に多い。

 吃音を意識することがいけないのではなく、「悪いこと、恥ずかしいこと」だと、マイナスに意識することが問題なのだ。

続きを読む