ことばの教室訪問 千葉市立検見川小学校

 気がついたら、12月も半ばを過ぎてしまい、今年も残り2週間を切りました。12月の観測史上最高気温を記録したかと思えば、一転して真冬の寒さの到来と、季節も混乱しているようです。
 さて、12月のはじめの頃にさかのぼります。
 12月1日、朝早い便で羽田空港に向かい、羽田から千葉方面へのリムジンバスを利用しました。いつもは、モノレール、JRと乗り継ぐのですが、ちょっと気分を変えてみました。
 訪問したのは、検見川小学校。担当者が6人、ことばの教室に通ってきている子は、なんと、100人くらいいるとか、びっくりしました。こんなに大所帯のことばの教室があるのですね。 はじめは、子どもたちとの時間です。事前に僕のことを紹介してもらっていた子どもたちは、僕に質問するのを楽しみに待ってくれていたようです。自己紹介の後、積極的に手を挙げ、質問してくれました。後で、担当者からは、あんなに積極的に質問するとは思っていなかった、びっくりしたということを聞き、子どもたちが、特別の思いでこの日を迎えてくれていたのだと、とてもうれしく思いました。

1 一番困ったことは何ですか。
2 四季の中で、一番どもるのはいつですか。
3 一日の中で、吃音のことを何時間くらい考えますか。
4 吃音を隠したい気持ちはありますか。
5 吃音があることで、一番の思い出は何ですか。
6 吃音はいつか治りますか。
7 今までに、何人くらいのどもる人やどもる子どもと会ってきましたか。
8 どもる人の会を作ったと聞いたけれど、どもる人とどんな話をしてきましたか。
9 なぜ、吃音の人の会作ったのですか。
10 どもりやすいことばってありますか。

 たっぷり時間があるわけではないのですが、できるだけ丁寧に答えていきました。そのいくつかを紹介します。

4 吃音を隠したい気持ちはありますか。
 21歳まではとにかく隠したかったです。中学校のとき、僕は、卓球部に入っていました。高校に入学しても、卓球部に入りました。うれしいことに、入学式で見初めた女の子も同じ卓球部に入っていて、とてもうれしかった。楽しい高校時代になると一瞬思いました。卓球しているときは、吃音のことを一時的にも忘れることができるからです。ところが、1ヶ月くらい経ってから、男女合同の合宿が知らされました。合宿だと自己紹介がある。好きになった女の子の前でどもって自己紹介するのが嫌で、僕は合宿の前に、好きだった卓球部をやめました。彼女の前では、吃音を隠したかったのです。それから、僕の逃げの人生が始まりました。あのとき、卓球をやめなかったら、楽しい高校生活が送れたかもしれない。少なくともあんなに惨めな高校生活ではなかっただろうなと思います。
 とても悔しかったので、子どもたちには、逃げないで、吃音を隠さないでほしいと、先輩として思います。

5 吃音があることで、一番の思い出は何ですか。
 吃音で一番のいい思い出は、どもる人の世界大会を初めて開いたこと。大会の最終日、みんなで肩を組んで、「今日の日はさようなら」の歌を歌いました。歌が終わり、ハミングをしてもらい、ハミングに合わせて、大会会長として「3年後ドイツで会いましょう」と最後のあいさつをしました。そのとき、どもりでよかった、こんなにたくさんのどもる人と出会えた、と涙がぼろぼろこぼれました。これがどもることで一番のいい思い出です。

6 吃音は治りますか。
 難しい話をします。今、治りますかと質問されましたが、「治る」という字は「治(おさ)まる」とも読めます。僕は、吃音は「治る」ことはないと思うけれど、「治まる」ということはあると思います。
 僕も、自分のどもりを治したくて、「必ず治る」と宣伝する吃音訓練所に行っても治らなかった。その訓練所ですぐに出会った恋人や親友は、僕がどんなにどもって話しても、聞いてくれました。そこで、僕は、もうこのままどもっていてもいいと思って30日間寮生活をしました。すると、あれだけ嫌だったどもることが苦にならなくりました。そして、どんどん話していくうちに、前よりしゃべれるようになっているぞ、と気づきました。話し方のコツをつかんだのかもしれません。言いにくい音はあるし、言いにくいことばは、今でもあります。でも、講演など頼まれたら、大勢の人の前でどもりなから話しています。僕にとって、どもってもどもらなくても、どっちでもいい。これが、気持ちの上では、「治(おさ)まる」ということだろと思います。
 多くの人が「そのうちに治るよ」と言うけれど、それは、言いにくいことばの言い換えをしたり工夫したりしているからでしょう。よく言われている「いつか治る」ということは、前よりも楽に話せるようになるということでしょう。でも、反対の場合もあります。突然、ひどくどもるようになった大学生がいました。それでも、どもりながら大学の発表やアルバイトをしている内に、その子も、2年くらいしたら、治まっていきました。自分なりのしゃべり方を身につけていくことが大切で、誰かに訓練してもらって治ることはないと思います。楽しく、しゃべって、生活しているうちに、自然に治まっていくのが吃音だと思います。一見すると、治ったかのように見える人もいます。吃音キャスターと言っている小倉智昭というアナウンサーも、仕事のときはどもらないけれど、家に帰ったらどもると言っています。吃音を嫌うのではなく、仲良くすれば、きっと治まると思うよ。

 子どもたちとの対話のごく一部を紹介しました。どこかで、全部をまとめたいと思っています。質問に答えた僕に、質問した子どもが拍手をしてくれました。これも、今までなかったことなので、うれしかったです。
 この後は、保護者との時間でした。保護者とは本当に短い時間しかなかったのですが、いつ頃からどもり始めたのか、両親にしてもらってうれしかったことは何か、からかわれたことはあるのか、などの質問をもらいました。

 今、吃音の問題の最前線にいる子どもたち、そして保護者との対話の時間は、僕にとって本当にありがたいものです。こんな機会を作ってもらえたこと、千葉のことばの教室の担当者に、感謝しています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/12/18

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