吃音哲学
僕の家では、「哲学」と名のつく本がたくさん本棚に並んでいます。一般的な哲学以外に、がん哲学外来、こども哲学など、これまで哲学とは無縁のようなものにも「哲学」が広がっています。吃音のもつ豊かな奥深い世界を表すのに、「哲学」ということばがふさわしい、僕は、20年以上も前から吃音は哲学だ思っていました。今、その思いをより強くもっています。
残念ながら、僕の考え方は少数派で、今、吃音の世界で主流ではありませんが、自分自身では本流と信じています。賛同してくれる仲間たちと、本流の道を歩いていきたいです。
今日は、「スタタリング・ナウ」2015.10.24 NO.254 より 巻頭言をまず紹介します。
吃音哲学
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「吃音は哲学だ」
『やわらかに生きる―論理療法と吃音に学ぶ』石隈利紀・伊藤伸二共著(2005年・金子書房)のあとがきに私はこう書いている。
吃音は原因も解明されず、治療法もない。1903年に伊沢修二が設立した、民間吃音矯正所・楽石社の治療法、「ゆっくり話す」は、多くの人が、日常生活に生かせず失敗してきた。にもかかわらず、アメリカ言語病理学は、「ゆっくり」に、「そっと、やわらかく」を加え、「統合的アプローチ」として新しいものであるかのように提唱する。変わったこととしては、「完全には治らない」ことを認め、吃音を肯定していることだ。その上で、「楽にどもる」「吃音をコントロール」をすすめる。
1965年夏、私は「ゆっくり話す」と、随意吃音を含めて「楽にどもる」に取り組んだが、私を含めて、ほとんどの人ができなかった。提唱者のバリー・ギターも認めているように、「楽にどもる」「吃音のコントロール」は、誰もができることではなく、指導することも難しい。
吃音が、言語病理学の「治療・訓練モデル」では限界があるのは、100年以上の世界の吃音治療の失敗の歴史からも明らかだ。
1974年、私は、「吃音を治す努力の否定」を提起した。そして翌年、「吃音はどう治すか、改善するかの問題ではなく、どう生きるかの問題だ」の問題提起が、広く受け入れられるかどうか検証する全国吃音巡回相談会の旅に出た。全国35都道府県、38会場を3か月かけて周り、どもる人232名、ことばの教室の教師87名、保護者72名との対話を続けた。私の「吃音哲学」を多くの人に語りかけた、辻説法のような最初の旅だった。その時、吃音に悩む人だけでなく、「吃音と共に豊かに生きている人」とたくさん出会った。それは、出発前には想像もできなかったことで、大きな収穫だった。
一方で、私の「吃音を治す努力の否定」は、「完全には治らないなら意味がないと、症状の軽減まで否定している」などの批判や様々な曲解を受けた。そして、批判する人たちは、「吃音に深く悩み、吃音を治したいと強く願う人に、言語訓練は必要だ」とあくまで吃音症状の軽減にこだわる。しかし、私は、吃音に深く悩み、生活に困り、治したいと強く願う人にこそ、吃音を治す努力を否定し、そのエネルギーをより良く生きるために使って欲しい。生活の困難や、悩みへの対処には、「言語訓練」よりも、「吃音哲学」が必要なのだ。吃音を治すことにこだわらなくなり、自分なりに豊かに生きている人が、私たちの周りだけでなく、世界中にたくさんいることは、世界大会でも証明されている。
「吃音を治したい」の願いや欲求に応えるには、哲学はいらない。従来の効果がない方法でも教える「技術」があればいい。「完全に治らないのなら、治そうとすることは無意味だ」と何もしないのであれば、哲学はいらない。
従来、価値あるとされた「治す努力」を「否定」するからには、なぜ否定するかの根拠(エビデンス)と哲学がいる。なぜ治す努力を否定しなければならないのか、丁寧に説明しなければならない。
私は1965年の夏の吃音治療の失敗から「吃音を治す努力の否定」までに10年を費やした。その後の40年は、「否定」の意味をどう深めて、説明するか、吃音を治す努力に代わって、私たちが本来すべき努力の方向は何かを見い出す旅だった。その旅で、出会ったのが、アサーション、論理療法、交流分析、森田療法、竹内敏晴からだとことばのレッスン、認知行動療法、当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンスなどだ。
―私は内科や外科の治療医学は主流ではあるが、本流ではなく、ホスピス緩和ケアやがん哲学外来は主流ではないが本流ではないかと思う。主流に乗り続けると、時にはおぼれることがある。おぼれそうになって、「がん哲学外来」を訪れる人が多くみられる。桶野先生は、「がん哲学外来」を、「医療の隙間を埋める方法論」と言っておられるが、私は医療の本流ではないかと思う。本流で「憩う」という選択肢もしっかりと視野にいれていただきたいと思う―『使命を生きるということ』(柏木哲夫+樋野興夫、青海社、2012年)
樋野興夫さんの「がん哲学外来」と、全難言大会の桑田省吾さんの発表から、そろそろ、私の50年の吃音の取り組みを、「吃音哲学」としてまとめる時期にきたようだ。それが私の使命だと思う。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/26

