新・吃音ショートコース 1日目

 またしばらくブログをお休みしました。
 10月19・20日は、第26回島根スタタリングフォーラムでした。僕たちの滋賀での吃音親子サマーキャンプは33回続いていますが、それに次ぐ回数です。ことばの教室の担当者が変わっていく中で、事務局が、上手にバトンを渡してつないでいってくれたのだと思います。島根にはたくさんの思い出があります。
 その前の週、12・13日は、新・吃音ショートコースでした。ショートコース前日の11日は、明石の豊岡短期大学姫路キャンパスで「アンパンマンの秘密」について、知人で幼児教育・絵本の専門家長谷さんの話を聞きました。僕たちは遠くに旅行することが多いのですが、今回は明石へのショートトリップでした。
 その前の週、5・6日は、ちば・吃音親子キャンプでした。
 3週連続のイベント、その合間を縫って、「スタタリング・ナウ」の編集・入稿をするというかなりハードなスケジュールでした。
 今は、島根の帰りで、蒜山高原に滞在しています。明日、大阪に帰るので、つかの間の休憩です。木々が色づき始めています。あいにくの雨なのですが、雄大な自然の中に身を委ねるだけで、幸せな気持ちになります。ということで、疲れていると思いますが、元気にしています。千葉のキャンプと、アンパンマンについては報告したので、今日は、新・吃音ショートコースの一日目を紹介します。

 新・吃音ショートコースは、今年で7回目でした。テーマを、「吃音哲学~吃音の豊かな世界への招待~」とし、最初からプログラムを組まず、参加者が集まり、そこで何をしたいか、何について考えたいかをまず相談することからスタートします。参加者が自ら決めることを大切にしたワークショップです。
 今回、集まったのは、急な体調不良によるキャンセルを除いて、17名。島根、千葉、滋賀、三重、奈良、兵庫、大阪からの参加でした。自己紹介から始まりました。申込書に、何をしたいのか、要望を書いてもらっていますが、このときに、自分は何をしたいと思って参加したのかを話してもらいました。

 まず、会社で、対話とは何かの研修を受けたが、果たして、たとえば、上司と部下の間で、対話は成り立つのだろうか。研修の講師は、上司はその立場を脇に置いておいてと言うが、難しいし、部下は部下で、グチや不満を並べるだけになってしまう。上司としての、また部下としての心構えとして、何があるだろうか。また、どもる人にとってなぜ対話が必要なのだろうか、という話が出ました。

 対話と会話の違いについて話した後、フランスの「小さな哲学者たち」のドキュメンタリー映画を紹介しました。幼稚園に通う子どもたちが、愛について、死について、友情について、など、大人でも難しいと思われるテーマで話し合いをしています。その場には必ず幼稚園の先生がファシリテーターとして入っています。子どもたちは、この哲学の時間を楽しみにしています。
 では、どんな場だったら、自由に話せるだろうか、と参加者に問いかけました。
・自分が傷つけられない、批判されない場
・安心できる場
・信頼でき、自分を認めてくれる場
・安心でき、安全な場
・平等に時間が与えられる場
・存在してもいいという雰囲気がある場
・年齢、利害関係など関係なく、対等な立場である場
・出た話はその場限りということが守られる場
・評価されない場
・責められない場
・必ず誰かが応答してくれる場
・他人のことばを紹介するのではなく、自分の人生を賭けて発言する場

 どれも、そうだなあと思います。こういう場でないと、人は話すことはできません。こう考えてくると、最初に出てきた、職場で上司と部下の間で対話は成立するかというと、日本では、かなり難しいと僕は思います。上司の立場の人が、上司という役割を脇に置くことができれば、可能かもしれませんが、日本の場合、難しいでしょう。
 すると、対話は無理、考えるということができなくなってしまいます。では、どうするか。
 対話は、何のためにするのでしょう。他者との対話を通して、自分が自由になるためです。身につけてしまったものから解放されるためには、自己内対話では無理です。独り言だと固着してしまいます。対話は、お互いが生きやすくなるため、自由になるため、ストレス対処のためにも大切です。会社でどう対話を成立させるか、他の部門の人どうしなら成立するかもしれません。利害関係のない上司と部下なら、成立するでしょう。そして、上司同士が、対話の難しさなどについて共有していくことで、対話の大切さとともに、そのときの心構えも共有できるではないでしょうか。

 以上、まとめた形で紹介しましたが、ひとつの結論は出すことが目的ではない対話が、参加者がそれぞれ意見を言い合い、聞き合いして、対話を繰り返しながら、続いていきました。

 参加者からのオープンダイアローグのフィッシュ・ボウルを経験したいとの要望を受けて、できるかどうかわからないままに、参加者のひとりが今、抱えている問題を取り上げることにしました。フィッシュ・ボウルに完全な形があるわけではないでしょうが、今回はかなり変形です。真ん中の小さな円には4脚の椅子を置きます。そこに、問題提供者と僕が座り、固定席としました。そしてもうひとり、参加したい人が座り、もうひとつの椅子が空いています。外の大きな円には、そのほかの人が座り、中の話を聞きます。話したくなったら、真ん中の小さな円の空いている椅子に座ります。それまでそこにいた一人が抜け、常に椅子はひとつ空いている状態にしておきます。
 個人的な大きなテーマなので、長い時間、話しました。決して急がず、ぽつりぽつりと出てくることばを大切にしながら、どうしてそう思うんだろうと問いかけていきました。本人が、自分の問題の核心に近づいていくのがおぼろげに見えてきます。いろんな意見が、混声合唱のように、本人の頭の中に響いていたことでしょう。そして、僕は、最後に、「これで終わっていいですか。何か最後に言っておきたいことはありますか」と尋ねました。「ありません」と言った本人の顔は、なんかすっきりと見えました。最後に、この対話を聞いていた参加者全員が、レスポンスをしました。このレスポンスがとても大事です。応答性です。ひとりひとりが、自分のことと重ね合わせて聞いていたことが分かるレスポンスでした。本人は、最後に、「うれしい。昔と比べて、こんな会に参加して、こんな場に出るなんて、自分でも信じられない。変わってきたんだなと思った。みんなの経験を聞いて、自分に対していろいろ言ってもらえるのがうれしかった」と言いました。

 ここで夕食の時間となりました。夕食後は、発表の広場でした。「若者言葉の「大丈夫です」は、大丈夫か」と「医療機関での言語聴覚士による吃音へのアプローチ」を聞きました。また、参加者の尺八演奏に合わせて、みんなで歌を歌いました。ゆったりとした気分になりました。最後、いつもなら、ことば文学賞の発表なのですが、今回は該当作品なしということで、締め切り延長としました。
 最後に、資料として配付した、毎日新聞の東京版を読んで、感想を言い合いました。

 濃い時間が過ぎていきました。午後10時まで、警備担当の人から「時間です。退出してください」と言われるまで、目一杯時間を使いました。血の通ったことばのやりとりの時間は、僕にとって何よりの贅沢な時間でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/22

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