「吃音の夏」のしめくくり 第32回吃音親子サマーキャンプ 最終日

 サマーキャンプ最終日、朝からいいお天気でした。空の青さと、荒神山の木々の緑が、目にまぶしい朝でした。最終日は、いつもの音楽が鳴りました。「年に一度は、この曲を聞かないと」と言うスタッフもいます。ラジオ体操の後、いくつか連絡をするのですが、シーツを担当してくれているスタッフが、自分たちのことを「シーツシスターズ」と名付け、シーツのたたみ方などをみんなの前で見せてくれました。ポーズも決めていました。何をするのも、ユーモアあふれるスタッフです。
 朝食後、子どもたちは、劇の最後の練習です。上演場所となる学習室でのリハーサルを順番に行いました。そしてその間、保護者も、表現活動に取り組んでいました。
 実は、この親の表現活動、サマーキャンプの隠れた名物プログラムになっています。始まりは、ほんのちょっとしたことがきっかけでした。子どもたちが、苦手な劇に挑戦しているのだから、親も何かしようか、そんな始まりだったと思います。歌を歌ったこともありました。谷川俊太郎さんの「生きる」の詩を、ひとり1行ずつ読んだこともありました。それが、いつのまにか、定番になって、ここ最近は、工藤直子さんの「のはらうた」を、グループごとに表現することになってきました。題して、「荒神山ののはらうた」です。今年で17回となりました。
 毎回、話し合いのグループごとに集まり、のはらうたの一つを表現します。ことばに合うふりつけを考え、声を出し、動き回り、踊り、汗をいっぱいかきながら、開演ぎりぎりまで練習している親の姿を、僕は毎年、感心して見てきました。そして、子どもたちの劇の前座をつとめるのです。子どもたちは、自分の出番を控え、どきどきしています。そこへ、普段見ることのない親の弾けた姿を見ます。そして、自分たちもと、上演に向かうのです。親たちも、子どもたちの緊張感を共に味わうことで、何ともいえない一体感が漂うことになります。
 でも、今年は、この親の表現活動をするかどうか、実は迷いました。初参加が多く、今までのようにリピーターがリードしていくことが難しいのではと思ったからです。どんなものになるか分からないが、ちょっと負荷のかかることに取り組むことも意味があるだろうと考え直し、いつものように行うことにしました。だんごむしとかぶとむしとかまきりが登場する詩を選びました。みんなで声を出し、グループごとに詩を読み合いながら、後は、自由に練習してもらいました。1時間弱くらいだったでしょうか。リハーサルをして、手直しをして、上演を待ちました。
 午前10時、荒神山劇場が開演しました。保護者の前座「荒神山ののはらうた」の後、子どもたちによる「森は生きている」の上演でした。どちらも見事でした。どもりながらも、せりふを言い切る子、声を届ける相手の存在を確認してせりふを言う子、短い時間にせりふをしっかり覚えてしまった子、普段の学校では劇に出ることなどないのに今回は役を全うした子、おもしろいアドリブを考え、それを取り入れて受けたので大喜びの子、たくさんの子どもたちのいきいきした姿を見ることができました。
 終わった後、今年は、卒業式がなかったので、少しだけ時間に余裕があったので、初参加の人全員に感想を聞きました。スタッフにも感想を聞くことができました。

 僕は、今年、79歳です。以前は、何も考えずまた来年会いましょうと言っていましたが、ここ最近は、そう簡単には言えません。いつまで続けられるかと、ふと思います。今年も、今年が最後のつもりで荒神山に来ました。そして、終わった今、とりあえず、来年は開催しようと思いました。一年一年、その思いで続けていくことになるのだと思います。
 しかし、今回、小学5年生から参加しているスタッフのひとりが、仲間と話し合って「どもる子どもの未来を考えると、吃音親子サマーキャンプの火を消してはいけない。だから、私たちが引き継ぎます」と言ってくれ、最終日の振り返りの時に表明してくれました。若いスタッフの熱い想いが、僕に新たなエネルギーを注入してくれました。僕が倒れても、吃音親子サマーキャンプが続くと思うと、まだまだ続けられそうだとの思いがふくらんできます。
 たくさんの人が、例年以上に「参加してよかった」と具体的なエピソードを添えて感想文を送ってくれました。サマーキャンプが大切にしてきたことをしっかりつかんでくださったことが、とてもうれしかったです。 
  あなたはひとりではない
  あなたはあなたのままでいい
  あなたには力がある
 このことを伝えたくて、僕はまた来年、この場に来たいと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/09/03

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