学習・どもりカルタの実践

 日本吃音臨床研究会では、吃音に関連する書籍や教材の出版・作成をしています。できるだけたくさんの人に、僕たちの考えを知ってもらい、指導する子どもたちに使っていただきたいと願って、案内を送ったり、研究会や研修会の会場に持っていって紹介・販売しています。おかげさまで、少しずつ広がってきたように思います。どんなふうに使って下さっているのだろう、そのとき子どもたちはどんな反応をするのだろうと、想像していましたが、学習・どもりカルタを使った実践を、『演劇と教育』という雑誌に載せて下さった鎌田富子さんから掲載雑誌とともに、お手紙をいただきました。
 鎌田さんからいただいたお手紙の一部をご紹介します。うれしく励まされました。
 
 《日本吃音臨床会の出版物等を読ませていだき、教室での仕事の糧とさせていただいてきました。そうした中で、どもりカルタの存在を知り、昨年度3学期に取り組んでみました。吃音の5人の子どもたちとの実践です。伊藤さんの書かれた「どもりカルタの意味」を何度も読み、そのたびに、その通りだなと共感しました。拙い実践ではありますが、子どもたちを少しでも元気づけることがでたのではないかと思っています。どもりカルタと出会わせていただき、ありがとうございました》
 では、今日は、「スタタリング・ナウ」2015.6.22 NO.250 で紹介した実践を紹介します。

【小学校】どもらない人も少しはどもるんだよ
           鎌田富子(埼玉・公立小学校教員・日本演劇教育連盟常任委員)

「にっこりと笑ってどもれば世界が変わる」

 「どもりカルタ」って知っていますか。これは、どもる(流ちょうに話ができないでつっかえる)人が書いたカルタの一文です。私の勤めている学校には、「ことばの教室」(通級指導教室)という所があり、そこにはどもる子どもたちが通っています。ふだんは、一週間に一回、個別指導があり、地元の小学校から通ってきますが、ときどき小集団指導もしています。同じ課題をもつ子どもたちが、5人で楽しい活動をしてきました。
 3学期になってまもなく、その子どもたちと「どもりカルタ」を読んでみました。
 「自分もこんなことあった、自分も同じ気持ちになったことがある、などと思うものはどれですか」
 何枚ものカルタを読んで、子どもたちは選びました。
 「手を挙げる当たらぬようにと祈りつつ」
 「抜かされてホッとはするが悔しいな」
 子どもたちは、初めて見る変わったカルタを読みながらも、少しずつ表情に笑みが浮かんできました。自分のなかに、知らない誰かが書いたカルタと同じ自分を発見したのでしょう。
 「今度は、これでカルタ取りをしましょう」
 私のことばに一瞬、えっというような顔。どもりのことを書いたカルタで遊ぶなんて……とでも言いたそうな表情でした。少しぎこちないカルタ取りでしたが、5人の子どもたちと初めてのどもりカルタを楽しみました。
 「では、次にみんなで、自分のカルタをつくってみましょう」
 「ええっ、作るの」
 「何書いていいかわかんない」
 「……いっぱいいろんなことがありすぎて書けない」
 しばらく動揺したことばが続いた後、みんなは真面目な顔になり、沈黙。そして書き始めました。
 「読み札の文が書けたら、絵も描いてください」
 「棒人間でもいいですか」
 「この画用紙の中を線で分けて描いてもいいですか」
 ようやく、それぞれの思いのつまった文と絵ができました。

「音読で文を読み切ったとき、先生にほめられた」

 これを書いたゆう君は、4年生の男の子です。国語の時間に音読をする場面は、よくあることです。でも、字は読めるのにつっかえて始めの音がなかなか出てきません。一所懸命に読もうとすればするほど、どもってしまいます。やっとの思いで読み切ったとき、それまで見守っていた担任の先生が、すかさず褒めてくれました。
 どもらない子でも、みんなの前で読むことは緊張します。間違えたらどうしようとドキドキしながら読むのです。吃音のある子は、それ以上に、ふだんから流ちょうに読めないのですから緊張の極致です。それをわかってあげながら、頑張って読もうとしている姿に、先生は温かいことばをかけてくださったのです。どんなにかホッとしてうれしかったことでしょう。
 小さな場面一つひとつでの、子ども理解に基づいた細やかなことばがけが、どれだけ子どもの支えになるかと思わずにはいられません。とりわけ、どもっていることで、コミュニケーションもうまくいかず自信をなくしている子どもにとっては、大きな励ましになったと思います。
 このゆう君は、学年が変わって進級したばかりのクラスで、こんなこともありました。どこのクラスも初めは、お互いをまだ知りません。そこで自己紹介があったそうです。その時、ふつうは名前や自分の好きな勉強、遊びを話して終わるのでしょう。ところが、ゆう君は、
 「ぼくは、話すときや音読するときにどもってしまいます。でも笑わないでください」
と、自己紹介をしたそうです。
 この話をことばの教室でした時、わきで聞いていた男の子が、「勇気あるなあ」と思わずつぶやきました。本当にその通りです。まだどんなクラスなのかよくわからない時期に、ちゃんと自分のことを知ってほしい、どもりのことをわかってほしい、と自ら話ができるなんて、と感心してしまいました。

「グループなら どもったって気にしない 学校でだと ちょっとはずかしい」

 はあちゃんは、3年生の女の子です。小集団のグループでは、みんながどもることを気にしないで話したり、ゲームをしたりして、楽しい活動の中で、関わりを深め自発性を促すように努めてきました。そうした中で、自分一人がどもっているのではない、と安心して自分を出せる場に、「ことばの教室」がなってきたのでしょう。学校に行けば、うまく話せないことを意識させられてしまうけど、ここでは、どもってもそのままでいい、自分は自分のままでいい、と思える場になったのかもしれません。

「みんなと おしゃべりするのが 楽しい」

 はあちゃんがまだ1年生になった頃は、慣れない学校生活に適応できず、よくおなかが痛くなってお母さんを心配させていました。ことばのことをからかわれて、悲しい思いをしたこともありました。
 3年生になって、運動会の練習にも忙しい頃、どんな種目に出るのかと思い聞いたところ、 「私、運動会好き」
 運動の好きなはあちゃんのことだから、もちろんそうでしょうねと思っていたら、意外なことばが返ってきました。
 「校庭に出て、みんなといすを出してすわるの。そこでみんなとおしゃべりするのが楽しいの」
 運動会は、勝ち負けを競う場だけではなかったのです。みんなと一緒ににぎやかに応援したり、楽しくおしゃべりをしたり……。「学校でだとちょっとはずかしい」とカルタには書いていたけれど、開放的な広い空の下でのおしゃべりは、どもっていることを忘れさせてくれる。クラスのみんなとの授業や生活の中でも、きっと自分らしい表現ができてきているのではと確信させられました。
 先日、3年生も終わりに近づいた頃のこと。
 「私、みんなと一緒に帰りたい」
と言うのです。「ことばの教室」に通うために、地元の小学校で5時間目が終わると、急いで来ています。ですから、放課後、みんなとわいわい言いながら帰れないのが寂しかったのでしょう。「ことばの教室」は楽しいから続けたいと最近まで言っていたのに、いつのまにか成長していたのですね。もう「ことばの教室」は卒業が近いのかもしれません。

「パパは言う どもらない人も 少しはどもるんだよ」

 どもる子たちが来ている「ことばの教室」では、ときどき、「どもりはどうやって直すのですか」と聞かれることがあります。考え方はいろいろありますが、子どもたちを見ていると、直接直すことばかりを考えていてはどうなのだろう、と思います。コミュニケーションがうまく取れないで悩むこともあるでしょうけど、どもっていても、ありのままの姿を認めてあげることが大切です。
 今の子どもたちは、せかされて、早く上手にできることばかりを求められ、ゆっくりした歩み、失敗や葛藤の中にあるものが軽視されがちなのではないでしょうか。はあちゃんのもう一つのカルタに「パパは言う どもらない人も 少しはどもるんだよ」というのがあります。どもるために、たどたどしい話し方になる、うまく話せないで伝わらない、などの葛藤が毎日のようにあります。でも、できないことがあっても気にしなくていいよ、みんなだってどもることもあるし、できないこともある、みんな一緒だよ、というお父さんの声が聞こえてきます。そして、学校では、一人ひとりが大事にされ、安心できる居場所をつくることこそが、子どもの歩みを支えていくと思います。
[参考]『学習・どもりカルタ』
    発行・日本吃音臨床研究会
    〒572-0850大阪府寝屋川市打上高塚町1-2-1526
    TEL・FAXO72-820-8244
                       『演劇と教育』NO.664 2014年5月号 

※学習・どもりカルタは、1セット、1500円(送料含む)です。
 ご希望の方は、郵便局に備え付けの郵便振替用紙をご利用の上、代金をご送金ください。
   加入者名  日本吃音臨床研究会
   口座番号  00970-1-314142

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/12

Follow me!