肯定的な物語の力
2014年(平成26年)1月28日、朝日新聞に、「吃音 理解されなくて 就職4カ月、命絶った看護師」の見出しで、吃音に関する記事が紹介されました。
朝日新聞によると、その男性(当時34)が昨年自宅で自ら命を絶ちました。職揚で吃音が理解されないことを悩んでいたといいます。自ら望んだ看護師の職に就いて4カ月足らずでした。男性は昨年3月に看護学校を卒業し、札幌市内の病院で働き始めました。
家族によると、男性は病院で吃音が理解されずに苦しんでいました。自己紹介の用紙に自分の症状について書き、「大声を出されると萎縮してしまう」「話そうとしているときにせかされると、言葉が出なくなる」と職場で理解を求めていました。しかし、伝わらず、追い詰められていく様子が手帳に書き込まれていたそうです。「どもるだけじゃない。言葉が足りない。適性がない」「全てを伝えなければいけないのに、自分にはできない」。男性は、親友には「続けられないかもしれない」とメールを送っていました。
吃音に悩んでいた男性がなぜ、話すことが求められる看護師を目指したのか。
姉は「話すことは好きだったし、人の役に立ちたいという思いが強かった」と話し、母親は、「息子のような悲劇を繰り返さないためにも、吃音者を理解し、受け入れる社会になってほしい」と話しています。
漫画家の押見修造さんは、吃音の高校生を描いた漫画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」で、自分自身が吃音に悩んだ経験を漫画や文章として表現しています。
押見さんは男性の気持ちがよく理解できるとした上で、こう語ります。
「吃音から逃げちゃだめだ、という思いがあったのでは。気持ちはよくわかる。僕自身も、漫画家になれなかったらと想像すると怖い。何とか折り合いをつけているんです」
2014年1月、ひとりのどもる青年が、自ら命を絶ちました。青年は、看護師として働いていましたが、働いていた病院で吃音を理解してもらえなかったと報道されています。この出来事から、僕は、たくさんのことを考えました。
社会の理解を強く求めていこうという方向ではなく、これまで僕が考えてきた、吃音を認めてどう生きるかを考えることの大切さを改めて痛感しました。
2014.8.23 NO.240 の「スタタリング・ナウ」の巻頭言から紹介します。
肯定的な物語の力
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「今回、北海道での吃音の研修会にお招きいただいたことは、昨年7月、吃音の青年が自らの命を絶ったことを受けてのことだと受け止めています。亡くなった方への哀悼の気持ちを深くもち、吃音の当事者としてこの死をどう受け止め、今後の活動や、どもる子どもの教育に生かせばいいかを、皆さんと一緒に考えることができること、身が引き締まる思いがします」
7月5日、北海道言語障害研究協議会(道言協)、ことばを育てる親の会北海道協議会共催の、第109回臨床研修会の「子どもの幸せにつながる吃音臨床―ナラティブ・アプローチの展開―」と題した2時間の講演で、私はこう話し始めた。
研修会の1か月前、知り合いの北海道のことばの教室の関係者から手紙もいただいていた。
「昨年の言友会の青年の自殺のことで、北海道のことばの教室の先生たちにも悲しみや悩みが走っています。いろいろ新聞報道もされていました。そんな中、道言協とことばを育てる親の会が共催で、伊藤伸二さんを講師に招くことになり、とてもうれしく思っています。このところ、「吃音」のことをしっかり理解することの必要性を感じておりました。「治すべき」という動きも強くなっています。「治す」「治る」とはどういうことなのかをしっかりと押さえた上での指導が必要だと考えていますので、現場の先生たちが、伊藤さんの話を聞く機会ができること、とても大事です」
私は、このできごとは、北海道に知人がいる仲間から、北海道新聞の連載記事をもらって知っていた。このようなできごとが起こると、必ず、次のように考える人が出てくる。
1 セーフティネットがない、吃音の理解がない社会の中で仕事をするには、完全には治ら なくても少しでも、吃音症状の軽減・改善が必要だ。
2 吃音に対して無理解な社会に、どもる人たちが、どのようなことで困り、悩んでいるの か、どもる人に対する理解を広める必要がある。
3 やはり吃音は、教師など話す機会が多い仕事は難しい。看護師や消防士など、人の命に関わり合う仕事は無理なのではないか。どもる人には、就けない仕事があるのは事実だ。
このような、一見、どもる人、どもる子どものことを考えているかのような、もっともらしい考え方からは、「子どものころに、少しでも吃音症状の軽減をはかるべきだ」の流れに向かっても不思議はない。「治さなければ」の動きとは反対の主張をし続けている私に、まさか講師依頼がくるとは思いもしなかった。私に講師依頼があったことの意味の大きさを考えた。
札幌市民ホールには、定員いっぱいの90名が参加し、熱気にあふれていた。
吃音が完全には治らないことはアメリカ言語病理学も認めているが、いわゆる吃音の症状の軽減、改善も実はとても難しく、それができれば、治ったと同じことだ、吃音は症状の改善で解決できるほど単純ではないと具体例を示して話した。
また、どもる人が日常生活でこんなことに困り、苦労しているから、配慮が必要だとの理解だけが、どもる人にとっての生きやすい「吃音理解」とはいえない。私はかつて担任教師の配慮で傷ついた。どもる人が生きやすくなるための「吃音の理解」とは何かを考えたいと話した。
今回の自殺の引き金になったと報じられている仕事について、何人かの職業体験を紹介した。熱心に聞いて下さった多くの参加者の感想に、今後の子どもへの取り組みに確かな手応えを感じた。
①どもる人にとって吃音症状の軽減改善の意味
②社会に向けての吃音の理解について
③どもる人の職業について
兵頭雅貴さん、伊藤由貴さん、山本直美さんの物語を紹介する。「吃音を治す、改善する」立場の人は、否定的な吃音の物語を強調する。三人の物語から、吃音を治そうとすることよりも、吃音を認めてどう生きるかを考えることの大切さが分かるだろう。今回の残念な出来事を一緒に考えたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/31

