どもる君へ
僕はこれまで、吃音に関する本をたくさん書いてきました。どの本も、一所懸命書きましたが、書き終わって、「この本が一番書きたかった本だった」と思ったのが、解放出版社から出したこの本『どもる君へ いま伝えたいこと』でした。小学校2年生から始まる吃音の苦悩の中で、ひとりでも、「どもりは治らない。そのままでいいじゃないか。どもりながらも君らしく生きていこう」と言ってくれる大人がいたら、僕はあんなにも深く悩むことはなかったのではないかと思います。今、悩みの中にいる、あの頃の僕と似た君へ、伝えたいことを書きました。
「スタタリング・ナウ」2009.4.26 NO.176 の巻頭言を紹介します。三重県津市の中学校の同窓会のことが出てきます。その同窓会も、昨年で最後となりました。
どもる君へ
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
私は今、大勢のいい仲間に恵まれ、自分のしたい仕事があり、とても幸せに生きている。
今がどんなに幸せであっても、人は過去に戻りたいとふと思うことがあるのだろうか。私は、小学生、中学生、高校生時代に戻りたいと時々思うのだ。吃音に強い劣等感をもち、吃音も自分も大嫌いだった。周りの人は全て敵だと思い、友だちはなく、いい教師との出会いもなかった。
どもるのが怖くて、いつもびくびくしていた私にとって、学校生活は楽しいものではなかった。一所懸命勉強するでもなく思いっきり遊ぶでもなく、不本意な生活を送っていた。そして、これも全てどもりのせいだと思っていた。どもりが治らなければ幸せに生きることはできないと考えていた。
楽しい思い出は何一つ思い出せない、私は、あの時代になぜこうもこだわり続けるのか。どもらない人間として、楽しく生きたかったと考えているのではない。私が今、吃音親子サマーキャンプで出会う大勢の子ども達のように、吃音と向き合い、吃音について学び、どもる事実を認めて、どもりながら、自分のしたいこと、しなければならないことをする学童期・思春期を送りたかったと思うのだ。
小学生、中学生、高校生、その時代特有の悩みもあるだろうが、その時代にしか味わえない喜び、楽しさがあっただろう。それらを味わうことなく生きた、学童期・思春期が悔しい。
2009年2月22日、1959年度三重県津市立西橋内中学校卒業生の、第4回学年同窓会があった。みんなが楽しそうに中学校や小学校時代の思い出話に花を咲かせている姿を見聞きして、改めてその悔しさがよみがえってきた。
中学の同窓会など行きたくなかった私が参加したのは、級友の強い勧めがあったからだ。
1999年、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)の書評を「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)で見つけたN君が「あの伊藤が本を書いているぞ」と級友に知らせ、私を誘ってくれたのだ。その時、意を決して参加して以来、今回は2回目の参加だ。
80名ほどの参加者の中で、前回に会った人を含めても話ができるのは数人ほどで、同じテーブルの人を、私は誰も覚えていなかった。
前半が終わり、校歌をみんなで歌った後、突然幹事が、「ここに、全国的な規模で活躍している人がいるので紹介します。伊藤伸二君は吃音の専門家で、テレビに出たり、本もたくさん書いています。伊藤君にスピーチをしてもらいます」と壇上に私を招いてくれた。私を同窓会に誘ってくれたN君の突然の指名に驚いた。
「こんにちは、伊藤伸二です。おそらく皆さんのほとんどは私のことは忘れていると思います。どもりで悩み、音読や発表ができずに強い劣等感をもっていました。人に話しかけることができずに、ひとりぼっちでした。…どもりに悩んだおかげで、大学の教員になり、講演や講義など人の前で話す仕事に就きました。あのころのことを思うと信じられない気持ちです。…」
私の話をみんな真剣に、シーンとなって聞いてくれた。ひとりぼっちで、誰も私の存在など気にも留めてくれていないと思っていた、そんな目立たない人間に、みんなの前で、ひとりだけスピーチをする機会が与えられたことに、誇らしさと喜びを感じた。大きな拍手に包まれ壇上を降りた時、故郷に錦を飾ったような満足感が広がった。
「どもりにそんなに悩んでいるとは知らなかった」「よく覚えているよ。話しかければよかった」「いい仕事をしているね」などと、たくさんの人から声をかけられた。友だちがいなかったというのは私の偽らざる実感だが、私はみんなから忘れ去られる存在ではなかったのだ。
私のように、いつまでも悔いの残る学童期・思春期を、今、どもる子どもに、送って欲しくない。
どもりながら幸せに生きるためにと、心を込めて『どもる君へ いま伝えたいこと』を書いた。
半年も経たずに、第3版が増刷されたのは、多くの人が周りの人に勧めて下さったからだ。
たくさんの子ども達に、私の思いを伝えたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/28
