障害の受容と生き方~吃音をもちながら如何に生きるか~ 2

 昨日の続きです。
 頭髪の薄さと悩みとの関連についての考察、「吃音に立ち向かう」ではなく「吃音とうまくつきあう」方が適切なのではないかという指摘、吃音をなんとか治そうとするのではなく、どもりながら一度きりのかけがえのない人生をどう生きていくかを考えようとの提案、どれもが僕と共通の、水町さんらしい考えです。僕の考え方を、アメリカや日本の実態調査などを探してきて理論的に補完して、僕を支援し続けてくださっていたと改めて感慨深いものがあります。 また、就労について、僕は、ここに書かれている水町さんの実態調査からみえてくる考察を、今も、紹介しています。調査そのものは少し古いものですが、流れている基本的なとらえ方や考え方は、今も変わらず生きていると思うのです。

障害の受容と生き方 2
                 水町俊郎(愛媛大学教育学部教授・当時)

吃音をもちながら如何に生きるか

(3)吃音をもちながら前向きに生きる

①症状の重さと本人の悩みの程度
 その人がどもりであるということが誰の目にもすぐにわかるような、ひどい吃り方をする人がいます。一方、その人が吃るということを、殆どの人が気づいていないという例もあります。双方とも自分の吃音に大なり小なり悩んでいると仮定した場合、どちらの人の悩みの方がより深刻でしょうか。私は、自分のどもりを隠そうと思えば隠せる人、つまり、どもりの症状そのものが軽い人の悩みの方が間違いなくより深刻であると思っています。

 このことは、頭髪の薄さと悩みとの関連においても言えることです。ひそかに養毛剤を買い込み、それをすり込んで何かで叩いて頭皮を刺激しているのは、「そう言われてみれば、あのへんがちょっと薄くなってきたかな」と思われる程度の人です。「すだれ越しの月」といった表現がされるような段階にまで達した人は、現状はもういかんともし難いということを自覚させられていますので、抜けていく頭の毛には、「去るものは追わず」と居直って、それにとらわれずに生きていく覚悟ができてきます。そうなれば、頭髪の薄さが日常生活に支障をきたすことはありませんので、それはその人にとっては別に障害とはならないのです。「頭は禿げていても、心はふさふさ」というところでしょうか。

 このように、問題なのは症状そのものの重さではなくて、本人が自分の障害をどのようにとらえるかということなのです。吃音の場合でいいますと、たとえ吃りながらでも、それにとらわれることなく日常生活が普通にやっていければ別に問題はないわけです。勿論、そのような生き方は、「言うは易く、行うは難し」でそう簡単にできるようになるはずはありません。しかし、吃音問題を解決する鍵はそこにしかないのです。

 重い吃音に悩まされながらも、それを克服してきた人々が、いま悩みのまっただ中にある後輩の吃音者たちへ貴重なアドバイスをしている本(『人間とコミュニケーション―吃音者のために―』日本放送出版協会)があります。そこで強調されている基本的なことは、吃音の根本的な問題は、吃ることへの恐れにあるということです。そして恐れから逃げようとすればするほど、ますます恐れを感じるようになるので、不安や恐怖を感じながらもそれに立ち向かう姿勢が必要だというのです。そのことに関連して、世界的な吃音の研究者のチャールズ・ヴァン・ライパーは、吃音はへびのようなものだと言いました。へびは、こわいといって逃げまわっている限り追いかけてくる。思い切ってへびに立ち向かったとき、はじめてへびは逃げるのだというのです。

 しかし、「吃音に立ち向かう」という言い方は、いかにも威勢がよすぎて、「私は性格的に弱いので、吃音に立ち向かうなんてとてもできない」と尻込みをする吃音者も多いことでしょう。そこで私は、吃音者の団体である「言友会」が言っているように、「吃音とうまくつき合う」という言い方の方が適切であると思います。吃音をなんとか治そう、克服してやろうと力むのではなくて、吃音を持ちながら一度きりのかけがえのない人生をどう生きていくかを考えるということです。吃音というある一点にのみこだわって、それ以外の自分の可能性まで全て殺してしまうことのないようにしたいものです。

②吃音から逃げないことの意味
 自分の吃音をそのまま受け容れて、吃音を持ちながらかけがえのない人生を意義あるものにしていこうとすることが、吃音問題を解決していく上で具体的にどのような意味を持つのでしょうか。その点を少し考えてみようと思います。
 ここで、吃音の問題の箱を思い出して頂きたいと思います。吃音を受け容れながら生きていくということは、吃音者の態度を意味している辺Zの長さが短くなるということです。そうすると、たとえ吃音症状そのもの(辺Xの長さ)は以前と同じままであったとしても、その箱の容積は小さくなりますので、その吃音者が背負っている重荷の重さは軽くなることになります。しかし、辺Z(吃音者の態度)が短くなるということは、それだけにとどまらず、結果としてその他の辺をも短くしていくのです。そのことに関する研究を次にご紹介しましょう。

 シルバーマンらのアメリカの学者たちは、「おれはどもりだ。それがどうした!」とプリントしたTシャツを着ることにより自分の吃音を公表している吃音者に対して、大学生や店員がどのような印象をもつかについて調べました。吃音を公表するということは、吃音を持ちながら生きていくという意志表示をしていることですから、それに対して周囲の者がどういう印象を持つかということは興味のあるところです。

 その結果によりますと、大学生と店員のどちらの群も、吃音を公表していない吃音者に対してよりも、自分の吃音を公表したTシャツを着ている吃音者に対しての方が良い印象を持ったそうです。自分の吃音を公表するというかたちで辺Z(吃音者の態度)を短くしたことが、結果として辺Y(聞き手の態度)を短くした、つまり、周囲の聞き手の吃音者を見る目を好意的な方向へ変えていったのです。また、自分の吃音を公表すること(辺Zを短くすること)が、その結果として辺X(吃音症状そのもの)をも短くするということ、すなわち、吃音の症状を軽くするということは、すでに多くの研究者が以前から指摘していることです。吃音を公表するということは、吃音を隠そうとして必要以上に力むことがなくなることを意味しますから、軽い吃り方になるのは当然のことです。
 このように、辺Z(吃音者の態度)を短くすることが、結果として辺Y(聞き手の態度)を短くするだけでなく、辺X(吃音症状そのもの)をも短くしていくのです。このことから、吃音者が吃音症状そのものにとらわれず、吃音を持ちながら前向きに生きていこうとすることこそ、吃音問題を解決する鍵であるということがお分かり頂けたのではないでしょうか。

(4)吃音者を受け入れる職場はあるのか

①吃音者の就労の実態
 吃音にとらわれている若い吃音者、あるいは吃音児をお持ちのお母さん方が一番心配なさっていることは、「こんなに吃っていては、将来どこにも就職できないのではないか」ということだろうと思います。このように吃音者の就労の問題は、吃音者およびその関係者にとって重大な関心事であるにもかかわらず、それについての系統的な研究は殆ど行われてきていません。そこで私は、成人吃音者を対象にして、その点についての調査を実施しました。その結果の一部をご紹介しましょう。

 表1は、吃音者がどのような仕事に就いているかを示したものです。それによりますと、吃音者が小・中学校、高校などの学校の教諭、セールスマン、受付、医師や看護婦など、その仕事をしていく上でことばがとても重要な働きをする仕事をはじめ、いろんな職種に就いていることが分かります。
 従来、吃音者の職業を問題にするとき、「カンタベリー大寺院の第百代目の大司教ミカエル・ラムジーは吃音者であった」、「オークションの司会をしている者もいる」、「弁護士もいる」というように、「吃音者の中にも凄いのがいるんだぞ!」と言わんばかりの特例的な言い方がされてきました。しかし私が調べた結果から、身近にも、吃音を持ちながらも積極的にいろんな職場に進出している吃音者が数多くいるという事実が、具体的なデーターとして明らかになりました。この事実は、吃音にとらわれて将来を悲観的にしか考えることのできない吃音者にとっては、未来に希望を与えるような朗報ではないでしょうか。以前に私のところへ、卒業後の就職のことで悩んで相談に来た吃音の高校生がいました。彼に表1をみせたところ、「ホー!」、「ホー!」と続けて驚嘆の声をあげました。それは、彼が未来に明るい希望の光を見出した瞬間だったのです。

 私はまた、吃音者がどれくらいの規模の職場に勤めているかについて調べてみました。その結果、従業員千人以上の企業と答えた人が約4分の1の25.7%もいました。また、施設や役場などの一般公務員と学校の先生をあわせた公務員の割合は、これも全体の約4分の1にあたる24.8%でした。つまり、調査した113人の吃音者のうち約半数の者は、千人以上の大きな企業に勤めているか、公務員であったわけです。
 以上のような現実は、吃音であるということが職業選択の上でそれほど重大な障害にはならないということを物語っているのではないでしょうか。

        表1 吃音者の職種
職種                         人数 %
公務員(施設職員,大学職員など)             16人 14.2
技術者(プログラマー,設計技師など)          13 11.5
教諭(小・中・高・養護学校)              12 10.6
商品販売の職業(住宅セールス,一般家庭訪問販売など) 11 9.7
管理に関する職業(商品の維持・管理・機械のオペレーター) 10 8.8
工業製造(メッキエ,機械加工など)             9 8.0
機械の組み立て・修理                  7 6.2
会計事務                      5 4.4
建築業・建設機械の運転                 5 4.4
自営業(米穀商,卸売業など)              5 4.4
一般事務員(受付など)                  4 3.5
医療や保健に関する職業(医師,看護婦など)         4 3.5
サービス業(喫茶店,食堂など)              3 2.7
作業的事務員(タイピスト,キーパンチャーなど)      2 1.8
印刷・製本                      2 1.8
公益供給の職業(ガス,水道など)              1 0.9
裁断・縫製                      1 0.9
食料品製造                      1 0.9
単純労働                      1 0.9
警備員                         1 0.9

②吃音者の職場での適応状況
 これまでのことから、吃音者は、吃音の問題を抱えながらもいろんな職場に進出しているということが明らかとなりました。そこで次に、彼らがそれぞれの職場にうまく適応できているかどうかということについて考えてみたいと思います。
 私は以前から、自分の吃音をどのようにとらえているかということが、職場適応と深く関係しているだろうと考えています。そのように考えるようになったきっかけは、いくつかの事例に出会ったことです。
 そのうちのひとつは、総合病院で受付をしているある若い女性の事例です。彼女はものをいう時に、前に差し出した右手を上下に動かしながらしか話ができず、その上、ときどきつまると同時に、話す速さもすごくゆっくりしています。しかし笑顔がとても素敵ですし、患者や同僚には明るい表情で、彼女なりに一生懸命に対応しますので、今では「職場の花」と言われる存在になっています。また、ある国立大学の工学部の助教授は、ことばがなかなか出てこない難発型の吃り方で、ことばを出そうとして力んでいる時に歯ぎしりの音が聞こえるほどのひどい吃り方なのですが、学生や同僚の面倒見がとてもよく、みんなに慕われています。この2つの事例は、吃音症状そのものは重くても、それにとらわれない生き方を選択しているケースだと思います。
 これに対して、ある国立大学を出た若い内科医は、「私は吃るから、患者にいろいろと問診をしたり、胃のレントゲン撮影の際に患者に体位の移動をテキパキと指示する必要のある内科医は、自分には向かないと思う。できれば麻酔科へ変わりたい」と、深刻な表情で相談にきました。ところが彼は、会話の場合も音読の際も殆ど吃らないのです。ただこのケースの場合、外見上は殆ど吃らなくても、たとえば、苦手なヤ行から始まる「4時」はどうも吃りそうだから「16時」に言い換えるというように、異なる発音であるけれども同じ意味のことば(異音同意語)を探すことにいつも気を使い、精神的にクタクタになっているところがあったのかも知れません。しかし、それを考慮に入れたとしても、最初の2つの事例とは比較にならない程、吃音症状そのものは軽かったのです。でも、彼の悩みはとても深刻でした。
 以上のような事例を経験していましたので、私は、自分の吃音を重度と考え、深く思い悩んでいる吃音者が、あまり重度とは考えず、殆ど悩んでいない吃音者と比較して、職場適応においてどのような特徴がみられるかについて調べてみました。その結果は以下の通りです。

①吃ることを恐れて、職務としてやらなければならなかったこと(具体的には電話や発表をすることなど)をしなかった経験をもっている者が多い。
②転職の経験者が多い。
③現在の仕事に対して非常に不満と考えている者が多い。
④職場環境が悪いと考えている者が多い。
⑤吃音であることが職場での昇進に影響すると考えている者が多い。

 このように、自分の吃音にとらわれて思い悩んでいる吃音者は、職場適応において若干、問題があるようです。その原因として、たしかに職場の側にも問題はあるでしょう。しかし、吃音にとらわれているあまり、当然果たすべき仕事上の義務を怠ったり、「上司や同僚は吃音者である自分をもっと理解すべきである」といった甘えた気持ちを持っているなど、吃音者側に問題がある場合も少なくないのです。

(5)ホウレンソウ―社会人にとっての基本的栄養素

 最後に、吃音者が社会で自分なりの役割を果たしていくために必要な基本的な事柄について述べてみたいと思います。
 それは、「ホウレンソウ」ということです。ここでいう「ホウレンソウ」とは、ポパイが食べて急に強くなったというあの野菜のことではありません。「仕事の経過はそのつど上司に報(ホウ)告し、同僚とは連(レン)絡を密にし、困ったことや疑問に感じたことはすぐに相(ソウ)談する」という、報・連・相のことです。
 「ホウレンソウ」という語呂あわせを考えついたのは、ある証券会社の社長さんです。その社長さんは、社員に野菜のホウレンソウを配るといったユニークなことをやりながら、職場の人間関係をよくし、お互いの意志疎通がスムースにいくようにと、社をあげて報・連・相運動を展開されたそうです。
 吃音者の自助グループ「言友会」の伊藤伸二氏は、吃音に関する月刊の情報紙「吃音とコミュニケーション」の紙上で、この「ホウレンソウ」を吃音の問題と関連して取り上げています。報・連・相が主としてことばで行われるために、吃音者は苦手意識をもち、それを怠りがちだというのです。そして、吃音者に対して、次のように呼びかけています。

 「吃っても、こまめに連絡しよう。困ったことや疑問に感じたことがあれば、遠慮しないで、できるだけ早めに相談しよう。報告は、要領よく簡潔に、結論から言う習慣を身につけよう。」

 以前に私は、自分の吃音を重度と考え、深く思い悩んでいる吃音者は、吃ることを恐れて、職務としてやらなければならなかったことをしなかった経験をもっている者が多かったという調査結果を紹介しました。そのことは、かれらは上司への報告、同僚との連絡、困った時や疑問が生じた時の相談を適切にしていないというふうに言い換えることができるでしょう。
 身体の健康にとって必要な3大栄養素は、タンパク質、脂肪、糖質です。それに対して、自立した社会人として成長していくために必要な3大栄養素は、報告、連絡、相談です。自分のどもりにとらわれている吃音者はとくに、後者の意味での栄養失調に陥らないように、栄養管理に十分に留意しなければならないのです。

参考文献
(1)金鶴泳…「凍える口」河出書房新社1970
(2)水町俊郎…「吃音の問題を構成している心理学的要因に関する研究」風間書房1991
(3)水町俊郎…「吃音者の就労と職場適応について」「愛媛大学教育学部障害児教育研究室研究紀要」第15号1~18 1992
(4)高橋庄治…「たとえどもりでも」伊藤伸二編著「吃音者宣言」たいまつ社206~213 1976
(5)内須川・大橋・伊藤…「人間とコミュニケーション」日本放送出版協会 1975

         『社会での暮らしとコミュニケーション』第3章
         障害の受容と生き方(明治図書出版1993年2月発行)

 伊藤伸二との共著『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版2005年)が水町先生の最後の仕事となりました。全ての著書の掲載を許可して下さったご遺族に感謝します。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/09

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