どもる言語を話す少数者
僕が大会会長となって、初めて、京都で、どもる人の世界大会を開いたのが、1986年の夏でした。インターネットがない時代のことで、世界に、どもる人のグループがあるのかどうかも、わからない時代でした。各国の、日本の厚生労働省のようなところに手紙を出し、グループの存在を尋ねるという、今から思うと、気が遠くなるような手順を踏んで、ひとつひとつ手探りでつくりあげていったことを懐かしく思い出します。
今日は、世界大会の10回目、オランダ大会の様子を特集した「スタタリング・ナウ」2013.8.20 NO.228 より巻頭言を紹介します。世界大会では、「どもることばこそが公用語」だと、僕は書いています。どもる人による、どもる人のための、どもることばが飛び交う世界大会でした。
どもる言語を話す少数者
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
どもることばの響きが、顔を上げてどもる姿がこんなに素敵だとは、いとおしいものだとは、私自身がどもっていながら、思わなかった。
6年ぶりに参加した、オランダでの第10回世界大会では、どもることばの豊かな世界が広がっていた。大会の開催宣言をする大会会長の歯科医師をしているマーシャの、臆することなくどもる姿にまず心地よさを感じ、事務局長のリチャードの派手に堂々とどもる姿がうれしかった。日本でもどもる人が学会などで発表することは少なくないが、ここまでどもる姿を私はこれまで見たことがない。
どもる人の世界大会なのだから、どもることばがあふれていて当然なのに、過去5回、私が参加した世界大会では、比較的どもらなくなった人が表舞台に出ていたからだろうか、このような光景を目にすることはなかった。当たり前のはずの光景を新鮮に受け止めたことが、私にとってはある意味ショックだった。
日本に比べて欧米は、セラピストも多く、治療を受けようと思えば専門機関で無料で治療が受けられるようだ。ヨーロッパの人々の多くは、ヴァン・ライパーの技法などの吃音治療を受けていた。しかし、言語訓練をしても治らず、自分が変われたのはセルフヘルプグループだと言う。治らないことを認めて、どもりながら豊かに、誇りをもって生きていた。
私たちのように、「吃音は生き方の問題だ」とは言い切ってはいないものの、また、治療への幻想を完全には捨て切れていないものの、少なくとも「吃音の軽減や流暢性」にはあまりこだわらなくなっている。私が見聞きした範囲だが、第10回世界大会に参加して、そう思えたのだった。
日本で広がりつつある「完全には治せなくても、少しでも吃音を軽減する」ことが大切だとの考えが、世界でも強まっているのかと思っていた。しかし、アメリカ、オーストラリアはともかく、参加の一番多かったヨーロッパのどもる人のグループやどもる人個人の生き方は違っていた。
これまでの世界大会のプログラムが、言語病理学者の基調講演やワークショップが主体だったのに比べ、今回は吃音治療の発表が姿を消し、治っていない現実に向き合うどもる人の発表が多かった。「吃音治療、軽減、コントロール」から、「吃音とともに豊かに生きる」に変わりつつあるように私には思えた。
最終日、アメリカの小説家キャサリン・プレストンの「吃音と共に生きる」の基調講演は、圧巻だった。何度も同じフレーズを繰り返して次のことばを出そうとしても声がでず、困ったような、それでも笑顔を浮かべて「…が出ない」と、小さな声でつぶやく余裕をみせてことばをつないでいく。話の内容以上に、彼女のどもる声、悪びれずにどもりながら話す姿に魅了された。
会場にあふれる、みんなの見事などもりっぷりを耳にして、教育評論家の芹沢俊介さんが私の著書『新・吃音者宣言』(芳賀書店)を、『週刊エコノミスト』(毎日新聞社 2000年2月)で「どもる言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と紹介して下さったことを思い出した。1997年、私はこのような文章を書いていたのだ。
「治らないから受け入れるという消極的なものではなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものでもない。どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちはどもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚を持ち、自らの文化を持てたとき、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」(『新・吃音者宣言』p176)
どもる人の世界大会では、どもることばこそが、公用語だ。そのことばをなぜ、治す、軽減すべきものとして、とらえなければならないのか、どもることばに何の問題があるのか。問題だとする支配的なストーリー、ドミナントストーリーこそ、変えていかなくてはならないものではないか。そう考えて、私は6年ぶりの世界大会に興奮していた。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/11/02

