同じような体験

 今日は、12月28日。今年も残りわずかとなりました。大阪吃音教室の仲間との忘年会を終え、来年1月の初仕事である、岩手県の県大会での講演の準備をしています。
 「スタタリング・ナウ」 2002.11.27 NO.99 の巻頭言「同じような体験」を紹介します。
劇作家の鴻上尚史さんを講師に迎えて開催した2002年の吃音ショートコースの直後に書いたものです。その余韻にあふれたものになっているなあと思います。

  同じような体験
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 楽しい、奥深い、別世界にいるような空間だった。
 参加者のひとり、ことばの教室の教師が、「このような世界が今の日本にあることが奇跡に近い」と書いた。
 吃音ショートコースの最後のセッションの体験の分かち合いの時間が温かい。紅葉が窓一杯にひろがっていたのに、もう寒くなった外気と、参加者の熱気で窓がどんどんくもっていく。 どもる人も、どもる子どもの臨床に携わる人も、またそのどちらでもない、ひょんなことから知り合った吃音に全く関係のない、この私が参加してもいいのかと迷いながらも参加した6人も、きっちりと一つの輪の中にいる。この深まりは、一番最初に発言した初参加の若い女性のことばが、最後まで余韻として残っていたこともあるのではないか。
 自分のしたい仕事を学ぶために入った専門学校なのに、どもる苦しさから、将来をあきらめて中途退学してしまった。こう語った後、「もう一度自分のしたいことに挑戦します」と、皆の前で決意表明をした。そしてふりかえりカードにこう書いていた。
 「最後に『あきらめない宣言』をしてしまった自分に正直驚きを隠せないでいます。とんでもないことを口にしてしまった・・と。でもまあなんとかなるか」
 2日目の体験発表では、同じような体験をしている青年が発表した。音楽をしたくて、必死の努力でせっかく入った芸術大学を、どもることの辛さから、中退し、吃音を治さなければ人生はないと思い詰めた。その時、大阪吃音教室を言語聴覚士から紹介され2度参加したが、趣旨が違い行く気にはなれない。必ず治すのだと3年間治療機関をあちこちさまよった。結局は治らずに、大阪吃音教室で、新たな一歩を踏み出した。この青年の体験と触れたのだろうか。もうどもる達人としかいいようのない、はでにどもりながら、言語聴覚士としてとてもいい仕事をしている人が自らの人生を語ったことが、彼女の後押しになったのだろうか。
 真剣に吃音と向き合う時間と、鴻上尚史さんのワークショップで楽しく走り回り、相手に身を委ねる心地よさ、夜遅くまで酒を飲みながらでも全ての話がどもり一色になる喜びや楽しさのなんともいえないバランスが、「奇跡のような空間」なのだろう。
 人が人と出会う。これも奇跡としかいいようがない。1998年、青森で開かれた日本デザイン会議での鴻上尚史さんとの出会いも、その時期が奇跡的だった。
 「もっと前に伊藤さんと出会っていたら、『なるほど、どもる人はそのようなことで苦しんでいて、大変なんですね』と、第三者的な理解に終わっていただろう。ところが、1998年は、イギリスの留学から帰った直後で、英語が話せて当たり前の世界で、話せない人間がいかにサバイバルしていくか体験した後なので、自分のこととしてよく分かった」
 最終日の鴻上さんと私の対談は、同じような体験をした者だからこそ、共感し、大笑いし、なるほどと納得できる。どもる私たちへのヒントがたくさんあった。
 セルフヘルプグループの意義が論文・書物などで説明されるとき、「同じ体験、共通の体験をしてきた者だから分かり合える」とよく説明がなされる。私もこれまではあまり意識することなく使ってきた。しかし、最近は、この「同じ体験」「共通の体験」に違和感をもつようになった。セルフヘルプグループについての私の文章では、意識して使わなくなった。今回、鴻上さんと対談してなぜそのように感じるようになったかがよく分かった。英語圏で経験した鴻上さんの体験と、どもる私たちが日常的に経験することは、同じ体験でも、共通の体験でもない。しかし、同じような、よく似た体験とは言えるだろう。厳密に言えば少し違っていても、根っこの部分で、実によく似た体験だ。どもる人から、「同じ、共通の体験をしてきましたね」と言われても、「そうかなあ。違うけどなあ」と思うことがあり、同じ経験といわれても共感できないこともある。
 吃音ショートコースに集まった人たちは、「同じ、共通の体験」をしている人たちではない。どもることと全く接点のない6人の人とも共感し、温かいものが流れ合うのは、「同じようなもの」が経験としてベースにあるからではないか。吃音は理解されにくいとよく言われる。どもる人とは両極端といえる位置の演劇の世界で生きている鴻上さんとでも、こんなに違和感なく、鴻上さんの体験にうなずき、学ぶことができるのだ。私たちが、恨み、悩みなど暗黒面だけを強調して語る時、聞く人は、「大変ですね」で済んでしまう。しかし、暗黒面があっても、そこにフォーカスしないで、体験した事実を率直に語り合うとき、(あっ、この体験なら私も味わったことがあるぞ)と全く違う体験が、同じような体験として浮かび上がってくるのではないか。
 異なる体験を語り合い、相手の立場に立って想像力を働かせる。その異なるもののすりあわせで、共感し、学び合っていける。このようなことを大勢で経験できたこと、これを奇跡というのかもしれない。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/12/28

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