私はアイデンティティの概念で知られる、心理学者、E・H・エリクソンのライフサイクル論が好きだ。私が吃音に悩み、吃音にとらわれていくプロセス、自分らしさを取り戻していくプロセスの説明が見事につくからだ。

 エリクソンは、人間の生涯を8つの段階に分け、その段階ごとに体験しなければならない社会・心理的な発達課題を設定した。0歳から1歳の乳児期、基本的信頼感が不信感に勝ると次の発達課題、自律性、自発性、勤勉性へと階段を上るように発達し、階段を飛び越して次に進むことはできないとした。

 私は、乳児期に両親からとても愛されて育ったとの確信がある。だからその後の自律性、自発性の課題を達成し、学童期までは順調に進んだ。しかし、学童期でつまずいた。どもるために朗読ができず、いつもおどおどと授業を受け、分かっている答えも、「分かりません」でしのぎ、発表もだんだんとしなくなっていった。そのうち、どもることとは関係のないクラスの役割さえもしなくなった。友だちと遊ぶこともなく、強い劣等感をもって孤独な学童期を生きた。劣等感に勝る勤勉性が全く育たないまま思春期を迎えたために、思春期の課題を達成できない。

 どもっている私は仮の私で、吃音が治って、流暢に喋れるようになってからが本当の私なのだと、吃音が治ることばかりを願っていた。自分を受け入れることができなかった。思春期の課題である自己同一性の形成がなされずに深刻に悩んだ。

 そのような人間が自分らしさを取り戻し、思春期の課題を達成し、次の青年期に進むためには、思春期の前段階である学童期の課題をもう一度やり直さなければならない。

 21歳の時に、吃音を治したいと吃音矯正所で4ヶ月の吃音治療を受けたが、治らなかった。しかし、私にとってそこは天国だった。初めて吃音の悩みや苦しみを話すことができ、聞いてもらえた。そして、初恋の人と出会えた。吃音について、時間の経つのも忘れて話した。このためていた吃音への悩みを、吐いて吐いて吐き出すことが私には必要だったのだ。さらに、どもりながら話す私自身をその人は、愛してくれた。吃音を否定し、自己を否定し、自分で自分が大嫌いだった私を、「あなたはあなたのままでいい」と、その人は愛してくれた。そう実感できたとき、孤独の生活に慣れ、人を信じなくなっていた私が、人を信じようと思うようになり、それが、後にどもる人のセルフヘルプグループを創立する原動力となった。

 セルフヘルプグループの活動は、私にとっては学童期のやり直しだといっていい。一所懸命何かに取り組む喜び、何かを達成したときの感動、リーダーとしての役割、これらは学童期には味わえなかったことだった。学童期の課題である、劣等感よりも勤勉性が勝り、有能感が育っていった。こうして私は、吃音を、自己を受け入れ、思春期の自己同一性も確立された。

 支援を必要とする子どもを前にした時、常に子どもが発達のどの段階にいて、課題の何が達成されていないかを見極める必要がある。

 子どもへの支援とは、その子どもや家族と共に、その課題をもう一度生き直すことだといっていい。多くの場合、基本的信頼感から一歩一歩、共に歩むことが大切だ。

【ことばと教育 第104号 2002.12.16】 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二