私と『スタタリング・ナウ』5

『スタタリング・ナウ』100号記念特集  

 100号記念に、たくさんの方からメッセージをいただきました。前号に続いて、読者の皆様から私たちへの応援歌として、うれしくいただきました。こんなにいろんな分野の人が応援してくれていたのだと思うと、気持ちが引き締まります。ありがたいことです。

  吃音を巡るX軸、Y軸、Z軸について
                石隈利紀 筑波大学心理学系教授(茨城県)
 大変な思いで1号を開始され、それぞれの号に大会や研修会の案内や様子を盛り込みながら、100号に到着されたのですね。みなさんの熱意と体力のたまものだと思います。そしてひょっとしたら、「今回はこれでとりあえず凌こう」という柔軟なビリーフにも支えられたのではないでしょうか(勝手な推測でスミマセン)。定期的にメッセージを送り続けることは、相手への思いを贈り続けることですね。脱帽です。
 夏の「第2回臨床家のための吃音講習会」では吃音を巡る、X軸、Y軸、Z軸について議論されました。
 X軸は「話し手」の話すという行動に焦点を当て、Y軸は「聞き手」の聞くという行動に焦点を当てます。人の苦戦は、個人と環境の折り合いに影響を受けます。そこでは、聞き手は、話し手が話しやすいように、話し手と環境の折り合いがうまくいくように配慮します。そして、Z軸は話し手の自分の行動(吃音)についての態度です。ここでは、話し手が自分とどう折り合いをつけるかがポイントになります。
 X軸の吃音に対してのアプローチをどうするかについて、論理療法を活用して、Z軸から、X軸をながめてみるとどうでしょうか。

①吃音を治す努力を否定する。(脱治療スタイル)
②上手に話せるにこしたことはない。上手に話せるようベストを尽くす。でも上手に話せないからといって、私がダメ人間というわけではない。(マイベストスタイル)
③上手に話せないことは不便だ。でも人生にはたくさんのことがある。吃音であるかどうかは関係なく、私は人生を楽しむ。(人生エンジョイスタイル)

 ①②③には共通して、「私は吃音である」ことを受け入れ、「吃音であることに人生を脅かされない」という柔軟なビリーフがあります。一方、①②③は、X軸に対するアプローチについては少しだけ異なります。
 ①(脱治療スタイル)では、X軸へのアプローチ=吃音の治療ととらえ、X軸へのアプローチにこだわることを否定しています。
 ②(マイベストスタイル)では、X軸へのアプローチ=吃音の治療ととらえているかもしれませんが、X軸と適度につき合う姿勢があります。
 ③(人生エンジョイスタイル)では、X軸を自分の生活の状況と幅広くとらえています。そして吃音を、X軸のたった一つの状況ととらえます。人生には、たくさんのできごとがあるからです。

 ①(脱治療スタイル)、②(マイベストスタイル)、③(人生エンジョイスタイル)は、それぞれに意味があります。人生の喜びをみつけ、柔軟に生きている人は、人生エンジョイスタイルを実践していると言えます。マイベストスタイルの人は、「話す」ことに工夫しながら、自分の中にある「私は上手に話すべきだ」というイラショナル・ビリーフに対処しています。このイラショナル・ビリーフがある程度あるときは、「上手に話せないからといって、私はダメ人間ではない」と自分に言い聞かせることは、適切だと思います。
 さて、脱治療スタイルは、どうでしょうか。もし自分が吃音への治療に長年こだわってきたとしたら、あるいは多くの人が吃音への治療にこだわっているとしたら、吃音の治療から自分を解放することが、第一の課題なのではないでしょうか。吃音の治療から脱出することは、吃音の治療に成功しなかったという理由で自分を責めることをやめることです。吃音の治療から自分を解放することで、自分を取り戻すことです。
 伊藤伸二さんは、論理療法にいち早く取り組んでこられました。(「論理療法」と意識する前から論理療法的な援助実践をされてきたようです。『論理療法と吃音』参照)。そして伊藤さんは、マイベストスタイルや人生エンジョイスタイルを多くの仲間に伝え、多くの仲間を支えて来られました。でも同時に脱治療スタイルを強調されるのは、多くの人が吃音の治療にこだわって苦戦している状況を何とかしたいと思っておられるからではないかと、思います。
 「吃音の治療へのこだわりを蹴飛ばすことから、自分の人生が始まる」…伊藤さんは、そう伝えたいのではないでしょうか。『吃音者宣言』には、自分が自分の物語の主人公になるという強い意志を感じます。

【吃音ショートコースでの伊藤との対談は大いに弾みました。どもりを考えるとき、論理療法は本当にぴったりです。楽しいひとときが素敵な本になりました】

  拍手代言
                       竹内敏晴 演出家(愛知県)
 毎号、ことばがひっかかることに、むき出しにあるいはひそかに苦しみ抜いて来た人が、同じ苦しみに悩む人に出会って語りあった時の、安堵、受け入れられた喜びが語られている―これが第一。
 聴覚言語障害だったわたしにとってひとごとでなく感じられると同時に、そういう体験がありえなかった自分を改めて考え直すこともあります。
 第二に、毎号の伊藤伸二さんのいつも熱意の溢れる文章。よくまあ毎回ネタがつきないなと感心するが、訴えたい、あるいは反駁したい事柄が詰まっていて、かれの明るいエネルギーに拍手を送りたい。
 どうか、ことばのひっかかりに悩む人々が、息深く、めげず、自分のことば、自分独自の語り方を見つけ出し身につけられるように、一歩一歩あるかれんことを。

【竹内さんとの出会いは、「吃音症状に対してではなく、声やことばのレッスンは必要だ」とする私たちを、理論的、実践的に支える大きな力となっています】

                   鴻上尚史 劇作家・演出家(東京)
 吃音ショーコースでは、僕自身、大変有意義な時間を過ごさせていただきました。
 僕自身“表現するとは何か?”“お前は何のために表現するのか?”と問いかけた2日間でした。この経験は長く僕の中で、僕を支え続けてくれると思います。幸福な時間を過ごさせていただいて、ありがとうございました。

【私たちとは全く違った世界にいる人だと思っていた鴻上さんが英国留学という体験をして下さったおかげてとても身近な存在になりました】

  どもる人に会うとうれしい
                        芹沢俊介 評論家(東京都)
 子どものころどもる人がとても魅力的に映ったものです。身体障害者を身のこなしに独特の癖のある人というように考えた(子どもは放っておけば素直にそう考えます)のと同様、吃音の人を発語の仕方に独特の癖のある人だと考えていました。だから子どもの私は真似しようとしたものです。
 今もどもる人に会うとうれしくなります。大好きだった広沢虎造という浪曲師が次郎長伝のその外伝として武居のども安(安五郎)について「武居のども安鬼より怖い、どどとどもれば人を斬る」と語っていたのをラジオで聞いて育ったせいもあるかも知れません。
 清水次郎長よりもども安の好きな私は、伊藤さんにときどき「ども安」を感じ、にやりとします。

【「吃る言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と、週刊エコノミスト(毎日新聞社)の書評欄で、『新・吃音者宣言』を紹介して下さいました】

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/01/22

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