どもる子どもの交流活動 4

 どもる子どもの交流活動を紹介してきました。今日がその最後です。子どもたちの感想、子どもたちの変化、そして、担当者としての今後の課題など、今につながるものがたくさんあります。複数のどもる子どもの交流活動をしたくても、ことばの教室側の事情で、同じ時間帯に子どもが集まるのが難しいこともあるでしょう。1人の子どもがホワイトボードに書き込み、次にことばの教室に来た子どもが、その思いを知り、それに返事することでつながっていったという実践もあります。せめて年に一度みんなで集まる機会を持つとか、ビデオメッセージを作るとか、工夫しているところもあるようです。ひとつの学校では人数が少ないので、市内や近隣のことばの教室に呼びかけて、どもる子どものグループ学習に取り組んでいるところもあります。今回の報告が、そんなきっかけになれば、うれしいです。

子どもが自分の吃音と向き合うことができるような活動の工夫~どもる子どもの交流活動を通して~
渡邉美穂(千葉市立誉田東小学校ことばの教室)

これまでの交流活動をふりかえって

子どもたちの感想
 これまでの交流でよかったこととして子どもたちは次のことを挙げた。
・番組作りに友だちが協力してくれた。
・何と言っても、Aさんと出会えたこと。
・みんなで先生の家に出かけたこと。また、みんなで出かけたい。
・みんなで劇をやったこと。
・話し合いは、堅苦しくないようにやれたらいいな。時々話し合うことは自分にとって大切だと思う。
・僕もみんなと同じ時間にことばの教室に来たい。
・やっぱり、性別や年齢が同じであるほうがいい。話しやすいから。
・ことばの教室に来て、初めてどもる友だち出会った。会えてよかった。

子どもたちの様子の変化
・自分以外の人がどもっている様子を見て、「自分だけではない」と安心していた。
・人とのかかわりが苦手な子も、遊ぶ活動を通して、友だちと楽しく過ごせるようになった。
・以前よりも、家族や学級、担当者と、吃音の話題をするようになった。
・吃音に対する気持ちを伝え合える友だちができた。
・活動を重ねていくにつれて、協力をしたり、助け合ったりする友だち関係になってきた。
・どもっても明るく活動している友だちを知ったり、一緒に表現活動の楽しさを味わったりして、「どもってもいい」という気持ちが表情や態度に表れてきた。
・苦手だと思うことにも挑戦することが増えた。
・自分の吃音に対する考え方や向き合い方をみつめたり、自分の変容に気づいたりすることができた。
・生活の中で、人とのかかわりや自己表現の広がりにつながってきた。

保護者の感想
・自分以外のどもる子どもの存在を知ることにより、以前より自分の吃音に対する気持ちや考えを話すことが多くなった。また、どもる友だちと一緒に活動したいと言うようになり共に活動する中で、自己表現の楽しさを体験したりお互いに助け合ったりすることができた。
・「どもってもあまり気にしない」と言うようになった。
・我が子だけではなく、どもる子にもいろいろな子がいると知った。
・親子の間では聞けないような子どもの気持ちを知ることができた。
・同じ吃音がある友だちができてうれしく思う。

担当者にとっての成果
・複数の担当者が交流活動に対して同じ思いで取り組むことができるように、話し合う時間を多く設けるようにした。このことにより、考えを出し合ったり、担当以外の子どもについて理解し合ったりすることができた。そして、複数のどもる子どもを複数の担当者でかかわることができた。
・個別と交流活動を組み合わせることにより、子どものいろいろな様子や気持ちを知ることができた。

今後の課題
・ことばの教室への通級は、週1~2回であり、どもる子どもの通級時間を同じにすることは、かなり難しい。ファックスやコンピュータによるメールなども活用できると考えている。実際、担当者の勧めで、メールで連絡を取り合うことを楽しんでいる子どもたちがいる。
・ひとりひとりの内面とかかわっていくことが大切で、交流活動での経験や得られたことが、個の活動につながっていくという相乗効果があることが分かった。そのため、個の活動と交流活動との関連を吟味しながら進めていくようにしたい。そして、交流活動が、どもる子どもの気持ちや人とのかかわりの変容につながる一つのきっかけとなるようにしたいと考えている。
・ただ交流活動を行うのではなく、その後にふりかえりをすることが大事であると思う。そして、その後の活動に生かされていくとよいだろう。

おわりに
 どもる状態にしか目を向けなかったら、その子がどうなっていくのかが心配だ。一時的に症状がなくなって、ことばの教室を卒業した後にまたどもり始める例は、思春期・成人期のどもる人の体験を聞いても少なくない。その時にどうするだろう。私たちは、ことばの教室が小学校の中にしかないが、そこで出会えた子どもたちといくつになっても交流したいと考えている。人と人とのかかわりに終わりがないように、いつまでも会える距離でいたいと思う。一人では生きていけないからではなく、仲間がいていつでも相談できるという安心感が、その子らしく生き生き過ごすことにつながると思うからだ。
 こんな発想から始まった交流活動だったが、吃音のある子と時々会う事で、私たち自身が安心感を得ているのかもしれないとも感じている。あの時の取り組みは、間違ってなかったと思えるように、子どもたちは毎日を楽しく生き生きと過ごしているからである。
 交流の始まりは、『どもるのは、一人ではないよ』と伝えたいという担当者の思いからであった。このことは、いくらことばや資料で伝えても子どもたちが安心感を得られるほどの伝え方ではないと思う。「出会うこと」により、「交流活動を行ってよかったこと」として書き記したようなことが、子どもたちの内面に起きている。しかし、すぐに変容や成果、結果が出ることできないと思いながら取り組んでいる。
 これからも、「どもる子どもといっても、ひとりひとり違う」「その子の吃音にではなく、その子とつきあっていく」ということを念頭におきながら、必要なときに願いや思いに添った交流活動を行っていきたい。
 交流しているどもる子どもたちの感想や成人のどもる人の話を聞くと、学童期にどもる子ども同士が出会っておくことは、その後の成長に何か大きな意味をもたらすのではないか。吃音の不安が軽減し、思春期や社会へ出る時など、成長に伴って起きてくるであろう悩みや問題を乗り越えていく力が育つのではないかと思う。そのため、卒業後の子どもたちにとっての交流活動の場が広がっていくよう、地域に働きかけていきたい。
 この活動を報告した時にいろいろな質問や疑問が出された。特にAさんの症状についての指摘が多かった。質問した人たちは、症状の重い・軽いという表現はどうとらえて使っているのだろうか。子どもと向き合いかかわり合っていく時、最も大切にしていることは何と考えているのか。子どもたちが、どんな姿に成長してほしいと考えているのか。質問した人たちと、もっと話し合っておきたかったとの思いは残る。
 どもること、その症状が一番の問題なのではなく、どもることを否定していること、どもる自分を否定していることが問題であり、生きにくくさせていると私たちは考えている。
 このことは、吃音に限らず、悩みを抱えている人、みなに通ずることだと思っている。
(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/27

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