全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会鹿児島大会 2《吃音分科会》自分らしく生きる力を育むために~吃音児グループ活動での取り組み~
昨日の続きです。このときの鹿児島大会は、大会報告集が作られました。そこに掲載された吃音分科会の様子を、「スタタリング・ナウ」2014.3.20 NO.235 から紹介しています。
〈全国難聴言語障害教育研究協議会全国大会・鹿児島大会報告集より〉
吃音分科会質疑応答
Q:キャンプのプログラムやその時の様子と、個別での取り組みのことを教えてほしい。
A:キャンプでは、伊藤伸二さんと子どもの語る会や、保護者や担当者の学習会、カレー作りやレクレーション等の親子活動の他、昨年度は劇団「たんぽぽ」代表から詩の朗読などを教えていただいた。
個別の活動は、吃音について話したり、学校での様子を聞きながらその子の困っていることについて考えたり、実態に応じて『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』(解放出版社)等をテキストにして進めた。音読に困っていたら一緒に練習もした。6年生にはこれまで勉強してきたことをみんなに教えてあげてほしいと話した。
Uさんは1年目は吃音の知識や吃音について思っていることを中心に学習した。2年目は、グループ学習につなぐため、吃音や生き方について学習している。ことばと身体・気持ち・行動は結びついていること、物事には意味があること、変わることもあるけど変わらないものもあること、できごとを客観的にとらえられるようになることなど、よりよく楽に生きることをテーマに、『吃音ワークブック』等をもとに話し合う。
Hさんに「担任の先生は相談にのってくれますか」と聞くと、「吃音についてからかわれることを書いて相談箱に入れた時に、担任の先生は『私にできることはありますか』と言ってくれた。でも、そんなふうに言ってくれると思っていなかったので、何も思い浮かばなくて『ありません』と言ってしまった」と話したことがある。みんなや先生への願いについて、こんなときはこう言えばいいんだとか、お願いだけでなく、自分にできることは何かを、しっかりと自分のことばで話せるようにことばの教室で準備しておくことも大切なのだと気づいた。
研究協議(提:授業者(島田泰代)、参:参加者、コ:コーディネーター(伊藤伸二))
(1)グループ指導の時間割の調整は
参:春休みに在籍校に出向き、同じ時間に組めるように依頼して時間割調整をした。
(2)遊び・ゲームで気をつけることは
コ:子どもが通級するのが楽しいという教室であれば、それだけでもことばの教室の役割を果たしていると思う。
(3)中・高への引き継ぎや連携は
コ:中学校にことばの教室は少なく、中学校にあったとしても通級してこない実情もある。
参:福岡は小・中学校同じ建物にある教室もあるが、中学生は少なく、環境の心配がある。
参:岡山市では中学生の指導の場がないので、小学校の通級教室で教育相談対応で放課後に指導。
参:千葉市もないので小学生以上の子どもも参加できる交流会を実施している。
(4)どもりたくない子どもへの指導は
参:なぜそう思うか、他にどんな方法がとれるかいっしょに考えていく。
コ:こういう子どもが来てくれたら、やりがいがあると思って、じっくりと関わっていく。
(5)吃音は人生の課題になると思う。その苦しさや思い通りにならない気持ちを担当は知っておくべきだ。吃音にこだわらないとは、具体的にどう指導したらよいか。
コ:いろいろな方法で試みて吃音を軽減することはできなかった。どう指導するかの技術的なことより、吃音とどう向き合い生きていくのかを子どもと一緒に考えていくしかない。どう生きるかはひとり一人違う。単一の方法はない。
参:吃音を軽減させなければということから入ったが、楽しく子どもと話ができ、お互い楽しい時間が持てるようにしたほうがいいと思う。
コ:「人はいろいろな苦しいことや、悩みをかかえて生きている。苦しいのはどもることだけではない」などと、ことばの教室の先生が言っていたことを理解し、思い出すことがあるかもしれない。
(6)「どもる」ということばを使わない方がいいと言われたことがあるが。
コ:「どもり」も使っていいのに、まして「どもる」は他に言い換えられず、放送でも使っている。
(7)思春期を乗り越えるために小学校のうちに身につけておく力はどんなことか。ことばの教室で行っている支援や終了のめやすはどんなことか。
参:ことばの教室で「どもってもいい」と聞いたことを思い出し、発表の場で乗りきったことを話してくれた。
参:終了基準は、吃音について話し合うことができるようになったとき、保護者が吃音について理解したとき、クラスの友だちがどもることを理解してくれるようになったときの3つを考えている。卒業生が楽しかったことは、先生と何も気にしないで話せたことだと話してくれた。
参:クラスの代表になりみんなの前で発表できたことが自信につながったと思った。
参:ことばの教室に6年生まで通級したいと希望する子どもがいるし、「もう大丈夫です」と卒業する子どももいる。「これができるようになったから修了します」と担当者を説得できた時修了と考える。
コ:教師として自分なりの修了基準を持っておくことも必要である。
参:音読がいやな子どもが通級した。自分の話し方が好きでないと言っていたが、これが自分の話し方だろうなと思えるようになった頃に終了した。
コ:ことばの教室で吃音に向き合った子は、思春期は、自分の力で乗り越えていくと信じていい。
吃音分科会 ミニレクチャー ことばのレッスンを中心に
伊藤伸二
(1)世界の吃音治療の現状
世界トップクラスのアイスター(アルバータ大学吃音治療所)の治療技法は、「ゆっくり話す」スピードコントロールが中心で、バリー・ギターの統合的アプローチ(弾力的発話速度、軟起声、構音器官の軽い接触)も「ゆっくり、そっと、やわらかく」どもらないように発音することを訓練する。「ゆっくり」言うは、100年以上前から、ほとんどの人が身につかなかった、失敗してきた方法だ。
なぜこれまでの治療が失敗してきたのか。
・特別な方法なので、続けることで、ますます吃音をマイナスに意識していく。
・練習が楽しくなく、何時間、何日間、練習を続ければ効果があるのか見通しがない。
・不自然な話し方なので、日常の生活で使えない。
英語でどもる人の技法は、日本語でどもる人には意味がない
バリー・ギターの流暢性促進の技法は、英語でどもる人が考えたものだ。日本語は「ん」以外の子音には必ず母音がつき、5つの母音が中心的な役割を持つ。英語は母音が入らずに子音が連続したり、単語の末尾が子音で終わるのもある。発音の仕方や音質も日本語の子音とかなり違う。英語の子音には、唇や舌、口腔内に力を入れて、口の中に溜めた空気を一気に破裂させて発音するものがある。日本語の大きな特徴は、唇や舌を英語ほどは強く使わずに口の奥で構音することだ。ボールペンを横にくわえてしゃべっても、日本語なら聞き取れるが、英語だと何を言っているか分からない。英語は、構音器官を常に細かに使わなければならない。日本語は、のどを開いて、まっすぐ母音を出せば成り立つ。
日本語の発声・発音の基本
①話すために一番大事なのは、息を吐くこと
息を吐かなければ声は出ない。声が出なければことばにならない。最初の一語が出るためには息の流れを止めず、のどを開けて息をまっすぐに出し、相手まで届くようにする。
②日本語の原則は、「母音の流れ」と「一音一拍」
「こんにちは」を、子音ごとに区切って、「コ・ン・ニ・チ・ハ」と言えば、息を深く吐けず、単調で抑揚のない、ロボットのような発音になる。「オンイイア」となる母音の息の流れに、チョンチョンと子音で刻みをつけると「こんにちは」になる。また、「こん にち は」と二音をまとめて一拍にしない。一音一拍が日本語の基本だ。
③子音と母音を一緒に出す
日本語は母音が聞き分けられれば、ほぼ理解できる。朝出会って、「オアオオオアイアウ」と言えば、「おはようございます」と聞き取る。どもる子どもは、語頭の発音で苦労するが、語頭の子音をはっきり発音しようとあせらず、子音と母音を同時に発音する。
(2)日本語でどもる子どもの言語指導
日本語の基本を生活の中で心がければ、結果として、英語の発音では難しい「ゆっくり、そっと、やわらかく」を実践していることになる。子音と母音を同時に言う意識をすると、構音器官の軽い接触、軟起声になる。これらに気をつけて、一音一音を同じ長さで言うことを心がければ、結果として「ゆっくり」になる。
日本人はゆっくりではなく、ていねいに
「弾力的発話速度」は、どもりそうな音節だけをゆっくり話すので、不自然で、聞き手は違和感をもち、本人も吃音に常に意識が向く。英語でもゆっくり言うには母音を伸ばすしかない。子音に必ず母音がつく日本語は、一音一音同じ長さで、母音を意識して話すと、結果として少しゆっくりになる。「ゆっくり」ではなく、「ていねいに」を心がけたい。日本語は「ていねいに」話すことで生きてくる。
ことばの教室でできること
大きな声で楽しく自分の好きな歌や母音が豊かに伸びやかに出る歌を歌うことで、また、口先ではなく、全身を使って歌うことで、発音・発声の基本は自然と身につく。ことばの教室では常に歌声がきこえるようにしてほしい。大切なことは楽しく続けることだ。そのために、子どもの好きな詩や芝居のせりふを読んだり、俳句や短歌や川柳や小説などを声を出して読んだりする。どもらない、流暢なことばを目指すのではなく、声を出すことが楽しいと思える経験をたくさん積ませることだ。
ことばを育てる―仮面のことばではなく、誠実なことばを―
人は自分の人生をかけて「ことば」をつくっていく。誰かに教えられた、どもらないで話すことを第一義にした「仮面のことば」の表現ほど、むなしいものはない。
自分の中にある考えや思いを相手に伝えるために、「ことば」はある。相手を抜きにして、訓練室でどもらずに話そうと訓練しても的外れだ。相手に伝えたい、それを受け取る人との出会いがことばを育てる。私たちが目指したいのは、「流暢なことば」ではなく、ましてや、他者や自分をごまかす、ゆっくり、そっとの「仮面のことば」ではない。他者に、自分に「誠実なことば」なのだ。
子どもが学校での楽しいできごとを家で話そうと、弾む気持ちで、「おおおお母さん、・・きょきょ」と言おうとしたとき、もし、言語訓練で学んだことを思い出したら、ゆっくり、そっと、やわらかく、吃音をコントロールしなければと思って、「おーかあさん、あーのーね」と言えば、楽しく弾んだ気持ちは消えてしまうだろう。それはその子のことばではなく、「仮面のことば」だ。どもらずに話す、コントロールする代償として、人との「じか」のふれあい、人間的なかかわりを放棄することにならないか。子どもがどもるからといって、「仮面としてのことば」を子どもに教える権利は誰にもない。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/01/03

