「吃音の夏」の終わりに~福島智さんとの、不思議な偶然の出会い~

 9月半ばを過ぎたというのに、この暑さは何と表現したらいいのでしょう。何年前だったか、今年のようにいつまでも夏の暑さが続いた年の暮れ、立川志の輔の落語会で、志の輔が枕に「この暑さ、大晦日まで続くと思いましたが…」と言っていたことを思い出します。
 いつもなら、吃音親子サマーキャンプが終わったら、それなりに秋の訪れを感じるのですが、今年は全くその気配すらありません。

 今年の「吃音の夏」が終わりました。思えば、6月の鹿児島県の県大会に始まり、全国難聴言語障害教育研究協議会埼玉大会、名古屋市での親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、千葉県の難聴・言語の教室の教員の県大会、そして吃音親子サマーキャンプ、それぞれに、たくさんの人と出会い、いい時間を過ごしました。秋を迎えるにあたり、何か見落としてなかったかなあと振り返ってみると、ひとつ、不思議な、おもしろいエピソードがありました。

 名古屋市での親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会が終わり、その日のうちに千葉市に移動し、翌日、千葉県の県大会で講演をして、そのまま千葉で一泊しました。大きな仕事をし終えた開放感がありました。翌日、千葉から東京に異動し、銀座を歩き、千疋屋に入りました。銀座の老舗です。「吃音の夏」前半のご褒美にと、季節のフルーツを注文して、食べ始めたとき、白杖をついた人が、介助の人と一緒に入ってきて、僕の隣の席に座りました。見ると、東京大学教授の福島智さんでした。目が見えない、聞こえなくなった、盲でろうの人です。耳は全く聞こえませんが、中途失聴のために話すことはできます。映画『桜色の風が咲く』のモデルになった人です。

 2018年9月7日、僕は、東京大学先端科学技術センターで、「どもる人たちの当事者運動を振り返る~伊藤伸二さんを囲んで~」との演題で講演をしています。講演の後、福島さんと、熊谷晋一郎・准教授を交えて、パネルディスカッションがありました。その講演と、講演のための準備の中で、僕の過去の経験の意味づけが大きく変わりました。「吃音は必ず治る」と宣伝する、東京正生学院での経験は、「吃音が治らずに、どもる覚悟ができた」としか意味づけられていなかったのですが、「どもれない体」から「どもれる体」になれたという意味づけに変わりました。とても印象に残る東大での講演でした。
 福島さんは、講演、パネルディスカッションが終わった後、大学構内のイタリアンのレストランの食事に招待してくださいました。一緒に食事をしながら、指文字で訳してくださる方のおかげで、ほとんどタイムラグなく、いろいろなお話をすることができました。僕にとって、貴重で、思い出深いひとときでした。
 その時の福島さんが、偶然に、僕の隣の席に座られたのです。話しかけようと思いましたが、しばらく待ちました。福島さんは、注文された桃のパフェをおいしそうに、食べておられました。僕たちも、自分の注文したものを食べました。食べ終わられた頃を見計らって、声をかけました。
 「福島さん、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二です」と、挨拶すると、すぐにそばにいた方が指文字で訳してくださいました。福島さんは、「えっ、大阪の伊藤さん?」と驚かれていました。僕は、なぜ、今、ここにいるのかを話し、福島さんは、今、僕と吃音親子サマーキャンプなどで一緒に活動をしている東京大学大学院生の山田さんのことをよろしく頼みますとおっしゃいました。
 こんな不思議な再会があるのですね。東京に行けば銀座に行くことは多いのですが、千疋屋に入ることは滅多にありません。今までに、一度か二度入った程度の店です。そこで福島さんと出会うのですから。
 僕は、今回のような不思議な偶然の出会いを時々経験しています。北海道・べてるの家の向谷地生良さんとは、島根県浜田市の小さなレストランで出会っています。大阪の伊藤と、北海道の向谷地さんが、島根の小さな市のレストランで出会うなんて、どれだけの確率のできごとでしょうか。向谷地さんとはその後、インドレストランでも偶然に会っています。二人で不思議だねえと笑ったことがありました。銀座の千疋屋で福島さんと出会ったことも、不思議な偶然の出会いのひとつとして、記憶に残るでしょう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/09/18

Follow me!