障害の受容と生き方~吃音をもちながら如何に生きるか~
「私は、『スタタリング・ナウ』の愛読者ではありません。熟読者です」
いつも、そうおっしゃっていた水町俊郎(愛媛大学教育学部教授・当時)さんは、僕たちの本当の良き理解者でした。なかなか僕の考えが理解されないと感じるとき、いつも水町さんと愛媛大学の水町研究室で長い時間、吃音談義をした時のことを思い浮かべることにしています。 どもる人の話をしっかり聞き、どもる人の人生に役立つ研究を続けられた水町さんが書かれたものを紹介します。
障害の受容と生き方
水町俊郎(愛媛大学教育学部教授・当時)
吃音をもちながら如何に生きるか
(1)吃音とは何か
①吃音問題の根源はどこにあるのか
ずっと以前に、アルブライトという考古学者が、ある町で古跡発掘中に一枚の陶器の板を発見しました。それには、「おお神よ、この私の吃音の背すじをたち割り、この悪病の源を抜き去りたまへ」と刻んであったそうです。吃音に悩む太古の人の悲痛な叫びが伝わってきます。 このように吃音は、有史以前より人類を悩ませている問題なのですが、その原因や治療法については未だ定説がなく、不明な点が数多く残されています。したがって、先ほどの陶器に刻まれていた太古の吃音者の叫びは、現在の吃音者の叫びでもあるといえるでしょう。
ところで、そのように厄介な問題である吃音とはいったい何なのでしょうか。どのように捉えたらいいのでしょうか。それについてはいろんな考え方がありますが、それらを便宜的に分けると次の二つに大別することができます。
その一つは、吃音者特有の、スラスラとしゃべったり読んだりすることができないというところに基本的な問題があるというものです。具体的には、「お、お、お、おかあさん」と繰り返したり、「おーかあさん」というようにことばの一部を引き伸ばしたり、あるいはまた、つまってなかなかことばを発することができないといった、吃るという症状そのものが問題だというのです。
もう一つの考え方は、吃ることを恥ずかしいこと、悪いことと思って必要以上に隠そうとしたり、成績が悪いことや友達ができないことなど、うまくいかなかったことを全て吃音のせいにしたり、吃るために消極的な人生を歩いたりといった、吃音者の心理面にこそ大きな問題があるというものです。
私は、吃音の研究を始めた当初には、前述の二つのうちの最初の考え方、つまり吃音の基本的な問題は流暢にしゃべれないことにあるという立場にたって、吃音の症状そのものを改善する方法について必死に勉強していました。また、そのような立場に立って吃音の治療をしていた、ある国立大学の医学部の臨床チームにも、その一員として参加していました。そのような経験を通して私なりに分かってきたことが3つありました。
1.ある特定の治療場面で流暢にしゃべれるようにするのは比較的簡単なのですが、それが学校や職場などの日常生活の場面へなかなか広がっていかないということです。
2.治療によって流暢にしゃべれるようになったとしても、その治療効果も2~3か月程度しか続かず、また以前と同じか、場合によってはそれよりももっとひどく吃るようになるという「ぶり返し」の現象がみられるということです。
3.たとえ流暢にしゃべれるようになったとしても、吃音者にとってはまだ大きな問題が残されているということです。それは、多くの吃音者が、どもりさえ治れば全てのことがうまくいくようになるという幻想をもっていることと関連があります。吃音者によっては、「友達ができない」、「成績が振るわない」といったことを吃音のせいと考えている人がいます。ところが、吃音が治ってみてはじめて、それが吃音のせいではなくて、むしろ自分の能力、努力、人間性など、吃音以外の自分の問題に起因しているということに気づいて愕然とするのです。
そのほか、吃音が治ると必要以上におしゃべりになり、人の話をあまり聞かなくなった結果、周囲の人から敬遠されるようになるケースも少なくありません。このように、たとえ治療によって流暢にしゃべれるようになったとしても、まだ後には大きな問題が残されているのです。
以上のような経験を通して私は、流暢にしゃべれないという症状そのものを問題とする立場から、吃音者の心理面を重視する立場へと変わっていったのです。
②吃音の問題の箱
アメリカの言語病理学者で、自らも重度な吃音者であったウェンデル・ジョンソンは、個々の吃音者が抱えている問題の程度を箱の容積で表現しようとしました。
辺Xは吃音の症状そのもののことで、具体的には、100語あたり何語吃るか、つまり吃音の頻度が何パーセントであるかということです。
辺Yは聞き手、即ち吃音者を取り巻く周囲の人々の吃音に対する態度のことで、吃音者をからかったり、イライラしたそぶりを示したりするのか、あるいは、ただ単にしゃべり方に特徴のある普通の人間として接するのかといったことです。
残りのもう1つの辺Zは、吃音者自身の態度のことですが、これにはいくつかのことが含まれています。周囲の人の自分の吃音に対する対応をどのように感じ取っているのか、自分の吃音の重症度をどの程度と考え、そのことでどれだけ悩んでいるのか、あるいは、どのような生き方をしていこうとしているのかというようなことです。
この問題の箱の容積が大きいほど、その吃音者は大きな問題を背負っているということになります。当然のことながら、吃音者を援助するということは、この箱の容積をできるだけ小さくしていくことです。そのためには、X、Y、Zという3つの辺のどれを短くしても、結果として箱の容積は小さくなります。ただ、前に私の経験を申し述べましたように、吃音症状そのもの(辺X)を直接的に短くしようとしても、あまりいい結果は得られないようです。とくに吃音が成人期まで持続している場合には、吃音症状そのものを改善することは至難の技でしょう。「7歳までに吃音が治らないと、将来ずっと吃音を持ったまま生きる可能性は極めて高い」と言っているアメリカの吃音研究者さえいるのです。
しかし、これまで述べてきたことからお分かりのように、どもりの症状そのものは治らなくても、かれらが背負っている重荷を軽くする方法はあるのです。問題の箱の残りの2つの辺、つまり辺Y(聞き手の態度)と辺Z(吃音者の態度)を短くしていくことです。以下では、その点について詳しくふれていくことにしましょう。
(2)吃音者を不幸にする聞き手の無理解
①いくつかの事例
ひとりごとを言ったり、ひとりっきりで何かを朗読している時には、吃音者はめったに吃りません。吃音者が吃る時には必ずそこに対話の相手、つまり聞き手がいるのです。また、聞き手が好意的な反応を示してくれる時には、どもりは一般的に減少するものです。このことから、吃音が聞き手に大きく左右されるということがお分かり頂けると思います。そこでここでは、周囲の聞き手の吃音に対する無理解から、吃音者が傷つけられたり、いじけたりしていった事例をとおして、よりよい聞き手のあり方を考えていきたいと思います。
在日韓国人の作家、金鶴泳は自らが吃音者であったということから、その作品の中によく吃音者が登場してきます。そのうちのひとつに、李寿永という吃音の少年が出てくる作品があります。その中に、その少年の吃音に対する父親の無理解ぶりが描かれているところがありますので、以下に少し引用してみましょう。
「……家も、彼を落ち着かせてはくれなかった。粗野なところのある彼の父親は子供心について顧慮することを知らぬ人間であった。父は、いつも黙ったままでいる彼が、しばしば不快になるらしかった。彼が無口なのは、吃音のために思うように声が出ないからなのに、父は逆に、無口だからこそどもりなんかになっているんだ、と考えていた。そしてよく、何かに怯えているように、おとなしく黙りこんだまま飯を食べている彼に、『今日学校でどんなことをしたか、たまには話したらどうなんだ!』と怒鳴ったりした。そして、『あまりしゃべらなすぎるからどもりなんかになるんだ!』と、彼に国語の教科書を持ってこさせ、大きな声で朗読させたりした。
吃って、声に詰まるたびに、彼は陰湿な恐ろしい声で、父に叱られた。黙っていても叱られる、吃っても叱られる、一彼は、逃げ場がなかった。」
また、哲学者の高橋庄治は、自らの吃音体験談の中で、吃音に対する友達の無理解からいじけていった自分の過去を次のように述べています。
「……(吃音者である)みなさんも小学生のとき、あるいは中学生・高校生のとき、学校の友だちに”どもり”であることを馬鹿にされ、真似されたりしたことがあることでしょう。私もずいぶん、そのことで悩みもし、苦しみもしました。そのために、自然に無口になり、自分の小さな堅い『殻』に閉じこもり、どんなに親切にしてくれる友だちにも、どこか心を許せない卑屈な少年になってしまいました。そして、ひとりで悩みました。悩みを人に話せないほど苦しいことはありません。悪い方へ、悪い方へ、その悩みを出口の見つからない方向に追い込んでしまうのです。そして、友だちを恨み、ものをうまく表現できない自分自身を恨むところまで落ち込んでいったのです。」
以上には、家庭と友人の無理解の例を挙げましたが、最後に教師の闇題の事例について述べたいと思います。歯科医院を開業する一方、吃音者の団体の指導的立場にある54歳になる男性が最近、自らの吃音体験を赤裸々につづった1冊の本を自費出版しました。そしてそのうちの1冊を、高校時代の英語教師に送ったのですが、それには、怨念を込めたとでもいうような次のような手紙が添えられていました。
「……新学期に入って最初に指されたのが、先生の英語の時間でした。
『Tくん、次のところを読みなさい』
と言われ、私は吃音矯正の成果を試そうと、ゆっくりおちついて読んでいったのです。2~3行読み進んでいくと、先生はやにわに、顔を真っ赤にして怒鳴られました。
『T! 何だその読み方は! そこに立ってろ!』
それから私を完全に無視して、あてつけかのように早口で教科書を読みはじめ、その内容をまくしたてるように訳していかれました。
結局この日は先生一人の授業となり、普段の2~3倍もページ数が進んだことを覚えています。そして終業のベルが鳴ると、私には見向きもせず教科書をつかんで帰られたのです。
先生! その時の私の心境をわかっていただけるでしょうか? クラス中の無遠慮で侮辱に満ちた視線を浴びながら、私は1時間もその中に突っ立っていたのです。その時の、哀れな気持ち、情けない気持ち…。先生は恐らく、どもりとはどういうものかをご存じなかったと思われます。…」
以上のように、吃音に対する周囲の聞き手の無理解のために、吃音者が深く傷つけられているケースが少なくないと思います。したがって、吃音者が以上の事例のような取扱いを受けないように、ひとりの人間として尊重されるように啓蒙していくことは、吃音を研究している者の重要な使命のひとつだと私は考えています。
しかし、吃音者を取り巻く周囲の聞き手の全てが、以上の事例に見られたような対応をするとは限りません。どもりながら話している吃音者の話の内容を、正確に聞き取ろうとじっくりと耳を傾けてくれる人もいるはずです。また、吃音者から話しかけられた時には、視線を合わせる方がいいのか、そらした方がいいのか、などと心を揺らしている聞き手もいることでしょう。このように、吃音者に対する聞き手の対応はまちまちだと思います。そこで私は、聞き手は一般に吃音者をどう見ているのだろうかということをおさえておくことが必要であると感じ、その研究に着手しました。
②聞き手は吃音者をどう見ているのか
アメリカを中心とした諸外国の研究では一貫して、吃音者は周囲の聞き手から消極的、神経質、暗いといった、あまり好ましくない印象を持たれているという結果が出ていました。しかし私は、それらの研究は研究方法の上で問題があると考え、日本でやり直してみることにしました。聞き手として「大学生」(115名)、「普通の小学校の先生」(43名)、「きこえやことばの教室の先生」(76名)、「吃音児の母親」(25名)の4群、計259名を選びました。こちらで作成した質問紙を用いて、彼らが吃音児と普通の子どもをどう見ているかについての比較調査をしました。その結果、聞き手の群によって多少、見方が違うものの、一般的には、吃音児は全ての面で好ましくない印象を持たれているのではなくて、吃音児の方がむしろ普通の子どもよりも良い印象を持たれている面があることが分かりました。それは例えば、「責任感がある」、「礼儀正しい」、「親切である」、「根気強い」などです。
次に私は、聞き手の吃音児に対するこれまでの見方が、吃音児が実際に吃っている場面を見ることによりどのように変わっていくかについて調べました。聞き手として大学生たちを使いました。まず、質問紙により彼らが吃音児をどう見ているかを調べたのち、小学校5年生のひどいどもりの男の子が、童話の一部をすごく吃りながら読んでいる場面を3分15秒間ビデオで見せました。それから再び、大学生たちが吃音児をどう見ているかを質問紙によって調べ、ビデオを見る前とどう違ってきたかについてみてみました。その結果、「最後まで諦めない」、「情緒が安定している」、「引っ込み思案でない」、「積極的である」というように、吃音児を肯定的にみる方向に変わっている項目が数多くみられました。
以上のように、吃音者は決してマイナスの面からだけ見られているのではなくて、むしろ非吃音者よりも肯定的に評価されている面も少なからずあるということが明らかとなりました。ところが、以上のような事実があるにもかかわらず、自分の吃音にとらわれている吃音者は、周囲の者はみんな自分に対して偏見をもっているに違いないというように、自分なりの色メガネで周囲を見ているところがあります。吃音者の問題を解決していく上では、吃音者がこの色メガネをはずし、自分の吃音や周囲の反応を客観的に見れるように彼らを指導していくことはとても大切なことなのです。このことと関連して、アメリカのノースウェスタン大学の教授で、現代の代表的な吃音研究者であるグレゴリーは、自分自身の吃音との長い間の苦闘の末に次のような教訓を得たと述べています。
「私はこれまでの人生で、吃音による影響をあまりにも意識しすぎていたのではないか、あるいは他人が私の吃音をどうみているかということを意識しすぎていたのではないかと考えるようになりました。他人は、自分が考えているほどには、私が吃ることを気にしていないことも分かってきました。」
『社会での暮らしとコミュニケーション』第3章
障害の受容と生き方(明治図書出版1993年2月発行)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/08

