濃密な3日間をふりかえって~「吃音の夏」のしめくくり 第32回吃音親子サマーキャンプに参加しての感想2

 初めて参加された方の感想を紹介しました。今日は、同じく初めて参加されたスタッフの方の感想です。吃音親子サマーキャンプは、どもる子どもとその保護者が参加するものですが、ことばの教室担当者や言語聴覚士の参加も大歓迎です。リピーターのスタッフが多い中で、初めて飛び込んできてくださった、ことばの教室担当者の感想を紹介します。その後にもうひとり、昨年初めて参加し、今年2回目の人の感想も、あわせて紹介します。
いつ頃からか、吃音親子サマーキャンプを参加者はサマキャンというようになりました。

 この度は、吃音親子サマーキャンプに参加させていただき、ありがとうございました。初参加でしたが、不安なこともありましまが、スタッフの方に優しく声をかけていただき、心強かったです。
 参加しようと思ったきっかけは、ことばの教室の教員になり、担当の吃音をもった子どもたちと過ごす中で、吃音のことや支援方法を学びたい、吃音をもつ人やその保護者とかかわりたいと思ったからです。
 実際にスタッフとして参加させていただき、1番心に残っていることが、2つあります。
 1つ目は、吃音を持ちながらも、それを受け止めてたくましく生きておられるサマキャン卒業生やそれにかかわるスタッフの皆さんと一緒に活動できたことです。今担当している子どもたちにも、卒業生の皆さんのように、自分の吃音と向き合い、自分らしくすごしていけるような力を身につけられるように、共に寄り添っていきたいと思いました。
 2つ目は、サマーキャンプのプログラム構成がよくできているなと実感しました。特に話し合いが印象深かったです。2回の話し合いでは、小5、6年生グループで、サマーキャンプに参加したきっかけ、吃音のことを知らない友達に、どんな言葉で何を伝えたらよいのかについて、率直に語っていきました。吃音のことを気にしているのは、本当は自分であることに気づき、説明する人を見極めることが大切だという結論をみんなで出していきました。グループにいる人が、みな対等に、応答性をもち、ゴールが見えなくても耐えて対話を続けるという場面を目の当たりにし、吃音と自分から向き合うということは、こういうことなのだと知りました。
 劇づくりでは、積極的に役に立候補し、グループでもアィディアを出し合う子どもたちの姿や本番でどもりながらも、一生懸命に演じる姿に胸が熱くなりました。子ども達の、保護者、そしてサマキャンのスタッフの方の心の通い合いを見たように思います。
 3日間、貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました。
 これから二学期にことばの教室に来る子どもたちに、サマーキャンプの体験を話したいと思います。そして、さらに吃音に関する知識や対話の方法も学びつつ、子ども達やその保護者の方に還元したいと思います。(兵庫県 ことばの教室担当者)  
                
 スタッフの皆さん、2泊3日お世話になりました。サマキャン2回目の参加の母です。感想が遅くなってしまい、申し訳ございません。
 昨年、初参加したのですが、娘自身、吃音のみんなと一緒に生活することが楽しく、また、心に残る大切な時間を過ごしたようで、「今年も参加したい!」という本人の思いを尊重し、参加させていただきました。
 私は、昨年参加した時の、「親がすることは、サマキャンに連れてくること」と言う言葉が、ずっと頭に残っていました。それはまるで呪文のようでした。
 連発のある娘ですが、昨年からの1年間、私の知る限り、悩んでいる様子は見られませんでした。なので、参加時アンケートで「悩んでいることはありますか」の欄を見たとき、特に書くことがないなぁと内心思いつつも娘にどんな感じか聞いてみたのですが、からかわれたりすることがある、との返事に、私はとても驚きました。なぜならば、本当に落ち込んだり、消極的になったりしたことがなかったからです。
 小学校の個別懇談のときも、先生から、「よく手を挙げる。声が小さかったり、少し黙り込むこともあるけれど、それでも手を挙げている。私にもよく話しかけてくれるので嬉しい」という話をお聞きするのですが、その度、私は、すごいなぁと思っています。
 これはやはり、本人も言っていましたが、サマキャンで勇気をもらった、ということに繋がるのだと思います。自分は1人ではない、たとえ普段はまわりに吃音の子がいなくても、同じ吃音のみんながいるんだ!と思えたことは、何物にも変え難い体験になり、力になっているんだと感じます。正直なところ、親としては、吃音で悩んだ時、どうやって関わっていけばいいのかわかりません。しかし、家族の共通認識として、吃音は個性と思っているため、あえて意識して生活する必要もなく、吃音に限らずですが、子どもの様子がおかしいなと思った時は、話を聞く、一緒に寄り添う、それでいいのかなと思います。
 サマキャンで学んだ、親はこどもの犠牲にならず、自分の生活を楽しむ、逆も同じ。転ばぬ先の杖はよくない。ごはんをきちんとつくる。結局は、子どもが自分自身で乗り越えていかなければならないことであるからこそ。
 きっと辛いことは今後出てくると思いますが、そんなとき、伊藤さんもおっしゃっていた、レジリエンスが大切になるのだと思います。押しつぶされても元に戻る力、心のしなやかさは、人生においてとても重要で、サマキャンで手に入れた新たなお守りを胸に、楽しいことや辛いことなど、様々な体験を通して、レジリエンスを培っていってもらいたいと思います。
 娘は、学校の吃音通級教室では、短時間のため、あまり発言はしません。自分の意見を言うのは苦手らしく、いつも静かです。(だから余計に、学校の先生から聞いた話は本当なのか?と思ってしまうのですが、本当のようです)
 しかし、サマキャンでは違います。劇など大勢の前で何かをする時は恥ずかしい気持ちが先行するようですが、昨年よりは声も出ていたように思いますし、また、みんなとの話し合いをする時も、自分の意見を言ったと本人から聞きました。2泊3日、同じ生活することで、心を許していくのだなと思います。
 吃音のみんなが、一堂に会し、生活する機会を作ってくださっていること、心から感謝しております。また、来年も参加できますように。長文乱文失礼しました。本当にありがとうございました。 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/09/08

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