ずっと待っていてくれる場所~2013年第24回吃音親子サマーキャンプ報告~

 「スタタリング・ナウ」2014.1.20 NO.233 では、2013年8月23・24・25日に開催した、第24回吃音親子サマーキャンプを報告しています。サマーキャンプという場所は、参加する、どもる子どもにとっても、保護者にとっても、そしてスタッフにとっても、大事な場所になっていることが分かります。

  ずっと待っていてくれる場所~2013年第24回吃音親子サマーキャンプ報告~
                 八重樫淑子(干葉市立松ケ丘小学校ことばの教室)

はじめに
 2013年8月23日(金)から3日間、荒神山自然の家にて「第24回吃音親子サマーキャンプ」が行われた。今年も幼児から高校生まで幅広い年齢層が琵琶湖を望む荒神山の麓に集い、何物にも代え難い素敵な時間が流れた。そんな場所に立ち会えたことを幸せに思う。

 私は千葉市で初めてことばの教室の担任となったとき、Kくんというどもる子どもと出会った。18年前のことである。Kくんを前にして何か教えなくてはともがき、何もできない無力感に押しつぶされそうだった。とにかく「吃音」に関する本を探しては読んだ。『学齢期の吃音指導―専門家のための手引き』(カール・デル著:大揚社)は、私にとっては指導法が具体的に書かれている初めての本だった。
 「これでどうだ」という思いでKくんの授業で試してみた。彼は「それが何なの?」という冷めた表情で私の指示通りに話してくれた。それだけだった。重苦しい空気にその場は包まれ、私はその本を再び開くことができなかった。
 吃音は彼の一部。それをコントロールするとはどういうことなのか? ことばの教室の存在価値とは? 苦しい日々の中で学校に届いた1通の封筒が私を救ってくれた。『スタタリング・ナウ(1996.6.15NO.22)』である。伊藤伸二さんの「ことばの教室への応援歌」を何度もうなずきながら読み返した。どもる当事者から語りかけられる言葉には重みがあった。自然に成人のどもる人に会いたいと思うようになった。そこから何かが始まりそうな気がしたのである。そして、面識もない伊藤伸二さんにいきなり電話をかけた。「はあい、はああい!」大きくて伸びやかな声が受話器を離していても聞こえてきた。なんだかほっとしてとても嬉しくなった。ほんの数分のやりとりだったが、私にとっては運命の扉が開いた瞬間だった。
 その後、1996年の秋、吃音ショートコースに参加。「竹内レッスン」だった。そこで初めてどもる成人Nさんに出会った。彼女は吃音に悩み、克服したいと懸命に努力をしてきた人だった。竹内敏晴さんのレッスンを受けることで吃音に向き合えたらという望みを抱いて、吃音ショートコースへの参加を決めたと話してくれた。竹内先生がゆっくりと参加者のからだやことばをほぐしていく。私は声というものがこんなに生々しく心やからだとつながっているということに恐ろしさを覚えた。Nさんの声は凍っていた。竹内先生に何度導かれても相手に声が届かない。どもっているのではない。声に心を通すことができないのだ。落ち込む彼女を見て私は涙をこらえることができなかった。
 「今度こそ何か掴めるかなと思ったけど、駄目だったわ。やっぱり私には吃音を肯定することはできないな」2泊3日の日程を終え、Nさんは静かにつぶやいた。お互い初対面とは思えない位いろいろなことを語り合えた素敵な人だった。
 「小学校の時はことばの教室に行かされてたの。冷たい先生にただ本を読まされていた記憶しかないな。寂しかった。友達が欲しかった。どもりを治そうなんて思わんといて。ただ友達になってくれるだけでいいんよ」
 私はNさんの話を、自分のことを重ねてどぎまぎしながら聞いていた。Nさんからもらった宿題はとてつもなく大きいものだったが、私の背中を押してくれる温かいエールでもあった。今も私の大切な道標となっている。
 「吃音はその人の人生そのもの」竹内レッスンで自分と対峙するNさんの姿を見て漠然とそんなことを感じた。他人がどうこうしようと簡単にいじれるものではない。ことばの教室で私にできることは何か。正解はない。今もずっと考え続けている。
 吃音親子サマーキャンプで出会ったたくさんの人々のメッセージを原動力に、とりあえず、今できることを誠実に続けてきた。『この人になら自分のことを話してもいいかな、と思われる存在に少しでも近づくこと』『その人が抱えている問題について一緒に悩み、考えること』『伝えること、表現することを楽しむこと』などなど。
 サマーキャンプでは幼児から成人まで様々な人々の人生に出会うことができる。吃音と向き合いながら過ごす濃密な3日間。どもる人もどもらない人も自分と向き合う。話したくなったら話す。話し終わるまで待つ。相手の伝えたいことを全身で感じ取ろうとする。だから、もっと伝えたくなる。キャンプはそんな空間である。昔も今も変わらない魅力をお伝えできたらと思う。

2 Aくんに会いに行こう~Bさんとの旅~
 私は現在、千葉市松ケ丘小学校でことばの教室の担任をしている。今年6月に、昨年度3月に徳島県に転校したAくんから手紙が来た。4年生の頃は吃音の話題になると話をそらしていたが、5年生になってグループ学習で友達の考え方に触れる度に、吃音との向き合い方が少しずつ変化してきていたリーダー的存在だった。昨年サマーキャンプにも参加して千葉に帰ると教室の仲間に大いに体験を語っていた。「先生、サマーキャンプでお会いしましょう」今年も彼は家族で参加するという。同じく、今現在担当している5年生のBさん。昨年度AくんとCくんと一緒に吃音をテーマにしたトーク番組を作ってから、吃音について自分の気持ちをのびのびと表現できるようになってきた。「キャンプに行けば、どもりの女子と話せるかな」そんな期待もあり、Bさんと私はキャンプへと旅立つことになった。

3 出会いの広場
 初参加のBさんは集会室ですぐに友達を見つけ出し、自分から話しかけていた。ことばの教室では高学年の女子がいなかったので、このキャンプで出会えることを楽しみにしていた。それにしてもその行動力には驚いた。私がNさんに出会った時と同じようだ。みんなことばに出さなくても溢れ出さんばかりの「言いたいこと」を持ってここに来ている。一言話しかけるだけで、不安や緊張はほぐれ、うれしい気持ちが流れ出す。出会いの広場では、簡単な自己紹介を兼ねた楽しいゲームが行われ、いろいろなグループに別れて交流を深めていった。初参加の親子もたくさんいたが、笑い声に包まれた素敵なはじまりの会となった。私がはじめてキャンプに参加したのは2000年の夏だった。13年たった今年も何一つ変わらない。

4 話し合い
 「話し合い」はキャンプがとても大切にしている活動の柱のひとつである。「吃音」についてとにかく語る。話し合う。一緒に泣き、笑い、時には怒る。そんな素敵な時間である。グループ構成は、意図的である。どもる子どもたち、どもる大人(ここがポイント)、そしてどもらない大人(ことばの教室の担当者や言語聴覚士)の三部構成。
 「話し合い」と聞くと、ことばの教室の担当者の間では「何をどう話せばよいのかわからない」「吃音をよけいに意識させてしまうのでは」という不安の声がよく聞かれる。私も成人のどもる人たちと出会う機会を得なければ、そう考えて悩んでいたかもしれない。どもりと向き合って誠実に生きてきた人たちの数々のエピソードが心の中に住んでいて、いつでも扉を開けて勇気をくれる。だから子どもたちが自分と向き合うその瞬間に立ち会うことができるような気がする。
 今年は4年生6人の話し合いのグループに参加した。どの子も話したくてうずうずしていていた。はじめに、キャンプに参加した理由を聞いてみると、「自分の学校には僕しかどもる人がいない。他にもいるのかこの目で確かめたかった」「吃音の治し方を知りたいから」「昨年とても楽しかったから」「また友達に会いたかったから」等々。とても主体的だ。初参加のTくんは、まわりの友達の話に「わしもわしも」とおもしろおかしく反応しながらもなかなか自分のことは話し出すことができなかった。だが、このキャンプでは無理に聞き出すことはしない。パスありだ。話したくなったら、話せる時が来たら、話す。みんながさりげなく「待つ」空間を共有している。せわしない日常の生活ではあまり体験できない心地よい時間かもしれない。
 2日間で3時間半。どもりと向き合う。自分の体験を語る。友達そして先輩の声を聞く。思っていることをただ聞いてもらえるだけで、「自分は自分のままでいい」という安心感に包まれることだろう。その上に立ってやっと自分の考えを整理したり確認したりすることができる。Tくんは2日目の話し合いの時に溢れんばかりの気持ちをことばに込めてみんなに伝え始めた。みんなは、「待ってました」という表情でうなずきながら、彼の将来の夢の話に耳を傾けていた。「話し合いの時間が一番好き」といってくれたRさんも目をくるくるさせて微笑んでいた。
 そんな中でも、なんといっても一番聞き上手なのが成人のどもる人だ。子ども達のいろいろなエピソードが飛び交う中、時々相槌を打ちながら、じっと聞いている。今年のグループの話し合い活動は、吃音親子サマーキャンプ卒業生である井上詠治さんの存在がとても大きなものとなった。「井上先輩に質問」というコーナーを作ってみると、一斉に手が挙がった。
 まずは、「どうしてサマーキャンプに参加したんですか?」という質問。
 「高校生の時、どもりを治すためにキャンプに参加したのに、伊藤さんに、どもりは治らんと言われて目の前が真っ暗になった」という井上さんの答え。子ども達が騒然となった。
 「大人になる前には治さんといかんものだと漠然と思っていた」「吃音を矯正するための横隔膜ベルトを買おうと思っていた」「どもりが治らないと言われてショックで二度と来ないと誓ったのに結局仲間ができたのが嬉しくてその後も参加した」などと、子ども達の興味深々な質問に答えながら、静かに、でも楽しそうに、素敵な笑顔で自分の体験を語ってくれた。
 子ども達は、井上さんの体験談の上に、自分の10年間の人生を重ね合わせていた。ここでの時間が未来に漕ぎ出すエネルギーとなりますように…。そんな気持ちで私も聞き入っていた。さて、話し合いの最後はやはりこの質問だった。「それで、結局横隔膜ベルトは買ったんですか? どもりは治ったんですか?」詰め寄る子ども達。井上さんが優しい笑顔で返した。「買うてない。どもりは治ってないけど、今は、少しどもる程度であんまり困っとらんな」「…」あれ? まあいいか。何かを期待していた子もいたようだったが、みんなやっぱりそうかという神妙な顔をしているのがとても微笑ましかった。
 医療や教育の臨床研究の場で「エビデンス」を重視する傾向があるようだ。悩み、ひたすら吃音と向き合ってきた人たちの生き様。それに勇気づけられてまた日々の生活に挑む人の生き様。その連綿とした繋がりこそが人を育てると私は思う。

5 劇~森は生きている~
 音読で順番が来るのが怖い。はじめの母音が出なくて挨拶するのも一苦労。普段いろいろな場面でドキドキしている子どもたちだが、サマーキャンプのこの時間は特別だ。表現する喜びを思いっきり味わうことができる夢の舞台である。そして、ここでも「待つ」はキーワードとなる。
 どの役を演じるかを自分で決める。「何ができるか」よりも「何がやりたいか」を大切にできるようにスタッフも寄り添う。途中の変更も可。本人が納得するまで話し合う。ときにはグループの中で譲り合う。どもっても最後まで演じ抜く。セリフを言い終えるまでどんなに時間がかかってもグループのみんなは見守り、「待つ」。待たれている方にもプレッシャーのようなものは感じられない。心地よい緊張感が流れている感じだ。自分の声を聞き、向き合い、見つける。そんな地道で真剣な作業を紡いでいく。
 劇の活動に参加する時、私はいつも、17年前の竹内敏晴さんのレッスンを思い出す。どもる人が自分のからだと向き合い、声を立ち上げていくこと。それは感動的であるが産みの苦しみを伴う作業であると思う。40代になるまで吃音を肯定することができなかったNさんの凍えた声が耳に残っている。子どもの時に吃音と向き合う体験ができることは本当に幸せなことだと思う。
 今回私は、黄緑グループの担当になった。千葉から一緒に参加したBさんと、昨年話し合いの班で出会ったSさんのエピソードを中心に子ども達の成長の様子を伝えていきたい。
 Sさんは昨年初参加。話し合いの場では、「母音が苦手で名前やお礼のことばが言いづらくてつらい」と悩みを打ち明けてくれた。みんなで体験談を持ち寄りながら、「完壁に言えなくても伝わるよ」と彼女にエールを送った。固かった表情が少しずつ和らいでいったのを覚えている。その彼女が今年も参加してくれていた。その理由を尋ねると、「楽しかったから」と答えてくれた。そのことばの中にはきっといろいろな思いが詰まっているのだろうと思う。
 「森は生きている」の第3場面。わがままな女王が娘に無理な命令を出し、厳冬の中チューリップを探して歩くというシーンだ。女王と娘の緊迫したやり取りが見せ場のひとつである。
 Sさんは、女王役に立候補した。セリフは多く、長い。それでもがんばるという決意がきっぱりとした表情に表れていた。娘役になったBさんと練習が終わったあとも部屋でずっと台本の読み込みをしていた。驚いたことに2人とも短い期間でほとんどセリフを覚えていた。お互いの劇にかける意気込みが伝わってきた。
 Bさんは1年生からことばの教室に通っている。お父さんも吃音を持ち、吃音について親子でよく話をしていたという。友達から、からかいをうけても「どもって何が悪い」と強気で立ち向かってきた。まわりからは強くて明るい子と見られている。一見、一人で悩み続けてきたSさんとは対照的に見える。だが、このキャンプに2人の少女が求めていたものは案外共通していたのではと、一緒に過ごすうちに気づかされた。気丈にふるまっていても、学級ではどもるのは自分一人。どもる自分をまるごと受け入れてもらうという実感を得られることはそうあることではなかっただろう。彼女はやはり孤独と戦っていたのだと思う。キャンプの期間中、Bさんは常に友達と一緒に行動していた。初対面の人ばかりのはずだが、貧欲に自分から話しかけ、友情を育んでいた。はじめて自分を解放して本音を語り合える喜びをかみしめていたに違いない。
 そんなBさんとSさんの、娘と女王の演技は感情のこもった動きといきいきとしたセリフでグループの練習の場の雰囲気をおおいに盛り上げた。
 スタッフの渡辺貴裕さんは緊張している子ども達のからだと心を楽しくほぐしていくレッスンを練習に上手に取り入れてくださった。またスタッフである成人のどもる人のユーモアたっぷりのアドバイスは、最後まで自分たちが見守られているという温かい空気を子ども達に送り続けていた。
 高校生たちの名演技、初参加の小学生、またそのきょうだいたちのがんばりなどなど、縦糸と横糸が今年も見事な模様を織りなし、グループの上演は大成功に終わった。

 話題はそれるが、RADWIMPS(ラッドウィンプス)というロックバンドの『学芸会』という歌をご存知だろうか? 作詞・作曲・ヴォーカルの野田洋次郎さんは吃音である。その曲に、少年Dというこどもが登場する。DはどもりのDだ。

  与えられた役名は 変哲もないただの『少年D』
  望んでなどいないのに 群れの中に 舞台上に
  上げられたはいいけど 脇役を任された少年D
  先生 僕は僕の世界では
  誰がなんと言おうと主人公です

  この世界では僕は少年D名前も持たない少年D
  台詞はひとつ「おやすみなさい」
  そう僕がいなくても始まる舞台の
  端っこに立った少年D
  誰も彼なんか見ちゃいない
  でも僕にとってはVIP
  そう僕がいないと始まんないんだよ
  僕の世界は

 参加者の中には、日常の生活の中でこんな心の叫びをあげている子もいるのかもしれない。サマーキャンプはそれぞれの少年Dが堂々とVIPを宣言する場所でもある。

6 卒業式
 いよいよキャンプ最終日。劇の上演も終わり、感動の余韻冷めやらぬ中、振り返りが始まった。すっと一番に手を挙げたのは、なんとSさんだった。昨年は自己紹介の名前を言うのがやっとだったSさん。今年も自らの意思でキャンプに参加し、劇ではセリフの多い役に進んで挑戦していた。
 そんな彼女が「もっとちゃんとやりたかったのに、あまり上手にできなかった…」と言って泣き出した。私はびっくりした。そして思わず一緒に泣いてしまった。「ここならできる。私はやりとげたい」と思って精一杯がんばったSさん。がんばったからこそ流せた涙だろう。隣に寄り添って「Sちゃんはよくやったよ」と声をかけるBさんの姿もとても頼もしく見えた。
 そしてキャンプ恒例の卒業式が始まった。高校3年生まで3回以上キャンプに参加すると、伊藤伸二さんから卒業証書が手渡される。卒業生からは吃音と向き合って生きてきた様々な体験がストレートに語られる。それを受け止め支えてきた保護者からも、我が子へまたあとに続く後輩たちへ心のこもったメッセージが送られる。吃音サマーキャンプは過去から未来へとこうしてつながっていく。人間の心が心を震わせて吃音と向き合って生きていく勇気を与えてくれるのだ。
 卒業生たちは今度はスタッフとして戻ってくる。キャンプは「待っていてくれる場所」だから。待つことは実は簡単ではない。「人を信じて待つ」ということは、時間も労力も計算できない非合理的なことかもしれない。でも実はものすごいパワーを放ち続ける源かもしれない。サマーキャンプは「待つ力」を原動力にこれからも続いていく。

 私自身、7年前に病を得て人と話ができなくなった。もちろん吃音親子サマーキャンプからも遠ざかっていた。回り道をしたが、多くの人に支えられてまた戻ってくることができた。その時、何もなかったかのように「おかえりー」と言ってくれたスタッフの皆さんの明るさ、あたたかさにどれだけ救われただろう。キャンプは何も変わっていなかった。私にとっても「ずっと待っていてくれる場所」だった。
 卒業生のことばを聞きながら、BさんもSさんも涙を流していた。「夜もいっぱい話をしたの。家族みたいなんだもん」と帰りの新幹線でその理由をBさんが聞かせてくれた。「私も絶対、キャンプを卒業するぞ。そしてスタッフになる」決意は固そうだ。来年の吃音サマーキャンプがまた楽しみである。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/12/25

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