レジリエンスと「学習・どもりカルタ」
僕が、これまで吃音について取り組んできたことが、実は、他の分野では、こんな名称で、こんな取り組みがなされていた、ということはたくさんあります。「レジリエンス」も、そのひとつです。「レジリエンス」ということばは知らなかったけれど、取り組んできたことは「レジリエンス」そのものだったのです。こういう気づき、発見の瞬間、そして、志を同じくする人たちと、新しいことを学んでいく、わくわくした高揚感、それらは僕の生きる活力、原動力になっています。
「スタタリング・ナウ」2015.6.22 NO.250 より、まず巻頭言を紹介します。
レジリエンスと「学習・どもりカルタ」
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「子どものレジリエンスを育てる」をテーマに、第4回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会は、8月1・2日、石隈利紀・筑波大学副学長を特別講師に迎え、東京の帝京平成大学で開かれる。
私たちは3年ほど前までは、今、教育の世界でも広がり始めた「レジリエンス」を知らなかったが、私たちが49年間、吃音について考え、取り組んできたのは、レジリエンスを育むことだったと思う。
1965年夏、私は大学生の間に吃音を治しておこうと、「どもりは必ず治る」と宣伝する東京正生学院の寮に入り、朝早くから夜遅くまで、必死で吃音の治療に励んだ。吃音は治らなかったものの、たくさんのどもる人のナラティヴ(物語)に出会ったことが、その後の私の人生を大きく変えた。私は、惨めな学童期・思春期を送ったが、楽しい時代だったという人もいた。また、私は将来仕事に就けないのではないかと考えていたが、現実には、すべての人が仕事に就き、中には教師や営業職など話すことの多い仕事に就いている人もいた。どもる事実は変わらないのに、このような差があるのはなぜだろうか。どうすれば私はこの人たちのように生きることができるのだろうか。その後、私は、設立したどもる人のセルフヘルプグループの活動の中で、次の事実に向き合うことになる。
◇治療を受ける・受けないにかかわらず、吃音は治っていない。
◇世界中どこにも確実な治療法はない。
◇悩みや人生への影響には大きな個人差がある。
この事実を基に「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」と提唱してきたのは、どもる人の大きな個人差に注目したからだが、この個人差が、レジリエンスだったのだ。
6月13・14日の2日間、名古屋市近郊で、レジリエンスについての共通認識をもつための学習を中心にした第4回講習会実行委員会が開かれた。沖縄、鹿児島(沖永良部)、島根、兵庫、大阪、岐阜、愛知、神奈川、千葉、栃木から、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会のメンバー14名が集まった。13日の昼から、翌日の17時まで、休憩する時間を惜しんで語り合った。
『サバイバーと心の回復力―逆境を乗り越えるための七つのリジリアンス』スティーヴン・J・ウォーリン他著、奥野光・小森康永訳(金剛出版)をテキストに選んだ。全員で読んで、「子どものレジリエンスを育てる」ために何ができるかを、レジリエンスの七つの構成要素に沿って話し合った。元々は問題の多い家族の中で育った子どものレジリエンスを考えたものなので、七つをどもる子どもにそのまま当てはめるのには無理があると最初は思えたが、自分の子どもの頃のことや、どもる子どもへの関わりなどを話し合っていると、かなり整理ができ、理解が進んだことに驚いた。
1)洞察 自分の課題を考え、理解する。
2)独立性 問題に境界を引き、自分の要求を満たしながら、情緒的かつ身体的な距離を置く。
3)関係性 親密で満足できる人間関係、人との結びつきを大切にする。
4)イニシアティヴ 問題に立ち向かい、コントロールする。課題によって、自分を強化し試す。
5)創造性 悩ましい経験や痛ましい感情の混沌に、秩序、美しさを求める。
6)ユーモア 悲劇の中におかしさを見つける。
7)モラル よい人生を送りたいという希望を全人類にまで拡大していく。
これまで私たちが学び実践してきた、言語関係図、吃音氷山説、吃音方程式、交流分析、論理療法、認知行動療法、アサーション、ナラティヴ・アプローチ、自己概念教育、当事者研究などが、七つを育てることになっているのだと確認できた。
書籍だけでは分かりにくかったレジリエンスが、自分の人生や、関わってきた子どもと関連づけると、とても分かりやすくなった。
今回紹介した「学習・どもりカルタ」「劇遊び」の実践は、洞察、イニシアティヴ、創造性、ユーモアに深く関係している。
8月の吃音講習会で、これまでの実践がレジリエンスの視点で整理され、新たな展望が開けるのではないかと期待が膨らんできた。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/03/09

