2014年度ことば文学賞

 第20回吃音ショートコースが、2014年秋、ニュージーランドから国重浩一さんを講師に迎え、ナラティヴ・アプローチをテーマに開催されました。3日間の最終日、どもる人の体験を綴った第17回ことば文学賞の受賞式が行われました。応募数は、14作品。ひとりひとりの人生が圧倒的な力強さで迫ってくるような感覚をもったことを覚えています。作品を紹介します。

2014年度ことば文学賞
  吃音物語
                     東めぐみ(デパート玩具売り場担当)

 「世の中にはどんな健全な人間をでも、一見変質者らしく振る舞わせる二つの大きな原因があるが、その一つは食物の飢餓であり、もう一つは愛の飢餓である」
 
 これは私の人生のバイブルとしている下村湖人著『次郎物語』の名言であるが、恐れながら私はこれにもう一文つけ加えたい。
 「変質者らしく見せる三つめの原因、それは言葉の飢餓である」と。

 本格的にどもりであることを悩み始めたのは社会人になってからであり、学生の頃にいくつかアルバイトを経験した結果、自分に向いている職種は接客業であると確信したことが闘いの始まりであった。まさかどもりが接客の妨げになるなどとは考えなかったからだ。それは幼少期と比較すると、言葉の言い換えや独自の言い回しで、うまくどもりをごまかすことができるように変わっていたからだと思う。発話に詰まった時の、無限に思える魔の時間。それを刻む時の間隔が修練され、いつの間にか積極的に突き進んでいたこと。一点集中よりもリズムだろう。組み合わせだろう。そして何よりも、誰にも迷惑をかけなければ問題ない、自分は自分、他人は他人という薄情な根性が、私を自信家に仕立てあげていたのだ。日々どもりながらも、どもりは全く弊害のないものだと信じていたのである。
 しかし、念願の接客業に就いたことで、誰にも迷惑はかからない、という主張が自分勝手な考え方であるということに気づかされると同時に、十数年かかって鍛え上げたはずの精神がガラスのようにあっさりと砕け散った。
 百貨店に就職した私は、研修の三日間で逃げたい衝動に駆られた。研修ではロールプレイングがあり、順に決まった接客フレーズを話していかなければならない。そして一人が終わる度、悪いと思うところを皆が指摘していくのである。私は当然、どもっていることを数名から指摘され、まるで公開処刑のように感じた。最上階から最下層への墜落。「こんなん、どっかで見たなあ」というデジャヴ。
 ああそうだ。国語の朗読だ。ちょうどこんな雰囲気だった。だが今は顔を隠すための教科書はない。それにあの時は友人に囲まれていた。今は初対面の四十名ほどがこちらを覗き見、非難している。誰にも伝わらない孤独感。比較されたくないという劣等感。錯綜する記憶。私はその場でしゃくり泣いてしまった。どもりであることが理由で、こんなに悲痛を感じ泣いたのは初めてだった。まさか人前で泣くことになるとは思わなかったが、どうしても涙をこらえることができなかった。
 「今は研修中ですから、どもっても構わないですが、店頭に立つ時は絶対にどもらないで下さいね」
 研修担当者が放ったこの止めの一撃が、今なおずっしりと胸に応え続けることとなった。「どもらない。それは不可能」だという絶望感から、すぐに辞めることを決意した。
 しかし、研修が終わり帰宅する準備をしていると、私が配属される先の部署の先輩が挨拶に来て下さったことで、一筋の光が差した。それまでの研修とは打って変わる優しい眼差しと天使のような柔らかな口調。この方の元で働けるなら!という希望が湧き、元来の優柔不断の性格も影響して、できるところまでやってみようと、逃げたい気持ちを抑えた。同時に、何としてもどもりであることを隠し通さなければならない、という使命感が芽生えた。
 どもってしまうと相手の時間も奪ってしまい、電話代も倍かかる。「おかしな店員がいる店」と評判が立ち、会社のイメージも損なうことになる。研修の時に念押しするように放たれたあの言葉は会社の意志であり、それに従うことができないのであれば、私自身が悪い。絶対にどもることは許されないのだ。
 ところが、いざ店頭に立ち接客をすると、少々どもることはあっても、言葉の言い換えやジェスチャーなどで十分対応でき、研修で味わったような悲惨な状態にはならなかったので安心した。だが気の休まる時間も束の間、電話の応対が私を困らせた。
 電話の場合、最初に発する言葉でどもってしまうと、後に控える普段問題なく発話できている言葉も全てドミノ倒しのように崩れてしまうからだ。それに加え、会社名がやたら長い上に苦手な言葉から始まる。先輩方は七秒ほどで言い終えていたが、私は倍かかっても言えず惨敗した。受話器を持つ手が震え、嫌な汗をかく。その度に、電話機の機能が業務用にもっと向上してくれることを願った。受話器をとれば、お決まりのご挨拶と会社名が先方に流れるようなシステムを導入してさえくれれば、こんなに苦労をする必要はないのだから。
 いや電話機に文句を言っても仕方がない。私は悩んだ末、電機屋に向かい当時一番性能の良い最新のオリンパスのボイスレコーダーを購入した。再生する時に、できるだけ生の音声に近いものが良いと店員に告げ、案内された機種がそれだった。
 帰宅すると早速、電話応対時の挨拶と会社名を録音した。うまく言えたと思ったものを再生してみる。なかなかクリアに聞こえるじゃないか。これなら周りで聞かれていても違和感を感じないかもしれない。頼もしい相棒が現れたことに、私はニヤリ笑った。
 翌日、相棒の出番が来た。恐れるものは何もない。気はすっかり大きくなっていた。受話機をとる。昨日録音したものを再生する。自らの幼稚な声が流れる。出だしは当然完壁であったため、後は落ちついて順調に会話ができ、相棒とのファインプレーは見事成功を収めた。
 だが戦法はすぐに周りに気づかれた。あの天使のような先輩が、ニコニコ笑顔で近寄り「何やってるん?」とこれまた優しい口調で聞いてきた。京都弁の発音で。私はどもりであることを知られるよりも、変人だと思われる方がマシだと考えていたので「気にしないで下さい」と先輩のような最高の笑顔で応えた。
 しかしほどなくして、私は相捧と別れる決心をした。再生ボタンを押す度になんだか空しい気分になり、そんなものにすがりついている自分が嫌になってきたからだ。勇気を奮い立たせて名乗ることを決し、あれから七年経つが、いまだにきちんと社名を名乗ることができずにいる。ものすごく省略し、毎日ごまかし続けているが、それでもボイスレコーダーに頼っていた頃よりはずっと気分が良い。
 最近になって大阪吃音教室を訪れるようになり、吃音という言葉を知り、私の知らないところでこんなにもたくさんのどもり人(じん)がいることがわかり嬉しくなった。今まで自分以外のどもり人に出会ったことがなかったため、意外と身のまわりにもたくさんいるのではないか?と思い始めた。すると、職場など日常生活で、どこからかどもりながら話されている声が聞こえてくるようになった。あの人もどもりかあ、と確認すると自分の味方が増えたような気になり、また嬉しくなる。とりわけ一番驚かされたのが、失礼ながら変人であると勝手に怪しんでいたお客様がいるのだが、変人ではなく、ただのどもり人であったということだ。そのお客様は常連で、しょっちゅう電話で商品の問い合わせをされたり、御来店して下さるのだが、話し方がとにかく変だったのだ。特に御来店されて直接お話をする時よりも、電話の方が様子がおかしい。突然長い沈黙があったり、声を伸ばしたりされることもある。私は自分がどもりで悩んでいる身でありながら、知らずとはいえ仲間をただの変人で片付けてしまっていたことを、胸中で詫びた。
 先にも紹介した『次郎物語』。私は辛いことがあるといつも主人公次郎に励まされた。なかでも最も勇気づけられた言葉がある。

 「命も命ぶりで卑怯な命は役に立たない。卑怯な命というのは自分の運命を喜ぶことの出来ない命だ。その運命に身を任せるというのは、どうなってもいいと言うんでない。その運命の中で気持ちよく努力することだ。結局は運命に勝たなければいけない。だが闘うことばかり考えていると、つい無茶をやるようになる。無茶では運命に勝てない。自分では力の及ばないことや道理にはずれたことをするとかえって負ける。それに勝てるのは、ただ命の力だ。勝つことや負けることを忘れて、ただ自分を伸ばす工夫さえしていけば、おのずとそれが勝つことになるんだ。だけど自分を伸ばすためには先ず運命に身を任せることが大切だ。楽しんで生きる工夫をし、敵にまわして闘うのじゃない。有難い味方だと思いそれに親しむ。それでこそほんとうに自分を伸ばすことが出来る。運命を喜ぶものだけが正しく伸びる。そして正しく伸びるものだけが運命に勝つ」

 これは物語中で、次郎の恩師である朝倉先生が次郎に放った言葉であるが、私は「運命」を「どもり」に置き換えて何度も読んだ。
 そして、大阪吃音教室の考えである、「吃音は治らないのだから、治そうとせず、吃音と共に生きる努力をする」という方針が、朝倉先生の言葉と深く合致した。
 吃音と共に生きていく覚悟を決めることができたものの、堂々と人前でどもってみる、という段階に進むには、まだまだ努力の途中だ。「絶対にどもらないでくださいね」という声がある限り、「どもってはいけない」という背水の陣を敷かないでいることが、私にできるだろうか。当分できそうにない。
 ただ安心していいのは、もう一人ではないということだ。今は気ままに大阪吃音教室に参加して、もっといろいろな話を聞きたい。それだけだ。

【選者コメント】
 「吃音物語」という平凡なタイトルだが、文章を読み始めると、ぐんぐん引きつけられる。読み終えて、吃音物語のタイトルの意味が明らかになる。
 作者にとって大切な一冊の本、下村湖人の「次郎物語」の一節から始まり、最後にまた「次郎物語」でしめくくる構成がすばらしい。「次郎物語」の中のことばが、作者を支えてきた。ことばには、それだけの力があるということに気づかされる。誰にも、その人を支えることばがあるようだ。
 電話での応対に、ボイスレコーダーを使うなどは、思いついたとしても実際になかなか使えるものではない。ボイスレコーダーを相棒と呼び、それを初めて使うときのくだりや見事成功を収めたファインプレーなど、ユーモアも感じさせる。
 作者にとって「次郎物語」のことばがそうだったように、これからこの「吃音物語」の中のことばが、後に続くどもる人にとって支えとなるだろう。それだけの力を感じさせる秀逸な文章だ。

【作者コメント】
 趣味の範囲で、詩や絵本の創作をしていますが、この「ことば文学賞」に応募をするという機会がなければ、「どもり」というテーマに手を付けることは今後もなかったであろうと思います。それは、意識して避けていたわけではなく、絶えずネタを探していた時でさえ、「どもり」を題材にしてものを書くという発想が出て来なかったことを考えると、「どもり」を体の一部として受け入れながら、コンプレックスを忘れたくて他のテーマに没頭していたせいかもしれないし、自分が考えているほど気にしていなかったかもしれない。
 このような、もやもやの観念を言語化する修業というのは、自分を解体しているようで面白い作業でした。
 書いていて、この吃音という運命に悩むのは自分も含め、吃音を受け入れない「雰囲気」に問題があるように思いました。(結局はおまえ、他人や環境のせいにするのか。と思われるかもしれませんが。)個人を責めることはできない。でも、私が感じたはずの心情から、死ぬ思いをして、実際命を絶つ人はいると思う。(もちろん吃音だけの問題ではない。)だから、私の心情的な気持ちはできるだけ正確に整理して書こうと考えていましたが、わかってほしいことがたくさんありすぎる余りに、自分本意の欲ばりな文章になってしまったのではないかと思うところもありましたが、結果、賞をいただけたことは素直に嬉しく思います。
 この度の最優秀賞は、9割9分、次郎と朝倉先生がいただいたようなものなので、改めて下村湖人の偉大さを痛感いたしました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/02/11

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