-そんなに急ぐと山が逃げるよ-

全国言友会連絡協議会副会長  伊藤伸二

「吃音者宣言」が出されて、一年経った。

 吃音者自身から、家族から、吃音の子どものお母さん方からことばの教室の先生方から、実にいろいろな方から、様々なご意見、ご批判をいただいた。

 「大いに勇気づけられ、今後の生きる道がつかめました」という人。又「宣言には賛成だが、今のところ私にはそのような生き方はできません」という人。又、「治る可能性をも閉ざしてしまうあなた方の考え方は危険だ。多くの吃音者を絶望に追い込んでしまうのではないか」、「あなた方が吃音に負けているのが残念」というおしかりもいただいた。

 この一年、じっとそれらの声に耳を傾け、今さらながらに言友会がこの時期に「吃音者宣言」を出した意義を思った。

 あえて、言友会が「吃音者宣言」をしなければならない情況が、言友会内外に満ち満ちていることが「宣言」が出ることによって更に明らかにされたからである。

 第十一回言友会全国大会に向けて、全国的な規模で行なった吃音者の実態調査でも、消極的な逃げの人生を送っている吃音者像が浮び上ってきたし、職場で吃音のために不当な扱いを受けているという吃音者の悩みも聞いた。そして、「治るにこしたことはない」「積極的に社会へ出ていけない人に対し、社会へ出ていく第一歩として吃音を軽くしてあげることが専門家に要請されている」という専門家からの声も聞いた。

 「吃音が治るのを夢みるのではなく・・・・」という私たちに対して「治ることの夢を捨てるな」という主張は根強い。

 又、言友会の内部にも「吃音者宣言」には反対だとする吃音者も一部にはいる。

 これらの情況の中だからこそ、自らの立場を明確にし、今後どう進むのかを「吃音者宣言」で示す必要があったのである。

 しかし「吃音者宣言」をした後の言友会の歩む道が、いばらの道であろうことは、前述の動きからも容易に予想することができる。そのいばらの道を歩むにあたって、つまり「吃音者宣言」を出すにあたって私たちには、一つの危惧があった。今、その危惧は現実のものとなりつつある。

 吃音者の「どもり」へのとらわれは、一般に思われている以上に根強い。過去のつらい、苦しい体験と相殺するだけの楽しい、豊かな人生を送ることはそうたやすいことではない。時には「どもりがなんだ」と開き直り、「どもりに生まれてよかったなあ」と感じる時もあり、又「なんでどもりに生まれてきたんやろ」と嘆く。まさに、山あり、谷ありの吃音人生である。

 言友会の活動の中で、とびきり元気な人がいる。人一倍しゃべり、明るく、活発で、「この人、本当にどもりで苦しんできたんだろうか」と不思議がられる人がいる。しかし、その人が職場では、沈んだ顔をし、言友会にいる時のような積極性が見当らないという場合がある。

 吃症状に「波」があるのと同じように、吃音者の気分の波はかなり激しい。

 吃音を克服したと自他共に思い、言友会を去った人が、人生の転機でつまづき、民間のどもり矯正所を訪れるケースは事実ある。

 「吃音者宣言」で言われる吃音を持ったまま生きるとは、山あり、谷ありの状態の中で、自分の弱さを自覚しながらも自分なりの人生を生きようと願い、そのために努力することである。

 「決してどもりで悩まず、決して恐れず、常にたくましく生きる」ということではない。そんなにかっこうよく生きられるものではないのだ。

 「『吃音者宣言』が出たおかげで「吃音者は、かく生きねばならない」と押しつけられているようで、現在の自分の生活に比べるとつらい。基本的にはこの生き方に賛成なのですが」と手紙を書いてきて下さった方がいた。この人は、前述の山あり谷ありの吃音人生を歩んでいながらも、「かくありたい」という願いを持ち続けている人であろう。

 『吃音者宣言』は、宣言文でも述べているように、このように生きたいという『私たちの叫びであり、願いであり、自らへの決意でもある』どもりに対する考え方も、どもりそのものが多種多様であるように、様々であろう。その中で私たちは、あえて「このように生きたい」という一つの願いを出した。私たちは「このように生きています」という報告ではない。多くの吃音者にとって、あくまでも「吃音者宣言」は目標であり、又、それをめざす出発点なのである。

 それを「あなた方は確かに『吃音者宣言』をしましたね。もうどもりに対する恐れや、苦悩はないのですね。自分の責任でたくましく人生を送るのですね」と言われるとあ然としてしまう。このような声もずいぶん耳にした。これは、どもりの持つ問題の根の深さを知らない人のことばであろう。

 どもりの問題は、そんなに簡単に解決できるものではないのだ。それは吃音問題解決の歴史がよく物語っている。

 かってない程多くの吃音者が言友会に参加し、どもりを語り、自分の人生を語り、家族からは「言友会に私の息子を取られた」と嘆かせる程に力いっぱい活動し、そこでどもりの問題だけでなく、他の領域からも、又、多くの人々からも学んだ。それでも、言友会が「吃音者宣言」を発して今後の吃音者の生き方を探る出発点に立つまでに十年かかっているのである。それ以前の歴史は更に長い。「吃音者宣言」のような生き方ができないと嘆くのはやめよう。ぼちぼちと自分のできるところからしか、自分を変えることはできないのだから。

 もちろん、一人で、言友会が言っているような生き方をしている人は多くいる。全国吃音巡回相談会で、それらの人々と出会ったことが、相談会で得た最大の収穫でもあった。

 しかし、山あり谷ありの吃音人生を送っている中で、どもりとの戦いに疲れ、「いかに生きるか」に悩んでいる人も又多い。

 私たちの周囲の善意の方々へもお願いしたい。あまり性急に変化を期待しないでほしいと。「吃音者宣言」から、吃音者のたくましさだけが読みとられ強調されると、「治る」「治せ」と言われた時と同様の圧力を私たちは受けるのである。

 吃音に悩み、いかに生きるかに悩む人々にとって、共に「どもり」を考え「生き方」を考える仲間は当然必要となる。できれば専門家ではなく、ただの友人の方がよい。なぜなら専門家が養成されるまで私たちは待つことができないからだ。今すぐに身近な友だちが必要なのである。「仲間と共にある言友会」の存在は、その意味でますます必要となる。

 しかし、このような声もある。

 「あなた方は、この社会をより良いものにしていくために努力するという『吃音者宣言』を出しましたね。それにしては、今のあなた方の活動は何ですか。相変わらず、どもりに終始しているじゃありませんか。社会にはこんな矛盾や差別や不幸がたくさんあります。どもりにとらわれず、それらを解決するためもっとがんばってもらわないと困りますね」

 又、「『吃音者宣言』が出され、言友会はたくましく生きることを宣言した。すると単なる仲間作りだけに終始しているような言友会は解散した方がいいですね」という声を、言友会の会員からも又外部の声としても聞いた。これらの声の通りにすると、各地域の言友会はほとんど解散しなければならなくなってしまうであろう。更にそれらの人に「『吃音者宣言=言友会解散宣言』ではなかったんですか」とつけ加えられそうだ。

 「吃音者宣言」が出たからといって、言友会の活動がそんなに大きく変化するものではない。背のびをした活動は長続きするものではない。自分たちのできる範囲からでしか動けない。ボチボチと活動を続けるものの、目標は常に明確にしていきたい。

 「吃音者宣言」がでたからといってこれまでと全く異なった目で言友会が又吃音者が見られ、かえって圧力を受けるのではないかというのが当初の危惧であった。

 「吃音者宣言」が出たおかげで、又いろいろな人と出会い、語り合うことができた。見知らぬ吃音者から手紙や電話をいただき、又、直接お会いする機会もあった。今後の言友会のあり方、吃音者のあり方など、示唆に富むご意見もいただいた。

 その中で言友会は今一番困難な状況の中にいることを痛切に感じた。この状況をのり切るにはかなりの紆余曲折が予想される。時には「吃音者宣言」を出した言友会が、こんな状況なのかとおしかりをうける時もあるだろう。しかし、私たちは今、「吃音者宣言」山を登るべき山と定め、その登山口に立った。山の頂上で人が手を振っている。大きい荷物、小さい荷物をそれぞれに背負いながら、吃音者の一団が山を登り始めた。元気に歌を歌って。

そんなに急ぐと 山が逃げるよ

ゆっくり行こう ゆっくり行こう

あせらずに行こう あせらずに行こう

口笛吹いて、汗をぬぐえば

くすんだヒュッテの赤い屋根

見なれた道さ 道さ

急ぐこたないさ ないさ ♫