「福田村事件」を観て 関東大震災の時、朝鮮の人たちに混じって、吃音の人が虐殺された

 「福田村事件」という映画を観てきました。からだが震え、心がえぐられるような、怒り、哀しさ、憤りなどが入り交じった複雑な気持ちです。ここまで人間は愚かになれるのか、人間のもつおぞましさを見た思いです。僕たちは、シネ・リーブル梅田へ、予約をして観に行きましたが、予約せずに来た人ちは、何人もの人が満席で入れませんでした。平日なのに多くの人が観にきていて、この映画が、ミニシアターでの上映の映画としてはヒットしていることに、少し救われた思いをしました。
 今回、コロナ禍の中での「同調圧力」「マスク警察」を経験した私たち日本人が観なければならない映画の一つだと強く思いました。

 今年は、関東大震災が起こって100年、防災について考えようという教訓も含めて、関東大震災にまつわるさまざまなことが、いろいろなところで発信されています。
 僕は、関東大震災直後、朝鮮の人が「井戸に毒を入れた」とか「火をつけた」とかの流言・デマがとびかい、朝鮮の人を極端に恐れた人たちが、国や自治体などがあおったこともあって、朝鮮の人を虐殺したという話はよく知っていました。
 また、朝鮮の人だけでなく、どもる人が朝鮮の人と間違われて殺されたという話を、僕の著書『吃音者宣言』(たいまつ社・1976年)に文章を寄せていただいた、哲学者の高橋庄治さんや中神秀子さんからよく聞かされていました。だからよけいに、「福田村事件」は観に行きたかったのです。どもる人が殺された話は知ってはいたものの、「福田村事件」のことは知りませんでした。吃音と関係がありながら、詳しく調べることもなく、今日まで過ごしてきました。 映画を観て、どもる人が朝鮮の人たちに混じって、殺されたいきさつがよく分かりました。そして、なぜこのような大事件がもっと早く映画や小説として広く社会に知らされなかったのかと不思議な思いにも駆られました。この映画を制作した森達也監督に敬意と感謝の気持ちが強くわいてきます。
 あの時、関東大震災の影響を受けた場所にもし僕がいたら、殺されていたかもしれないと思いました。恐怖に支配された緊張の場面で、多くの殺気だった多くの人たちに取り囲まれて、「十円五十銭と言ってみろ」と言われたら、「十円五十銭」ときちんと言えないだろうと思うからです。日本人と朝鮮人をとっさに判断するために、「十円五十銭と言ってみろ」は確かに簡単な見分け方だったでしょう。朝鮮の人、どもる人以外にも、ちゃんと言えない人はいただろうにと思うと、そんな簡単な判別で人を虐殺してしまう、いわゆる普通の人間の残虐さを思います。現代でも簡単にこのようなことは起こる、いや、SNSが発達した現代だから、余計に起こってしまいそうに思えます。現実に、ウクライナで起こっていること、プーチンに洗脳されているロシアの人たちのことを思わざるを得ませんでした。
 
《福田村事件とは》
 内閣府中央防災会議の専門調査会の報告書によると、当時、関東地方各地では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」などの流言(デマ)が広がり、多くの朝鮮人や中国人が民衆や軍、警察によって殺傷された。
 関東大震災から5日後の大正12年9月6日、甚大な被害が出た都心部からおよそ30キロ離れた千葉県福田村。香川県から来ていた薬売りの行商の一行が神社で休憩していたところ、地元の自警団に言葉や持ち物などから、「朝鮮人ではないか」と疑われ、幼い子どもや妊婦を含む9人が命を落とした。事件後、殺害を主導した自警団の8人が有罪判決を受けたものの、その後、大正天皇の崩御に伴う恩赦で釈放されている。

《映画のあらすじ》
 事件の前の福田村の村人たちは、平和でのどかに暮らしていました。福田村は、東京都心から30キロほど離れた農村地帯で、農作業や冠婚葬祭など、みんなで助け合い暮らしている、共同体意識の強い集落でした。また、村の中では軍隊経験のある人たちで組織する「在郷軍人会」が大きな力を持っていました。
 そんな村に、関東大震災で大きな被害を受けた人が、東京などから逃れてきました。そして、都心で発生したデマも伝わってきたのです。村人たちは恐怖と不安に駆られていきます。その後、村では「自警団」を組織します。これは、国も自治体も、自分たちで自分たちの村を守るようにと指令があったからです。人々は、徐々に朝鮮人を取り締まろうと殺気立っていきました。
 そこに、香川からの行商団15人がやってきました。地震から5日後の9月6日。神社の前で一行が休んでいたその時、事件は起きました。言葉が違っていることなどから朝鮮人だと疑われたのです。そして、村人たちの集団はパニックになり、到底考えられないような残虐な行為に及びます。大勢でひとりを囲み、竹槍で何度も何度も突き刺したり、幼い子どもを抱いて逃げる母親を川まで追いかけていって殺したり、お腹に赤ちゃんがいる妊婦も殺したりしました。
 中には、そんな村人を止めようとした人もいます。村長も、村に戻ってきたばかりの夫婦も、そして船頭も。しかし、集団の力は大きく、動き出してしまった大きなうねりは、冷静な判断などを蹴散らしてしまうのです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/09/13

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