「吃音者宣言」から50年~新聞社の取材を受けて~
昨日、新聞社の取材を受けました。「吃音者宣言」から今年で50年、「吃音者宣言」が出る前の状況、「吃音者宣言」採択の前後、「吃音者宣言」が出てから、どもる人はどう変わったのか、周りはどう変化したのか、そのあたりのことを聞きたいとの趣旨でした。
改めてそう問われて、そうか、あれから50年か、と感慨深いものがこみ上げてきました。実は、今年が、「吃音者宣言」を出してから50年の節目であることを意識していませんでした。言われて初めて、そうだったんだと思った次第です。
取材は、午後1時に始まりました。依頼のときには、1時間くらいということでしたが、50年を語るのに1時間では到底足りません。僕の生い立ちから詳しく聞いてくださいました。途中で、これは1時間で終わるはずがないぞと思いました。結局、3時間、話をしました。
僕は自分の人生を3つに分けて、いろいろなところで話しています。
Ⅰ期は、小学校2年生の秋までの、どもっていても明るく元気で活発だったとき。
Ⅱ期は、小学2年生の秋の学芸会から21歳までの、吃音に深く悩み、話すことから逃げ、吃音を隠し、劣等感のかたまりだったようなとき。
Ⅲ期は、21歳から現在まで、どもりながら、楽しく幸せに暮らしている。
これほど鮮明に分かれている人生も珍しいのではないでしょうか。
くっきりと分かれる期間を表すエピソードはたくさんあります。そんなエピソードと、それにまつわる周辺の話と、書物や雑誌などの資料を示していたら、あっという間に時間が経ってしまいました。肝心の「吃音者宣言」になかなか行き着きませんでした。
「吃音者宣言」、改めて、読み直してみました。言友会創立10年という節目に、多くのどもる人の物語を集め、そこから得られた知恵を結集した宣言文。吃音を否定せず、どもる自分を否定せず、どもりながら、豊かに生きていくことができることを、自らに、また後に続く人たちに、文章として残したいとの思いから提起しました。
セルフヘルプグループ言友会の創立、「吃音者宣言」は、吃音の歴史を語るとき、大きな転換点として刻まれるものだと思います。
どのような形で新聞に掲載させるのか、全く分かりませんが、「吃音者宣言」提起の5月ごろにという話を楽しみに待とうと思います。
宣言文を掲載します。
吃音者宣言
私たちは、長い間、どもりを隠し続けてきた。「どもりは悪いもの、劣ったもの」という社会通念の中で、どもりを嘆き、恐れ、人にどもりであることを知られたくない一心で口を開くことを避けてきた。
「どもりは努力すれば治るもの、治すべきもの」と考えられ、「どもらずに話したい」という、吃音者の切実な願いの中で、ある人は職を捨て、生活を犠牲にしてまでさまざまな治すこころみに人生をかけた。
しかし、どもりを治そうとする努力は、古今東西の治療家・研究者・教育者などの協力にもかわわらず、充分にむくわれることはなかった。それどころか、自らのことばに嫌悪し、自らの存在への不信を生み、深い悩みの淵へと落ちこんでいった。また、いつか治るという期待と、どもりさえ治ればすべてが解決するという自分自身への甘えから、私たちは人生の出発(たびだち)を遅らせてきた。
私たちは知っている。どもりを治すことに執着するあまり悩みを深めている吃音者がいることを。その一方、どもりながら開るく前向きに生きている吃音者も多くいる事実を。
そして、言友会10年の活動の中からも、明るくよりよく生きる吃音者は育ってきた。
全国の仲間たち、どもりだからと自分をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢みるより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。
その第一歩として、私たちはまず自らが吃音者であること、また、どもりを持ったままの生き方を確立することを、社会にも自らにも宣言することを決意した。
どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。すべての人が尊重され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。そして、私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、よりよい社会を実現するために活かしていきたい。
吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たち吃音者の叫びであり、願いであり、自らへの決意である。
私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する。
1976年5月3日 言友会全国大会で採択
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/19



