どもる子どもの親と臨床家のための吃音相談会~レジリエンス~2015年
「どもる子どもの親と臨床家のための吃音相談会」という名称の吃音相談会を、コロナ前は開催していました。最近は、直に会って相談するより、インターネットを使っての相談が主流になってしまったようです。AIに相談している人も少なくないことを、先日、テレビで見ました。そういう時代なのか、と古い人間の僕は思ってしまいますが。
2015年に開催した吃音相談会の様子を報告している「スタタリング・ナウ」を紹介します。この報告を読むと、やはり、直に、対面で、相談者とやりとりをしながら話し合うことの大切さを痛感します。このときは、レジリエンスをテーマにした相談会でした。子どものどもりについての質問を交えた自己紹介から始まりました。それに答え、質問が出尽くした後、今回のテーマであるレジリエンスについての話に入りました。紹介します。
どもる子どもの親と臨床家のための吃音相談会
会場 大阪市天王寺区・應典院
日時 2015年7月5日(日)
スタッフ 伊藤伸二、東野晃之(当事者)、
坂本英樹(保護者)、溝口稚佳子(元教師)
レジリエンスについて
伊藤 僕たちは、今、レジリエンスに注目しています。レジリエンスは、最近言われるようになったことばで、回復する力、弾力性、逆境を生きぬく力の意味で、困難な場面があっても、それに耐えて、自分なりの力を発揮する力と言えます。
日本でさかんに言われるようになったのは、2011年の3月11日の東日本大震災の後です。非常に厳しい状況で、トラウマになり、PTSDになる子がいる一方で、あれは自然災害だから仕方がないと受け止めて回復していく子どももいるなど、その人によって受け止め方に大きな差がありました。
レジリエンス研究は、1955年からの、ハワイのカウワイ島の調査から始まりました。
この島の地域の、非常に劣悪な環境、具体的には、麻薬中毒、アルコール依存、犯罪、貧困、虐待などの過酷な状況で育つ子どもは、大人になるにつれて同じように、虐待、アルコールや麻薬への依存、犯罪者に育つのではないかと、一般的には思われます。長年の調査で、確かに2/3は、そのような状態に近かったけれど、1/3の人は、立派な大人になったという結果が出ました。大変な逆境の中でも自分を失うことなく生き抜いた人たちをレジリエンスのある人だと考えたのです。
第二次世界大戦で、ナチスのドイツ軍に追われて、アウシュビッツに送り込まれそうになった子どもが、それから免れて生きたという経験をしながら、立派にいろんな分野で活躍している人がいます。その人たちにはどういう力があったのか。生き延びる力に精神医学や心理学が目を向けるべきではないかと考えられるようになりました。
これまでは、病気や障害や困難があると、それをなくす方向でのアプローチが考えられました。障害を軽減し、病気なら治すという方向です。それで改善できれば解決するのでしょうが、そうならなかったらどうするかです。これまで100年以上の吃音治療の歴史がありながら、治せていない吃音は、残念ながら治らないし、治せないと考えた方が現実的です。吃音を訓練によって改善するというあり方ではなくて、子ども自身がもっている自然回復力、自然治癒力、困難や逆境から耐えて生きぬく力を信じて、吃音に負けない子どもに育てていくことが、親や専門家として必要なんじゃないかと僕は考えます。これがレジリエンスです。
これは、レジリエンスのことばが広がる前にすでに、吃音の世界では言われていたことです。
1950年代、ウェンデル・ジョンソンが、言語関係図で、吃音は3つの軸で構成されるとしました。X軸はどもるの状態、Y軸は聞き手の反応(環境)、Z軸は本人の吃音や聞き手の反応に対する態度です。吃音の問題は、X軸だけではなく、Y軸の環境に影響を受けます。どもっていても、ちゃんと聞いてくれる学校やクラスや会社なら、どもる人は楽に生きられるが、環境が悪いと生きづらくなります。だから、Y軸への働きかけが、吃音の理解を促す社会への啓発です。でも、これには限界があります。いくら理解してほしいと言っても、社会全体がそうなるとは限りません。社会の理解ばかりを考えると、それはいつになるかわかりません。どんなに困難な状況でも、それに耐えて自分の力を発揮できる子に育てることを考えた方がいい。これが、言語関係図でいうZ軸へのアプローチです。1950年から提唱されながら、Z軸に対して何ができるかという具体的なことはアメリカ言語病理学にはありません。
1970年には、ジョゼフ・G・シーアンが、吃音氷山説を出し、吃音の問題は、目に見える吃音そのものより、海面下に沈んでいる、吃音から受ける影響である行動・思考・感情に問題があるとしました。行動は、どもりを隠したり、話すことから逃げたりすること。僕は逃げて逃げて逃げ回った人生を生きてきました。思考とは、どもっていると、大変なことになり、有意義な人生は送れないと考えるなど、自分を縛ってしまう考え方です。どもりは必ず治るはずだ、どもりが治ったら自分は幸せに生きられるなどの考え方も同じです。感情は、どもるかもしれないという不安や恐れ、どもったあとの恥ずかしさや惨めさを言います。
この海面下の行動・思考・感情に対してアプローチすべきではないかと、シーアンは1970年に提案しましたが、これも残念ながら、具体的に何をすればいいかの提案はありませんでした。
僕は、1965年の夏、吃音を治すために東京正生学院という吃音治療所に1か月泊まり込んで治療に励みました。秋には、どもる人のセルフヘルプグループを作りました。僕自身は学童期、すごく悩んできたから、どもっていれば、みんな悩んでいると思っていたのですが、学童期が楽しかった、中学校時代はクラブに入っておもしろかった、そんな人がいっぱいいました。僕はなぜあれだけ悩み、この人たちはあまり悩まなかったのか。また、僕は21歳から吃音に対する考え方が変わり、吃音と共に生きていますが、いつまでも、どもりさえ治ればと、吃音に悩む人がいっぱいいるのはなぜか。この個人差について、僕はずっと考え続け、次の3つの事実を認めようと言ってきました。
3つの事実
①治っていない…これは紛れもない事実です。3年ごとに開かれる世界大会に参加し、世界中の状況も分かっています。あまりどもらないように変化したくなった人は、僕を含めてたくさんいますが、治ったという人を僕は知りません。
②吃音の治療法がない…言いにくいときにこうすれば言えるなど、それぞれに工夫しています。ことばを言い換えたり、「あのう」をつけたり、ことばの順序を入れ替えたりし、あまりどもらなくなる人はいますが、治っているわけではなく、確実な治療法はありません。
③個人差がものすごくある…吃音の悩みや吃音から受ける影響の個人差です。すごくどもっているのに、冗談を言って元気な人もいる一方、ほとんどどもらないのに、すごく悩む人がいます。悩みは、どもる状態に正比例しません。むしろ、どもりの軽い人の方が悩みが大きいのではないかと思うくらいです。どもりを改善することはほとんど役に立たないということになります。
僕たちは、3つの事実のうちの個人差に注目します。ある人はすごく悩み、ある人はそれなりに生きている。どもりがほんとに障害になるのであれば、どもる人すべてがどもりに悩み、どもりの程度によってハンディの大きさが変わるはずです。これが、吃音が、病気や障害と違うところです。
この個人差から、今、レジリエンスに出会いました。
逆境や困難にあいながら、しっかりと生きていくために、どういう力が育っていればいいか。これは、どもる子どもたちの子育てに役に立つのではないかと思いました。レジリエンスの構成要素として7つを挙げている『サバイバーと心の回復力』(金剛出版)の7つの構成要素を説明します。
7つのレジリエンス
◇洞察…自分の問題について、気づき、理解する。
「吃音ワークブック」や「どもる君へいま伝えたいこと」、「どもりと向き合う一問一答」などの本を読み、どもりについてしっかり勉強して、どもりの本当の問題とは何かを理解することです。すると、子どもは子どもなりに、どもっていることは悪いことではない、そしてこれは自分の力ではどうしようもないことだが、自分でできることをがんばろう、となります。方向転換をすることができるのです。これを、洞察といいます。
僕らの仲間のことばの教室の担当者は、ワークブックを使って、子どもたちと、吃音に対する知識や、どもりとつきあう勉強をしています。言語訓練や言語指導ではなく、吃音の学習です。教科を学習するように、吃音のことを勉強するのです。吃音氷山説や言語関係図を学び、どもりを隠し、話すことから逃げ、人間関係を避けていると自分の将来にとって役に立たないということが分かれば、自分のどもりの問題が見えてきて、取り組むべき課題が分かってくるのです。
◇独立性…吃音と吃音の問題を区別し、吃音に支配されない、自分が人生の主人公になる。
主体性ともいいます。僕は、どもりに自分自身の人生の全てを左右されて、21歳まで生きてきました。どもりさえなかったら、人生の主人公になれると思っていたのです。そうではなくて、どもりながらも僕は人生の主人公だ、どもりを治すことはあきらめるけれど、自分の人生はあきらめない、そう考えることができることが独立性です。
消防士の兵頭雅貴さんは、消防学校時代、「消防士になる人間がこんなにどもっていて、どうするか。そんなことで、緊急のときに、東京都民の命が守れるのか」と言われました。でも、彼は、独立性があったのでしょう。人生の主人公は僕だ、どもりだからといって、自分の人生はあきらめないと思っているので、我慢して、厳しい指摘に耐えて、結局、彼は1年間、消防学校を続けました。今、ちゃんと東京都の消防署に勤めています。この前、メールがきました。確かにしんどいことはあるけれど、がんばっています。
病気や障害が主人公ではありません。そういうものに影響を受けないで、自分の独立性を発揮することが大切です。この独立性は、子どものころ、たとえば友だちがいなくても、一人で遊ぶことができるとか、お母さんがいなくてもある程度の時間、自分で耐えて、過ごすことができるとか、そういうことの積み重ねで育つものだと思います。僕が今、こうしてどもりから解放されてレジリエントに生きているのも、ひょっとしたら、この独立性があったからじゃないかと思います。
僕は、三重県津市から家出して、大阪豊中市で新聞配達店に住み込んで、大学受験の浪人生活を送りました。これは、独立性が強かったということになります。僕は、東京での大学生活を、親から一切の仕送りを受けることなく、学費・住居費・食費まで、すべて自分でやってきました。この独立性があったことが、吃音とともに生きるということにつながったのだろうと思います。
◇関係性…親密で満足できる人間関係、結びつきを大切にする。
このレジリエンスが出てきた背景は、親から虐待を受け、大変な家族の中で生きてきた少年少女たちが、愛してくれない親をあきらめ、別の大人と仲良くなろうとしたり、自分のことを理解してくれる友だちと仲良くしたり、人間関係を探すところから来ています。向こうから来てくれるカウンセラーや精神科医ではなく、自分から人間関係を積極的に求めていこうとします。これが関係性です。小さい頃に、親から叱られても、人なつっこく近所のおばちゃんにくっついてみたりする子どもがいると思いますが、そのように自分から関係性を作っていくと、自分の味方をつくり、どもっていてもそれを受け止めてくれる仲間を作り、社会の吃音に対する理解を広げるというものにつながっていくのです。人への関心や人を求めていく力、これは、レジリエンスに関係してきます。
◇イニシアティヴ…問題に立ち向かい、自分を主張し、自分の生きやすい環境に変えていく。
自分から率先して、何かに取り組むことです。子どもの頃に、何でもいいから、時間を忘れて、一所懸命好きなことにがんばることが、イニシアティヴにつながっていきます。主体的に何かに取り組む子に育てたいものです。何が好きなのか、何に夢中になれるのか、ですが、今の時代はすごいハンディがあります。インターネットの世界で、ゲームがあるからです。これは、結果として子どもにとってかわいそうだと思います。ゲームがなかったら、仕方なくとも関係性を求めたり、たとえば夏休みの宿題でも、昆虫採集で自分はこうしたいと思って主体的に取り組めるのに、今はゲームがあるから、ゲームに熱中してしまいます。すると、自分の寂しさが解消してしまいます。簡単に夢中になる代わりのものがあることは、子どもにとって不幸な時代ともいえます。だからこそ、よけいにゲームを遠ざけて、野外活動をしたり、自然とふれあったり、何かものを作ったりということを、親としてはできるだけ生活の中で心がけてほしいです。僕は、子どものころ、長い時間をかけてゴム動力プロペラ紙飛行機をつくるのを親が手伝ってくれた記憶が残っています。
◇創造性…悩みの中から自分を解放させていくプロセスが、新しいものを創造する。
僕は、子どもの頃から孤独で生きてきました。これは、今から思うとありがたいことでした。友だちもいなくて、時間がたっぷりあったので、図書館で小説や文学全集を読み、中学になると映画館に入り浸っていました。それはさまざまな人生を知ること、世界を知ることにつながりました。また、僕はずっと日記をつけていました。しゃべれない分、できるだけ自分の気持ち、くやしさ、悲しさを文章に書いて表現していました。これは、後になって、自分の気持ちをことばで表現することにつながりました。日記は後になって考えると、文章力を育てることになりました。文章でも、絵でも、音楽でも、何か自分を表現するチャンネルをもっているということが、すごく大事です。
できるだけ子どもの頃に、絵を描く、音楽を聞く、楽器を演奏する、小説などの文学や演劇、映画に触れる環境をぜひ作ってもらいたいと思います。僕が親に感謝していることのひとつに、僕の親が、いつも家で本を読んでいたことがあります。父親はいつも机に向かって本を読んでいて、僕の家には本がいっぱいありました。それが当たり前の生活でした。今、そのことはとてもありがたいことだと思います。その父親の後ろ姿を見ていたので、僕は日記を書いたり、ひとりぼっちのときには図書館に行って、本を読んだりしていたのだと思います。そのことが、今、本を書くことにつながっています。いまだに本に埋もれた生活をしているのは、創造性があったからだと思います。
また、父親は歴史的ないろんな話を僕にして聞かせました。また、当時としては珍しく、アメリカやヨーロッパの映画を観に連れて行ってくれました。本や映画が、自分の孤独を癒やすだけでなく、「人生にはいろんな楽しみ、苦しみがある」ことを教えてくれ、それが、吃音が治らないと理解した時に、「吃音と共に生きる」覚悟につながったんだと思います。
◇ユーモア…自分の欠点や弱点を人ごとのように笑い飛ばし、自分の嫌な気分を解放する。
障害や病気やいろんな生きづらさや困難を抱えていると、このユーモアの精神がないとしんどいです。僕たちは大阪吃音教室で、どもりをテーマにして、川柳やカルタを作って、自分の失敗を笑い飛ばしています。この、笑い飛ばすということが、困難な状態を生き抜いていく力の源泉になるだろうと思うのです。ユーモアの一番の源泉は、遊ぶことです。子どもの頃から、遊ぶということを大事にしてほしいと思います。遊べない人間は、学ぶチャンスを失ってしまいます。今は、子どもから、遊びが奪われてしまって、子どもが遊べない時代になってしまいました。今こそ、子どもに遊びを取り戻す必要があると思います。
自然の中で遊んだり、家族で遊んだりするといいでしょう。熱中して遊ぶと、声を出して笑うことも多いです。おもしろいことを一緒にしたと実感できることが大事です。よく「自信を持て。自信を持て」と言うけれど、僕は、勉強はできなかったし、いいところなどありませんでした。そんな僕は自信など持てなかったのです。でも、長所はないけれども、僕には好きなことがありました。少なくとも、好きな読書や映画があったから、非行に走らなかったのだと思います。何か好きなものを親子で見つけ出すといいでしょう。そのためには、親子でできるだけいろんな経験をすることです。いろんな経験を親子で一緒にする中で子どもがちょっとでも関心を示したり、好きなことはないかとみつけることです。これがユーモアにつながるのではないでしょうか。
◇モラル…充実したよりよい人生を送りたいとの希望をもつ。
自分の人生に対して「どうでもいい。どっちみち一緒だ」と思うのではなく、自分なりのいい人生、自分自身の納得のいく、豊かな人生を生きるんだというものを子どもの頃から考えることが大切です。経済的に豊かで、社会的に評価されるということではありません。子どもが意識的に身につけられるわけではないので、大人は子どもに、大人になったらこんないいことがあるよ、楽しいことがあるよ、と伝えることです。自分のことだけでなく、他の人の人生でもいいです。こんなことをした人がいる、こんな生き方をした人がいる。そんな偉人伝が昔はたくさんありました。僕はそれに影響されました。キュリー夫人伝、チャーチル伝、ガンジー伝など、いろんなものがあって、そういうものを読みながら、人生とは高潔なものだと思いました。僕は、ガンジーが好きで、ガンジーの生き方に関心を持っていました。今は、「偉人伝なんて・・」と言われるくらい、影を潜めているけれど、人生とはいいもので、こういう生き方をしている人がいるということを語りたい。人生を熱く語れるような大人でありたいと思います。そのことが子どもに影響していくのではないでしょうか。僕の父は、自分の人生を熱く語る人でした。「鶏口となるも牛後となるなかれ」「清貧に甘んじる」など、何度も聞かされました。それが、今の僕の中に生き続けているのは不思議です。
7つのレジリエンスの要素について、僕なりに解釈したことを少し話しました。これらすべてを持っている人はいないでしょう。おっちょこちょいですごくおもしろいは、ユーモアの要素です。それだけでも、困難な場を乗り切る力になります。考える力があって、物事の本質を見極める力があれば、人間関係がうまくいかない子であったとしても、本質をとらえられるかもしれません。
7つはお互いに関係してくるので、7つの中の、何かひとつでも、子どものころから育てていけば、他のことにも波及し影響していくでしょう。困難な状況であったとしてもそれにくじけてしまわないで、なんとかなるというような子どもになってほしいなと考えています。そういう子どもに育てることは可能だと思います。どもりを治す、改善することはできなくても、どもりに負けない子どもに育てることです。7つに3つの要素を僕はつけ加えますが、その中の一つ、楽観的な人生観についてもう少し話します。
◇楽観的な人生観
僕はものすごく悲観的でした。でも、ギリシャの財務危機のニュースで、ギリシャの人たちが「仕方がない」という意味のことばをよく使うことを知りました。経済危機の、将来への不安がいっぱいのはずのギリシャの人たちのことを、僕たちは大変だと思うけれど、彼たちは「仕方がないやん」と思っているようです。こういう感覚は、すごく楽観的です。普通なら、そんなに楽観的になれるわけないだろうというときに、1日に8,000円しか銀行からお金を引き出せないときに、コーヒーを飲んでいる場合と違うだろうと思うけれど、コーヒーを飲んで談笑しているニュース映像が流れていました。「まあ、いいか」ですね。
ネガティヴになれば、吃音は大きくのしかかってきます。楽観主義というのは、親に影響されます。親が物事を悲観的に考える傾向にあるのだったら、根拠のある楽観主義者になって下さい。僕はアメリカ言語病理学を信頼し、「吃音を治す、改善する」方向を捨てられない人たちは、根拠のない楽天主義だと思います。吃音が治らないのを、「まあいいか、しゃあないわ。できることをしっかり努力しよう」は、根拠ある楽観主義です。僕たちを含め、たくさんの人たちが、「吃音とともに豊かに生きている」のは、まぎれもない事実です。
一生懸命がんばればできることは一生懸命がんばるけれど、世の中にはどうしようもないことはあるのだから、がんばってもできないことは仕方がないと思いましょう。世の中には、アルコール依存症やギャンブル依存症や虐待のグループなど、たくさんのセルフヘルプグループがあります。その人たちが大事にしていることばの中に、ニーバーの平安の祈りというのがあります。自分ではどうすることのできないものを変えようとして自分の人生を見失った人たちは、努力すべきことは何かを見極めます。
変えることができるなら、変えていく勇気をもとう。
変えられぬものはそれを受け入れる冷静さをもとう。
変えることができるかできないか、見分ける知恵をもとう。
これはすばらしいことばだと思います。変えられないのに一生懸命治そうとがんばったらエネルギーを消耗するだけです。そして、自分はだめな人間だと思ってしまいます。変えることができるのなら、一生懸命がんばればいい。全てにがんばるのではなく、がんばれるところで、がんばって達成できるところでがんばればいいのです。
レジリエンスについて、一応話してみました。今の話に対しての感想と、質問があったらどうぞ。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/24

