こっちの道もあったんだ

 《こっちの道もあったんだ》
 山を登っているイラストと共に、このことばが紙面の中央から大きく迫ってくる、毎日中学生新聞の記事は、僕たちの考え、活動を短い一言で言い表している絶妙なことばとして、心に残っています。
 吃音に悩んでいた頃、僕の前には、「どもりを治す」という一本の道しかありませんでした。どもる人を取り巻く社会全体がそうでした。そこに、こっちの道もあったんだ、という新しい生き方を示したのが、このことばでした。
 どんな道を歩いていくかは、その人自身の選択でしかありません。僕たちにできるのは、こっちの道もあるんだよと提示することだけです。多くのどもる人やどもる子どもたちとのつきあいで、こっちの道に確信を持って、提示し続けています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2016.2.22 NO.258 より、まず巻頭言を紹介します。

  こっちの道もあったんだ
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもりは必ず治る、治せる」の情報しかなかった時代、私が自分の人生を生きるには、「吃音を治す」しか道はないと思っていた。
 1965年、21歳の夏、「必ず治る」と宣伝していた東京正生学院で、必死に治す努力をしたが、治らなかったことを受け、私は、吃音を認めて生きる道を探り、秋にはどもる人のセルフヘルプグループ言友会を創立し、活動を始めた。また、親からの仕送りの全くない大学生が東京で生きるには、どもるのが嫌だからと、人と関わることや話すことを避けるという選択肢は私にはなかった。時に、どもることを笑われたり、なじられたりしながらも、私は働いた。それができたのは、同じように吃音に悩み、苦労しながらも、生きている仲間や先輩がいたからだろうと、今になって思う。
 私の人生と、セルフヘルプグループ活動の中で、「吃音を治す」ではなく、「吃音と共に生きる」ことができる確信が強くなっていた1975年。毎日新聞に、「どもりを治すソノシートを無料で配布」との民間吃音矯正所の記事が署名入りで大きく掲載された。私はすぐに記事を書いた八木記者を訪問した。
 「八木さんは、部落や障害者問題など、比較的まっとうな反差別の論理を新聞で展開しているのに、吃音問題で、なぜあのようなデタラメな原稿を書くのですか、と抗議を受けた」
 八木晃介さん(花園大学名誉教授)は当時を振り返っている。後に八木さんは、『吃音者宣言』(たいまつ社・1976)の出版に尽力して下さり、その後もよく私たちのことを記事にして下さった。その中でも、毎日中学生新聞に、別の道から山に登るイラストをつけて書いて下さった記事の「こっちの道もあったんだ」が、気に入っている。

 昨年、毎日新聞東京本社の女性記者から「吃音が発達障害に入っていることを、どもる人のセルフヘルプグループに知らされていなかったと、苦情のようなものがあったが、それはどのような事情によるものなのか」との問い合わせの電話があった。その時、アメリカを何でもスタンダードだと考える日本の役人が、当事者からのヒヤリングも話し合いの場もなしに勝手に入れたのだろうと想像で話した。後に、吃音が発達障害者支援法に入ったいきさつについて、厚生労働省の担当官が当事者に説明した記録が、全国言友会連絡協議会のホームページに掲載された。想像に近かった。

 厚生労働省は、発達障害者支援法を制定する際、発達障害を定義する審議過程で参考にした、世界保健機構(WHO)の「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD-10)」の該当項目の一つに吃音が入っていることを認識していた。一方で、「吃音は発達障害」と直接規定する科学的、医学的根拠は全くないことを、その担当者も認めている。

 吃音は、紀元前の時代から人を深く悩ませてきた大きなテーマではあるが、私は、吃音を病気だとも障害だとも考えたことはない。まして、一般的に知られるようになった、いわゆる「発達障害」と「吃音」とは、まったく違うものだと私は考えている。
 100年以上失敗してきたにもかかわらず、いまだに、専門家主導で、「吃音を治し、改善して、できるだけどもらない人間として生きる」の選択肢が提示され続けている。それに、今度は、政府主導のもとで、「吃音を発達障害と認め、発達障害者支援法で公的な支援を受けて、障害者として生きる」の選択肢が加わったことになる。一部の人にとって、この発達障害者支援法が役に立つことはあるだろうし、それを選択する人を誰も否定はできない。しかし、広く吃音の世界全体を考えた時、むしろマイナスの影響が大きいと私は危惧している。
 吃音を通常からは逸脱したものとして、「吃音を治す、改善する」と同様に、どもる人を弱い存在として、専門家や福祉の支援を必要とするものと位置づけことになる。それは、吃音の豊かな世界を否定することになりかねない。
 どのように選択肢が増えようと、私たちが、50年の年月をかけて育んできた「吃音とともに豊かに生きるかたち」「どもり文化」を、私たちは決して手放さない。
 「こっちの道もあったんだ」との選択肢を、常にしっかりと提示していきたい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/11

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