つながりのちから~親子のつどいから見えること~
ことばの教室やきこえの教室、通級指導教室などの担当者の研修の場である、全国難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会は、毎年夏、開催されています。その中の吃音分科会で、僕たちの仲間の担当者が、実践を発表してきました。恒例として2つの発表があり、開催県や近隣県の発表と、その他の県からの発表があったのですが、最近は、開催県や近隣県が2つの発表をすることが増えてきました。それでも、昨年は、東京一色の中で千葉県から発表することができました。
今日は、2015年の夏の東京大会での発表を紹介します。「吃音と共に豊かに生きる」をベースにした、ことばの教室の実践が、全国大会で発表されることの意味は大きいと思います。僕も、何度も、吃音分科会のコーディネーターをしましたが、仲間と共に、全国大会の場に立てたことはありがたいことでした。
では、第44回の全国大会東京大会での吃音分科会の様子を、「スタタリング・ナウ」2015.10.24 NO.254 より紹介します。
第44回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会東京大会吃音分科会報告
2015/7/29~31(分科会は7/30)
つながりのちから~親子のつどいから見えること~
ことばの教室の先生方の研修会で発表!? ことばの教室から離れて久しい私が報告をお受けしていいのかどうか。が、どもる教員として、またどもる子どもと同行させてもらっている身として、その「ゆらぎの道程」を知っていただくのも何かのお役に立てるのかなとの思いでお引き受けし、この7月、東京で報告をさせていただいた。
神戸市立本山南小学校 そだちとこころの教室 桑田省吾
〈はじめに〉
私の仕事は小学校の教員。そしてどもりだ。ことばの教室勤務になってから、仕事の上でどもる子どもたちと出会うようになった。その当時から私の中で繰り返されてきた「問い」は(自分のどもりへの理解や視点もままならないのに)「果たしてどもる子どもたちに支援がいるのか」「いるとしたらどんな支援か」、そして「どもりの私が望むようなどもる子どもの支援者に私が近づけるのか」ということであった。
今回の報告時間は25分。今、神戸で関わらせてもらっている「親子のつどい」の概要とそこからの気づきについて事例も盛り込んでの報告。が、つどいのPRでは決してなく、自分のこれまで抱いてきた「問い」を同じ教員同士で共有したいとの思いだったが、果たしてそれができたかどうかは自信はない。
<1>「おおごと」からひとつひとつ
人は何か強い衝撃を伴う出来事があると、普段は漫然としか意識できていなかったことがとてもリアルに顕在化されることがある。が、そこで何かに気づけてもまた日常の繰り返しの中で漫然としていく。自分のような凡夫はその繰り返しの積み重ねでようやく物事がひとつずつ見えてきたのだと思っている。
今回の報告では自分にとって気づきを与えてくれた「おおごと」の紹介とそこから投げかけられたいくつかの「問い」を取り上げた。
おおごと①:教員になる
「泣き虫のあかんたれ」で、学校の先生とおまわりさんを見ると逃げ出すような子どもだった私が教員になって覗いた世界はやはり怖かった。特に教師主導の授業や校則、「あの子は叱らんとわからんのや」という生徒指導系の勢いなどなど。電話もできず、参観日はうろたえ、休み時間になるとたびたび胃薬を買いに学校を抜け出す私に、子どもたちも容赦なく「先生、何言うてるか、わかれへん」と言ってくれた。
教育とは子どもがひとりの生活者として世に出られるようその力を引き出すお手伝いをするところと習っていたが、はじめて覗いた学校現場はいろんな教員の思いが絡み、誰が主人公かわからない世界だった。
そういう私も子どもたちにはできないことを頑張らせつつ、それでもなお自分の弱点は何とか隠し克服しようと奮戦していたのだが、どんどん職員室や同僚から足が遠のき、教室に入るのも怖くなっていった。私自身が「あなたのままではダメだ(=自分もダメだ)」のメッセージの発信者になっており、その中でもがいていたのだろう。子どもたちにとってこんな教員で良かったのか、申し訳ない気持ちばかりだった。
でも、そんな担任だったが、クラスにはいろいろ問題があっても、迷惑をかけあってもOKという雰囲気があった。きっと子どもたちの懐の深さと優しさがそれをOKにしてくれていたのだと今、振り返り思える。
通常学級、生徒指導、支援学級と経験させていただいたが、学校の怖さは変わらないままの頃、私と同じような「あかんたれ」の子どもも来る教室があるという。そんな教室の担当になるように辞令が来たときには、こんな自分でいいのかという不安もあったが、小躍りしそうな嬉しさもあった。
が、それも束の間、ことばの教室の指導の概要がわかるにつれ、ここも同じように教師本位の見方・接し方が大勢であるように感じた。ただ子どもたちはSOSを出してはいたが、全然「あかんたれ」ではなかった。ここでは自分のことも、子どものことも何とかしたい…そう自分なりに決心したが、どもりの私が望むようなどもる子の支援者に私がなれるのかという問いは日々どんどん膨らんでいった。
おおごと②:阪神淡路大震災
私がどもる子どもの支援に関わらせてもらうようになった年に阪神淡路大震災があり、その日から教職員も多様な支援活動に参加することになった。今振り返ると現場で良かれと思うことをやみくもにやっていた感が残るばかりで、支援が被災された方々の『自立を支援する』という本来の目的に沿っているのかなど振り返る余裕もなかった。被災地では食料品・日用品などの物資供給や水道・電気・ガスなどの目に見えるライフラインは順調に復旧されていったものの、被災された方々の閉塞感や孤立感は日を追うごとに逆に大きくなっていくのを感じた。
「支援者がしたいことを優先しているのではないか」「気休めや楽しんでもらうだけの支援に変容していないか」「配慮の名のもとの支援が逆にストレスや支援への依存化などのリスクを生み出しているのではないか」「助けたいという思いだけで、長期的な視点を持てていないのではないか」など、支援する側の自己検証が必要不可欠なことを痛感した。そして何よりも「相手の力を心底信じられるかどうか」が一番の問題だった。それは取りも直さず、自分の力が信じられるのかという問いと表裏一体であったのだが。また、自立のための”もうひとつのライフライン”であろう人と人との「つながり」が、復興最優先の看板のもと、どんどん分断されていくような感覚も私たちの不安をより強めていた。
人のもつ力を心底信じられるかどうか、つながりを分断しない支援、つながりを作る支援とはどんな支援なのか? また問いが増えた。
おおごと③:吃音親子サマーキャンプとの出会い
どもる教員よりも子どもの方が、人前で腹をくくれていたり、自分のどもりを表現するのがうまかったり、個別の学習の場でも子どもから学ばせてもらうことばかりであったが、1対1ということばの教室独特の密室性は何とか改善していきたいと、受け持った当初からグループ活動や親の話し合いを大切にしてきた。が、その中でも、何か違うのではないかという居心地の悪さは続いた。例えば自分が繰り返し使ってしまうこんな言葉に胸が痛んだ。「~してみよか」「がんばったね」「今日の話し合いは良かったよ」「今後もっとこんなことが深まればええね」…子ども本位と言いながら、自分がどんな立ち方だったかは明らかだった。心の中に「何とか問題状況を解消したい思い」があり「できない担当者と思われたくない」という思いもあったのだろう。
その頃、吃音親子サマーキャンプというものがありどんなことをされているのかは大阪吃音教室の東野晃之さんが、奈良県で開かれた、全国難聴・言語障害教育研究協議会(全難言)の大会での報告で知ってはいたが、自分の苦悩や問いへの示唆がそこにあるとは結びつけることができなかった。どもる子どもの支援を自分本位で小難しく考えていた私を伊藤伸二さんは吃音親子サマーキャンプに誘ってくださった。
参加させていただいたサマーキャンプの世界。「何という世界だ! このあたたかく大らかな空気は!」「年1回の出会いで、ふだんの暮らしに向き合っていく力が付く。その力はキャンプのどこからもらえるのか」などなど、私には衝撃ばかりだった。
訓練なんかしなくていい、あなたは自分の宝を磨いていけばいい。そんなメッセージが参加されていた多くの年齢層の方から発せられていたように感じた。
そしてそこでサマーキャンプの「あなたはあなたのままでいい」「あなたはひとりではない」「あなたには力がある」というメッセージに触れ、これまでの自分のしてきたことを悔いる思いと自分も救われる思いで深く胸を打たれた。果たしてこんな空気が自分の教室の指導でも実現できるのか、そして自分もこのキャンプのメッセージを子どもたちに伝えられるのか?
◇「指導・支援」から「つどい」へ
どもることは、子どもにとって日々の暮らしの中でとても大変なことで、ひとつひとつどう対処していくかは重大な課題だが、日々の苦戦の向こうにある“自分を知り、活かし、自分らしく生きていく”という親子の本当の願いを応援できるのか。子どもが自分を否定的にとらえることなく、試行錯誤しながらも自分の人生を自分で歩んで行けるための「本当に教育的な支援」が実現できるのか。子どもや保護者を「支援される側」に置いたままの指導や一方的な終了をしない、そんな関わりができるのか…そんな問いを繰り返していた私は、サマーキャンプに出会ってから、ことばの教室での指導の柱を次第に「出会い」「つながる」ことをねらいとした「つどい」に置くようになった。
が、サマーキャンプのメニューや内容を真似しても、キャンプで耳にした言葉のやりとりをコピーして使っても、何も同じものはできないことは私でも直感的にわかった。ただ、「場」さえ用意できれば、子どもや保護者のちからで何かが実現していけるのではないかという予感もあった。
◇「つどい」のスタート
指導でもカウンセリングでもない参加者主体の場。不思議なことに子どもたちはここでは自分が出せると感覚的に察知できたのか、すぐに打ち解けていった。
そこでは何よりも「くらしの中でのナマの吃音のこと(実体験)」を飾らず話題にできた。またよく知らなかった自分のどもりを、友だちを鏡として知っていくこともできた。そこでは自分で自分のテーマを見つけることができ、同じテーマを持つ友だちや先輩からジカに学ぶことがどれだけ大きいことか実感することができた。
また大人は、吃音について子どもと話し合う際にはどのような態度で臨むことが望ましいか、本当はどんな支援を子どもたちが求めているかなど、専門書や研修等ではなかなか答えが見つからなかったことも自然な形で学んでいくことができた。「そう、出会いさえすれば…」その醍醐味を繰り返し味わわせてもらうこととなった。
おおごと④:地域のつどいへ
◇学校から地域へ
当時、神戸の通級指導は年齢制限がなく、また神戸市外からの通級も可能だったので、比較的つどいの自由さは確保されていたが、市外からの当日参加があれば念のために管理職に了解を取ったりしたし、案内には「どなたでもどうぞ」とは明記できなかった。
が、その形で2年3年と続ける中、他の通級教室や市外の方からの参加希望や、通級はしていないが「出会いの場」を求める方などからよりオープンに参加できる場を求める声が次第に多く聞かれるようになってきた。
そんな声に対してまずは「自分たちにできること」だけでもと同じ思いを持つ仲間とスタートしたのが地域の福祉センターを借りて開催する親子のつどい『ほおーっと』だった。
そこに参加する子どもは、幼児から大学生、成人まで。多くは幼児からの参加で、東は京都や奈良、西は岡山や姫路からの参加もあり、淡路島や雪深い兵庫県の山陰からも早朝暗いうちから出発し参加される親子もあり、「場」を求める思いの強さを再認識させられた。また担任の先生やことばの教室の先生、言語聴覚士の方の参加もある。
つどいの内容はその場その時の参加者が織り成す出会い方と共働で形作られていて、親のグループでも子どものグループでも、ベテラン参加者が、まだ参加回数の浅い方を中心にして自然な交歓を行っている。このつどいで大切にしていくべきことは何なのか、問いながら毎回の出会いを楽しんだ。
<2>つどいの場で
地域でつどいを開くようになって、あらためて学校には自縛も含め制限が多かったのだと気づき直せた。当日どなたが来られるわからないドキドキはあったが、自由でゆったりとした雰囲気の中で純粋に出会いの良さを知っていくことができた。そこに同行する大人も具体的な打ち合わせをするわけではなく参加者とのやりとりの中で自然とつどいのあり様を具現していった。
◇ゆるさ
「場」の敷居が低く長期的に参加できることがいちばん大切なことなので、息切れしないような気楽なかたちが何よりも大切だった。そして息の長い同行ができるためには子どもや保護者との「対等な関係」や「依存する関係を作らない応援」が不可欠だ。またより豊かにつながっていくには、いつ来ても、来なくてもいいという”ゆるさ”も大切に思うようになった。「ゆるいからこそつながれる」という感覚は教員にとっても新鮮だった。
◇何もしない
場さえ良ければ計画や準備など「何もしない」でいいと思えた。ではその「場の空気」、それを決めるのはその場にいる人たちの立ち方、それだけ。参加者は構えず丸腰で出会い、共振し、自然体でナマの声に耳を傾けられる…互いに敬意を表し、責任を共有し、問い学び合える関係であり続けられるよう自然と心するようになった。話題も誰かが勝手に決めるのではなく、ひとりの発言があると、それを受け止め、その中で興味を持ったことを問い返していく…その繰り返しが豊かな対話を生み出している。子どもの内なるちからを信じ、それが自然に引き出されるのを願い、応援は「ことば」だけではなく「からだ」全体で示していく。そしていちばん大事なことは、互いの本当に求めているものに気づき合い、それに添っていけることを大切にすることだと気づいていけた。
子どもが当事者のつどいに参加すると聞き「そんなところはただの傷のなめ合いだ」と否定されていたお父さんが、つどいの空気に触れ「これは子どもにとっても私にとっても大切な場所」と今は率先して参加してくださっている。また、子どもを参加させるなら、まず自分が吃音のことをもっと知らないとと、どもることの理解をスタートされたお母さんもいる。参加後は家庭で吃音の話がうんとしやすくなったとのことである。
今、高校生のHくんは幼児期に参加してからほぼ3年おきぐらいで顔を出す。近況報告にと言うよりは、自分の数年取り組んできたことをつどいの空気に晒してみて、何やら納得して、またふだんの生活に帰っていくという感じである。
毎回参加する子、初めての子、3年ごとの子が織りなす場と時間。それもまた、つどいの「ゆるさ」がなせる技だと思う。できれば早期からそんな空気を体感してほしいと思うし、中・高生になって悩みの渦中に入った時でも足を向けてほしいと思っている。
<3>つながりのちから
◇理解者がいる
年に数回しか出会わない子どもたちが、自分のテーマと向き合いながら一日一日を過ごせていることはすごいことだと思う。しかもきっと孤軍奮闘しているのではないと確信している。
それは、つどいに一緒に参加できた両親や兄弟が居てくれることはもちろん、「毎日会えなくても、どこかに理解者がいてくれると思えるだけで、自分なりにやっていける」という思いを、子どもたちが身をもって示してくれているからである。
◇つながりのちから
そんな様子を確かめられるにつけ、子どもたちは誰もが心に健全なるエネルギーを持っていて、それが明かりのように互いの個性を輝かせている。そこで感じたことを生活の中で行動に移してみて、もし転んでもそれはただの失敗ではなく、逆に「つながりのちから」「自分のちから」に気づくチャンスとなっているのだなと思う。日々の暮らしの中で、たとえ「個のちから」に自信が持てなくなるときがあっても、また「つながり」の中で自分の本来もつ素敵なちからに気づき直して、それを育んでいってくれる。あらためて「出会い」「つながる」ことの「ちから」の大きさを感じている。
◇実はおとなの方が救われている
子どもたちは出会いからいろんなちからを発見し生活の中で活用していってるのだが、そんな子どもたちは私たちどもる大人にとって「学びのよき先達」なのである。きっとどもる大人たちは「自分が子どもの時にそんなふうに吃音を受け止められなかったな」「ホンマ、えらいやっちゃらやなあ」などと羨望の目で見ながら子どもたちからエネルギーをもらっている。そして改めて自分の吃音を学んでいる。しかも私たちの体験を受け取ってもらってもいる。大人のセルフヘルプグループに参加していなかった私は、どもる子どもたちにテーマを共有してもらいながら、子どもに自分の力を開いてもらってきた感が強い。
また教員としての私は、つどいで相手の力を信じれて、全部をポーンと任せられたとき、ふわーっと気持ちよく新たな世界が開けたような気がした。「教員は指導しないといけない」ではなく「相手に任せ」「何もしない」でいい~そう、教員になってからずっと模索していたのはこれだったんだ。
<4>カルピスの原液
「仲間と出会える場がもっと身近にほしい」「これなら私たちにもできる」という思いが参加者の中にも起こり、つながりのネットワークが広がっている。それに共感してくださったお母さん方が、自分たちにできる方法を考え、しかも同じハートで他の子どもたちにも向かおうとしてくださっている。それだけではなく、学級通信や学年だより、町の広報誌などで「吃音の情報」を発信する子どもやおかあさん、どもる大人の方々とレクレーションを企画し交流する方々、みんなで吃音親子サマーキャンプにも行こうと参加を呼びかける方々…。思い切ってつどいに参加した第一歩から後、どんどんネットワークを広げられている。
演出家の秋元康氏は「カルピスの原液を作らないといけない。それは最初から薄く、広くをねらうのではなく、濃いものを作れば必ずそこから派生して広がっていく」と言う。吃音親子サマーキャンプで私が味わったカルピスの原液は変質させずに「ほおーっと」に輸送できたか、そしてお母さん方は原液のまま地域に持ち帰り、ご近所でも同じ味のカルピスを味わってくれているだろうか。
<5>あなたにはちからがある
◇「弱さ」のちから
「私は弱さには自信がある?」と言うと変だが、私は「力」や「強さ」を求めては逆に不安定になる体験を繰り返してきた。が、意外なことに私の「弱さ」がつながりを作ってくれた。そして気がつけばその中にある「力」も私に与えてくれていた。
自分にも相手にもなかなか言えなかった「あなたには力がある」というメッセージ。でも、言われた方が「えっ、そんな力なんてないです」と言おうとも「弱いままでいい。弱さが媒体となってくれ、それがつながりの中で活かされる」。だから「あなたはそのままのあなたでいいんです」と今は言える気がする。
<6>危機感の中、大切にしたいこと
学校現場にいながら、今の特別支援教育の流れには大きな危機を感じている。それは子どもの様子ではなく、教員の立ち方に。今回の報告はつどいに至る経緯を例に挙げながら、教員の立ち方、おとなの立ち方について共に考えたいと思った。
が、全難言大会での発表後の意見交流で頂いた質問の多くは、「より子どもが変わるプログラムは」「子どもがもっと話すにはどうしたらいいか」などだった。
子どもだけに一方的に練習を押しつけるような指導や目先の変化を求める支援への深い反省から『自立活動』という一人一人の持ち味を伸ばすという教育理念に方向転換されて久しいが、それがなかなか根付かないどころか、またもとの弱点補強の考え方(養護・訓練)に流れているように思えてならない。
どもる子どもの支援の柱は「セルフヘルプ」や「教育的支援」であり、「治療・訓練モデル」ではない。つどいの中にも見つけられる「子どもの力」「つながりのちから」はきっと、ことばの教室の個別指導も含めた学校教育全体の中でこそ見つけ深められていかれなければならない。
支援者が単に「悩みや不自由のない生活」を理想としていたら、本当の支援はなかなか実現しないことは、阪神淡路大震災での復興支援の中で痛感してきた。
子どもや私たちの本当に「豊かな生活」「豊かな生き方」とは、そして「豊かなつながり」とは。それを誰かに教えてもらうのではなく、対話しながら一緒に問うていけることを大切にしたいと思っている。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/27

