「スタタリング・ナウ」2009.10.25 No.182
竹内敏晴
ことばの歓び
この春から、大阪で毎月レッスンをすることになりました。ということにすらすらと運んだのは、ここ十年近くになるけれど、吃りの人たちと年数回ずつレッスンしてきた、その熱意と楽しさの発展形ということになるからだろうと思う。
特に昨年の秋に大勢集まった、『吃る人のための公開レッスンと上演』の、ひたむきさのほてりは今でもわたしに脈打っていて、レッスンのために近鉄電車に乗って三輪山の麓や室生の里あたりを巡って大阪へ近づいてゆくと、いつかからだがあったかくなって来る。
ひっかからずに声が溢れ出て来るためには、まず舌や顎の力が抜けて息を深く吐けること。そのためにはからだ全体がいきいきとはずむこと。またそのためには、まず、からだの方々の、胸だの股関節だののこわばりに気づいて、これが弛んでいくこと、そのためには、と、レッスンはどんどん、言わば元へ元へ、からだの根源へと遡って行くのだが、さてその一つの段階でもがふっと越えられたとたんに、からだ全体がふわっとゆるんで、声がぽーんと跳び出して来る。それに立ち会い手をかす時の楽しさと言ったらない。
吃りとかいわゆる言語障害の人に限ったことではない。先日ある町の、女性たち、と言うより母親たちの集まりに呼ばれた時に提案されたテーマは「言いたいことが言えない」だった。-もちろん親も子もふくめてのこととしてだが-話の途中で、まず声を聞かせてください、と童謡を歌ってもらったら、口をほとんど開けない人たちが一杯だったのに驚かされた。まず奥歯に小指をはさんでみて、口腔の内をひろげて、舌を前へ出して、さて一杯に息を吐いてみよう、とオハナシというよりレッスンが始まってしまったのだったが、この、歯を噛み締めている身構えがそもそも、からだの奥から流れ出て来る息を、ひいては「自分のことば」を、「噛み殺している」のではあるまいか? つまり、歯の間をあけて「息を吐くこと」は、自分を閉じている「身構え」をほどいてゆくことに違いないので、ここから出発しなくては「言いたいことを言う」ことには辿りつけまい。知的な理解や心理操作の範囲を越えた、からだの実践の問題がそこにはあるだろう。
アメリカのフレデリック・ワイズマン監督がフランスの国立劇場を撮った、「コメディ・フランセーズ-演じられた愛」という映画がある。四時間に及ぶ大作だが実に面白かった。芝居の稽古の初めの段階から上演の有様までがちりばめられているのは演出者のわたしにとって力の入るシーンだったに違いないが、座員の選出から座員で構成される委員会の経営討議の模様、特に電機部門機械部門からかつらや小道具の人たちまで二十いくつという組合との交渉と協力、国家予算からの補助額の交渉に至るまで、フランスという、市民社会の先達における、いわば、俳優という市民たちの自立した団体運営のちからとでも呼ぶべきものを浮かび上らせて見せてくれたのが快い驚きだった。
そのフィルムの一シーンに、初老の幹部女優が若い俳優とせりふを稽古する風景があった。一言二言言い直させてからかの女はこう言うのだ-ことばの一こと一こと、音の一つ一つを言いながら-「口の中で歓びを味わうのよ、歓びを!」これは世界最高水準の、音声言語表現の現場のことだ。しかしやっと一語を、ひっかからずに発することができるという段階でもやはり同じことが目指され、そして味わいうるはずだろう。吃りだけでなく、多くの人々にとって今、語ること、ことばで表現することは、苦しみとなりつつある。豊かに、一語一語を、一音一音を、口の中に歓びをひろげて語れるようになれたら素晴らしい、わたしも、あなたも。あらためて、レッスンに出発しよう。
野戦病院からエステティックまで あるいは、「からだほぐし」について
毎月のレッスンに現れる人たちの、初めの声を聞いた時、そして特に、床に仰向けになって相手の人にからだをゆらしてもらい始めるのを見ている時、近頃のわたしはため息が出てしまうことがある。
-まるで野戦病院だなあ、こりゃひとりひとりが手負いの戦士に、いや時にはけものに見えて来る。目をつむって横になっているかれの手先をぶら下げてゆらゆらとゆすろうとすると、ごつんとひっかかる。肩甲骨の外側にかたまりができてるみたいだ。抱えおこしてふれてみようすると背中がごわごわっと硬い。かれはコンピューターの設計部門で働いている。
ある女の人は胸を抱くようにそっと入って来て部屋の隅に静かに横になっている。右を下にしたまま目をつむって身動きもしない。腰も痛む、胸が詰まって息ができない、足の裏まで痛い、と言う。なんでそんなになってまで働いているのと言えば、仕方ないでしょ、と喘ぐように眩く。かの女は養護学校の教員だ。
かつてレッスンを始めた頃やって来た人たちは、昼間の労働で得たなん枚かのお札を握りしめて、日常生活ではあらわしようのなかった感情を爆発させ、未知の自分に出会い、表現を手探りするためにからだをぶつける時問へと没入していった。
今来る人々にも同じ願いが秘められていることをわたしは感じ取らずにはいられないのだが、とりあえず、まずは、疲れ切ったからだが休みたい、楽になりたい、のびのびと息をしたい、と坤いている、と感じる。
人にふれられるだけでイタイ!とわめくからだにてのひらをあて、息を合わせ、いつか仰向けになったからだを、ゆっくりゆらしながら波を送る。
かつてはこのレッスンは「脱力」と名付けられ、後には「からだほぐし」と呼ばれた。演技者にとって舞台でコチンコチンになってしまうことは致命的だから、これは不可欠の訓練だったが、今わたしはこれをただ「ゆらし」と呼び、ちょっとためらいながら「安らぎを送りあうこと」とも言う。
勿論この変化の間には十数年の過程があるので、かいつまんで述べておくと
-「脱力」と呼ぶと、あ、力を抜かなきゃ、と意気ごんでしまう人が多くて、これではますます力が入ってしまう結果になる。「力を抜く」ことが、達成されるべき至上価値に祭り上げられたりもする。力を、意志して抜くことはできない。ただ重さを大地に、ひいては相手の手にゆだね切ることができた時が、結果として「脱力」になっているということに過ぎない。
それにもっと弱ったことは、たとえ基礎訓練の場でいくらうまく脱力ができても、舞台に立ったとたんカチカチになってしまうのは一こうに改まることがない。そこでわたしは、いつ自分に力が入って来るか、その瞬間に気づくこと、に重点を置くことにした。かなりの人は、自分のからだが固まっていることに気づいていない。それが自分の「自然」だと思い込んでいるので、緊張したまま固定してしまった自分のからだを見ると、あっけにとられる。だが、この自己知覚が研ぎ澄まされて来ると、人前に立ってぐっと肘が脇腹にくっ着き始めたとたん、ふっと気付く。そこで息を吐くと共に肩を落としていくことができる。
社会人や学生へもレッスンが広まるにつれて、「からだほぐし」という呼び名もひろがっていったようだが、この名づけもわたしには初めからしっくりしなかった。「ほぐす」という行為は、もともとはもつれた糸を解いてゆくことだろうが、一般的には固まったものを振ったり叩いたり力まかせにばらばらにしてゆくイメージがある。しめって固まった小麦粉やセメントを崩して粉々にするイメージで、結局のところ乾いた小さい固体の集合体になる感じだ。実は名づけの問題ではなく、ゆすり方がそうなってしまうのだ。
もっとからだの内に流れているものがめざめて来る感じを言い現したい、と思ってるところへ、若い学生たちが「ゆらし」と呼び始めた。これがいい、からだの内にゆらゆらと波を送るのだ、と。わたしは「ゆらし」に時間をかける。もはやただ肉体の緊張をほぐせばいい、のではない。からだの内にひろがる波に身をまかせてゆられているうちに眠ってしまう人もあるが、突然ふっと全身がゆるんで、息が深ぶかと流れ入って来て、あくびが続けざまに起こり、涙が止まらなくなり、からだが溶けてしまったようになることも多い。からだの知覚の変容が始まるのだ。ゆすられ終わって床に横たわっている時の感じをことばにしてみると、実に豊かで多彩で、浅いのも深いのもあるけれど、さし当たりわたしは「安らぎ」と呼ぶ。その感じは海のようにからだの内に、いや時には外へ地の果てまで、広がっている。とにかくこれが、他人の価値観に追いまわされることからの断絶であり、自分、というものの原点になりうる、と言っておいてもいいか。
もっとも近頃やって来る若い人たちの中には、Tさんのホームページで、レッスンを受けてびっくりするほどキレイになった人のエピソードを見てやって来た、という人もある。わたしは十年以上前東京で研究所を開いていた当時、年度末の募集のキャッチフレーズに、「シバイをやってキレイになろう!」てのはどうだと言ってみんなを抱腹絶倒させたことを思い出した。イケルイケル、とか、ほんとだもんね、とわめくオチャッピイもたしかにいたのだが。
とにかく、新しく、未知の、からだへの問いかけと表現へのひろがりとへ、出発します。ゆっくりと、息を深く、歩いていきたいと思います。