第13回 吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京  

2日間の合宿を終え、翌12日は、恒例の東京ワークショップでした。年に一度、東京で開催する一日ワークショップです。今年の参加者は15人。ひとりひとりの人生に耳を傾け、シェアし、豊かないい時間を過ごしました。ずっと昔、吃音ショートコースを開いていた頃、よく参加していた人との懐かしい再会あり、初めての出会いあり、コロナ前の東京ワークショップで意気投合した参加者同士の偶然の再会あり、始まる前から、温かい空気が流れていたようです。

 はじめに、参加者ひとりひとりが声を出しておいた方がいいだろうと思い、簡単に自己紹介をしてもらいました。いつだったか、「簡単に」と言わなかったせいか、自己紹介だけで午前中が終わってしまったということがありました。だから最近は、「簡単に」ということばを入れるようにしています。
 みんなの自己紹介が終わった後、初めての人もいるので、簡単に僕も自己紹介をしました。吃音に悩んできたおかげで、今、とても充実した人生を送っていること、前日まで今年の吃音の取り組みを考える合宿をしていたこと、今、社会からのメッセージがたくさんあって、その中から自分でどうみつけていったらいいか分かりにくい時代になっていること、だからこそシンプルに伝えたいことがあり、それは、吃音は治らない、治せないということ、それを納得して生きることが大切だということ、どもりは治らない、治せないけれど、変わるということ、治っても治らなくてもどっちでもいいことで、それより大事なことがあるということ。そんな話をして、事前に参加者からもらっていたリクエストに沿って、みんなで考えていきました。事前に出されていたのは、次のようなことです。

・吃音のある人生って何だろう
・吃音サバイバルについて
・当事者の話を聞きたい。
・論理療法
・認知行動療法
・健康生成論
・ポジティブ心理学
・言語訓練に代わる、日本語の発音・発声のレッスン
・普段の日本語は難発、第二言語として学んでいるフランス語は連発。どうして?
・孤独を深めて、人とコミュニケーションを避けてきたとき、助けられたことは?
・ことばを発するときの恐怖や不安は、一生涯続くものなのか
・軟起声で話しやすくなったが、同時にどもる人としてのアイデンティティがなくなり、どもる当事者とどう接していいかわからなくなった。

 これだけたくさん、しかも幅広いテーマが出ましたが、参加者ひとりひとりが、それぞれに自分の経験を、自分のことばで話していきました。僕も、自分の経験、今まで出会ったどもる人やどもる子どもの話をたくさんしました。いつもそうですが、こういうとき、僕は、ひとりではない、僕のすぐそばに、これまで出会った大勢のどもる人やどもる子どもがいてくれることを感じます。実際に存在するそれらの人たちの経験を伝えていくことが、おそらく世界で一番たくさんのどもる人やどもる子どもに出会っている僕の使命なのだと思います。

 大勢の前でどもって失敗した。気にしないでおこうと常に自分に言い聞かせていると発言した人がいました。僕は、失敗したなあ、恥ずかしいなあという気持ちを消そうとしないでおこうと言いました。無理矢理消そうとせず、ただそこにとどめておこう、と。感情をなくそうとすることは、難しいです。嫌だなあ、恥ずかしいなあという気持ちを消そうとせず、そこに置いておく。そして、日常生活を大切にして生きるのも吃音サバイバルのひとつなのかもしれません。
 昨年も参加され、今回も参加された人がいます。吃音ではなく、緘黙だとのことです。僕のブログを読んで、ことばが出てこない気持ちが分かり合えるのではないかと思って、昨年初めて参加されました。たった一日、10時から17時までの限られた空間ですが、きっとこういう場が大切なんだろうと思いました。今、刑務所でも、対話が大事だとして、自分のことを語るということを積極的に取り入れているところがあります。何年か前に観た「プリズンサークル」という映画も、そのテーマでした。最近も、新聞に写真入りで載っていました。罪を犯した自分を振り返り、本当の意味で更生するには、語るという行為が大切だということなのでしょう。僕たちは、罪を犯したわけではありませんが、年に一度、自分のことを語り、他人の人生に耳を傾ける、この機会は大事です。年に一度の棚卸し、と考えていいのでないでしょうか。

 孤独を深めて、人とコミュニケーションを避けてきたとき、助けられたことは? については、参加者ひとりひとりに発言を求めました。

・映画や本。特に「エデンの東」ゃ「次郎物語」
・どもったときに、何事もなかったかのように全く違う話に振ってくれた人がいた。それで、その話の中に入っていけた。
・両親が、なんとかしようとしてくれた。両親の愛を感じた。
・吃音親子サマーキャンプに参加したこと。参加するよう背中を押してくれた先輩のおかげ。
・一人でこもって、本を読んでいた。
・どもる仲間に出会えて話したこと
・受け持っていた子どもや親からの手紙が元気グッズになった
・20代で挫折したとき、両親が支えてくれた。
・音楽。上達していくのも楽しかったし、好きなことがあることで支えになった。
・祖父の日記に、自分のことが記されていた。心配し、愛していてくれたことがわかった。
・妻。治そうと必死に努力しているとき、もうやめたらと言ってくれた。そんなことをしているから、よけいに意識するんじゃないかと言ってくれた。
・両親、先生、仲間など、周りの人に助けられてきた。
・グループの仲間。

 午後は、参加者のひとりと僕で対話をしました。その人に真剣に向き合って対話をしていると、知らない間に1時間を超えていました。その内容は、また紹介したいと思います。真摯に、対話を続けてくれたその人、そして、その場を支えてくれたほかの参加者に対しても、感謝の気持ちでいっぱいです。

 濃密なあの時間を、今、こうして言語化することは難しいなあと思いながら、書いてきました。最後に、一人一人、参加しての感想を聞きました。

・当事者の気持ちを聞けたことがよかった。心が動く、おしくらまんじゅうをしたみたいで、温かい振動を感じた。
・困っている、悩んでいるということではなく、どう生きていったらいいかを考えられる充実したワークショップだった。
・本音を聞けたのがよかった。吃音は隠せない、自然体でいたいと思った。
・他の人の人生を聞く時間であり、自分の幼い頃を振り返る、不思議な時間だった。
・どもっているときの「間」を全く気にせず、話したり、聞いたりできるいい時間だった。仕事で、ここにいる人たちと会えなかった時間が長かったが、再会できてうれしかった。
・みなさんの話を聞いて刺激を受け、自分の中で対話をしていたようだ。
・こんな形のワークショップは初めて。自分のことばでしゃべることの大切さを感じた。
・あっという間に時間が過ぎた。もっと居続けたい気分。名残惜しい。
・自分の人生をみつめることができた。吃音という屈折率のあるレンズを通して人生を見てきたが、その他の人と違う見方ができていることを自分の強みとしたい。
・自分のことばで話すことの大切さを思った。
・すばらしい場だった。来年も参加します。
・自分の主宰するグループでも、このような場を作っていきたい。
・バックボーンも、年齢も、いろんなことがバラバラの人が集まり、対等に話ができる、貴重な時間だった。

 みんな、豊かでいい時間だったと言ってくれました。感想を聞いていたら、会場が使えるぎりぎりの時間になってしまいました。リクエストすべてにはこたえられなかったけれど、またの機会にぜひ。みんなで、猛ダッシュで片付けをして、ちょうど午後5時、東京ワークショップを終えました。
 吃音の、奥深い豊かな世界を味わった時間でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/18

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