私と『スタタリング・ナウ」』(9)

20年以上も前に、私と『スタタリング・ナウ』とのテーマでお寄せいただいた、多くの方の原稿を読み返しています。年齢も職業も生きてきた背景もそれぞれ異なる人たちが、『スタタリング・ナウ』というひとつの共通のものを読んで、これだけバラエティに富んだ感想をお寄せくださいました。その豊かさに驚いています。今回、五味渕さんが「私にとって一番の衝撃は91号のウェンデル・ジョンソンの診断起因仮説秘話であった」と書いています。これは、ジョンソンの人類史上まれにみる「人体実験」として、NHKが「フランケンシュタインの誘惑」で放送して、大きな反響がありました。その放送に少しかかわったので、2002年に取り上げたジョンソンの診断起因説についてもう一度、『スタタリング・ナウ』で、新たな視点で取り上げたいと考えています。
 では、その五味渕さんの文章を含めて紹介します。

  合宿研修会場の縁
                      末高貴子 銀山寺(大阪府)
 銀山寺は、日本吃音臨床研究会のお芝居の稽古や、ことばのレッスンなどの宿泊研修会場のお世話をさせていただいています。
 このような伊藤伸二さんとのつきあいが続いているのは、銀山寺が伊藤さんの菩提寺だからと言うだけでなく、私も障害者と共に生活をしていますので、その気持ちが分かるからだと思っています。たとえ少しでも障害を持つことは、それだけで自分の殻に閉じこもったり、コンプレックスを持ったりして、胸を張って生きていけなくなる人が多数います。そんな人たちに勇気や感動や克服する力を与える仕事をされている研究会の皆様に、心から敬意を表します。
 1泊2日の研修会はいつも大きな笑い声と、歌声があふれています。ところが、もれ聞こえてくるのをよく聞いてみると、レッスンは、歌の音程の取り方なども大変厳しいもので、何度も何度も繰り返し練習されます。私が聞いていて「もうそれくらいでいいんじゃないの?」と思っても、「○○さん、もう少し高いよ」となかなか妥協はされません。
 楽しそうに見える中でのこの厳しさは、“如何に正しく子どもや親に伝えるか”と言うところがあるからだと思います。この精神があるから人を援助することが出来るのでしょう。
 私もこの年になってまた仕事をいただきました。民生委員の中の主任児童委員です。とてもありがたいことだと思っています。まだ私を必要だと思って下さる方がいる、それだけで励みになります。
 この8月から子育て支援サークルM.B.C.C(マザー・ベビー・チャイルド・コミュニティー)を立ち上げ、月に1度ですが、地域の子どもと親を見守っています。目標はこの小さなサークルを全国に広げ、その輪が1つになることです。私と出会った方や話をした方から、「貴女と会うと元気になるわ」とよく言われます。私はたぶん『元気の素』を持っているのでしょう。この原稿を読んでくださった方も、元気になって下さったらとても嬉しいです。みんなで元気に歩き、ご縁があればどこかで『出会い』ましょう。

【吃音親子サマーキャンプでは、子どもたちと演劇に取り組みます。竹内敏晴さんの演出指導を受ける合宿が、ずっと銀山寺で行われ、お世話になっています】

  実体験に根差した考え
                 池見隆雄 (財)日本心身医学協会理事(福岡県)
 伊藤さんの巻頭言は、実体験に根差した考えの筋道が展開されており、説得力があります。また、体温のような温かみが伝わってきます。それは、伊藤さんとセルフヘルプ・グループの仲間たちとの間に通い合う温かみでもあるようです。
 いつか伊藤さんと対話していたときに、伊藤さんにとってどもるというのはごく自然な在り方なのだと心から納得のいった覚えがあります。その自然さに社会常識に合わせようと負荷をかけるときに、一個人としてバランスが危機に瀕するわけでしょうね。それを最初は周囲の多少の抵抗や無理解にさらされても、自然に打ち任せてゆくときに、その人なりの人生が開けてくる。周囲もそれを承認せざるを得なくなる。そして、自分の自然を個性として生きてゆくには、仲間の支えが何よりの力のように思います。

【池見さんも、心身医学協会という団体の責任者として、エネルギーを注いでおられます。その活動内容には共通するものが多いように思っています】

  日本唯一の吃音専門情報紙
        村上英雄 岐阜県立希望が丘養護学校教頭 岐阜吃音臨床研究会(岐阜県)

日本唯一の定期刊行の吃音専門情報紙が記念すべき100号を迎えたのは、やはり伊藤さんをはじめ、事務局の皆さんのチームワーク抜きでは語れない。日々の努力に敬服するのみである。
吃音問題に常に大きな夢をもち、時には構想が大きすぎて重荷になっていることもあるけれど、『スタタリング・ナウ』は多くの熱心な読者に支えられて継続している。私にとって大切な情報紙である。
今後、『スタタリング・ナウ』に多くの会員、読者から吃音の情報・実践がたくさん寄せられ、紙面が賑わうことを願っている。(100号の中で自分がどれだけ投稿したか、自省中)

【岐阜吃音臨床研究会が口火を切った形で始まった臨床家のための吃音講習会。今年は3回目を岐阜で迎えます。確かに根付いてきているものを感じます】

  衝撃の診断起因仮説秘話
                              五味淵達也(岐阜県)
 スタタリング・ナウが100号を迎える。続いて当たり前の感覚で、毎月中旬には必ず配達されるものと決め込んでいる者にとって、50号も100号もさして変わりなく受け取ることだろう。しかし、よくよく考えてみると、これは大変なことなのだと改めて考えさせられる。
 スタタリング・ナウは伊藤伸二さんの全身全霊とその情報網を生かした全世界のどもりの情報が高密度で詰め込まれており、私にとって二つとないどもり知識の吸収源で、これがなかったら(ということは伊藤伸二さんとお会いしていなかったらということだが)、どもりについての私の知識は古くさいかびの生えたもののままだったに違いない。それ程大切な情報源のスタタリング・ナウが100号を迎えるということは、この100ヶ月の間にどれだけ啓発され、リニューアルされ、どれだけ励まされたことだろうか。計り知れないものがある。
 過去に遡ってページをめくってみる。私にとって一番の衝撃は91号のウェンデル・ジョンソンの診断起因仮説秘話であった。これは、研究者の止むに止まれぬ研究意欲から生じたむごい人体実験だった。この実験は鼠や猿では行うことはできないもので、どうしても人間でなければならない。しかし、自分自身どもりで苦しんできたジョンソン、そしてどもりが治らないことを身を以て体験しているジョンソンが何故に人為的にどもりをつくることを指示したか、理解に苦しむところだが、一つのことを思い詰めると他のことには考えが及ばなくなるという誰でもが経験する人間の思考の罠にはまった典型であろうか。
ジョンソンが作家の村田喜代子さんのようなどもり礼讃者だったら、人為的にどもりをつくって二重の快哉を叫んだことだろう。事実をひた隠しに隠したことや直すように指示したことは、ジョンソンがどもり礼讃者ではなかったことの証拠になるのだが。
 この実験でどもりにさせられた人は気の毒だが、「もしどもりでなかったら、科学者や大統領になっていたかも知れない」は、そのまま受け取るわけにはいかない。若干の違いはあったにせよ、どもりであろうとなかろうと大同小異の人生だったのではなかろうか。病気になったときに、病気が直ったらあれもしよう、これもしたい、といろいろと思い巡らし、決意をするものだが、いざ直ってみると何一つやっていないといった経験は誰しもあるだろう。病気とかどもりとかいう現象の底にやはりその人の遺伝的要素や生育した環境といったものが色濃く投影されていると思われる。どもりだって総理大臣にもなれば作家にもなり、音楽家にも映画監督にもなるのである。要はどもりにどう対処したかということだろう。どもりに拘り続け、どもりさえ治ればと治ったときの夢ばかり見てきた者にとっては他人事とは思えないが、米国には伊藤伸二がいなかったと見えて、悶々と悩み続けたことは哀しい。
 この一事によってジョンソンをどう評価するかは簡単なことではないが、米国では一応の結論を出しているように見受けられる。しかし、5年、10年後に、どんなことになるかは解らないだろう。最近の脳の研究の進歩によってどんな新しい情報がもたらされ、それがどう影響するか予断を許さないように思う。
 いずれにしても、どもりが、単一の原因で発生し発達していくものであればとうの昔に解明されていた筈である。それが為されていないと言うことは、これからもいろいろな研究が行われ発表されていくことになり、生理面(脳を含む身体面)からと、心理面(精神面)からとの追求が融合されて何か新しい対処法が編み出されるかも知れない。その時になって、案外この診断起因仮説も脚光を浴びることになるかも知れない。しかし、この秘話が隠されていた時点でも診断起因仮説は有名になっており、大きな影響をもたらしていたことを考えると、この実験は一体何だったのだろうかと思わざるを得ない。
 スタタリング・ナウの記事の一つを取り上げて感想の一端を述べた。これからも教えていただくことが沢山あると思う。これからも宜しくお願いいたします。

【五味淵さんがいつまでも若々しいのは、何かひとつのことを追い求める少年のような純粋さにあるのでしょう。100号に寄せて、大作を書いて下さいました】

日本吃音臨床研究会の伊藤伸二 2024/01/27

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