交流活動

 以前は、個別学習の実践が多かったと思いますが、最近はよく研究会などでも、どもる子どものグループ学習の実践が報告されることが増えてきました。
 今日は、そんなどもる子どもたちの交流活動についての報告です。まず、巻頭言から紹介します。滋賀県の吃音親子サマーキャンプ、島根スタタリングフォーラムなど、宿泊を伴う交流活動とはちょっと一味違うことばの教室での交流活動です。巻頭言に続いて紹介します。
(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)

  交流活動
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもりは一生治らない!!」
 小さな山の頂で、小学1年生が、声を張り上げて叫んでいる。第5回島根スタタリングフォーラムの2日目の早朝、山のてっぺんから、自分の言いたいことを叫ぶとき、1年生の3人が、みんなでこう言おうと、示し合わせて練習もし、こう叫んだ。
 夜遅くまで、教師や両親と話し込んでいたために早朝の登山には参加しなかった私は、朝食の前に、是非話を聞いてもらいたいと、初参加の小学1年生の子どもの母親からこの話を聞いて驚いた。
 これまで、吃音について一切話してこなかった我が子は、この叫びをどんな思いで聞いていたのだろう。親として、とてもショックだった。山からの帰り道、子どもに尋ねたら、この集まりにはもう来たくないと言っている。まだ早かったのだろうか、これからどう接したらいいか、不安だ。
 私には、母親の不安よりも、1年生のグループでどんな話し合いがなされ、このことばをみんなで言おうと提案した子どもはどんな思いだったのだろう、また、一緒に大きな声を出した子どもたちは、と想像がふくらんでいく。しかし、母親の疑問や不安を解決しないと、子どもにも大きな影響を与えてしまう。午前中の親の学習会の予定を変更して、このことについてみんなで話し合うことにした。このような不安や疑問が率直に出され、その話し合いが充実して深まっていくのは、この島根スタタリングフォーラムが、5年の経験の中で成熟してきたためだろう。
 できるだけ吃音について触れずにと、大人の配慮で話されなかった吃音の話題は、その子どもにとって、これまで聞いたことのない話ばかりだったに違いない。驚き、楽しくはなかったかもしれない。小学校1年生ならなおのことだ。ところが、子どもは、いつか否応なしに吃音と直面せざるを得なくなる。吃音を隠すことなく、オープンに話題にして、吃音は悪いものでも劣ったものでもなく、隠したり、逃げたりするものではないことを伝えたい。それは、吃音を意識し始めたときがチャンスだ。私たちは、できれば早期に一度は通過しておいた方がいいと、「早期自覚教育」を提唱してきた。私たちの夏に開かれる吃音親子サマーキャンプでは、小さい子どもは小さい子どもなりに、吃音について向き合い、話し合うことを、プログラムの中心に据えてきた。キャンプに来るまでは、一切家庭で吃音にふれずにきた子どもが、帰りの道中で吃音についていっぱい話したという報告は、たくさん聞いており、吃音を話題にしたことで、マイナスの影響が出たことは、少なくとも13年間、キャンプにたくさんの子どもたちが参加しているが、聞いたことがない。話し合いや、作文や、親や子どものふりかえりを常に重視しているので、本当は大変なことが起こっているのに、そのことを私たちだけが知らないということはおそらくないだろう。
 そのような経験を不安に思う、初参加の母親に話した。むしろ吃音についてふれずに成長する方が、思春期に起こるマイナスの影響は、それこそ、挙げればきりがない、とも。学校に行けなくなり、あるいは引きこもってしまい、吃音に向き合うことを恐れ、いくらキャンプに誘っても、参加すらしない思春期の子どもたちを、実際にたくさん知っているからだ。
 近年、吃音に向き合うとか、オープンに話し合うとかのことばを見聞きすることが多くなり、直面することそのものを否定することは少なくなった。しかし、子どもが吃音と向き合うことをどう支援するのかという、議論や実践は多くはない。
 千葉の院内小学校の実践は、その数少ない実践だ。しかし、その取り組みが必ずしも正しく評価されるわけではない。公開番組が終了して、先生方との話し合いでは、「交流のよさ」よりも「吃症状」に話の中心がいってしまった。
 「ことばの教室は小学校にしかないが、そこで出会えた子どもたちとは、いくつになっても交流したい。人と人とのかかわりに終わりがないように、いつでも会える距離でいたい」
 渡邉さんのこのことばは、吃音症状にしか目を向けない人には言えないのでないか。(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/21

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