第25回島根スタタリングフォーラム 2日目     ~転ばぬ先の杖ではなく、生きる力を~

 2日目は、近くの浅利富士への登山から始まりました。僕は、パスして、朝食から合流です。
 午前9時から12時まで、保護者との対話の時間が始まりました。昨日、さんざんしゃべったけれど、まだまだ話したいことはあります。保護者からの質問もまだ残っています。

○伊藤さんと連絡をとりたいときは、どうしたらいいか。
 日本吃音臨床研究会のホームページリニューアルの話をしました。そのいきさつもドラマチックです。そのホームページの中に、僕の連絡先が書いてあります。電話も住所も、問い合わせフォームから入ってもらうと、メールでつながることもできます。
○中学生でも声を出すことはした方がいいのか。
 年齢に関係なく、人間にとって大事なことです。親が声を出している姿を見せることも大切でしょう。親が自分の好きな小説や、新聞記事を声を出して読むことを日常的にしていることは、自分にとっても子どもにとってもいい影響を与えるでしょう。
○弟は、兄の吃音に関心がないけれど、いいのか。
 関心がないのが当たり前だろうと思います。それでいいです。でも、今回も、このフォーラムに参加しているのだから、きっと何か感じ取ってくれるでしょう。まあ、感じ取っていなくても構わないのですが。

 ひとつの質問から、話はどんどん広がります。今回、保護者との対話でキーワードになったのが、「治す努力の否定」と「転ばぬ先の杖」でした。

 「治す努力の否定」は、僕が大阪教育大学にいるとき、治すこと、治そうとすることが却って悩みを深く大きくすることから、治す努力をやめようと提起したものです。何か障害になることを治すことは、ある意味当然のことで、努力することは美徳とされているのに、それを否定するということは、とてもセンセーショナルで、反発も、誤解、曲解もたくさんありました。治ることもあるだろうに否定するのか、努力は大事だろう、全ての努力を否定するのはけしからん、など。治すために使っていたエネルギーを、より良く生きるエネルギーに変えようという提案だったのですが、そう受け取ってもらえないことも少なくありませんでした。大勢の人たちが吃音を治そうとして失敗してきたことを繰り返したくありません。報われる可能性のあることに努力をするために、報われない努力は諦めようというのです。そこで、僕は、ニーバーの祈りを紹介しました。

変えることができることは、変えていく勇気を
変えることができないものなら、それを受け入れる冷静さを
変えることができるかできないか、見分ける智恵を

 「転ばぬ先の杖」は、合理的配慮との関連で、最近、よく話すテーマです。この話も誤解される可能性があるのですが、話す必要があると考えて話しました。合理的配慮については、基本的にいいことだと思います。ただ、それが過ぎると、あるいはそれに頼りすぎると、子どもの生きる力を奪うことにつながるのではという心配をもっています。必要な支援、必要な配慮をしてもらうことに異論はありません。ただ、その支援、配慮がないと、何もできないというのでは、この世知辛い世の中を生きていくことはできないのではないかと思うのです。理解してくれる環境ばかりではありません。自分にとって厳しい環境も、これから待っているかもしれません。そのときに、だめになってもらいたくないのです。どんなに環境が悪くても、それなりに自分なりに、自分を支え、生き抜いてもらいたい、その力を子どもの頃に培ってほしいと願います。親として、目の前に障害があるなら取り除いておきたいと思うのは、当然ですが、子どもと話し合って、どうするか決めてほしいと思います。子どもが自分の力で取り除くのか、誰かの力を借りて取り除くのか、子どもに選択権があります。がんばるところ、逃げるところ、助けてもらうところ、どの場面でどれを選ぶのか、子どもに任せたいものです。

 黒板に予め書いておいた、幸せ生きるために、共同体感覚、言語関係図、ストレス対処力などのことばの説明を具体例を挙げながらしました。これらを知っておくことで、今後の生活に役に立つと思います。

 昼食後、最後のプログラムです。保護者との対話のラスト、90分が始まりました。僕は、そこで、吃音親子サマーキャンプに宮城県女川町から参加した阿部莉菜さんの話をしました。彼女の書いた作文「どもっても大丈夫!」も読みました。今回は、彼女の体験を、健康生成論の一貫性感覚(センス・オブ・コヒアレンス)の、把握可能感、処理可能感、有意味感にからめて話してみました。彼女は、サマーキャンプに来て、自分が不登校になっていることをグループのみんなに話しました。グループのみんなもいろいろ質問をして、それに答える中で、彼女は、自分の経験を整理することができました。これが把握可能感です。そして、彼女はサマーキャンプから帰ってから不登校だった学校に行き始めます。処理可能感に気づいたからです。自分には、助けてくれる仲良しの友だちがいる、理解してくれる仲間もいる、何より力強い家族がいる、それらの力を借りて、行きたい学校に行けるようになります。また、キャンプ前にお父さんが言っていた「吃音は、いい肥料なんだよ」のことばや、キャンプでグループの子どもたちが言ってくれたことばから、自分にとって吃音は意味があるものなんだという有意味感をもつことができました。これで、健康生成論の説明ができました。
 ひとりひとりの感想をお聞きして、時間きっちりと終わりました。長丁場につきあってくださった保護者のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 子どもたちは子どもたちの活動が展開されていたようです。子どもたちの話し合いの中で、どうしても僕に聞きたいことがあるというので、最後のおわりの会のときに、質問を受けました。その質問とは、「どうしてどもるのですか。吃音の原因を知りたいです」でした。
 これは、よく質問されることです。僕の答えは、決まっています。「わかりません。どうしてどもるようになったのか、分からないのです。たくさん研究されてきましたが、分からなかったし、きっとこれからも分からないでしょう」
 ところが、分からないと言っても、どうしても知りたいという子どもがいます。以前、島根のスタタリングフォーラムに参加していた子もそうでした。別のことで島根県に来ていた僕の宿泊ホテルまで「どうしてどもるのか、知りたい」と訪ねてきました。仕方なく、僕は、こんな話をしました。
 空気中に、どもり菌がいて、ふわふわと浮かんでいる。ある人は、口に入ってもぺっと吐き出してしまうけれど、ある人はそのまま飲み込んでしまう。飲み込んでしまった人がどもるようになったんだよ。この話に、その子は納得したようでした。その子というのが、今回も参加しているOBの稲垣君なのです。

 今回、スタッフの中に、幼児教室担当、幼稚園のことばの教室担当の人が何人も参加していました。島根は、小学校はもちろんですが、他の県と比べて、中学校のことばの教室も充実していて、幼小中の先生がそろっていました。幼児期が大切だと思っている僕にとって、これはありがたいことでした。
 僕のどもりの悩みの始まりは、小学校2年生の秋の学芸会からだということは、いろんな所で話したり書いたりしています。どもり始めたのは、多くの人がそうであるように3歳前後らしいですから、3歳頃から小学校2年生までは、どもっていたけれど、明るく元気で活発な子だったのです。「どもっていたけれど、明るく元気で活発な子だった」ということ、このことについて、もう少し話したかったなあという思いが残ります。
 島根のフォーラムの報告は、今日で終わるのですが、この幼児期のことについては、明日に続きます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/25

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