恐怖に直面しよう
「スタタリング・ナウ」2015.8.20 NO.252 では、『人間とコミュニケーション―吃音者のために』(日本放送出版協会 内須川洸 大橋佳子 伊藤伸二 訳・編) の中から、2編を紹介しています。今日は、ソル・アドラーです。ソル・アドラーは、どもるどもらないにかかわらず、恐くてもどもりながらも話していこうと提案しています。どもる人のレジリエンスへの信頼が感じられる提案です。
1986年の第1回吃音問題研究国際大会(世界大会)で、ジョゼフ・G・シーアン夫人が、夫の代わりにこの大会に参加したと前置きし、ひどくどもる人に、「どんなに恐ろしくても、どんなにどもっても、どもって話し続けるしかありません」と何度も強く訴えていたのが、強く印象に残っていますが、その姿と重なります。
恐怖に直面しよう
ソル・アドラー テネシー大学教授(言語病理学)
どもる人を悩ませるものは何か
私は青年時代に、多くの吃音に悩む人と同じように、吃音から解放されたいと心から願っていました。それは、希望と絶望感が交互に襲ってくる、吃音にとらわれた日々でした。
吃音が少し軽くなれば、このまま治ってしまうのではないかと喜び、反対にどもることが多くなると、人生が真暗闇になったような絶望感に襲われました。もちろんこれは、私だけのことではなく、多くのどもる人が同じような気持ちを味わってきたことでしょう。
しかし、自分を悩ませているもの、絶望感を抱かせるものは、本当は何であろうかと、じっくり考えたどもる人はそんなに多くないようです。
どもる人が悩むのは、どもるからということだけなのでしょうか?
どもったときに、相手がどう思うかについて感じる恐れなのでしょうか?
おそらく、後者ではないかと私は思います。
どもる人はたいてい、自分がどもったことに対して、他人がからかったり、軽蔑したりするのではないかという不安を、あまりにも持ちすぎます。しかし、このような不安は少なくしていくことはできるのです。そのような心配や不安、そして絶望の気持ちは、私にもよく覚えがあります。
もし、これらのいやな気持ちを追い払う方法を学べば、自分を吃音の悩みから解放することができます。事実、これまで多くのどもる人が解放されてきたのですから、やってみる価値はあると思います。
恐怖に直面する
そのような不安を少なくしていくための有効な方法を示してみましょう。
それは、あなたの抱いている恐怖に直面しなさいということです。
この助言をどもる人に与えることは簡単なのですが、いざ実行となると明らかに難しいと思います。しかし、この恐怖に直面するということは、これまで多くのどもる人が実行してきたことです。あなたにも、できないことはないと思います。
恐怖を抱きそうな場面や、話さなければならないような場面に、どんどん出ていくとよいでしょう。そうして、どもることで起こってくる恐怖に直面してください。
吃音に悩んでいた当時の私が、言語障害の専門教育に入ったはじめの頃に、この恐怖に直面する場面訓練を徹底的にやり、不安を少なくしていくことができました。一日や一週間、一ヶ月でそのような状態になったわけではありません。それはまったく遅々とした歩みでした。実は、私にとっては大変な仕事だったのです。しかし、私はやり遂げました。また、他のどもる人もやり遂げてきたのです。ですから、あなたもやり遂げる決意をし、実行すればできると信じています。
とにかく、いろいろな場に出て行き、どもりながらも話すことです。それを続けることによって、他人の示す反応に対して抵抗力をつけるのです。あなたがどもったときに、相手が嘲笑したり、さげすんだまなざしで見るかもしれません。また、これまで恐れてきた相手の反応は、実は自分の想像にすぎなかったと気づくかもしれません。それらの実際の反応にせよ、また想像にすぎない反応にせよ、それらで自分の心をかき乱されることのないようにすべきなのです。
このように「相手の反応を恐れるな」といわれても、実際できないものが吃音に悩んでいる人です。しかし、多くの人が実際にやり遂げてきたことをもう一度考えてください。私は、自分の抱いていた恐怖に徐々に立ち向かっていくことによって、自分で決めた納得のいく到達点までこれたのだと思っています。また、同様にして、自分のもつ恐怖に直面することに全力をあげた多くのどもる人がいます。自分に適したペースで、いろいろやってみることをおすすめします。
しかし、あまりにも恐怖が強く、とてもそれに立ち向かえない場面があるかもしれません。どもる人は、小さい頃からどもることで失敗したり、笑われたりした経験を積み重ねてきました。そのため、その場面を想像しただけでも、恐ろしくなるのです。このように、生来的といってもよいような根深い恐れのある特定の場面には、とても恐怖に直面することなどできないと思うかもしれません。しかし、そのような場面でもあきらめず、たゆまずにやり続けてください。できるだけ何度も何度も正面から恐怖にぶっかってみるのです。そうすることによって、どもることへの不安が自然に消え、どもることも、もっと少なくなるでしょう。つまり、結果としてどもる度合が減ったことに気づくのです。
人間、年をとるにつれて、これらのことを実行する能力がついてきます。なぜなら、社会に出て働いたり、人前に出ることが多くなると、いつまでも、どもるのがいやだ、恐ろしいからといって、話す場面を避けているわけにはいかなくなるからです。つまり、いやおうなしに、恐怖にひんぱんにぶつかることになるのです。しかし、年をとって、そのような力が自然に身についてから、恐怖にぶつかっていこうなどと考えていけません。
まず電話から
どのような場面でどもることを恐れるか、全部書きだして、あなたのリストを作ってみると参考になります。
おそらく、そのリストには、日常の生活のありふれた場面がかなり含まれているはずです。たとえば、どもる人の多くは、電話をかけることをまず挙げます。かかってきた電話をどうしてもとらなければならないときとか、どうしても電話をかけなければならないときに、かなりの苦痛を覚えます。
私も、電話のベルが鳴っていたときに耳が聞こえないをよそおったことがしばしばありました。ときどき、不運にも、自分の前の電話が鳴って、「どの電話に出たらよいのかしら……」などとごまかすことができないときは困りました。このように、電話で話すのが恐ろしい人は、毎日のように電話をかけてみることです。そして、電話をかけるときに、いろいろなどもり方をしてみるのです。電話の恐怖に立ち向かうには、どもりながらも、電話を積極的にかけることが一番です。
このような経験があります。自分のところに相談に来たどもる人に練習のための電話をかけさせました。その電話をかける際に、呼び出してもらう相手の名前を終わりまで全部言わずに、初めの音だけを「カ・カ・カ」とくり返したままで言うようにという指示を与えておきました。
たまたま電話に出たのが非常に親切な牧師さんでした。そしてそのときちょうど暇だったようです。どもっているのに対して、「気持ちを楽にして」「電話を途中で切ったりしませんから」とやさしく励ましてくれました。ところが、こちらは2、3分の間「カ・カ・カ……」とくり返し言っているだけです。とうとう牧師さんは、絶望的な口調になって「こちらには『カ』という人はおりませんよ。すいませんが急ぎますので……」と言って電話を切ってしまいました。
このようなことや、またこれに似た経験から、どもる人は何が学べるでしょうか。電話で話すことを恐れるなということです。なぜなら、どもる人が電話をかけたとき起こる最悪の事態は、せいぜい相手に電話を切られてしまうか、何か軽蔑のことばを言われるくらいです。いずれにしても、それによってこの世の終わりということはありえないのです。
このようなことをくり返し練習していくにつれて、しだいに耐える力がついてきます。そして、他人が自分に対してどのように反応するだろうかということを、あまり気にしなくなります。ついには、あまり恐れたり心配したりしなくなり、さらにはあまりどもらずに電話をすることができるようになります。
知らない人に話しかける
電話のほかにどもる人が恐れるのは、知らない人にいろいろものをたずねるときです。あなたもこのようなときは困ると思います。
私自身がしたり、私が相談を受けているどもる人にさせていることは、道を歩いている人を呼びとめたり、店に入ったりして時間や道順やものの値段をたずねることです。私の大学の講座吃音臨床実習では、どもる人に出す課題はすべて、どもらない学生がはじめに率先してやってみせることになっています。つまり、手本をまず示すことになっているのです。ですから、学生はみんなに先立って手本として見知らぬ人にどもって質問をしなければなりません。
しかし、学生はどもりませんので、偽ってわざとどもってみせることになります。つまり、うまくどもるまねをしなければならないのです。これらの学生は、このようなことを実際に行うように求められると、非常に不安な気持ちになることがわかりました。すなわち、どもる人がどもりながらも見知らぬ人にものをたずねるのは大変だということが、体験を通して理解できるというわけです。
一方、どもる人がこのような練習を素早く次から次へと行えば、話すことへの不安は減っていき、ついには消えていきます。たとえば、10人とか15人とかの人々に、「吃音の原因は何だと思いますか」、とたずねてごらんなさい。8人目か9人目の人が答える頃には、この質問をし始めたときに味わったような恐怖はもう全然なくなっていることに気づくでしょう。答えられない人もいるでしょうが、答えてくれた人々に対しては、あなたは実際に耳を傾けたり議論をすることができます。
このとき、会話を楽しんでいる自分に気づいて驚くかもしれません。
吃音について知る
吃音の原因や本質について、誰かと実りある議論をしたり、ディスカッションするには、吃音に関するいろいろの情報を得ていなければなりません。どもる人は、吃音というこの言語障害についていろいろ知っているでしょうか。もし知らなければ、知る努力はすべきです。もし図書館で十分な情報が得られなかったら、本書の編者に手紙を出してさらにくわしい情報を求めるか、専門機関に手紙を出すとよいと思います。
あなたのご両親とか、先生やそのほかの人々から得る吃音に関する情報で、誤っているものは、そのまま受け入れてはいけません。なぜなら、それらの人々はあなたに好意をもち、助けてあげたいと思っているかもしれませんが、おそらく吃音に関してはきわめて無知だからです。逆に、皆を教育してあげることです。しかし、それには自分自身をまず教育しなければなりません。
どもる仲間を得て助け合う
私はほかのどもる人と接することによって、彼らの経験から学ぶものが非常に多いことがわかりました。
どもる人の仲間を探してごらんなさい。意外とおおぜい仲間がいることがわかって驚くかもしれません。そして、知り合った人とグループを作るとよいでしょう。そうすることによって、お互いに助け合うことができるのです。あなたを信頼し、あなたの吃音の問題を理解してくれそうな人に出会ったら、問題に取り組みやすくなるでしょう。そしてどもる人どうしで話す場面をできるだけ作り、話す訓練をやり合ってください。
お互いに交代で”指導者”や”被指導者”になるのです。このとき、指導する側が練習上要求するものはたとえ何であれ、それらのすべてを”指導者”が先に実践してみせなければならないという条件を設けるとよいでしょう。話す場面を増やしていく中で、練習仲間のどもる人があなたの吃音にどのように反応するかを見てみましょう。彼らの顔がしかめ面になったり、ショックまたは驚きで表情が変わったりするかもしれません。あるいはまた、そのようなことはないかもしれません。あなた方のどちらもが、客観的になってお互いを注意深く観察するのです。また、反応に関する記録ノートを交換してみたりすると、この練習が楽しくさえなるかもしれません。
さらに、あなたのグループで人格の形成とか発達などについてディスカッションするとき、忠告を与えてくれそうな有能で理解のある専門家の指導を得るよう努力するとよいでしょう。もしそのような専門家がいなくても、あなた方だけでディスカッションしてください。このディスカッションによる自己反省、または自己分析が、私にとって非常に役立ちました。なぜなら、私が何に悩んでいるのかということを知るために、自分自身をみつめることができたからです。実は私が嫌っていたものは、どもるかもしれないという恐怖から始まった多くの行動であったことを私は悟りはじめたのです。
新しい人生へ
私がこれまで言ってきた非常に重要なことがらについて、まとめてみましょう。
①吃音に関するすべてのことを学びなさい。
吃音について書いてある本は何でも読んでごらんなさい。
②あなたの抱いている恐怖にできるだけひんぱんに直面しなさい。
もし実際にしりごみしたくなったときにも、あきらめないで、これらの恐怖を抱く場面に正面からぶつかってみることです。
ある程度一貫してこれを行うことができるようになれば、あなたは”新しい人生”を見いだすことができるでしょう。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/21

