吃音の問題と展望~第1回吃音問題研究国際大会でのグレゴリー博士の基調講演 2 ~

 1986年夏、京都で開いた第1回の吃音問題研究国際大会でのヒューゴー・グレゴリー博士の基調講演のつづきです。抑制法と表出法、そしてその統合の流れが紹介されます。吃音の治療の歴史がまとまって分かる、貴重な講演です。ただ、吃音の流暢性には関心がなく、治す努力も、改善の努力もしていない僕たちとは、随分違いますが。
 舞台の上で、独特のイントネーションをつけて訓練の実際を見せてくださったグレゴリーさんのことを思い出します。

吃音の問題と展望
     ノースウェスタン大学 ヒューゴー・H・グレゴリー(アメリカ)

3 吃音治療の実際
*はじめに
 私は、1979年に「吃音治療をめぐる論争」という本の中で、吃音治療の歴史と論争を紹介しました。
・吃音を治してから流暢に話すか
・どもりながらも流暢に話すか
 この2つのどちらをとるべきか、長い間、論争が続いてきました。
 前者は、いかに吃音を抑えるかを目的にしています。どもることを抑え、それによって流暢な話し方を確立し、吃音を治療するという方法です。いわゆる抑制法といわれているものです。後者は、どもることを奨励し、どもってもどんどん話すようにし、どもった状態を客観的にとらえ、どもり方を徐々に変えていく方法で、抑制法と対比し、表出法ともいわれるものです。

*抑制法
 どもることを抑え、流暢に話すアプローチは、1920年~1930年代によく使われました。例えば、私が実際に吃音矯正機関で体験したのは、次のようなものです。
 腕を動かしながら話す方法ですが、腕を8の字に振りながら「私の名前は、ヒューゴー・グレゴリーです。私はアメリカのイリノイ州に住んでいます」と話す練習をします。それから徐々に腕の動かし方を小さくしていき、最終的にはポケットに手を入れて8の字をかきます。
 しかし、矯正所でこの方法でどもらずに話せても、治療を受けて家に帰りますと効力が失われます。ポケットの中で8の字をかく手がつっかかってしまうということが起こるのです。
 もうひとつは、シラブル(音声)を伸ばすものです。「アーイ、アーム、グーレーゴーリー…」
というように、音をゆっくりと伸ばします。
 これらは注意転換法と呼ばれ、腕を振ったり、極端にゆっくり話したり、エーとかアノーとかの音を挿入したりすることによって、どもるかもしれないという不安や恐れから注意をそらせ、緊張をとき、吃音を抑制するという方法です。

*表出法
 伝統的な抑制法に対し、ブリンゲルソン、ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパー等、アイオワ学派の人々は、「この方法は、吃音者に”つえ”を与えるにすぎない。つまり、その場しのぎでしかない。また、急速に吃音が治っていくということは、突然の再発の前兆である」と批判しました。「どもってはいけない。不自然な話し方でも、またどんなことをしても、とにかくどもるのだけはやめなさい」というこの方法は、吃音の中心問題であるべき「どもることへの恐れや回避行動」を減らすどころか、強化することになると主張しました。
 彼らは、「どんどんしゃべってどもりなさい。しかし、はた目に見て異常だと思えるどもり方をできるだけ少なくして」と、どもってでも話すことをすすめました。彼らは、『どもることへの恐れ』を吃音問題の中心だと考えていましたので、どもることを隠すことより、吃音をオープンにすることによって、その恐れを減らそうとしたのです。さらに吃音から注意をそらすというのではなく、むしろ吃音への注意を喚起して、どうしてどもるのかを自分で観察し、それを徐々に改善し、変えていくことをすすめました。
 吃音があったとしても、どもりながらでも、話した方がよい、しかし、もう少し楽に話せる方法はないかということを考えたのです。どもりながら話していく中で、吃音への恐れを小さくしていくと、結果的に流暢に話せるようになるというのです。
 具体的に言いますと、こういうふうに「(つまって)ジャパン」となってしまうのを、自分のしている行動を分析し、少し発語の仕方を変えます。「ジャジャ、ジャ、ジャパン」と言ってみます。さらにこれをもっとゆっくり気楽に「ジャー、ジャー、ジャー、ジャパン」というふうにするのです。そのように話していますと、次第にどもることへの恐れが小さくなり、だんだんと吃音をいい方に変化させられるという安心感が出てきます。

*抑制法と表出法の結合
 伝統的な「どもることをすぐやめろ」という抑制法の厳しいやり方に対する反動として、いわゆる表出法が出てきたわけですが、パーキンス、ライアン等は、伝統的な抑制法とは少し違う方法をとっています。
 例えば、スピーチ・ジェスチャーという身振りを交えたもの、DAFなどを使う方法です。これによって直接、流暢さを産み出そうということです。
 ところが、このような方法でも最初は、流暢になったとしても、それはなかなか持続しません。流暢に話せるようになることは、それだけだったら決して難しくありません。長期にわたって持続させること、これが大変難しいのです。ですから、直接、流暢さを産み出そうとする方法は、練習を常に継続して行わなければならないことになります。
 そこで「どもりながらもどんどん話す」というアプローチが出てきたわけですが、それがあまり強調されますと、吃音ばかりが目立ってしまいます。正常なスピーチの特徴的なものが十分に引き出せなくなってしまいます。
 ですから私は、2つのアプローチ、つまり流暢にどもるという方法とどもらずに話すという方法の良いところを取り入れ、結合する方法がよいと思っています。

*逆説を受け入れる
 2つの方法を結合していくと、逆説が生まれてきます。それは、知っていなければならない逆説です。「どもりながらどんどん話していく」というアプローチには吃音を受け入れることが前提となっており、これは大変に重要なことですが、これと流暢さを獲得するということは、逆説的な関係にあります。要するに矛盾します。吃音を受け入れ、認めているのに、流暢さが欲しいといっているようで、自分の中で矛盾を起こしているような気がしてきます。認めているのになぜ流暢になりたいのか、ということになってしまうからです。
 しかし、これはどもる人自身が、この2つのアプローチを十分に理解し、また矛盾があるということも自覚し、認めなければなりません。

*私の方法
 この20年間、私たちはいろいろな治療法を検討し、開発してきました。2っを結合したやり方といっていいでしょう。
 最初から流暢な話し方を教えるのではなく、どもっている状態を観察し、徐々に軽くして、それを変化させていくことをします。
 どもっている状態を実際に実演するとき、緊張した声門の破裂とか、突飛なプロソディなど吃音のいろいろな特徴を検出し、緊張をとき、そして繰り返しを少なくし、伸ばす部分を少なくしていくことを目指します。最初にゆっくり、楽に話すことを身につけ、単語と単語をつなぎ合わせて、一つの節にするようにします。さらに節と節の間に十分な休止(ポーズ)をとります。この話し方の習得によってだんだんとスムーズな話し方になっていくわけです。

*訓練の実際
1)話し方の特徴の検出
 どもる人とセラピストが一緒に、どもる人が話したテープを聞きます。何度も再生して聞き、どもり方にどんな特徴があるか、検出していきます。
・最初のシラブルが繰り返される
・発語の直前に急な呼吸がある
・ことばの最初に、緊張からくる反復がある
・母音にブロックがある
 どもっている状態の特徴のリストをあげます。
2)吃音に対する態度
 吃音に対して客観的な態度を持つことは、非常に難しく、勇気を必要とします。しかし、これは、吃音の治療にとって不可欠のことです。
 どもる人は今までの人生で、ずっとある条件づけを受けています。どもって電話してはいけないと思い込んでいます。どもる場面やどもる語をいつも気にしています。しかし、こういうことが条件反射的に起きていることには、多くの人は気づいていません。ですから吃音という問題を机の上に出し合って共通の問題にしようじゃないか、お互い客観的な研究材料として取り扱おうじゃないかということを促すわけです。
 もちろん、これまで隠し、避けてきた吃音をオープンにしているわけですから、勇気がいります。徐々にオープンにしていくことが必要です。最初テープレコーダーを使って、互いのどもる声を聞き、共有していくのです。
3)逆式練習
 吃音治療法のひとつに、逆式練習法があります。意図的にどもらせて吃音を軽くしていく方法です。自分がどもったときの状態を観察し、それを模倣していくのです。
 まず、どもる人にとって言いにくい、どもりやすいことばを選び、自分で真似をします。自分が計らずもどもってしまうことばを今度は意図的にどもるのです。どもっている事実は同じでも、本質的には大きな違いがあります。
 どもるときの口の回りの緊張感、感情も含めて真似することによって、どもるときにとっている自分の行動を理解するのです。
4)緊張を50%ほぐす
 吃音者がどもるときに、どのように緊張しているかを、実際に自分がどもっているように意図的にどもることによって観察します。そしてその緊張をときほぐすことを学ぶのです。
5)ERASM
 イージー・リラックスト・アプローチを略して、ERASMといいます。私が取り入れている方法です。これまでお話してきたことをまとめの意味で再度繰り返して、ERASMを説明しましょう。
1.自分の吃音がどういう特徴を持っているか、テープを聞いて握む
2.自分のどもっているそのままの状態を真似てどもる
3.意図的にどもる練習をする
4.どもっているときの緊張状態を知り、それをときほぐすことを学ぶ
5.ことばの出だしをゆっくりとリラックスさせて発音する
 ここで大切なのは、逆式練習でどもったときの緊張状態と、ERASMを使ったリラックスさせた発音を比べ、その違いを自分のものにすることです。吃音は緊張し、発語の流れがバラバラになったときに起こるのです。どもらずに話せるようにすることは難しいので、より流暢に話すためには何らかの話し方の技術が与えられる必要があります。そのためには、どもったときに生じる不随意な発作の状態を研究し、どもったときに可能な限り、自発的にそれを模倣してみるのです。
 例をあげましょう。単語がいくつか組み合わされたもの、たとえば「バターつきパン」を「ブレッド・アンド・バター」とは言いません。最初に、ERASMを使い、「ブレッドウンバター」と言い、あとは自然の抑揚で続けます。スピーチ全体をリラックスさせるのです。
 ここで重要なのは、ERASMに取り組む態度です。中程度、重度の人が、逆式練習をし、ERASMを使って練習をした後、「これは自分ではないみたいだ」と思えることがあります。実際、話し方を変えると別の人のスピーチのように聞こえます。そこで、この変化を受け入れることが必要になってきます。そのためにビデオは有効な器材です。変化していくプロセスをビデオにとり、それをどもる人に見せます。「自分ではないみたいだ」と言っていた人が、自分の変化を受け入れてきます。変化した自分を不自然だと思うのではなく、受け入れるということは、吃音の受容と同様大切なことなのです。
6)時間のプレッシャーに耐える
 コミュニケーションには、時間のプレッシャーはつきものです。吃音者にはそれに加えて、一旦話がとぎれるともう一度話し始めることができないのではないかという不安と恐れがあります。そのために途中で止めないで急いで話してしまうという傾向があります。
 そこで、時間のプレッシャーや、不安や恐れに対抗することを考えなければなりません。それには、相手に即座に反応しないで反応を少し遅らせることをするのです。心の中で「いち、にい」と数えてから相手に反応すると、時間のプレッシャーが弱められます。沈黙の時間を経験することに抵抗がなくなります。私は「グレゴリーさんは、ずいぶんゆっくりとした話し方をしますね」とよく言われます。私はゆっくりと話しながら、速く話さなければならないというプレッシャーを自らにかけない努力をしているわけです。同時に相手が話しているときには十分に時間を与え、相手にプレッシャーをかけないようにしています。自分も待ち、相手にも待たせるということです。
7)非流暢性の大切さ
 次に大切なのは、自らすすんで非流暢性を取り入れることです。このことはすすんでどもるとか、逆式練習のようにどもるのとは違います。ことばが改善されてきますと、非流暢に過敏になり、流暢になりすぎてしまうことがあります。吃音でない人にも、非流暢さはあります。立板に水のように流暢に話す人はごくまれで、多くの人は「あのー」とか「えー」とかの間投詞は入れるものです。それをときどき使うのです。そうすると非流暢性に対する過敏性をやわらげることができます。
 どもることもあれば、意図的に非流暢に話すこともできるようになれば、本当にどもったとき、あまりそのことに敏感にならずにすみます。
 私は、今こうして皆さんの前に立って話していますが、話す前、つまり壇上に立ったときは恐怖を感じ、本当にあがっていました。
 吃音の思い出は、今でも私にこびりついています。そこで考え、非流暢な話し方を話し初めにしてみたわけです。わざとどもってみると、吃音をあまり意識しないで話すことができます。15年前に分かったことですが、セラピーが終わった後、しなければならないことは、ときにはわざとどもることを生活の中で使っていくことの必要性をとくことです。その他、話し方の速度を変えたり、声の抑揚や声の大きさを変えることも身につけます。これらの話し方の技術をより良く、幅広く改善していくことによって、より良い話し手になることができます。つまり、柔軟性を身につけるのです。これによって話すことにますます自信がついてきます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/05/15

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