吃音サバイバル 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京

 今年も、1月12日、3連休の最終日に、伊藤伸二・吃音ワークショップin東京を開催しました。今年で13回目になります。午前10時から夕方の17時まで、一日だけのワークショップですが、毎回、中身の濃い時間を過ごしています。
 今日、紹介するのは、2014年1月12日、開催した東京ワークショップの様子です。どんな話が出てくるのか、どう展開していくのか、全く分からないまま、ワークショップは進んでいきます。僕は、この時間、目の前の人と新鮮な気持ちで出会い、わくわくしながら楽しんでいます。

《伊藤伸二・吃音ワークショップin東京》
  吃音サバイバル          東京都北区 北とぴあ
                   2014.1.12 10:00~17:00

 参加者ひとりひとりが、自分の人生を語る自己紹介から始まったワークショップ。周りからの質問も受けながらの自己紹介は、午前中いっぱいを費やしました。他の人の人生と出会う、その時間だけでも満足できる、豊かな時間でした。北は岩手県や新潟県、南は関西地方や鹿児島県から参加した、吃音について、人生について、真剣に考える人との出会いは、深く人生を考えるきっかけになり、楽しいものでした。どもる人だけでなく、ことばの教室の教師、言語聴覚士、医師など、仕事も年齢も違う16名の人々が、吃音を通して人生を考えるという、共通の目標を持って集まりました。長い時間のワークショップの一部ですが、紹介します。
(報告:溝口稚佳子)

どもる人の職業について

伊藤 午前中の前半は、皆さんの自己紹介をもとに、いろいろ考えました。後半は、皆さんがテーマとして考えたいことを取り上げます。
 まず、遠く岩手県から参加した西館さんの考えたいテーマを取り上げましょう。きっと皆さんにも共通することになるだろうと思います。西館さん、遠慮しないで、話していただけませんか。
西館 職業のことです。吃音を受け入れた上で、どもる私でもできる職業を選択するのか。どもりのことは置いておいて、自分のしたい仕事に就けばいいか。どう考えればいいか迷っています。自分なりの結論を出したいと思い、今回、思い切って参加しました。
 私は、引きこもり状態になっていたとき、伊藤さんの吃音ホットラインに電話しました。その時、伊藤さんから、今が、真剣に吃音に向き合い、将来を考えるチャンスだから、なんとしてでも、この吃音ワークショップに参加するよう強く薦められました。しかし、仕事をしていなかったので、交通費、宿泊費がありません。その日から、このワークショップに参加することが、私の目標になりました。引きこもりから抜け出して、働いて、なんとか参加できました。私はどもりのことしか考えられなくて、どもりが仕事の選択の中心になっています。
伊藤 僕も、21歳で吃音に真剣に向き合うまでは、どもる自分が社会人として仕事をしている姿が想像できませんでした。だから、西舘さんの迷いは、とてもよく理解できます。しかし、それから50年近く、自分の仕事を含めて、様々な仕事に就いて、苦労しながら生きている人々とたくさん出会って、吃音と就職、職業選択の問題について考えてきました。
 西館さんは、これまではどもりのことが頭から離れず、仕事を考える時の中心だったのですが、今、吃音の条件を完全に取っ払ったとしたら、何がしたいですか。何ならできそうですか。
西館 大学では法律を学んできたので、それを活かすこと、たとえば、司法書士、弁護士になりたい、法律を使う仕事をしたいと、ずっと思っていましたが、どもる私には無理だと思っていました。
伊藤 その仕事に就くには、どもりがじゃまをすると考えてきたのですね。もし、じゃましないのなら、法律関係の仕事に就きたいのですね。弁護士はハードルが少し高いけれど、司法書士なら、簡単とは思わないですが、努力すれば手に届く範囲だと思うのですが、どうでしょう。僕の仲間に、諦めていた司法書士や税理士になろうと、一所懸命勉強をして、それらの仕事に就いている人が何人もいます。勉強は簡単ではないと思いますが、無理をしてでも、挑戦してみようという気力はありますか。
西館 正直、やりたい、やろうとは思うけど…、(沈黙)どもりが…。
伊藤 今は、どもりは外して考えましょう。どもるという条件を外してみて、資格試験に向けて努力するエネルギーと、アルバイトをしながら勉強する時間を確保できるかです。何年後かは分からないけれど、資格試験に合格してから、吃音については一緒に考えましょう。ほとんどの人の場合、本当にしたい仕事なら、最初は苦労するかもしれないけれど、どもってもなんとかやっています。資格試験には、集中力、努力を必要としますが、それがあるかどうかです。
西館 それは、あります。
伊藤 そうですか。じゃあここで、どもりによって制限される仕事、どもりに影響されない仕事を考えてみましょう。
西館 製造業のような、黙って手作業に集中してする仕事なら、吃音はあまり影響しないけれど、接客業は無理かなあと思います。司法書士も接客業の一種だと思うので、あきらめていました。
伊藤 接客業は無理ですかね。それで…。
西館 営業とか接客は、店に迷惑がかかるので、できないけれど、新聞配達ならできそうです。
伊藤 自分がその仕事を続けることに耐えられるかです。新聞配達は、どもっていてもできる仕事かもしれない。できるでしょうけれど、その仕事、生涯、続けられそうですか。
西館 70、80になってからは…。(笑い)
伊藤 70歳は無理として、40歳代くらいのあなたのことを考えてみて下さい。
西館 積極的にしたい仕事ではないので、楽しくないですね。
伊藤 そうでしょうね。あなたが40歳代になる頃には、デジタル新聞の普及で、新聞配達はなくなっている可能性もある。となると、後、どんな仕事ができる可能性がありますか。
森本(医師) 西館さんの第一声として、法律関係の仕事をしたいということばが出ました。できること、したいことができたら一番いい。以前、「死ぬときに、自信をもってできたことをいくつ言えるかで人生が決まる」というテーマの映画を観ました。僕も今26歳で、西館さんと同年齢なんだけど、まだ無茶ができる年だと思います。3年やってもまだ20代。突っ走ってみてもいいのかなと思います。
伊藤 職業の選択を考えるとき、アドラー心理学の劣等感について僕たちは考えます。アドラーは、劣等性、劣等感、劣等コンプレックスの3つに分けます。劣等性は、ある程度客観的なもので、劣等感は主観的なものです。そして、劣等性や劣等感を理由に人生の課題から逃げることを劣等コンプレックスといいます。
 僕の場合、できないことをすべて吃音のせいにして21歳まで生きてきました。やればできたかもしれないのに、どもりを理由に逃げてばかりでした。人生の課題とは、仕事、人間関係、愛の3つです。僕は、21歳まで孤独で、ひとりぼっちでした。どうせ分かってくれる人なんていないと思い、非社交的で、人づきあいが悪く、何を考えているのか分からないと言われました。ひきこもっている状態でした。劣等感は誰にでもありますが、劣等コンプレックスには陥りたくない。大切なときに逃げる選択はやめたいと、21歳の時に再決断をしました。
 劣等感には、劣等感の補償があり、それには間接的と直接的なものがあります。間接的補償の例として、作家や科学者、音楽家など様々な分野で活躍しています。オランダの世界大会で出会った小説家のディビッド・ミッチェルさん、サマーセット・モームや、藤沢周平さん。科学者では江崎玲於奈さん。自分が苦手なことには向かわず、自分の得意なことに集中する例は、著名人でなくてもたくさんいます。
 一方、しゃべることが苦手だから、しゃべることで勝負しようと直接的に劣等感のあるものに向かう人もいます。どもる人が、どうしてこんな職業に就いたのかと思う人がたくさんいるのです。映画俳優、アナウンサー、落語家などの有名な人だけでなく、僕たちの仲間には弁護士、教師、看護師、消防士など、話さないと成り立たない仕事に就いている人はとても多いのです。
 親しい落語家の桂文福さんは、落語がしたい一心で落語の世界に飛び込んだ人です。話さなければ成立しない仕事の世界に実際に飛び込むと、苦労はあり、ハンディもあります。文福さんは、セリフが決まっている、古典落語は無理だと考えられたのか、創作落語に活路を見出しました。さらに、河内音頭、相撲甚句などを生かした、ユニークで、個性的な落語家として成功しました。
 落語家としての40周年記念パーティーは、文福さんを慕う、300人ほどの人が集まりました。その中では、「どもって、なまって」のことばがずっと飛び交っていました。盛り上がっていたパーティーの最後に、妻の律子さんが挨拶をしました。
 「夫、文福は、落語家として致命的などもるというハンディをもっています。だから、相撲甚句のような飛び道具をつかって、独自の世界を切り開きました。また、持ち前の明るさと人の良さで、師匠と同じような、ちょっと変わった弟子も育てました…」
 ユーモアあふれる、とても素敵な、その日のパーティーで一番盛り上がったスピーチでした。「どもり、どもる、和歌山弁のなまり」を、参加者も本人もおおらかに口にし、参加者全員が吃音を肯定していました。このように、苦労しながら、自分の好きな落語を仕事として生きている人がいます。長崎の知り合いの弁護士は、嘘もホントにするような弁護はできないけれど、困っている人を誠実に弁護していました。僕も、大学の教員に就職したのが29歳でした。西館さんは今24歳だから、まだ5年もある。
 司法書士になろうというのは、不可能なハードルの高さではありません。今は、資格試験のことだけを考えて、真剣に勉強する。通ってしまえば、後はなんとかなる。同じ苦労をするなら、自分が本当にしたい仕事で苦労することです。自分が選んだ道だと思えば、多少は耐えられるだろうと思います。吃音親子サマーキャンプの卒業生の兵頭雅貴さんは、消防士になりたいが、どもるは自分には無理だろうかと、相談してきました。僕は、仕事上の苦労は、どんな仕事に就いてもある。苦労するなら、自分のやりたいことで、苦労するのがいいと、消防士になることをすすめました。僕は、何年かかっても、夢を実現してほしいと思いましたが、大阪府の試験は不合格でしたが、東京都の消防士の採用試験には合格しました。昨年の4月から消防学校に行っていますが、当然苦労があります。指導教官の部屋に入るのに、名前を言ってから入ることになっているが、名前が言えない。「そんなにどもっていて、東京都民の命が守れるのか。どもりを治せ」とまで言われました。大変な苦労だったと思いますが、夏に消防学校を卒業し、消防学校から消防署に配属されて研修を続け、この春には、全ての研修が終了し、消防士になります。苦労はいっぱいあるけれど、自分がしたい仕事だから、自分が選んだのだから、がんばれる。消防士の彼の苦労を思うと、司法書士でも弁護士でもなれると思います。
西館 本当にしたい仕事だけど、正直、自分にはハードルが高いと思います。今の自分の学力では難しいけれど、努力のしがいはあるし、その仕事なら苦労しても精一杯できるのではないかと思えてきました。がんばろうと思います。
伊藤 人間、努力してもできないことはあると思います。努力は万能ではない。医師や弁護士の国家試験は難しいけれど、税理士や司法書士なら、努力してできる範囲ではないでしょうか。
 職業選択の時の一般論としては、どもる人は、できたら話すことの多い仕事に就いて、早めに失敗や挫折を経験するといい。若いうちなら、失敗や挫折から立ち直る、レジリエンス、気力があります。つぶれてしまうほどの挫折は困るけれど、若いうちに恥をかき、挫折し、サバイバルしていく。もしだめだとしても、まだ30代ならやり直しがきく。現実がみじめだと、つい、夢のような非現実な願いをもってしまい、「その内、やれば僕だって」と思って、現実的な努力が、あと回しにされてしまいます。自分ができる範囲での、現実的な努力にしておくことが大事だと思います。仕事について、考えてきました。皆さん何かあればどうぞ。
樋口(主婦) 話を聞いていて、西館さんにできそうな感じがしてきました。がんばってほしいです。
溝上(教師) 僕はことばの教室の先生をしていますが、その前は民間の会社に勤めていました。27歳で転職しました。どもって苦労することもありましたが、したい仕事だからできたと思います。
鈴木(教師) 僕も教師ですが、教師になろうと思ったのは、30歳のときです。大学に戻って、教員免許をとるために勉強をしました。31歳のときに、18歳の子と一緒に授業を受けるのは、正直つらい部分もありました。特に体育の授業で、バック転をしたり、マラソンで規定タイムに走ることが大変でした。規定タイムでは走れなかったけれど、なんとか大目にみてもらい、教員免許がとれました。今年、33歳の初任です。ことばの教室を担当しろと言われ、吃音について学びたくて参加しました。学ぶのに遅すぎることはないと思います。
坂本(保護者) やったら、たとえうまくいかなくても、次が見えてくると思います。やらないと次が見えてこない。西館さん、是非挑戦してほしいです。
伊藤 悩み方にも、上手と下手があると思います。僕は21歳まで下手な悩み方をしていました。劣等コンプレックスに陥っていたから、やればできるかもしれないのに、どもりだからできないと、逃げてばかりいました。逃げ一色の人生で後悔ばかりでした。ぶつかって、やってみて、失敗したとしても、その失敗から学ぶことはあります。何もしないで逃げるのは、もったいないと思います。
 僕は、男の友だちもいなかったので、恋人などできるはずがないと思い込んでいました。たまたまできても、すぐに捨てられるに決まっていると自分に言い聞かせていました。現実に失恋した時、やっぱりどもりのせいでだめだったと思うのです。本当は自分の本質的なところで嫌われたのに、どもりのせいにしていたら、自分は傷つかない。自分の本当の姿や限界を知りたくなかったのです。勉強すればできるのに、と思い続けるだけで、勉強もしてきませんでした。精一杯努力し、それでだめなら、あきらめがついて、次が見えてくるだろうに、いつまでもグズグズしていたのです。これを水漏れ症候群と言います。
 親友が、失恋をし、半年ほど悩んでいたのがうらやましかった。失恋を生きていると思いました。悩むならとことん悩んだほうがいい。そのためには、行動しないと、悩むところまでいかないのです。
 『吃音者宣言』(たいまつ社)の本に、千葉芳秀さんの体験が出てきます。彼は、3ヶ月でどもりを治せ、治せなかったら、くびにすると言われました。スピーチクリニックに行ったが治らずに、会社をくびになりました。そこで、彼に、吃音を外したら何をしたかったかと聞くと、教師だと言います。くびになったのは、もう一度仕事について考えようということだと、教師になることを強く薦めました。彼は大学に行き直し、一般企業をくびになった男が、それよりはるかにしゃべることの多い教師になりました。
 一方で、自分の本当に就きたかった仕事でなかったけれど、真剣に仕事をするうちに、その仕事が好きになっていくということもあります。自分は何をしたいのかを探してばかりではなく、自分でできる、何かをしてみるということも大事です。自分の好きな仕事に就くのは、幸せなことです。仕事の話を終わるので、一言、感想をどうぞ。
田谷(福祉職) 私は音楽が好きで、指揮者がかっこいいと思いました。でも、自分にはできないと思ってあきらめて、次の希望として、福祉の道を選びました。音楽をあきらめたくなかったけど、今は、諦めてよかったと思います。福祉の仕事をしながら、音楽の良さもわかり、コンサートを開いています。まだ自分さがしをしているのかもしれません。
伊藤 あきらめたから、今があるということもあると思います。その上で現実的に考えることが大事ですね。
田中(公務員) 高校野球の監督になりたかったが、監督になるには高校の教員にならないといけないので、無理だと思いました。今は公務員で話すことが多いです。若いときに挫折を味わったが、それなりになんとかなっています。今、やれることをやっています。
樋口 何でも、やったらやったでいい仕事と思えます。あまり、自分の本当にしたい仕事とは何かなどと、自分探しの深みに落ち込まないようにしたいです。
松平(福祉職) 教員になりたかったけれど、次に関心があった福祉の仕事に就けてよかったです。好きなだけでは仕事に就けない。子どもが生まれたとき、1年間、無職でした。そのことが、今、仕事の相談を受ける仕事をしていて、職探しをしている人へのアドバイスになっています。
溝上 就職したのが27歳。教師にだけはならないぞと決めて、インテリアの営業の仕事をしていました。しかし、自分が悩んできた吃音について、どもる子どもと何か一緒にしたいとの思いが強くなって、そのためには教師になろうと思い直しました。教師になって、どもる子どもと、吃音について一緒に考えることができる、ことばの教室の担当者になれました。あきらめないでいたら、今があるということです。よかったかなと思っています。
田中(農業) 仕事は、内定したところがあったけれど、劣等コンプレックスのため、断ってしまいました。今は、実家の農業をしながら、パートやバイトをしていますが、自分が好きなのは、接客業。お客さんとの会話が楽しかったです。工場で働くか、接客の仕事をするか、考えていますが、これまでの話を聞いてきて、やりたいことをして苦労しようと思い始めました。今、私は48歳。この年でやりたいことが分かって、よかったと思います。
村木(保育士) 私は口から生まれたような子どもだったようで、会う人会う人にしゃべっていたそうです。高校2年生のとき、保育士になろうと思いました。臨時バイトでつないできましたが、花屋のバイトをしたときは、花にしゃべっていたくらいです。10年前に採用されました。どんな仕事も楽しんじゃえと思っています。
廣田(介護士) 小学校時代から夢がありました。変化していったけれど、人と接する仕事が夢でした。不登校になったとき、保健室の先生が助けてくれました。夢を見ることが自分らしくさせてくれます。緊張すること、どもることで、先輩からいじめられました。非常勤の仕事で、朝礼で施設長から言われてやめました。仕事だと逃げられません。どもる自分を見せられないです。
梶田(郵便局員) 郵便局では、年末、年賀状のノルマがあります。「こんなにたくさんはできません」と言ったら、「お前が売らなければ、誰かがその分増えることになる。飛び込みで誰かに売ってこい」と言われました。どんなにどもっても、売っていきました。なんとか、自分で買い取るという自爆をせずにノルマを達成できました。普通の人が乗り越えないといけないことを、どもる人も乗り越えないといけない。他の人と比べないようにしたいと思います。
伊藤 はい、皆さんのいろいろな仕事の上での苦労や、生きるヒントを聞かせていただきました。どもる僕たちは、すべてが順調にいくわけではありません。辛いとき、逃げ出したくなる時もあります。その時、自分を支えてくれるのは、仕事以外の世界をもっている人です。知り合いの教員から、また教員研修でよく聞くのが、つぶれてしまって、休職する教員のことです。そうなるのは、教員の世界しか知らないから、そこで失敗したら、自分はだめな人間だと自己否定になってしまいます。そこでは、うまくいかなかったが、ここでは大丈夫という、今している仕事と別の世界をもっていてほしい。趣味でもいい。社会的な貢献の場がほしい。そうすれば自分を完全否定しないで、立ち直る気力も湧いてきます。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/26

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